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04

 食堂で見知った女子生徒の姿を見つけた時、その綺麗な黒の瞳が何やら真剣に考え事をしているのだとすぐに察した。いつも伏せがちの瞼はぱっちりと開き、憂いを帯びた無表情は僅かに柳眉を逆立てて険しい表情になっている。
 ──珍しいな。
 彼女は普段、その胸の内に秘めた負の感情を表に出すようなことはしない。自分の表情一つで相手の心情が揺れ動くことを理解しているからである。だから、あの愛らしい人形のような顔にはいつも無表情か笑顔しか浮かばない。
 その彼女が周囲の目も気にせずあんなにも考え込んでいるものだから、思わず足が止まってしまった。
 隣を歩いていた親友が不思議そうに首を傾げて振り返った。
「? どうした?」
「彼女がいる」
 そう言って人差し指を向けると、親友もまた彼女の姿を捉えたらしい。いつも以上に笑顔が深まった。
「あ、ほんとだ」
「何かあった?」
「ん? なんで?」
「いや……なんというか、すごく考え込んでるみたいだから」
「え、何なに? いつの間に空のことそんなに分かるようになったの、環。俺の知らないところで仲良くなったの?」
「ちっ、違う……俺なんかと仲良くなっても彼女に得なんかないだろ……」
 目を輝かせながら食いついてくる通形ミリオに、天喰環はすっと視線を逸らした。
 思わず自虐的な発言が漏れたが、そんなのはいつものことだ。長年の付き合いである通形は気にすることなくその丸い瞳を楽しそうに細めて笑っていた。
「あの子は誰かと仲良くなることに損得なんて考えないよ」
「……うん」
「でも、確かに今日はちょっと様子が変だよね」
「……うん」
「まだ入学して一週間ぐらいしか経ってないけど、初日から学校休んじゃったって言ってたし、授業で分からないところがあるのかもしれない。まだクラスに馴染めないのかもしれないし、もしかしたら──ひょっとしたらひょっとすると、恋の悩みかもしれない……兄貴分としてはちょっと複雑だけどね!」
「…………ぅ、うん……」
「というわけで、俺! 今から行って話を聞いてくるよ!」
「ミリオ。先生の呼び出し、忘れてないか?」
 饒舌に思いつく限りの仮定を話して善は急げと言わんばかりに手を上げながら今にも駆け出さんとする親友に、冷静に話を聞いていた天喰は呆れた声で制止をかけた。
 ぴたりと動きを止める彼はやはり自分の目的を忘れていたらしい。困っている人を見つけると駆けつけてしまうのはヒーローを目指す者の性分なのだ。相手が知り合いだということもあるが、自ら『兄貴分』と言ってしまうほど彼女を気に入っているのも理由の一つだろう。
「……あとでメールすればいいと思うよ」
「……そうする」
 ひどく落ち込んでいるのは、ようやく会えた妹分と話せる機会を失ったからに他ならない。
 正直、天喰も少し残念には思っている。何故なら、親友を介して知り合った彼女の試験勉強に付き合ったのは他でもない自分なのだ。付き合いは親友より浅くとも、それなりに親しくなれた彼女が悩んでいるなら話ぐらいは聞いてあげたい、と思う。
 しかし、残念ながら教師からの呼び出しは急を要するのである。
 天喰は慰めるように通形の肩に手を置いて、職員室に向かうよう静かに促した。


 *** *** ***


 今日のヒーロー基礎学は『人命救助訓練』だ。
 授業は相澤と『オールマイト』、そしてもう一人のプロヒーローの三人で行うらしく、少し離れた訓練場まで生徒達はバスで移動することになった。
 更衣室で手早くコスチュームに着替えた蛙吹は、ちらりと隣で着替えを済ませて立っている佐鳥に目を向けた。
 今日の佐鳥は様子がおかしい。朝から無表情ながらも険しい表情のままで、午前はずっと授業中にも関わらず上の空になっていた。おかげで先生に指名されても気づかないほどだったのだ。
 顎に手を添えている姿から何かを考え込んでいるのは明白である。その主な原因はやはり今朝話したマスコミのことだろうと、蛙吹は言わずもがな察しがついていた。
「何がそんなに気になるのかしら?」
 首を傾げていても彼女の胸の内を理解できるわけではない。思ったことをすぐ口に出すタイプの蛙吹は、疑問を抱えたままでいるより直接尋ねた方がいいと判断した。
「蛙吹さん……」
「梅雨ちゃんと呼んで」
「あ、すみません……梅雨ちゃん」
 佐鳥の敬語が癖だとあらかじめ聞いている蛙吹は、自分に対する呼び方をすぐに訂正するようにしている。その甲斐があってか、敬語はまだ抜けないものの麗日と蛙吹に対しての呼び方が改善されつつあった。
 少し戸惑いながらも素直に訂正した彼女に、蛙吹は静かに口角を上げた。
「今朝からずっと考え込んでいるようだけど……」
「すみません……実は、マスコミの話を聞いてから胸騒ぎがずっと続いていて……その……何か起こるような気がして、落ち着かないんです」
「……考えすぎじゃないかしら。午前中は何事もなかったでしょう?」
「はい」
「なら、きっと大丈夫よ。ここにはプロヒーローの先生もいるし、セキュリティーも万全だもの。何も心配はいらないわ」
「でも……」
「不安を抱えたままより、一度忘れた方がいいと思うの」
 そうでないと、訓練中に大怪我をするかもしれない。そう蛙吹がやや強い口調で諫めると、佐鳥は僅かに目を見開いてから気を引き締めて頷いた。
「すみません……梅雨ちゃんの言う通りですね。今は余計なことを考えず、訓練に集中することにします」
 凪いだ黒の瞳に、強い意志が宿った。
 純粋で、汚いものすら知らなさそうなその美しい瞳を見つめ返し、蛙吹は目を細めながら優しく笑い返す。個性の『蛙』という特徴を感じさせる顔立ちの彼女は普段はポーカーフェイスであることが多いが、こうして笑えばとても愛嬌のある表情をしていた。
 佐鳥はそんな蛙吹の表情をじっと見みつめてから、ようやく安心したように微笑んだ。
「……梅雨ちゃんは優しいですね」
「そうかしら? A組にいるみんな優しいと思うわ」
「そうですね。でも……梅雨ちゃんの場合は人一倍、という感じがします」
「ケロ……そう言われたら、なんだか少し照れちゃうわね」
 ぽっと頬を染めながらそう言葉を返した蛙吹に、佐鳥はにこりと笑みを深めた。
 するとそこで、着替えを済ませた女子達が佐鳥を振り返り、目を輝かせて彼女のコスチュームをしげしげと眺めながら声をかけた。
「ねえねえ。佐鳥の今着てるそれがコスチュームなの? かわい〜!」
「ほんと、めちゃめちゃデザイン素敵じゃん! これなんていうんだっけ? ゴスロリ?」
「いや、シンプルにカジュアルでいいと思うけど……」
 ピンク色の肌に人懐っこい笑顔を浮かべて真っ黒の瞳を輝かせる芦戸三奈と、透明の体で装着した手袋をバタバタと動かして興奮を表現する葉隠透。その隣にいた耳郎響香もまた、興味深そうに佐鳥のコスチュームを見つめた。
 佐鳥のコスチュームは、ハイウエストのショートパンツと白いシャツの上にフード付きの黒いマントを羽織るというシンプルなものだった。だが目を凝らせば所々にデザインが凝っており、マントの留め具には金色のブローチを使われ、腰にはポーチ付きのベルトが装着されている。中でも膝より上まである編み上げのサイハイブーツは足の線を強調し、ショートパンツから伸びるガーターベルトが僅かに見える肌の色気を漂わせていて、マントなしで街中を歩いてもそれなりに目立ちそうな格好だった。
「ほぼ私服みたいなんやね。ブーツとか動きづらくないん?」
「わざと普段着に合わせたデザインにしたので、私としては特に問題ありません。個性に合わせて多少は加工してもらえるよう要望もしましたが……あの……これだとやはり、私だけ浮いてしまうでしょうか?」
 麗日の問いにそう答えて眉尻を下げた佐鳥に、全員がぶんぶんと首を横に振った。
「私も私服に近いデザインにしてるし、大丈夫だと思うよ」
「ええ、とても良くお似合いです!」
「一目で空ちゃんだって分かるコスチュームだわ」
「そうですか、それなら良かったです」
 耳郎と八百万、そして蛙吹が頷くと、佐鳥は安心したように肩の力を抜いた。
 そんな彼女のフードを、芦戸がくいくいと引っ張る。
「どうせならフード取って顔も出しちゃえば良いのに〜!」
「あ、いえ、これは……」
「っていうか、その格好でいつまでもおさげはなくない? どうせならもっと可愛くしようよ!」
「え」
「あ、それ良い! 編み込みとかやっちゃおうよ!」
 芦戸の言葉に賛成したのは葉隠で、あれよこれよと佐鳥を取り囲んでフードを剥がし、三つ編みのおさげを解いていく。そこに便乗してあんな感じに、こんな感じに、とわちゃわちゃと騒ぐクラスメイトに囲まれながらきょとんとしている佐鳥は最初こそ戸惑っているようだったが、次第に視線を下げてきゅっと唇を引き結び、されるがままになっていた。
 そんな彼女の様子を観察していた蛙吹と麗日は、ふと互いに顔を見合わせてこっそり笑い合った。
 髪を弄ることに夢中になっているクラスメイト達は気づいていないようだが、佐鳥の頬は微かに赤く染まり、瞳が柔らかく弧を描いている。
 彼女はその時、心から嬉しそうに微笑っていた。


「見て見て! 空ちゃんのコスチューム初お披露目!」
「髪はうちらがやったんだよ〜!」
 バス乗り場に到着するなりそう言って近くにいた男子の前に佐鳥を突き出した芦戸に、葉隠が便乗して手袋を着けた手で彼女の髪型を指差した。
 そんな二人の声にまず反応を示したのは切島鋭児郎で、彼は「おお!?」と驚きの声を上げて佐鳥を凝視した。その隣に立っていた爆豪勝己もまた、静かに目を向けた。
「佐鳥、それコスチュームなのか? めちゃめちゃ似合ってんじゃん。髪もいつもの三つ編みよりそっちの方が良いぜ!」
 いつものおさげではなく編み込んでゆるく結い上げられた黒髪。それを八百万が個性で創り出したワインレッドのリボンで飾りつけた佐鳥は、切島の言葉に仄かに頬を赤らめながら視線を下げた。裏表のない真っ直ぐな言葉に気恥ずかしさを感じたようだった。
「ありがとうございます……切島さんと爆豪さんのコスチュームも素敵ですね」
「おう! あんがとな!」
「……チッ」
 そう言って軽く握り拳を作って親指を立てた切島は、照れる様子もなくニカッと歯を見せて豪快に笑っていた。
 対し、さり気なく輪に入れられた爆豪は不快そうに舌を打っただけで、顔を背けたあとも返事はしない。
 予想通りの反応だったのだろう。芦戸と葉隠は苦笑し、「褒められてんのに舌打ちはねぇだろ〜?」と切島が注意する。それでも爆豪はそっぽを向いたまま言葉を残すことなく、遠くで笛を鳴らしながら集合を呼びかける飯田の方へと歩き去ってしまった。
 離れていくその背を見つめながら、蛙吹はやれやれと肩を落とす。
「じゃあ、気を取り直して……次は飯田に見せびらかしに行こ〜!」
「いえ、あの……やはり恥ずかしいのでやめませんか……授業中はいつでも見れるでしょうし……」
「心配しなくても可愛いからダイジョブだよ!」
「いえ、そういう問題ではなく……」
 深くフードを被って顔を隠しながら抵抗する佐鳥。そんな彼女の腕を引っ張りながら切島と同じく歯を見せて笑う芦戸。葉隠も透明なので姿は見えないが、「いーじゃんいーじゃん!」と手袋を佐鳥の肩に置いて集まる生徒達の方へと押している。
 傍らに立っていた蛙吹も、楽しそうに口角を上げながら佐鳥の顔を覗き込んだ。
「空ちゃんも恥ずかしがったりするのね」
「普通にしているなら問題はないのですが……流石に見せ物のように注目されると……」
「まあな……でも、プロのヒーローになったら嫌でも注目されるし、今のうちに慣れとけばいんじゃね?」
 俯きながらぼそぼそと呟く佐鳥に切島がそう声をかけると、しばらく考え込んでいた佐鳥は「確かに」と小さく呟いた。けれどその声は非常に苦し紛れで、理解はできたもののどこか納得したくない様子だった。
 ──わりと目立つ方なのに、注目されるのは苦手なんだ。
 佐鳥の新たな一面を見つけた瞬間、微笑ましいと言わんばかりにの表情になる。
 その場にいたクラスメイト達の心の声が一致したことに気づいているのかいないのか、佐鳥は目深にフードを被ったまま顔を上げようとはしなかった。
 ──とその時、静かに興奮を抑えた声がほのぼのとした空気に割り込んできた。

「……めっちゃエロい……いい……」

 いきなり飛んできた不躾な言葉に、全員がそちらに目を向けた。
 クラスの中でも一番小柄な体躯の男子が呼吸を乱し、これでもかと目を見開きながらこちらを見ている。その震える人差し指は、間違いなく佐鳥に向けられていた。
「佐鳥のコスチュームいける……ウエストが分かるショートパンツとブーツの隙間から見える太腿……むちむちとした肌に沿ったガーターベルト……ハァハァ……絶対領域たまらん……!!」
「死ね変態」
「ぎゃあああああっ!!」
 血走った目で佐鳥を凝視したまま、欲望を隠そうともせずジワジワと近づいてきたその男子は峰田実という。
 身の危険を感じて無意識に後退りした佐鳥を庇うように、無言のまま蛙吹が立ち塞がった。
 しかし峰田が佐鳥に近づくよりも早く、事に気づいた耳郎が自身の個性で耳から伸びたイヤホンジャックを彼の両耳に突き刺した。避ける暇を与えず見事命中したそれは大きな音を放出し、鼓膜に直撃した峰田は耳を押さえながら地面の上で悶絶した。
 そんな彼を見下ろし、芦戸は冷たく言い放つ。
「見せびらかしたのはうちらだけど、流石に今のは駄目だよ」
「ちょっと男子。この馬鹿さっさと回収してくんない?」
「耳郎、お前……えげつねーよ……」
 耳郎の呼びかけに応じたのは上鳴電気だった。
 彼もまたチラチラとほんのり顔を赤らめながら佐鳥を見ていたのだが、耳郎の鋭い睨みを受けて笛を鳴らし続ける飯田の指示に従い、近くにいた障子目蔵の手を借りて峰田を支えながらすごすごとバスの中へ乗り込んでいく。
「全く……峰田さんのあれには困ったものですわ……」
「……自分の心に正直な人なんですね」
 大きなため息を吐き出して嘆く八百万に、佐鳥は無表情でありながらも言葉を優しく包んで峰田の性癖をそう表現した。
 すると、そうこうのんびりしている間に飯田が痺れを切らしたらしい。
「佐鳥君達も早く!」
 厳しい口調で叫ぶ飯田の声に急かされて、佐鳥達は急いでバスの中へと乗り込んだのだった。


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