image

41

 燦々と照りつける陽射しがアスファルトを焼き尽くすように熱していく。
 日傘を片手に飲み物が入っている小さなクーラーボックスを肩から引っ提げ、頭上からも足元からも夏の熱気が襲いかかってくるのをぐっと堪えながら、それでも佐鳥は陽気な気分で足を動かしていた。
 というのも、今日はA組の女子全員と集まる予定があるからだ。
 今年は敵の動きを警戒して旅行などの遠出を控えるよう学校側から通達があり、それなら学校のプールで遊ぼう、という話になったのである。
 生憎とタイミングが悪く佐鳥はプールサイドで足を浸すだけになりそうだが、友達と過ごす時間を想像すると期待に胸が膨らむ一方だった。
 足取り軽く階段を駆け上がり、佐鳥はプールへと繋がる扉を開いた。
 だが次の瞬間、「お」と目を丸くする少年の姿が現れて佐鳥の思考は停止した。
「お前も来てたのか、佐鳥」
 扉付近に立っていたのは轟だった。それも、上半身が裸である。
 そろりと視線を動かせば、彼だけでなくA組男子の面々が同じ姿で勢揃いしていた。
 どうしてみんながここに、という疑問を口にするより早く、佐鳥は勢い良く扉を閉めた。
「なっ、なっ、なんで服を着てないんですか、皆さん……!?」
「いや……プール入るのに服着ねえだろ、普通」
 轟の返答は最もである。それ以外の目的でここに来る人もいない。
 あからさまに動揺している佐鳥に気づいた瀬呂がにんまりと笑いながら声をかけた。
「どしたどしたー? 佐鳥、もしかして俺らの裸見て照れてんの?」
「すみません。いきなり素っ裸で飛び出してくる人を知ってるのでつい……あと、流石に上半身素っ裸の男集団が現れたら私だって驚きます!」
「それどんな知り合い!? つーか、その言い方だと俺らが露出狂集団みたいなんだけど!?」
「とりあえず、早く出て来て女子の方に行ったら? みんな佐鳥さん待ってるんじゃない?」
 焦っているのか、瀬呂の揶揄う声に辛辣な言葉を並べて早口で捲し立てる佐鳥。瀬呂と同じく複雑な気持ちのまま苦笑を浮かべた尾白が促すと、姿を現した佐鳥はそそくさと日傘を壁にして、顔を合わせないよう下を向きながら彼らの間を通り抜けようとした。
 その顔が赤く染まっていることは、残念ながら全員に筒抜けである。
「佐鳥、顔赤ぇぞ。熱いなら氷いるか?」
「いえ、結構です」
 必死に平然を装いながら早足でその場を去ろうとする乙女心をイマイチ理解できていないのか、ただただ彼女の体調を気遣った轟が声をかける。
 そんな彼の優しさに気づいていながらも、いつもより素っ気なく答えた佐鳥が振り返ることはなかった。
 ――が、空気が読めない男はそこにもう一人いた。
「なんで佐鳥だけ水着着てねーんだよ。もしかして入んねえの? 生理か?」
 ピタリ、と不満の滲む声に佐鳥の足が止まる。
 刹那、プールサイドにひんやりとした重々しい沈黙が漂い、男子全員が硬直した。
「ばっ、バカ峰田! そういう茶化しはやめろ!」
 慌てて峰田を咎めた上鳴の言葉に、流石の峰田も佐鳥の纏う空気に気づいて失言だったと口を覆った。
 しかし時は巻き戻ることはなく、己の口から放たれた言葉もなかったことにはならないのである。
 佐鳥は悠然とした仕草で振り返った。
 傘の陰から人形のように感情を見せない瞳が覗き、峰田は全身からだらだらと冷や汗が流れるのを感じた。その闇夜を連想させる黒の瞳が仄かに危ない色を見せたことに気づいた男子達は固唾を呑み、一歩、また一歩と峰田から遠ざかっていく。一人取り残された峰田は獰猛な獣と遭遇した小動物のようにプルプルと震えるしかなかった。
 すると無表情から一変、佐鳥はにっこりと笑った。それはまるで峰田の言葉を聞かなかったことにしているような、慈悲深さを感じさせる優しい笑顔だった。
 ――あ、意外と怒ってない。
 そう思って全員がほっと肩の力を抜いた時だった。
 ゴンッと鈍い音と共に頭に大きなたんこぶを作った峰田が宙を舞い、ぼちゃんとプールの中へと沈んだ。素早く峰田の背後に回った佐鳥が踵落としを繰り出し、続けて彼を水の中へと放り投げたのだ。
「沈んで」
 さっきまで男子の裸に顔を赤らめていた初心な少女はどこへ消えたのか。絶対零度の眼差しを向け、ぱんぱんと手についた埃を払う仕草を見せた佐鳥は敬語ですらない冷ややかな言葉を残し、水の上に浮かぶ峰田からつんと顔を背けた。
 そのまま女子の集まる方へと向かって行った後ろ姿を見送りながら、男子達は普段大人しい彼女の報復を目の当たりにして体を震わせた。
「佐鳥君も足癖が悪いが……今回も峰田君の自業自得としか……」
「そんなマズイことだったのか? 今の」
「う、うぅん……気づいても口にしてあげない方が良いんだと思う……」
 峰田にも非があるので注意しようにもできない飯田と、佐鳥が怒った理由がイマイチ分からず不思議そうに首をかしげる轟。その間で緑谷は一人、なんとも言い難い様子で苦笑を浮かべるのだった。


「空ちゃん、水の中に入れないの残念ね」
 ボール遊びをしばらく楽しんだあと、各々が自由に泳ぎながら過ごしていた。
 すいーっと得意の蛙泳ぎで水の中をゆっくり進んで近づいて来た蛙吹は、ひょっこりと水面から顔を出してプールサイドに腰かけている佐鳥に声をかけた。同じように泳ぎながら近づいて来たお茶子もうんうんと頷くのを見て、佐鳥はそうでもないと首を横に振って笑った。
「足を浸すだけでも十分気持ちいいですよ。それに、ここなら遊び感覚で『個性』の練習もできますから」
「『個性の練習』?」
 隣に座って佐鳥が持ってきたドリンクを飲んでいた八百万が興味を示すと、佐鳥はこくんと頷いて水を掬い上げ、宙へと放った。それは落ちることなく空中で停止し、ぷかぷかと女子達の間を漂った。
「わあ!」
「空ちゃん、凄い!! 水も操れるの!?」
「『個性』の応用です。でも、今はこれぐらいしか……」
 言いながら、佐鳥は宙に浮く水の塊を引き寄せて一つに纏める。それを球体や立方体の形に変形させて見せると、八百万と蛙吹は興味深そうにそれを眺めた。
「本当に汎用性の高い『個性』ですのね……これなら、火災にも十分対応できますわ」
「そうね。もっと水を上手く操れるようになれば水難にも対応できそう」
「ねえ、他にも形作れないの? 星とか、ハートとか、魚とか」
「魚……こんな感じですか?」
 耳郎の疑問に応えるべく意識を集中させると、少しずつ水の塊が魚らしきモノへと姿を変えた。風が吹く度にゆらゆらと揺らぐ姿は空中を泳いでいるようで、見ていた者達から感嘆の声が上がった。
「これ、子ども受けが良さそ〜!」
「確かに。パフォーマンスの幅も広がりますわね」
「楽しんでいただけて何より……あっ」
 会話に夢中になったのか、集中力が欠けて水が破裂する。頭からびしょ濡れになった佐鳥に、葉隠がしみじみと告げた。
「今後の課題は集中力になるねえ」
「……頑張ります」
「みんな! 男子全員で誰が五十メートルを一番早く泳げるか競走しないか!」
 佐鳥が肩を竦めたその時、男子のグループから飯田の声が響いた。
 なんだなんだ、と全員の意識がそちらに移る。
「男子がなんか面白いこと始めるみたい」
「私達も行こうよ!」
「そうだね。面白そうだし」
 満場一致だった。個性の使用も有りの何でもありのレースということで男子側も盛り上がっており、真っ先に声をかけに行った八百万が手伝いとしてスタート合図を担当するというので、佐鳥もゴール側に立つことにした。
「それでは、位置について! よーい――」
 ぴっ、と笛が高らかに鳴り響く。
「どーだ、このモブ共!!」
 結論から言うと、一組目の一着は爆豪だった。
 泳ぎではなく空中を飛んでゴールへと辿り着いた彼に、佐鳥はどう判定すればいいのか分からず男子達に判断を任せようと目を向けた。
 当然と言うべきなのか、佐鳥の視線に気づくより早く瀬呂と切島が抗議の声を上げた。
「どーだじゃねえ!」
「泳いでねーじゃねーか!」
「自由形っつっただろーが!」
 ──多分、いや、絶対、最初はそういう意味ではなかったように思う。
 そう思った佐鳥だったが、爆豪の解釈も強ち間違いではないため、静かに口を噤んで彼に軍配を上げた。爆豪は当然だと鼻を鳴らしていた。
 二組目の一着は轟だったが、彼もまた爆豪に倣って水の上を氷で滑り抜くという荒業でゴールした。当然、上鳴と峰田からは「だから泳げって!」と非難の声が上がっていたが、当の本人はきょとんとするだけである。本当に『なんでも有り』となっているルールに、佐鳥は唖然とするしかなかった。
 三組目の勝負は飯田と緑谷の接戦だったが、一足早くゴールに辿り着いたのは緑谷だった。水泳らしくちゃんと最後まで泳ぎきった彼に、「もう緑谷さんの優勝で良いのでは……?」と佐鳥が心の中で呟いたことは誰も知る由もない。
 各レースの一着が出揃ったことで、みんな決勝戦の結果に胸を躍らせるばかりである。
 位置についた三人を眺めていた佐鳥は、そこで「……あ」と声を溢す。
 そしてキラリと瞳を輝かせたあと、彼女はポツリと呟いた。
「……落ちる」
「え?」
 隣で緑谷を応援していた麗日が驚きの声を上げる。
 しかし、どういうことだ、と彼女が佐鳥に声をかけるより先に八百万の笛が鳴った。
 そして、佐鳥の言葉が現実になった。
 一斉に個性を発動させた三人だったが、発動したばかりの個性は瞬く間に消えてしまい、そのまま緑谷達は水の中へと落ちてしまった。大きな水飛沫を上げる彼らに、A組一同は目を丸くする。
「一七時。たった今、プールの使用時間は終わった。早く家に帰れ」
 犯人は相澤だった。普段から時間厳守である彼は、まだ更衣室の鍵を返しに来ない生徒達に気づいてやってきたらしい。
 当然、勝負の行方が気になる生徒達からは不満の声が上がる。
「そんな、先生……!」
「せっかくいいトコなのに!」
「なんか言ったか?」
「「「なんでもありませぇえん!!」」」
 抗議の声も鶴の一声で一蹴し、ギラリと目を光らせて睨みつける相澤。
 もちろん生徒達が反論するはずもなく、この日は大人しく解散することになった。


「今日は楽しかったね〜!」
「男子の勝負の決着がつかなかったのは残念だけど、面白かったわ」
「うん。僕もとっても充実した一日だったよ。いい訓練になった」
「来年はみんなで海行こうよ、海!」
「なるほど、海か! 自然の中で訓練するのも有りだな!」
「海水浴しましょうよ、飯田ちゃん」
 そんな会話を繰り広げる友人達の後ろ姿を眺めていた佐鳥は、静かに隣を歩く轟に目を向ける。
「焦凍さんがみんなと訓練に参加するとは思いませんでした」
「緑谷に誘われたからな。家にいるよりは良いかと思って」
「ふふ……楽しめたようで何よりです」
「佐鳥も楽しそうだったな」
「はい! 学校の友達と遊んだことがなかったので、今日はすごく楽しかったです」
「そうか。そりゃ良かったな」
 ニコニコと絶えず笑みを浮かべている佐鳥に、それが本心であったと知って轟の表情も和らぐ。
 そんな二人の様子をこっそりと盗み見た麗日は、微笑ましそうに目を細めて呟いた。
「あの二人、ほんと仲良いなあ……」
「ケロケロ……」
 蛙吹と緑谷と飯田も同じような表情で振り返り、麗日の言葉に同意するように頷く。


 そんな穏やかな日常から始まった夏休みだが、この数日後に悲劇が襲いかかることなど、まだ彼らは何も知らない。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -