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40

 試験翌日、教室に入った佐鳥は絶望に染まった顔をした芦戸、切島、砂藤、上鳴を見て眉尻を下げた。
 彼らは演習試験で条件をクリアできなかった組だ。中でも砂藤は空を見上げたまま微動だにせず、芦戸は涙を流すまいと必死に堪えている。
「みんな……土産話っひぐ、楽しみに……うう、してるっ……から!」
 否、芦戸の涙腺はすでに決壊していた。嗚咽を漏らしながらボロボロと大粒の涙を流す彼女を見て、佐鳥はその背中を優しく摩ってあげることしかできなかった。
 困った顔で言葉を詰まらせる佐鳥の代わりに四人を励ますように声をかけたのは緑谷だった。
「まっ、まだわかんないよ。どんでん返しがあるかもしれないよ……!」
「そうですよ、芦戸さん……泣き止んでください」
「緑谷、佐鳥。それ口にしたらなくなるパターンだ……」
 話を聞いていた瀬呂が二人を止めるが、それすら四人の耳にはすでに入っている。
 逆上した上鳴の二本の指が迷うことなく緑谷の目に突き刺さった。
「試験で赤点取ったら林間合宿行けずに補習地獄! そして俺らは実技クリアならず! これでまだわからんのなら貴様らの偏差値は猿以下だ!!」
「えええ……!」
「落ち着けよ。長え」
「うわ〜ん! みんなと一緒に合宿行きたかった〜!!」
 緑谷の言葉の励ましも上鳴の現実的な言葉で無に消えた。芦戸はさらに声を上げて泣きながら佐鳥にしがみつく。
 最早カオスのようなこの状況で、両目を押さえながら痛みに悶絶している緑谷に目を向けた佐鳥はこれ以上余計なことは言うまいと大人しく口を閉ざした。口を開けば次に矛先が向かうのは自分だ。
 そんな中、冷静に彼らを宥めることに徹したのは瀬呂だった。
「わかんねえのは俺もさ。峰田のおかげでクリアはしたけど寝てただけだ」
 そう言って親指で瀬呂が指し示した先では、峰田がわざとらしく手を添えて会話に耳を傾けていた。なんとも思っていないような余裕綽々とした顔をしているが、その表情には愉悦の色が浮かんでいる。
 彼に背を向けている瀬呂はそれに気づいていないが、佐鳥からはしっかりとその顔が見えていた。
「とにかく、採点基準が明かされていない以上は……」
「同情するならなんかもう色々くれ!!」
 上鳴の渾身の叫びが教室に響き渡ったその時、タイミング良く教室の扉を開けて相澤が入ってきた。
「予鈴が鳴ったら席につけ」
 全員、蜘蛛の子を散らすように席についた。
 瞬く間に騒がしかった教室が静まり、黒板の前に立った相澤はゆっくりと話を始めた。
「おはよう。今回の期末テストだが、残念ながら赤点が出た。したがって……」
 数人、どんよりとしたオーラが強くなる。
 しかし、その空気を察しているのかいないのか、相澤はしてやったりと言わんばかりの顔で笑った。

「林間合宿は全員行きます」

「「「「どんでん返しだあ!」」」」

 暗闇のどん底にいた四人が、喜んでいるのか驚いているのかわからない表情で叫んだ。
「行っていいんスか俺らぁ!!」
「ホントに!?」
 切島と芦戸の問いかけに、相澤は「ああ」と短く相槌を打った。
 赤点者は筆記ではゼロ。実技はやはり落ち込んでいた四人と、瀬呂だ。
 今回の試験で、敵役となっていた教師達は生徒に勝ち筋を残しつつ、彼らが己の課題とどう向き合うか見るように動いていたとのこと。
「確かにクリアしたら合格とは言ってなかったもんな……」
 条件はクリアしたものの、目ぼしい結果を残せていなかったのだと理解していた瀬呂は恥ずかしそうに顔を手で覆って俯いた。
「本気で叩き潰すと仰っていたのは……」
「追い込むためさ。そもそも林間合宿は強化合宿だ。赤点取った奴こそ、ここで力をつけてもらわなきゃならん。『合理的虚偽』ってやつさ」
「「「「ゴーリテキキョギィイー!!」」」」
 芦戸達は両手を上げて喜んだ。
 しかし、その喜びに水を差したのは真面目の肩書きを持つ委員長だった。
「しかし! 二度も虚偽を重ねられると信頼に揺らぎが生じるかと!!」
「わあ、水差す飯田君」
 真面目であるが故に、虚偽を見抜けなかったことが悔しかったのかもしれない。
 手を上げて発言した飯田に、麗日は何とも言えない表情で呟いた。
「確かにな、省みるよ。……ただ、全部嘘ってわけじゃない。赤点は赤点だ」
 そう言って相澤は飯田から喜ぶ五人の方へと視線を移した。
「お前らには別途に補習時間を設けてる。ぶっちゃけ学校に残っての補習よりキツイからな」
 相澤の言葉に、再び五人は意気消沈した。


「まあ、何はともあれ……全員で行けて良かったね」
 放課後、合宿のしおりを手に尾白が言った。
 全くその通りだ、とその隣にいた佐鳥もしおりを読み返しながら何度も頷く。
 飯田と緑谷もしおりの準備物の欄に目を通した。
「一週間の強化合宿か!」
「結構な大荷物になるね」
「水着とか持ってねーや。色々買わねえとなあ」
 上鳴の言葉に「あ」と何かを思いついた葉隠は声を上げた。
「じゃあさ! 明日休みだし、テスト明けだし……ってことで、A組みんなで買い物行こうよ!」
「おお良い!! 何気にそういうの初じゃね!?」
 姿が見えていれば楽しそうな顔をしているだろう。それぐらい明るい声音だった葉隠の提案に、上鳴が笑顔で賛同した。
「おい、爆豪! お前も来いよ!」
「行ってたまるか、かったりぃ」
「轟君も行かない?」
「休日は見舞いだ」
「ノリが悪いよ、空気を読めやKY男共ォ!!」
 切島の誘いを爆豪が、緑谷の誘いを轟が断った。
 そんな二人に峰田が怒鳴る中、佐鳥も申し訳なさそうに手を上げた。
「私も明日はちょっと……」
「えー! 空ちゃんも!?」
「何か用事があるのかい?」
「ええ。合宿に行くための診断書が必要で……」
「そうか。最近は調子が良さそうだったが、念には念が必要だ。それなら仕方ない」
 納得した様子で頷いた飯田の「合宿でも無茶はしないように」という言葉に頷き返し、佐鳥は残念そうに声を上げた麗日にもう一度謝った。他にも予定があるのなら仕方ないと割り切るものの、他にも肩を落とす友人達に彼女もまた申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 そんな彼女をじっと見つめていた轟はふと、何やら思案している表情の緑谷に気づく。
「……どうかしたか?」
「えっ」
「なんか深刻そうな顔でじっと見てたぞ、あいつのこと」
「ああ、ちがっ……そういうんじゃないよ、全然! 誤解しないでね!?」
「誤解……?」
 轟の問いかけにぶんぶんと両手を振って誤魔化そうとする緑谷。
 ただ疑問を口にしただけなのに、何をそんなに慌てることがあるのか。
 懸命に「誤解だ」と訴える彼に、訳がわからない轟はただただ首を傾げるのだった。


 *** *** ***


「今回の試験、合否の決定権が僕に委ねられていれば間違いなく君達を不合格にしました」
 佐鳥がいなくなったあと、残された緑谷はこれまでと一変して厳かな声音を発した男に、緑谷は目を見開いた。
 声だけではない。女性受けの良さそうな面持ちの物腰穏やかな表情は鳴りを潜め、冷徹さだけが浮かんでいた。
「『ヒーロー』は人を救う存在です。自己犠牲精神は必須であるし、自らの命と引き換えに市民を守れば確かに『ヒーローとして名誉ある死』として認められる。ですが、簡単に自らの命を投げ捨てるような者を僕は『ヒーロー』とは呼びたくない」
「で、でも……『ヒーロー』はそういうものですよね……? それに、佐鳥さんは別に犠牲になったわけじゃ……」
「それはあくまで結果論です。もしあれが本当に敵から逃げている途中だったとして、君達は同じように『個性が使えなくなった』仲間に『死ね』と言うんですか?」
「!」
 緑谷の言い分は厳しい口調で跳ね除けられた。
 御守の言う事は最もである。傍から見れば今回の作戦はただただ無謀で、佐鳥は爆豪の「死ね」という非情な言葉に従って作戦に挑んだとしか思えない。
「今回の試験において、君達が現場を想定した動きをしていたとは到底考えられませんでした。大方、彼女も今回は試験だからその作戦に応じたのでしょうが……次に同じことがあれば、彼女の『警護』にあたる者として、僕は然るべき対処をしなければなりません」
 緑谷は目を見開いた。
 オールマイトから引き継いだ個性――『ワン・フォー・オール』の原点について話を聞かされたとき、佐鳥に『警護』という名ばかりの『監視』がついていることも説明を受けた。だが、機密事項でもあるためその存在はオールマイトから教えることはできないとも言われていたのである。
 まさかこんな形でその正体を明かされるとは予想もしておらず、緑谷は驚きを隠せなかった。
「た、対処って……」
「最優先事項は彼女の『身の安全』です。現時点において、彼女はまだ『ヒーローの資格を持たない』未成年……君達と同じく『守られる立場』なんです。つまり、彼女の命が脅かされるのであればその原因を排除しなければならない」
「原因を排除って……最悪の場合は退学とか……?」
「それはまだ序の口ですよ。本当に安全を保障するのであれば、我々のもとで隔離することになります」
「! そ、そんなの、ただの監禁じゃないですか……!?」
「だから忠告しているんですよ。『平和の象徴』の後継者に」
 鋭い声音に、緑谷はびくりと体を震わせる。
「あの子は『平和の象徴』に恩返しするためにヒーローを目指している。だから『後継者』である君の意見も尊重するし、君を守ることに固執する。だが、その行動の根本にあるのは彼女が幼い頃に植えつけられた『思想』が原因でもある」
 思想、という言葉に緑谷は眉を顰めた。
 御守は構わず、話を続けるために重々しくその唇を動かした。
「『国のために死ぬことは、佐鳥家が最も誉とする最期である』」
「……!?」
「『平和の象徴』を守るということは、つまり市民や国の平穏に繋がる……彼女は今もまだその『思想』から逃れることができていない。幼少期の刷り込みはそれほどまでに根強いもので、簡単に覆ることはないんです」
「……」
 言葉を失った緑谷に、これで話すべきことはすべて話したと御守は踵を返す。
 そして扉を開いた彼は、肩越しに振り返って最後に告げた。

「……いつか、君達も知る時が来る。その縁に抗うことも、断ち切ることもできずに生きる本当の彼女の姿を」


 *** *** ***


「危ない状態……?」
 翌日、買い物に出かけているクラスメイト達とは別にサー・ナイトアイと共に病院に足を運んでいた佐鳥は、医師から告げられた言葉に目を瞬かせた。
「……どういうことか、説明をいただきたい」
 重苦しい空気が漂う病室で真剣な面持ちでカルテを見つめていた医師に、サー・ナイトアイは冷静に説明を求めた。
 佐鳥も同じく、静かに医師の言葉を待つ。
 向かい側に座っているのは彼女の主治医だ。彼は険しい表情のままパソコンを操作していくつか画像を出すと、おもむろに説明を始めた。
「えっとですね……ご存知の通り、今まで空ちゃんの体には二つの個性因子が入っていたんです。通常では複数の個性を持つ人でもこの個性因子が二つに分かれることはない。彼女の場合、過去の人体実験による外因的要素が原因でこの個性が二つに分かれていたわけなんですが……この前の検査で、この片方の個性因子に異変が起きていたんです」
「異変……」
 佐鳥がぽつりと復唱すると、医師は頷きながら指でパソコンの画面を指し示した。
「そう。ここ、分かるかい? この周辺にある個性因子だけ、膜が張られている。まるで何かに守られているように」
「はい」
「事件のこともあるし、保護者の意思で今まで君には黙っていたんだけどね……実はこれは、本来なら他人から『個性』そのものに影響する攻撃を受けた時になる状態なんだ」
「!」
「身に覚え、あるかな? おそらく、事件に遭う前の話だと思うけど」
「……いえ……」
 医師の問いかけに少しだけ記憶を遡ってみたものの、佐鳥の記憶にはそんな素振りを見せた大人達はいない。
 一体いつ、どこで、誰に『個性』をかけられたのか。
 途方に暮れたようにぼうっとした様子で過去を振り返る佐鳥に、医師は苦く笑いながらそれを止めさせた。
「ああ、心当たりがないなら無理に思い出さなくてもいいよ。……ただ……以前『ヒーロー殺し』に襲われた時に保須市の病院で検査を受けただろう? その時に、この膜が少しずつ薄くなって……ほら、ここなんかもう壊れて穴が開いていて、壊れていることがわかったんだ。それについてはサー・ナイトアイからも説明があったと思うが……」
「個性因子が結合し始めていることですか?」
「そうだね。君の体は今、ようやくその『個性』を受け入れようとしている。それは同時に、君への体の負担がさらに大きなものへと変わるかもしれない」
 理解しているのか、そうでないのか。医師の言葉に佐鳥は「はあ……」と気のない返事を零した。
 その隣に立っていたサー・ナイトアイは、顎に手を添えたままぽつりと呟いた。
「……『個性』使用後の反動が、今までよりも大きくなる可能性もあるということですか?」
「ええ。その可能性は十分にあります」
「でも、最近は特に何も感じませんが……先日の実技試験でも、『個性』の使用後に不調はありませんでした」
「日常的な副作用は二つの『個性』を保持していたことによる体への負荷が原因だからね。その試験、君はいつもより『個性』の使用が最小限だったんじゃないかな」
「……」
 その通りである。『個性』を使っていたのは僅か三十分にも満たない時間だ。
 佐鳥は口を閉ざし、しゅんと落ち込んだ様子で視線を足元に落とした。
「それじゃあ、これまで通り『個性』を使うのは……」
「医師としては、本当なら止めるべきなんだろうけどね……」
 佐鳥がヒーロー科に入ったことはすでに周知されている。そもそも、佐鳥が雄英に通うことに一番渋い顔をしたのはこの主治医なのだ。ヒーロー科に入ったら『個性』の使用は避けられない。そんなことは言わずとも知れている話なので、当然いい顔はされなかった。
「僕個人としては、まずはその力のコントロールさえできれば問題はないと思うよ」
「!」
「そもそも『個性』は体の一部。筋肉と一緒で、使い続けないと力がつかないからね」
「それじゃあ、林間合宿も……?」
「うん、行ってもいいよ。ただし、無茶だけはしないように。これは君の命を守るためにも念を押すからね」
 ぱあ、と佐鳥の顔が晴れやかになる。嬉しそうに口角を上げる彼女に、向かい側に座る医師も優しく微笑んでいた。
「受付にはすでに話を通してあるから、学校に提出する診断書をちゃんと受け取って帰るんだよ」
「空、私はもう少しだけ先生と今後の診察の予定について話すことがある。先に行って用を済ませておけ」
「わかりました」
 ぺこりと頭を下げながらもいそいそと退室していく佐鳥の背中を見送り、医師は穏やかな口調でサー・ナイトアイに声をかけた。
「……彼女、いい表情を浮かべるようになりましたね。数年前に比べて見違えるようだ」
「ええ。学校生活を楽しんでいるようで」
「それなら良かった。敵に襲われて運ばれてきた時はどうなるかと思いましたが……」
 そこまで言って、医師は一度口を閉ざす。それから思い悩んだように視線を落とすと、彼はそっとサー・ナイトアイを見上げた。
「……良かったんですか? 彼女にかけられた『個性』のことを説明しなくて」
「……そういう約束ですので」
 サー・ナイトアイは平然とした表情で答えた。
「それに、誰の口から語られようと同じです。あの子はこの先も挫けそうになった時、自分の足で立ち上がらなければならない。その時、手を差し伸べる存在は私以外の人間でなくては意味がない」
「……いつか自分がいなくなるかもしれないから、ですか?」
 医師の言葉に、返事はなかった。
 それは肯定だ。『ヒーロー』とはその職業柄、決して安全と呼べる環境に身を置いてはいない。今でなくとも、『もしも』の未来は少なからずあるのだ。
 無言のまま視線を落とし、まるで表情を隠すようにずれてもいない眼鏡を押し上げたサー・ナイトアイに、医師もまたそれ以外にかける言葉が見つからなかった。
 そうしてしばらく沈黙が二人の間に流れたあと、サー・ナイトアイはおもむろに口を開いた。
「……私に何かあった時は、彼女をよろしくお願いします」
「縁起でもないことを言わないでください。彼女にはまだ子どもで、これからもあなたのような存在が必要なんです。……でも、万が一の時には必ず僕が彼女の力になりますよ。僕は彼女の主治医ですから」
 そう言ってサー・ナイトアイを窘めながらも、医師は穏やかに微笑んだ。
(いなくなるのは自分が先か、それとも――……)
 不安定な未来にひっそりと一抹の不安を抱いていることなど悟らせないように、サー・ナイトアイもまた柔らかい眼差しで医師の言葉を受け止めるのだった。


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