image

02

 担任の口からその名前を聞いた時、まさかと耳を疑った。
 それを偶然と呼んで片づけるには、あまりにも大きな衝撃だった。
 推薦合格した者は自分と、左隣の席の女子。あとは一般での合格者達だろう。定員の数から一クラス分の人数を考えてみても、可能性はかなり低い方だった。
 確かに、不自然だとは思っていた。
 一クラス二〇人であると考えられた教室に、ぽつんと残っている空席がある。自分の左後ろ──窓際の列にある一つだけ飛び出た席は、初日から誰にも座られることなく放置されたままだった。
 そこに座るはずの人物が体調不良であると知ったのは入学して三日目の朝、HRでのことだ。
「せんせー。あそこの席、ずっと空席のままなのは何でなんですか?」
 自分だけでなく他のクラスメイトも気になっていたようで、我慢できなかった生徒がそう担任に声をかけた。
 ある程度、予想はされていたのだろう。生徒から飛んできた質問に、担任は少しだけ不機嫌な声で答えた。
「体調不良だそうだ」
「そんなに酷いの? 病弱?」
「まあ、そんなもんだな」
「どんな『個性』の子なんですか?」
「そういうのは本人に聞け」
「男子? 女子?」
「女子だ。ついでに、轟や八百万と同じ推薦で入ってる」
「うっそマジかよ女子!」
「それも推薦組!? 受かったの四人じゃないの?」
「せめて名前! 名前は!?」
 答えても答えても、まだ見ぬクラスメイトへの好奇心から食い下がるように次々と質問が飛んでくる。
 面倒臭そうなため息を一つ零し、肩を竦めた担任は仕方ないと言わんばかりに口を開いた。

「八百万さんのノートは、とても分かりやすいですね」

 落ち着いた透き通る声が、思考を遮る。
 ガヤガヤと騒がしい休み時間の教室で、独り黙々と課題に取り組んでいたはずの少女がポツリと呟いたのだ。
 彼女の前に座って読書をしていた八百万百はその声を拾い、目を丸くしながら振り返る。
 彼女と視線が交わったおさげの少女は静かに口角を上げて微笑んでいた。
「まるで先生の授業ノートみたいです」
「そうでしょうか?」
「ええ。板書だけでなく先生が話していた内容もきちんとメモ書きされているので、その時の授業で何を言われたのかよく理解できました」
「そ、そんなに褒められるとなんだか照れますわね……」
 言いながら両頬を押さえて赤ら顔を見せるクラスメイトに、少女──佐鳥空はにこりと笑みを深めた(ちなみにこの時、愛嬌を感じるその微笑を目撃したとある男子が「隠れ美女」と呟いたのだが、誰もそれに反応しなかった)。
 そんな和やかに話す二人を、八百万の隣に座っていた轟焦凍は無言のまま横目に見ていた。
 正確には肩越しに佐鳥の方に注目していたのだが、二人はその視線に気づかないまま話を続けている。
「どこか分からない問題はありましたか?」
「実は、最後の問が少し……おそらく、ここの公式の応用だと思うんですが、さっき蛙吹さんに教えてもらった方法だと解けなくて……」
「ああ、それでしたら、これを──」
 こうして、と説明を交えながらスラスラとペンを動かす八百万。休み時間にも関わらず親身になって勉強に付き合っているところは実に勤勉な彼女らしい光景だ。そんな彼女の厚意に甘えている佐鳥も同じく真剣な顔で手元に視線を向け、説明に耳を傾けている。
 少しして謎が解けたらしく、佐鳥はまた穏やかに微笑んだ。
「なるほど、すっきりしました」
「これで課題は全部終わりましたのね。お役に立てて良かったですわ」
「八百万さんと蛙吹さんのおかげです。ありがとうございます」
「そんな……ヒーローを目指す者として、困っている人に手を差し伸べるのは当然のことですもの。こんなことで良ければ、いつでもお手伝いさせてください」
 胸を張って当然と主張した八百万に、佐鳥は目を瞬かせてから頷く。
 その顔は変わらず微笑んでいるのに、目はどこか寂しそうな、羨望にも似た色を浮かべていた。
「……そうですね。また休むようなことがあれば」
 静かな相槌だった。
 玲瓏な声が紡いだそれを耳に入れながら、轟はそっと二人から視線を逸らす。

 ──脳裏を過った二人の面影と、彼女の顔が重なった気がした。


 放課後になると、休み時間と同じく教室内は少し賑やかになる。
 がやがやと騒がしい教室の喧騒を耳に入れながら、轟はふと自分の左後ろに座る佐鳥を見た。
 彼女はすでに帰り支度を済ませており、八百万と簡単な挨拶を済ませて轟の後ろを通り過ぎようとしていた。
「佐鳥」
 轟が声をかけると、足を止めて振り向いた佐鳥はきょとんとした。一度も話したことのない男子に声をかけられ、少なからず驚いたのだろう。
 しかし、それは隣に座っていた八百万や教室に残っていた他の生徒達も同じだった。
 入学してから早くも一週間が終わろうとしているが、彼は一度も自分から誰かに話しかけるようなことはしなかったからだ。
 それがどうしたことか、遅れて登場したクラスメイトに轟の方から声をかけている。

 ──あの一匹狼な男が。
 ──最強の『個性』を持つ男が。
 ──顔にある火傷の痕さえ気にならぬほどのイケメンが。

 ──何故よりによって、あの佐鳥に。

 教室に残っていた一部の生徒達は好奇心の眼差しで二人に注目した。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、声をかけられた佐鳥は不思議そうに首を傾げる。
「何か……?」
「話がある。途中まで一緒に帰っても良いか」
「はぁ……」
 佐鳥はまた数回瞬きを繰り返し、無表情のまま轟を凝視した。その目にはほんの少し戸惑いの色が浮かんでおり、ここではできない話なのだろうか、というクラスメイトの心の声と同じ疑問が浮かんでいる。
 だが、残念なことに他人の機微に疎い轟はそれに気づかない。気のない返事を承諾の意として受け取った彼は自分の鞄を肩に背負うと、佐鳥を一瞥してから教室を出て行く。
 そんな轟の背中をしばらく見つめていた佐鳥はやはり戸惑っている様子だったが、すれ違う身近なクラスメイト達に挨拶をしてから彼の後を追いかけるように教室を去って行った。
「な、なんだ……? 告白か……?」
「そんな雰囲気に見えるか……?」
「でも轟、気がつくとよく佐鳥さんのこと見てたよねぇ?」
「え、マジ!? じゃあやっぱり一目惚れとか!? 俺も密かに狙ってたのに〜!」
「残念だったな〜、上鳴。イケメンには負けるよ」
「でもでも、ホントに告白だったらめっちゃ気になるよね! 今からあの二人追いかけて良いかな!? 私なら絶対バレないし、気合入れて一肌脱ぐよ!!」
「やめたげて、葉隠さん」
 二人がいなくなった教室で、ますます訳が分からない様子のクラスメイト達の声が色めき立つ。A組最強の個性を持つイケメンであるからこそ、余計に彼の恋路(仮)が気になるのだろう。いよいよ盛り上がって「いっそ全員で後をつけるか」という話になったところで真面目な飯田が「覗きなんてはしたない!」と諫めたのは言うまでもない話だが、先に帰ってしまった轟達にそれを知る術はなかった。

「あらかじめ伝えておきたいのですが」

 教室を出て、人の行き交う下駄箱を通り抜け、下校する他の生徒に紛れながら歩き続けること数分。
 何の前触れもなく、佐鳥は淡々と告げた。
「質問されてもお答えできない場合があります」
「なんでだ?」
「約束です……家族との」
 ほんの少しだけ『家族』という言葉に躊躇いがあったものの、佐鳥は素直に答えた。
 その返答を聞いた轟は特に表情を変えることなく、歩きながら話を切り出した。
「別に大した話じゃない……と思う。ただ、確認したいことがあるだけだ」
「確認……?」
「佐鳥は推薦で入学したんだよな?」
「はい。推薦入試は受けました。髪の色が特徴的だったので、轟さんのことも覚えています」
「あ……わりぃ。俺は全く覚えてねぇ」
「そこは気にしてませんので、お気になさらず」
 淡々と答える抑揚のない声は言葉通り、一切の不快感を感じていなかった。その表情も特に変化はない。意地を張っているわけでも、拗ねて素っ気ない態度をとっているわけでもなく、誰かの記憶に残っているかどうかは単純に興味がないようだった。
 そんな調子なので、轟もまた彼女の様子を伺うことなく会話を続けることにした。
「それで、その推薦入試の日なんだが……ここから一番近い隣町のショッピングモールに行かなかったか?」
「……いえ」
 佐鳥は逡巡したあと、否定した。
「ショッピングモールには行ってません」
「……言い方を間違えたか。店の近くを通ったよな? あの日、そこに俺の姉貴がいたんだ。ちょうど俺と待ち合わせをしていた時にひったくりに遭って、通りすがりの『おさげの女子学生』に助けられたらしい」
「ああ……なるほど、理解しました」
 轟は自分が話したかったことをを全て口にしたわけではない。
 しかし、佐鳥は納得したように大きく頷いて、やんわりと口元に笑みを浮かべた。
「私が『その時に居合わせた女子学生』なのか、確認をしたかったんですね」
「助けてもらったのに礼も言えてねぇ、って姉さんが気にしていたからな」
「質問については否定しません。……ですが、誰かを助けたつもりもありませんので、お気になさらず。相手の行動が少々目に余るものだったので鎮めただけです。お姉様にもそうお伝えください」
 確かに犯人は沈んでいたが。
 当時、犯人が地面に伏せたままピクリとも動かなかったことを思い出した轟は、チラリと佐鳥の顔を盗み見る。
 自分と同じく前を見ながら話す彼女は、休憩時間に盗み見た時と同じく口元に笑みを浮かべていた。その声は柔らかく、二回目の「お気になさらず」という言葉もさっきより穏やかに聞こえた。

 見た目は普通の、というより地味な方。
 体格も細いわけではないが、特にがっしりとした印象はない。
 そんな少女が、ひったくり犯を一人で捕らえた。
 その事実が、どうしてもいまいち納得できない。

「……犯人は脳天に一撃くらって、行動不能だった」
「そうですね。動かなかったので、あとは警察にお任せしようとそのまま放置しました」
「何をしたんだ? どういう『個性』を使った?」
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません」
 どうやら答えられない内容だったらしく、丁寧な謝罪で拒絶された。
 轟は僅かに眉根を寄せ、怪訝な表情で佐鳥を見つめた。
「『個性』のことは秘密なのか?」
「はい。その方が身の安全に繋がると判断しました」
「お前の家族が?」
「ええ、まあ。……ただ、自分の口で詳細を語れないというだけで、見せることは可能です。使用後は反動で体調を崩すことがあるので、授業の時しかお見せできないですが……」
「そうか。じゃあ、今の質問の答えは次の授業の時まで待ってる」
 再び、佐鳥がきょとんとした表情で目を瞬かせる。
 驚いた様子の彼女に、轟は首を傾げた。
「どうした?」
「いえ……随分とあっさり引き下がっていただけたので、つい……」
「? 同じクラスなんだし、いつでも個性を見る機会はあるだろ?」
「それは、そうなのですが……」
「それにお前、家族との約束を守りたいんじゃないのか? なら、他人の俺がこれ以上無理に聞き出すつもりはねぇよ。俺だって、踏み込んで欲しくない部分はある」
 目も合わせずにそう言ったあと、轟は一足早く最寄り駅の改札を通り抜ける。
 すると、近くにいた気配が遠のいた。隣からも、後ろからも足音は聞こえない。
 彼女が足を止めているのだと気づいて、どうかしたのかと振り返った。
 佐鳥は、物言わぬ人形のように佇んでいた。真っ直ぐに自分を見つめるその黒い瞳の縁が微かに金色に輝いたように見えたが、それは一瞬の出来事で錯覚だと思い直した。
 轟は他人の機微に少々疎いところがある。だから今の彼女の無表情が何を感じているのか読み取れないし、『何かを考え込んでいる』ということしか理解できなかった。
「どうした? どっちの方面に乗るのか知らねぇけど、電車もう来るぞ」
「……いえ」
 ゆるゆると頭が振られ、長いおさげが揺れる。
 それから自分の後を追いかけるように改札を通り抜けて来た彼女の顔を見て、轟はほんの少しだけ色違いの目を見開いた。
「……なんか俺、おかしいこと言ったか?」
 長い前髪の間から覗いた黒の瞳が、口元が、微笑っている。それはさっきまでの愛想笑いでもなければ、今日の休憩時間に見たような寂しげな笑い方でもない。本心を包み隠さず表したものだ。
 何が彼女の心を刺激したのか分からない。
 でも、その眼差しを向けられるのはどこか少し、居心地の悪いようなむず痒い感覚があった。
 質問しながらも目を合わせようとしない轟に、佐鳥はまた首を横に振った。
「いいえ」
 夜空のような瞳が嬉しそうに輝いて、彼女は玲瓏な声で、一言。

「轟さんは『優しい人』なんだな、と思っただけです」

 今度は轟が呆ける番だった。
 この短い時間の中で彼女に『優しい』と思わせるだけのことがあったのだろうか。特にこれといって優しく接した記憶はないし、そう感じさせる言葉をかけた覚えもない。
 ──だが、彼女は自分を『優しい』と言った。
 訳が分からずぽかんとする轟に気づいているのかいないのか、電車が到着した音楽を耳に入れた佐鳥はぺこりと頭を下げる。
「話はここまで、ですね。それでは、また学校で」
 そう言い残し、今度は佐鳥が轟を追い越してホームへと小走りで駆けて行く。
 その背中を呆然と見送っていた轟が、彼女が自分と同じ方面に向かっていることに気づいた時にはすでに遅かった。ホームから電車の発車する音が響いて、乗り遅れてしまったのだと理解する。
 仕方なく次の電車に乗ろうと到着時間を確認するために案内板へと目を向けたその時、ふと轟は自分の失態を思い出した。
「……あ」


 そういえば、彼女に『落とし物』の話をするのを忘れてた。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -