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38

 USJでは敵連合に襲撃された。
 保須市ではヒーロー殺しと遭遇した。
 思い返してみれば、他のヒーロー科の生徒と違って何度も危機的な状況を経験しているわけだが、やはりA組の中では個性の扱いも半端なままで、まだまだ未熟者であるという自覚があった。
 同時に自分の中にある師の存在もまた大きく、遠い存在だったはずのその人が身近にいると理解しても未だにその畏怖の念はなかなか払拭できずにいた。
 ――だから、なのだ。
 緑谷はいつまでもこの状況を覆すだけの策が思いつかなかった。相手はナンバーワンの『平和の象徴』。勝てるはずもない。勝てるビジョンなんて浮かばない。
 だから緑谷にとって今、頼りにできるのは戦闘において自分より秀でている爆豪と佐鳥だけだった。
「てめっ……放せ!」
「いいから!!」
 あの場から引きずってでも強引に連れ出した爆豪が騒いでも相手にせず、緑谷は前を向いたまま細い道を駆け抜ける。
 しかし、爆豪が大人しく連行されるわけがなかった。
「放せっつってんだろ!」
 彼は無理矢理にでも腕を振るい、緑谷を殴って力づくで離れた。
 荒々しい呼吸の中、忌々しいと言わんばかりに自分を睨みつける幼馴染を振り返り、それでも緑谷は怯むことなく真っ直ぐに告げた。
「かっちゃん……僕にはオールマイトに勝つ算段も、逃げ切れる算段もとても思いつかないんだ」
「あ!?」
「だから、諦める前に僕を『使う』ぐらいしてみろよ! 負けていいなんて言わないでよ!」
 勝つのを諦めない。それが爆豪だ。
 昔からそうだった。小学生の頃、上級生に喧嘩を売られた時も彼は果敢に立ち向かって勝利を手にしていた。ボロボロになりながら、目尻に涙を溜めながらも、彼は絶対負けなかった。
 その姿は、敵を打ち負かしたオールマイトのようだったのだ。
 彼はきっと、そういう師の姿に憧れていたのだ。
「二人とも!」
 そこへ、御守から逃げ出した佐鳥が二人に追いつく。
「佐鳥さん……! そ、そっちは大丈夫だった!?」
「実は『個性』を封じられてしまって……すみません。御守先生にしてやられました」
 ゴーグル越しに手の平をじっと見つめる彼女は、おそらく身の回りの大気を確認しているのだろう。
 緑谷は目を見開き、爆豪は盛大に舌打ちを零した。
「……偉そうに説教たれてた奴が足手纏いになってんじゃねえよ」
「……返す言葉もありません。すみませんでした」
 ある程度の反省はしているのだろうが、佐鳥は眉一つ動かさず仏頂面のまま答えた。
 バチバチと火花を散らす二人の間にいる緑谷はヒヤヒヤとしながら「まあまあ」と二人を宥める。
「とっ、とにかく! 僕らはゲートを目指すべきだと思うんだ。ね、かっちゃん」
「そうですね。誰かがゲートを潜り抜けることができれば条件はクリアできます。問題は、オールマイトと御守先生からどうやって逃げ切るかですが……」
 緑谷の言葉に頷きながら、佐鳥はチラリと爆豪を見やる。
 意見を求めるその視線を受けて、爆豪は怪訝な顔をしながらも唸るような声音で告げた。
「……発動条件もわかんねえ『個性』なんざ考えるだけ無駄だ。気絶させるか時間さえあればどーにでもなんだろ。『個性』が使えなくても関係ねえ。人形女、あのスケコマシはお前一人でどうにかしろや」
 思ったよりも投げやりな提案はともかく、良く知りもしない相手に『スケコマシ』とは随分な罵り様である。
 唖然とする緑谷の隣で、その『スケコマシ』が誰であるのか理解した佐鳥は少しだけ間を置いたものの、すんなりと首を縦に振った。
「わかりました」
「えっ!?」
 当然ながら、二人の会話についていけない緑谷は一人絶句した。これまでの二人のやり取りから、この無茶振りとも言える爆豪の策に素直に佐鳥が応じるとは考えなかったのだ。
「あ、あの……僕達は協力を――」
「うるせえ。テメーはこれでも持ってろ」
 おろおろと口を挟む緑谷の声を一刀両断して爆豪はダイナマイトの形をした自分の小手を投げた。
 慌てて受け止めた緑谷は腕の中にあるそれと爆豪を交互に見つめる。
「こいつは最初からこのつもりだったんだろーが。テメーは精々そいつを全力でぶっ放せ。んで走れ。クソナードでもそれぐらい出来んだろ」
「え、う、うん……え!? 佐鳥さんは!?」
「死ね」
「死ね……!?」
「わかりました」
「何がわかったの!?」
 協力するという話ではなかったのか。だから爆豪が素直に会話に応じたのだと思ったのに、どうしてそうなるのか。
 最初から最後まで碌な提案をしない爆豪に対し、素直なまま頷き返す佐鳥に緑谷はその顔に不安の色を浮かべる。
 そんな緑谷の肩に手を置いて、佐鳥は玲瓏な声でいつものように微笑った。
「あとは任せましたよ、デク」
 最早、それが何かのフラグなのではないだろうか。
 言葉を失いながらもただ彼女に背を押されるがまま、二人を引き止めることもできない緑谷は一人先に動き出した爆豪を追いかけるしかなかった。

 そしてこの時、佐鳥の瞳が色を変えていたことにも、オールマイトをどう引き離すか話し始めた彼らは最後まで気づくことはなかった。


 *** *** ***


 脱出ゲート付近の建物はオールマイトが放った一撃で見事に倒壊している。
 爆豪達と別れて一人脱出ゲートの方へと近づいていた佐鳥は自分の周りに敵が迫って来るのを警戒しつつ、建物の陰に隠れながら注意深くゲート周辺を観察した。
(『こっちの個性』まで封じられてなかったのは助かったな……)
 金色に煌めくその瞳は『千里眼』が発動している証拠だ。御守と対峙している時に気づいてはいたが、どうやら本人の言う通り『個性封じ』とやらは限定的な効果を発揮しているらしい。
(広いフィールドだと限定的……つまりそれは、逆を言えば狭い範囲で大きな効果が出せる『個性』ということ……)
 そこを敢えて得意分野で押して来ないということは、御守の行動はあくまで『どちらかの個性を使えない』状況で佐鳥がどう動くのか試している可能性がある。
 そう考えた佐鳥はまず脱出ゲート付近に目を向けた。
 やはり、御守はそこにいた。
 どこから生徒が現れるかと周囲に目を配りながら、数珠を片手に堂々と待ち構えている。
 敵も味方も複数人。数だけなら生徒側の方が有利だが、相手は格上の実力を持つプロだ。お互いに二手に分かれるという選択肢など容易に考えられただろう。中でも真っ先に脱出ゲートに向かうのは佐鳥だと思われているはずだ。この超人社会において『個性』を封じられたヒーローは基本役に立たないので、現場でも『逃げ』の一択になる。事実、個性を封じられていない緑谷と爆豪が敵と対峙して、その隙を佐鳥が潜り抜けるのが一番手っ取り早い方法だ。仮に佐鳥がどちらかの敵の足止めに成功したとしても、残った敵が潜り抜けようとする二人を阻止するはず。
 しかし、爆豪の考えは違った。
(死ね、か……)
 その暴言の意味を、佐鳥は正確に把握していた。
 爆豪は口が悪い。それは事実であり、おそらくさっきもそのままの意味が含まれていたのだろう。
 ──が、あの時彼が本当に言いたかったのは、佐鳥家と同じ戦法だ。
 佐鳥を犠牲にして、自分達が脱出ゲートを潜り抜ける、と。足手纏いになりたくないのなら最後まで奴を足止めしろ、と暗に口に出さずして彼はそう言ったのだ。
 あの時に言われた『お前一人でどうにかしろ』というのは、裏を返せば佐鳥一人でどうにかできるだろうという意味である(と、言葉のまま受け止めると喧嘩になるので佐鳥は勝手にそう解釈することにした)。
 だから、嫌悪も不満も感じなかった。
 そもそも、爆豪の対抗心は相手を認めているからこそ発揮されるものである。緑谷に対してはともかく、佐鳥や轟、他のクラスメイトのことを決して弱いとは思っていない。ただ負けん気が強いがあまり言動が横暴で、加えて実力もあるので誰も相手にしていないように見えるのだ。それはとても分かりづらく、だからこそ体育祭であったような外野からの誤解も生まれやすい。
 そんな爆豪が、ここにきてようやく自らのプライドをへし折ってまで緑谷や佐鳥と協力することを考えたのだ。必死に彼を説得していた緑谷のためにも、何としてでも佐鳥は自分に与えられた役目を全うしたいと思った。
 御守に気づかれないギリギリの距離まで近づき、佐鳥は手持ちのアイテムを確認する。
 敵は己の経験を活かして一つも二つも敵の手の内を予想している。それを踏まえた上で、佐鳥は現時点の勝算を考えた。
(この『個性』は相澤先生のように目に見える相手を縛るものじゃない……だとすれば、その効果は『時間による制限』か、あるいは持続させるための『からくり』があるはず……何かヒントは……)
 その時、遠くで激しい爆発音が響いた。どうやら向こうでオールマイトと緑谷と爆豪が戦闘になったようだ。
 佐鳥はそちらに目を向けた。
 彼らの不意打ちによる攻撃は成功したようで、腕を押さえている緑谷を置いて爆豪が真っ直ぐに脱出ゲートに向かって宙を駆け抜けて来た。二人がゲートまでやって来るまで時間がない。
(こういう時……八百万さんの『個性』は便利なんだけどな……)
 知識があれば物を作り出せる。もちろん対価となるものはあるだろうが、現場で臨機応変に対応できる強い個性だ。初めて彼女の『個性』を知った時、純粋に佐鳥は彼女が羨ましいと思ったほどだ。
(葉隠さんだったら姿を隠したまま敵の横をすり抜けることができるし、瀬呂さんや峰田さんの個性ならトラップも作れる)
 飯田の最大出力の機動力も、常闇のダークシャドウも、麗日の触れた物を無重力にする力も、この状況を打開する策をいくらでも作り出せたはずだ。クラスメイトそれぞれの『個性』はそれぐらい優秀で、特定の条件下においては最強なのである。
 そこでふと、佐鳥の脳裏に轟の姿が浮かび上がる。
 この危機的状況を、彼ならどう突破するだろうか。
 氷で足止めするか、炎で相手を退避させるか。彼なら迷わず氷を先に使いそうだ。
(ないものねだりしていてもしょうがない……何か……何か『個性』の発動時にヒントがあったはず……――そうだ!)
 佐鳥は御守が描いた八芒星を思い出す。
 あの模様が発動のきっかけになるというのなら、きっと同じような模様がどこかに記されているはずである。
 佐鳥はすぐさま辺りに目を向けた。
 探し物は、御守の足元を見ればすぐに見つかった。オールマイトの攻撃による爆風で分かりにくくなっているが、荒れた地面の上に同じ八芒星が描かれている。
(あれを消せれば……)
 問題は、それをどうやって消すかだ。
 佐鳥はきょろきょろと辺りを見渡し、地面に描かれたそれをどうやって消すか考える。
 そして、彼女は二つのある物に目を止め、少し悩む。
(これは流石に怒られるかも……ううん、でも、迷ってる時間ない)
 自分のことはともかく、あの二人だけでも合格させなければ。
 そう意気込んで、佐鳥は思い切ってそれに駆け寄った。


 *** *** ***


「やっぱり相手も二人やし、デク君達も二手に分かれることにしたんかな……?」
「そうね。それが一番妥当な作戦だとは思うけれど……」
「ただ、それにしては先生から逃げる前の佐鳥さん、少し様子が変でしたわ。彼女の『個性』なら十分先生との間合いを確保できるはずでしたのに、珍しくサポートアイテムに頼っているようでした。さっきの戦闘で先生に何かされたように見えましたが……」
 はらはらとした様子で佐鳥達の動きを追っていた蛙吹、麗日、八百万をちらりと見て、リカバリーガールは静かに状況を説明した。
「あの子は『個性』を封じられたのさ。さっきの光……あれは御守の『個性』が発動した合図だよ」
「あの光で『個性』を……!? 一体、どういう『個性』なんですか?」
「私も詳しくは知らないよ。あの子は『おまじない』だと言っていたけれどね。こうして実際に見てみると『言霊』の類かもしれないが……」
「そんな……そんなの、いくら空ちゃんでもヤバいんじゃ……!?」
 プロのヒーロー相手に『個性』も使えない状態で敵うはずがない。そう麗日が絶望にも似た声を漏らすのを聞きながら、轟は顎に手を添えながら何やら一人で考え込む。
「『おまじない』……御守……?」
「? 轟さん、何か気になることでも?」
「ああ、ちょっとな……だが、どうも思い出せねえ。何か引っかかるんだが……」
 首を捻る轟に、八百万も不思議そうに首を傾げる。
「あっ! 空ちゃんが脱出ゲートの近くまで来た!」
「やっぱり御守先生が待ち構えているわ。空ちゃん、『個性』が使えないのに一人でどうするのかしら……」
 建物の陰からじっと御守の動きを確認している佐鳥と、どこからやって来るかと辺りを警戒する御守。
 緑谷達がどう条件をクリアしていくか見守る中、モニターを見つめながら考え込んでいた轟はハッとした表情になった。
「……『チャーム』……」
「? なんだい。あんた御守のヒーロー名を知ってたのかい?」
 小さな声を拾い上げたリカバリーガールは驚いたように轟を振り返る。
 チャーム、と聞いて麗日と飯田も心当たりがあるのか、何やら考えるように視線を彷徨わせた。
「チャームって、どこかで……」
「職場体験で佐鳥を指名したもう一人のヒーローだ」
「ああ……! そう言えば、そんな名前のヒーローについて尋ねられたことがあったな」
 麗日と飯田は職場体験前でのやり取りを思い出して納得した。
 しかし、それなら何故、雄英の教師である彼が佐鳥を指名したのか。
 訳がわからない、と首を傾げるクラスメイト達。
 その時、麗日があっと声を上げた。
「デク君達掴まっちゃった……!」
 あの爆豪が珍しく緑谷に協力して逃走を図ったというのに、結果はやはり失敗に終わった。
 圧倒的なパワーとスピードで取り押さえられた二人とは別に、未だ佐鳥はゲート前の御守をどう攻略するか思案しているようだった。
「頼みの綱は空ちゃんだけど……大丈夫なのかしら?」
 すると、建物の陰に隠れていた佐鳥が行動に出た。
「あ、空ちゃん動いた!」
「何をするつもりなのかしら……」
 御守とは正反対の方に向かい、ポーチの中からペットボトルを取り出した佐鳥。
 見覚えのあるラベルに、八百万は眉を寄せた。
「あれは……試験前に買ってた水……?」
「水……?」
 一体何を始めるのか、と固唾を呑んで見守るモニター越しの観戦者達。
 そんな彼らのことなど露知らず、佐鳥は次に近くに置いてあったバイクを動かし、そのシートの上にペットボトルを置くと棍を取り出した。
 次にそこから少し離れた彼女は、野球選手のように棍を短く握って構える。
 この時点で、モニターを見つめていた全員が言葉を失った。
「まさか、佐鳥君……あれで打つ気じゃ……」
 飯田の予想は的中した。
 全力で振るわれた棍は寸分狂わずペットボトルへと命中し、それは華麗に宙を舞って倒壊した建物の上を飛んで行った。
 そして次の瞬間、彼らは続けて佐鳥の行動に驚愕することになる。


 *** *** ***


(……終わりかな)
 前方から緑谷と爆豪が走って来るのは見えていた。しかし、彼らは御守と対峙するよりも先に駆けつけたオールマイトによって一人は腕を掴み上げられ、もう一人は足で押さえつけられて動きを止められた。
 その実力は流石ナンバーワンと言うべきか。圧倒的なパワーとスピードを持つ彼に、ヒーロー候補生達は手も足も出ないようだった。
(さて、残るは彼女だけだが……)
 二人の敵に対して、ヒーローが三人。普通に考えて、彼らは二手に分かれる方法を選ぶだろう。その内、御守によって『個性』を封じられたのは一人。これ以上被害を増やさないよう、『個性』が使える二人がオールマイトの相手をするのは妥当なのかもしれない。
 そう考えて、御守は視線を動かした。
 こちらも流石と言うべきか、近くまで来ているだろうに気配を感じさせない。上手く気配を隠せる距離を保っているのだろう。
 息を潜め、獲物の隙を狙うのは彼女の体に染みついた佐鳥家の教訓の一つだ。きっと、幼い頃に叩きこまれたノウハウは全て彼女の糧となっているのだろう。
(……だから、『秘蔵っ子』と呼ばれるんだ)
 ――皮肉な話だが。
 その時、バコン、と遠くで小さな音が聞こえた気がした。
 何の音だと思ってそちらに視線を動かせば、凹んだペットボトルがクルクルと回りながら倒壊した建物の上を空高く飛び越え、こちらに向かって落ちてくるのが見えた。
 続けて、同じ方向からバイクのようなエンジン音が響く。
(――ん? エンジン?)
 この状況でおかしな音である。それは凄まじいスピードで移動し、自分の方へと近づいていた。
 彼女が何をしようとしているのかわからないが、御守はとりあえず飛んできたペットボトルがトラップである可能性を考え、数珠でそれを振り払った。
 同時に、オールマイトの方から大きな爆発音が響き渡る。どうやら踏みつけられていた爆豪の仕業らしい。
 続けてその爆発の直後、御守の真横にあった建物の隙間からバイクに跨った佐鳥が姿を現した。
 アクセルを回し、唸りを上げて猛スピードで自分の方へと突っ込んでくる彼女に、御守はまた堪らずといった様子で口元に笑みを浮かべた。
「これは本当に……とんだ『じゃじゃ馬』ですねえ」
「なんとでも」
 頼りにしていた『個性』を使えない今、彼女は手段を選んでいられないのだろう。
 佐鳥は顔色一つ変えず、迷いなく御守に向かってバイクを走らせた。
 しかし、遠目で近づいて来ると知っていれば避けるのは容易い。佐鳥が横切る寸前に御守はその場から飛び退いて素早く離れると、彼女を捕らえるべく数珠を振るった。
 ――が、それすら佐鳥の計算の内だった。
 佐鳥は自ら御守の数珠を棍に巻きつかせると、バイクから手を離す。そのまま棍と一緒に引き寄せられて高く宙を舞った彼女は、ポーチから再び煙幕の筒を取り出し、御守に投げつけた。
「芸がないですね。二度も同じ手は――……え」
 その時、御守は気づいていなかった。
 自分の足元にはすでに煙幕の筒が落ちていたことを。
 そして、自分がそれに気づいた時にはすでに遅かったことを。
 モクモクと辺り一面をまた白く染める煙。
 この煙に紛れて佐鳥が自分の傍を通り過ぎるかと思いきや、そんな気配はどこにもない。
 近づいて来ない佐鳥にどこへ行ったのかと煙の中をきょろきょろと見回したところで、今度は御守の頭上から大粒の雨が降り注いだ。
(……水!? そんな馬鹿な……彼女の『個性』は封じたはず――)
 御守は目を見開きながら頭上を見た。
 良く見ると、それはとある方角から一方的に降り注いでいた。
 水に流されるように煙が晴れていくと、御守はそこに立っている佐鳥を見て目を丸くする。
 佐鳥が手に持っていたのは消火栓のホースだ。
 倒壊した建物からそれを引っ張り出して御守に向かって水を放射していた佐鳥は、にやりと笑った。
「これだけ濡れれば、御守先生の足元の『それ』もぬかるんで崩れやすくなるでしょう?」
「!」
 佐鳥の言う通りだった。
 突然のように降り注いだ水の勢いでゆっくりと硬さを失っていく地面に描かれていた八芒星は、御守が一歩でも足を踏み込めばその形を崩してしまいそうだった。そして、御守が次の一手を考えている間にも叩きつけるように降り注ぐ水によってそれは形を崩していく。
 きらりとゴーグル越しに佐鳥の目が輝き、その黒髪がゆっくりと色を変えた。封じた『個性』を使おうとしているのだろう。
 予想外の反撃に、御守はしてやられたと舌を巻いた。
「君はどこまでも僕達の予想の斜め上を行きますね」
「ありがとうございます。……でも、先生」
 玲瓏な声が、御守の鼓膜を揺さぶる。
「私は優しくないので、最後まで手は抜きませんよ」
 そう言った佐鳥の手が御守に向けられた。
 何をされるかと数珠を手に身構えようとした御守は、ふと数珠が何かに引っかかったのを感じて視線を落とす。
 見れば、御守の足と数珠が凍っていた。
 どうやら彼女の力で足元だけを冷やして濡れた足場を凍らせたようだ。
「動かない方がいいですよ。足の皮膚が剥がれてもいいなら話は別ですが」
 そう言った佐鳥に、降参するしかないと肩を竦めた御守は自らハンドカフスをかけやすいように両手を上げようとする。
 だが、御守に戦う意思がないと知った佐鳥はすぐに視線を逸らし、緑谷達の方を振り返った。
 ボロボロになりながらも一人ゲートを潜り抜けようとしていた緑谷がいた。それをオールマイトが阻止しようと手を伸ばし、さらにそれを妨害するように爆豪が割り込んでいく。
 しかし、オールマイトはいとも簡単に爆豪を地面に叩き伏せた。
「寝てな、爆豪少年。そういう身を滅ぼすやり方は、悪いが先生的にトラウマもんでね」
「爆豪さん!」
 爆豪を救出すべく、佐鳥が『個性』を発動してオールマイトのもとへ向かう。
 その時、爆豪の手がしがみつくようにオールマイトの腕を掴んだ。
「早よ……行けやクソナード、クソ女……!! 折れて折れて、自分捻じ曲げてでも選んだ勝ち方で、それすら敵わねえなんて……――嫌だ……!!」

 その瞬間、脱出ゲートへと向かっていた緑谷が、踵を返した。

「そこを退いてください、オールマイト」

 決意が込められたような、そんな声音だった。
 歪ながらも笑みを浮かべている緑谷は拳を握りしめ、それは真っ直ぐにオールマイトの顔に向かった。勢い良く殴られたことに、オールマイトも驚いたのだろう。その衝撃で出来た隙を狙って、意識を失った爆豪を佐鳥が引っ張り起こした。
「デク! 全力で踏み込んで!」
「うん!」
 二人で爆豪を抱えて足を踏み出す。
 刹那、三人は目にも止まらないスピードでその場から離れていく。
 それは不意を衝かれたオールマイトでもすぐには追いつけない速さで、三人はあっという間に脱出ゲートを潜り抜けてしまった。
「……とりあえずは合格、ですかね」
 自らの『個性』で凍りを溶かし、やれやれといった様子で苦笑しながら呟いた御守。
 その言葉に、オールマイトも静かに笑んだ。


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