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39

「轢き殺す勢いで突っ込んでくるなんて、あれではどちらが敵かわかりませんね」
 ちうぅぅうううう、とリカバリーガールによる治療を行われている緑谷と爆豪の二人の隣で、佐鳥は一人憮然とした態度で椅子に正座で座っていた。
 目の前に立っているのは御守だ。戦闘中とは打って変わり穏やかな雰囲気ではあるが、満面の笑顔にはやはり「何考えてんだお前」と言いたげなオーラが隠しきれていない。隣に立つオールマイトは空咳を繰り返しているだけで注意する様子はないが、当然御守を止める気配もなかった。
 そんな二人を見上げ、佐鳥はただただ「すみません」と謝罪を口にする。
 反省しているのか、それとも怒られることに慣れてしまったのか、しおらしい態度一つ見せない彼女に御守は静かにため息を吐く。
「どんな状況であれ、無免許運転です。今回は学校の試験だから見逃されますが、現場で同じことをすれば間違いなくメディアに叩かれますよ。ヒーローたる者、市民を救ける前にまずは彼らの手本にならなくてはなりません。理解していますか?」
「はい」
「それにしては全く反省している顔ではないのですが」
「すみません、ちょっと楽しかったです」
「大変素直でよろしい。あと一時間そうしてなさい」
 やんちゃも度が過ぎるとただの愉快犯だ。爛々と輝く夜の瞳を睨み返し、御守は努めて冷静に告げた。
 佐鳥はその宣告を聞いて、ようやくその無表情に悲しみの色を浮かべた。もちろん御守の判断は教師として妥当であるし、当然ながら慈悲もない。「僕も優しくないので」と颯爽とした笑顔で言い残した彼は振り返ることなくその場を去って行った。
 そんな二人のやり取りに、ベッドの上でぐったりと倒れていた緑谷が苦笑を浮かべた。
「オールマイト、あんたも本当に加減を知らないね! もう少し強く打ってたら取り返しのつかんことになってたよ! 特に緑谷の腰、これギリギリだったよ!」
 治療を終えたリカバリーガールがオールマイトに叱責すると、まだ咳を繰り返しながらオールマイトはその巨体に似合わず掠れた小さな声で「すみません」と謝った。
 今度はリカバリーガールがため息を吐き出し、緑谷に目を向けた。
「爆豪の方はしばらく目覚めないだろう。とりあえず二人ともここで休んでいきな」
「はい……そうします……」
「リカバリーガール。二人が動けるようになるまで、私もここにいていいですか?」
「あんたは正座してる一時間だけだよ」
「う……はい」
 正座から逃れることはできないと悟った佐鳥はがっくりと項垂れた。


 その後、爆豪が目を覚ましたのは緑谷よりも早かった。
 薄らと目を開いた彼に気づいた佐鳥は、寝起きで幾分か穏やかな眼差しを向けて来る三白眼を見下ろして声をかける。
「爆豪さん、目が覚めましたか?」
「……なんでテメーがいる」
「二人が起きるまで待っていたんですよ」
 言って、佐鳥は爆豪の隣で未だ熟睡している緑谷に目を向けた。
「あと、私は『無免許運転』したので反省中です」
 佐鳥と同じく緑谷の方に目を向けていた爆豪は、体を起こして椅子に座る彼女に目を向けた。反省とは何のことかと思ったが、言葉通りちょこんと椅子の上で正座しているところから教師からお叱りを受けたのは容易に察することができた。
 無表情のままプルプルと震えてる佐鳥を見て、爆豪は口元を手で覆い隠しながら人差し指を向けた。
「ぷっ……ずっと震えてんぞ。その足突いてやろうか?」
 この男、完全に人を馬鹿にしている顔である。
 わざとらしいその反応にイラッとした佐鳥は口をへの字に曲げた――が、すぐに言い返そうとした言葉を飲み込んで別の言葉を吐き出す。
「それはともかく……ありがとうございました、爆豪さん」
「ああ?」
「私達に協力してくださったことです。あなたにとって今回の試験は何よりも耐え難い状況だったでしょう? 緑谷さんも起きていたら、きっとお礼を言っていたと思います」
 反撃してくるかと思いきや、お礼の言葉が並べられてきょとんとする爆豪。しかし、その表情はすぐに不機嫌なものへと変わった。
「……別に、テメーらのためにやったんじゃねーわ」
「わかっています。でも、結果的に救われました。あなたがとことん『勝ち』に拘ってくれなければ、私達はみんな条件をクリアできませんでした。だから……ありがとうございます」
「……」
 重ねてお礼を告げてぺこりと頭を下げる佐鳥に、今度は爆豪が口をへの字に曲げた。そして顔を上げてニコリと笑う彼女と目が合うと、彼は舌打ちを零して静かにベッドから立ち上がり、出口へと向かって歩き出す。
「爆豪さん……?」
「帰る」
「体調は? リカバリーガールにもう一度見てもらった方が……」
「うっせーな。もうなんともねーわ。むしろお前の笑ってる顔見てる方が気持ち悪くなんだよ」
「……人を小馬鹿にするような笑い方する人に言われたくないんですけど」
「上等だコラ! テメーは一生そこで正座してろクソ人形!」
「嫌です。緑谷さんが目を覚ましたら一緒に帰ります」
「勝手にしろや!」
 どっちだ。
 最後に荒々しく吐き捨てながらも扉を閉めて姿を消した爆豪に、佐鳥はやれやれと肩を竦める。
 そうして静かになった室内で、今度は緑谷が身動ぎする音が聞こえた。
 佐鳥が目を向けると、深緑の瞳が力なく笑っていた。
「かっちゃんの言葉は気にしない方がいいよ」
「大丈夫ですよ。もう慣れましたから」
 しばらく眠っていたせいか、目を覚ました緑谷の声は覇気もなく頼りない。けれど彼はいつもの人を気遣うような優しい眼差しと口調で佐鳥を見ている。
 佐鳥もやんわりと微笑んでみせると、緑谷の表情は一段と穏やかになった。
「……ありがとう、佐鳥さん」
「私は何もしてません」
「ううん。今日の試験、僕にとって佐鳥さんの存在はとても大きかったんだ。かっちゃんを説得したいって思った気持ちを尊重してくれたことも、かっちゃんの作戦通り御守先生を一人で相手にしてくれたことも……それに、最後は自力で力を取り戻して僕達の加勢に来てくれたでしょ? すごく頼もしかった」
「……そうですか」
「うん。……USJで『敵連合』に襲撃された時も、『ヒーロー殺し』と遭遇した時もそうだった。誰かのピンチに駆けつけてくれてさ……佐鳥さんは本当に『ヒーロー』だと思うよ。今の僕なんかじゃまだまだ全然追いつけないなって思っちゃった」
「そんなことありません。これまでずっと私にできないことは緑谷さんがやってくれました。特に今回、爆豪さんの説得は緑谷さんにしかできないことでした」
「そうかな……?」
「ええ。良くも悪くも、爆豪さんは緑谷さんの言葉に耳を傾けていますから」
 少しだけ気落ちしたような面持ちだった緑谷は、佐鳥の言葉に苦笑いを浮かべた。
「でも僕は……佐鳥さんはすごい人なんだと思う」
「緑谷さん……」
「無免許なのにバイクの運転できるしね」
「う……そこは掘り返さないでください」
 にっこりと笑いながら痛いところを突かれ、居心地が悪くなった佐鳥が緑谷から視線を逸らしたその時、ガラリと扉が開いた。
 やって来たのは御守だった。
「おや。お邪魔でしたか? 楽しそうな声が廊下まで聞こえていましたよ」
「あ、す、すみません! すぐ帰ります!」
「いえいえ。そんなに慌てずとも、下校のチャイムが鳴るまで時間がありますから」
 慌てて起き上がろうとした緑谷にそう言って、御守は佐鳥に目を向けた。
「緑谷君はリカバリーガールにもう一度腰の方を見てもらった方がいいでしょう。佐鳥さんは日が暮れてしまう前に帰宅した方がよろしいかと」
 御守の言葉に、佐鳥は口を閉ざす。そして少しずつ口をへの字に曲げ、「どうして自分だけ」とその胸の内側にある不満を露わにした。
 ぷくー、と子どものように頬を膨らませる彼女に、御守は再び呆れた様子でため息を吐いて肩を竦めた。
「そんな顔をしても駄目ですよ」
「……わかりました」
 渋々ながら頷いた佐鳥。だが、数秒経っても彼女は椅子に座ったまま動こうとしない。
 疑問に思った緑谷と御守が首を傾げると、佐鳥は眉尻を下げて小さな声で告げた。
「……すみません。足が痺れて動けません」
 恥ずかしさも相俟ってプルプルと震え続ける佐鳥を見て、思わず緑谷と御守が小さく噴き出す。肩を震わせながら顔を逸らした二人に、ますます佐鳥がむっと唇を尖らせたのは言うまでもなかった。


 *** *** ***


 コスチュームから制服に着替えて下駄箱へと向かった佐鳥は、そこにぽつんと一人座り込んでいる赤と白の髪を見つけて瞬きした。
 その後ろ姿は間違いなく轟だ。いつもならさっさと帰宅してしまうのに、この時間まで彼が学校に残っているのは意外だった。
「……焦凍さん?」
 おそるおそるといったように近づき、静かに声をかける。
 すると、轟の肩がぴくりと反応した。振り返った端正な顔についた目は少し驚いたように見開かれ、やがて安心したように細くなる。
「ああ……やっと来たか。長かったな、正座」
「なんでそれを……というか、どうしたんですか? こんな時間まで……」
「御守先生に聞いた。一緒に帰ろうと思って……待ってた」
「一緒に……? あ……緑谷さんならもう一度リカバリーガールに怪我の様子を見てもらってから帰るそうですよ」
「そうか。じゃあ帰るぞ」
 さらりと頷いた彼が踵を返したのを見て、佐鳥はえ、と固まった。
「あ、あの……焦凍さん? 緑谷さんは?」
「? 緑谷はまだ時間かかるんだろ?」
「ええ……でも、一緒に帰るんですよね?」
「ああ……そういうことか。俺が待ってたのは佐鳥だ」
「私? 何か用でもありましたか?」
 こてんと心底不思議そうに首を傾げた佐鳥。
 そんな彼女の反応に、轟はむっとした顔でふいと視線を逸らした。
「……用がないと待ってちゃいけねーか?」
 機嫌を損ねてしまったのは明らかである。そんなことは、と佐鳥は慌てて首を横に振った。
 轟はそんな佐鳥をちらりと見ると、今度こそ背を向けて先に歩き出す。そして靴を履き替えた佐鳥が小走りで駆け寄って来ると、轟は振り向きもせず話を始めた。
「……佐鳥の言う通りだった」
「え……?」
「八百万のことだ。あいつ、俺の作戦にずっと何か言いたげだったんだ。なのに俺は気づかないままで……挙句、失敗した。お前の言う通り、最初にちゃんと八百万と作戦について話をしておくべきだった」
「……でも、二人とも合格できたじゃないですか」
「そうだな。八百万のおかげだ」
 自分に目を向けることなくそう言った轟の横顔はいつも通り平然を装っているが、声音にはやりきれない後悔のような想いが滲んでいた。
 佐鳥は口を閉ざし、続けて口を開いた轟の吐露に耳を傾ける。
「ちゃんと周りを見るようになってから、他の奴らのすごさが良くわかるようになった。反対に自分の至らない部分も少しずつ見えてきて……俺も頑張んねーとなって思った」
「そうやって上を目指せるんですから、轟さんも十分すごい人ですよ」
「佐鳥に比べたら、俺なんてまだまだだろ」
「私?」
「ああ。お前なら『個性』がなくてもヒーローになれそうだ。今回の試験を見て思った」
「いくらなんでも、それは無理がありますよ」
 佐鳥は軽く苦笑を浮かべながらそう流したが、轟が半ば本気で言っているのは感じ取っていた。
 その感覚は間違っておらず、轟の表情は変わることなく佐鳥を真っ直ぐに見つめた。
「冗談じゃねえ。本当にそう思った。俺がもしお前と同じように『個性』が使えない状況になったら、まともに敵と戦える気がしねえからな」
 佐鳥は眉尻を下げて言葉に迷う。
「……買い被り過ぎです。焦凍さんも……緑谷さんも」
「緑谷……?」
「緑谷さんも、私のことを『すごい人』だと言っていました。でも私は、本当にすごいのは緑谷さんの方だと思うんですけど……」
「……そうか」
 何か言いたげな間があったが、轟は小さくそう答えて視線を前に戻した。
「緑谷もすげえ奴だよな。いつも真っ直ぐで、人のことばっかで」
「はい。それに緑谷さんの言葉や行動力は、周りに対して何らかの影響力があるように感じます。……私なんかよりもずっとずっと、緑谷さんはすごいことをやっていると思います」
 そこで、轟はぴたりと足を止めた。
 佐鳥もつられて足を止める。
 どうしたのかと思って振り返れば、迷いながらもどこか寂しげに揺れる色の違う双眸が自分を見つめていた。
「焦凍さん?」
「……佐鳥は、緑谷が好きなのか?」
「はい?」
 唐突な質問に、佐鳥は素っ頓狂な声を上げる。
「あの……流石に質問の意図がわかりかねます。それはどういう意味でしょうか?」
「お前、いつも緑谷の話すると褒めてばっかりだから……あいつのことが好きなのかと思って」
 視線を逸らしながら「恋愛的な意味で」と呟かれた声は随分と小さかったが、しっかりと佐鳥の耳に届いた。
 佐鳥はぎょっと目を見開き、ぶんぶん手と首を横に振った。
「ご、誤解です! 違います! その、友人として好ましくは思っていますが……決して、そういう意味では……!」
 何故こんなにも必死になって弁解しなければならないのか。
 そんな疑問を抱きながらも、どうしてもその勘違いを正しておかなければならないと思う佐鳥は懸命に轟に訴えた。
「緑谷さんはあくまで友人として好きなんです!」
「お……」
「それに、別に緑谷さんのことばかり考えてるわけじゃないですよ? 飯田さんのことも、八百万さんのことも気になったらずっと考えてしまいますし……試験中は焦凍さんのことも――……あ」
 佐鳥の言葉はそこで不自然に途切れた。その時、脳裏に過ったのは試験前に勇希から言われた『思わせぶりな態度を見せてないか?』という質問だ。
 ――どう考えても今のは失言だ。『思わせぶり』とは、つまりこういう言葉ではないか。
 そう考え、思わずといった様子で固まった佐鳥。
 そんな彼女を前に、轟はきょとんとした顔で瞬きを繰り返す。
「俺のこと?」
 失言はしっかりと届いていたようだ。反芻された言葉に、少し間を置いてから佐鳥は意を決したようにこくりと頷いた。
「……はい。同じ状況で他にも仲間がいれば……焦凍さんだったらどう攻略するかと考えてしまって……それで、最後に御守先生の動きを止める方法を思いつくことが出来たんです」
 言われてみれば、佐鳥は御守の足を凍らせて動きを止めていた。それを思い出した轟は、ふっと小さく笑う。
「……最後のあれは、俺の『個性』から考えたのか」
「まあ……水を使うと決めたら自然とその方法しか浮かばなくて……」
「そうか。……悪くねえな、そういうのも」
 そう言ってどことなく嬉しそうに目を細めた轟を見て、佐鳥は自分の心臓が脈打つのを感じた。
 突然の動悸に驚きながら胸を押さえ、佐鳥はぱっと轟から顔を背ける。再び脳裏に浮かんだのは「好かれてんじゃないの?」という勇希の声だ。同時に頬に熱が籠ったような気がして、佐鳥は自分の頬を手で押さえた。
(いや……いやいやいや……照れてる場合じゃない、私……)
 そう、きっと佐鳥は轟に好かれている。それはなんとなく(本当に『なんとなく』でしかないが)言葉や態度の節々からも感じることができる。誰だってどうでもいい人間と一緒に帰ろうとしないだろうし、相手を気遣うこともしないだろう。轟の場合、(父親に対する態度も考慮して)特に他人に対する態度は顕著だと思う。
 ただ、と佐鳥は轟に目を向ける。
 ヒーローを志すだけあって、轟は性根が優しい。感情表現は他の人に比べて乏しいが、その優しさは満遍なく周りに向けられていると思う。
 そして正直なところ、佐鳥は自分に向けられる感情に疎い。幼少期から人と距離を置いていたこともあり、好意的な感情を向けられることに慣れてないのだ。
 だから轟が自分に向けるその好意も、いまいちどういうものか理解できないのである。
 むむむ、と難しい表情で言葉に詰まっている佐鳥の胸の内を知ってか知らずか、轟は未だに頬を弛ませて穏やかに笑んでいた。
「少しでもお前の役に立てたなら、良かった」
 その言葉に、佐鳥はきゅっと唇を引き結ぶ。
 辛うじて唇から紡げたのは「はい」という小さくてか細い相槌だけだ。
 そんな佐鳥の様子にようやく気づいた轟が「どうした?」と首を傾げるが、佐鳥はくるりと背を向けてスタスタと早足で歩き出す。
「は、早く帰りましょうか」
「なんで急に早足になるんだ? 顔も少し赤くなって――」
「なんでもないです、気のせいです、ご心配なく」
「お、おお……」
 それ以降、佐鳥は終始そわそわとした様子で落ち着きがなかったが、早口で「気にするな」と捲し立てられた轟は気にかけていてもそれ以上追及することができず、別れの挨拶を告げるまでずっと不思議そうに首を傾げるのだった。


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