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「女の子を慮るのは立派だが、もう少し話し合っても良かったんじゃないか?」
 人のいない廊下に佇んでいた轟の脳裏に、試験中に相澤から受けたアドバイスが脳裏を過った。
 ──話し合う。
 それは試験前に佐鳥からも言われた言葉だ。自分が作戦を告げた時の八百万と同じく、彼女は物言いたげな表情で轟を見ていた。
 佐鳥は鈍いようで聡い。『個性』に頼らずとも相手を良く見ているし、轟以上に他者の感情の機微を察している。入学してからずっとクラスメイトとコミュニケーションを絶やさなかった彼女のことだ、きっとここ最近の八百万の異変にも気づいていただろう。
 八百万が何に悩み、苦しんでいたのか、それを察していたはずだ。
(……何、やってんだ……)
 自分は何をしていた?
 今まで何を見ていた?
 今回の試験の結果は全て八百万のおかげだ。彼女の持ち前の冷静な分析力がなければ、間違いなく敵から逃げることもできず追い込まれていた。
 振り返ってみればみるほど、自分の策がまだまだ甘いのだと痛感した。
 同時に、あの状況を佐鳥ならどう切り抜けるのか想像する。
(……あいつなら、絶対試験前に八百万の話を聞いていた)
 試験の順番が回って来るまで待機だと言われた時も、彼女は緑谷だけでなくあの爆豪とも話し合おうとしていた。もちろん爆豪が取り合っていた様子はなかったが、それでも彼女は真っ向から話し合う姿勢を見せるのだ。
 己の左手を見つめていた轟はぎゅっと手を握りしめ、眉根を寄せた。
 圧倒的に足りないコミュニケーション能力はこれからの課題だ。周りが見えていなかったツケがここにきてようやく回ってきたのである。
(……浮かれてる場合じゃねえな)
 ここ数日の己の行動を振り返り、少しだけ重たい息を吐き出す。
 そして轟は迷うことなく、モニタールームへと足を向けた。
 モニタールームには、救護班として呼ばれたリカバリーガールがいる。他にも試験を終えた蛙吹、麗日、飯田、八百万がそれぞれ最終試験の様子をモニター越しに見ていた。
 扉が開く音に振り返った四人は轟の姿を捉えると、目を丸くしながらも輪に迎え入れた。
「あ、轟君も見に来たんだ?」
「ああ。まあ……」
 麗日の問いかけに言葉少なに返事をして、轟は視線をモニターに映す。
 そこにはステージのど真ん中を真っ直ぐに進んで行く爆豪と、それを追いかける緑谷と佐鳥が映っていた。特に緑谷は何やら必死に爆豪に語りかけており、声が聞こえなくとも彼を説得していることがわかる。
 予想はしていたが、爆豪は全く聞く耳を持っていない。
「だ、大丈夫なんかなデク君達……」
「きっと三人なら大丈夫だ。僕達は信じて見守ろう」
 いよいよ心配になって呟いた麗日に、表情が硬いまま飯田が勇気づけるように声をかけた。
 その言葉があまり意味を成さないことは轟でも理解ができた。案の定、麗日は飯田の顔を見ても不安そうな面持ちは変わらないまま、静かにモニターへと視線を戻していた。
 彼らの言葉を耳にしながら、轟もまた静かに成り行きを見守ることに徹する。
 その目が真っ直ぐに佐鳥を追いかけていることに気づいている者がいることは、この時の彼はまだ知らないままだった。


 *** *** ***


「ついてくんな! ブッ倒した方が良いに決まってんだろが!!」
「せ、戦闘は何があっても避けるべきだって!!」
「終盤まで翻弄して、疲弊したとこ俺がブッ潰す!」
 ──話にならない。
 二人の後ろでやり取りを見守っていた佐鳥は静かにため息を吐いた。
(今回は目的を果たせばそれでオーケーだけど……これが実践なら間違いなく私達はヒーロー失格だ)
 どこから格上の敵が襲いかかってくるかわからない状況で、仲間を呼ぶべきか、協力して敵を捕らえるかの選択を迫られている。
 それも他のチームと違って自分達の相手は『平和の象徴』だけでなく御守もいるのだ。彼については誰もその『個性』の詳細を知らない。未知の相手との戦闘に挑むよりも、それぞれがスピードを活かしてゴールを潜り抜ける他に最善の選択肢はないはずだった。
 なのに、爆豪は例え一人きりになっても正面突破で挑むつもりのようで、緑谷の話に耳を傾けようともせず堂々と道のど真ん中を歩いて行く。
 最早、ここまでくるとその一貫した態度には佐鳥でさえ諦めの境地すら感じる。
 緑谷も長年の付き合いからそんな爆豪の態度が苦手なようで、小さく唸り声を上げていた。
 しかし、ここで諦めていけないのが今試験の最大の課題なのである。
 どうしても協力を得たい緑谷は、率先して爆豪に声をかけ続けた。
「オールマイトをな、何だと思ってんのさ……いくらハンデがあってもかっちゃんがオールマイトに勝つなんて──」
 その瞬間、爆豪が勢い良く腕を振るい、緑谷の顔を殴った。
 自分の時のような脅しではない。遠慮のない暴力が目の前で行われたことに、思わず佐鳥は目を見開きながら固まった。
「これ以上喋んな。ちょっと調子良いからって喋んな、ムカツクから」
 今の発言がよほど気に食わなかったのだろう。それは彼の反応から言うまでもない。
 爆豪は何事においても負けを良しとしない。体育祭でも「完膚なきまでの一位」に拘るところから完璧主義者であるのは明白だ。特に緑谷が関わることに関してはそれが顕著である。
 だから先程の佐鳥も爆豪と話すとき、あえて『負け』という言葉も『オールマイトに勝てない』という表現も避けていた。
 幼馴染である緑谷も爆豪の性格は良く知っているはずなのだが、ここにきて焦りを抱えていた彼はその地雷を自ら踏み抜いてしまった。自業自得ではある――が、しかし、殴られていい理由にはならない。
 佐鳥は緑谷を支え起こし、顔をしかめながら爆豪を非難すべく口を開いた。
「爆豪さん! 何も殴ることはないでしょう!?」
「うぜーんだよテメーも。二人で仲良く逃げてろクソが」
「ごっ……試験に合格するために僕は言ってるんだよ。聞いてって、かっちゃん……!」
 謝りそうになった言葉を飲み込み、尚も爆豪に食らいつく緑谷。
 しかし、それがさらに爆豪の神経を逆撫でしたようで、爆豪は我慢ならないと言った様子で叫んだ。
「だァから、てめェの力なんざ合格に必要ねェっつってんだ!!」
 その声に触発されたように、緑谷も負けじと声を張り上げた。
「怒鳴らないでよ!! それでいつも会話にならないんだよ!!」
 悲痛にも似た苛立ちの籠った緑谷の怒鳴り声に、佐鳥は言葉を失ったままぽかんとして緑谷を見つめる。いつも爆豪に尻込みしている様子だった彼からは想像もできない姿だった。
 けれど、今は喧嘩をしている場合ではないのである。
「……!? 二人とも! 来ます!」
 自分達に迫る何かを察知し、佐鳥は咄嗟に緑谷達の前に飛び出して腕を振るった。
 前方から飛んでくるのは建物を破壊するほどの強い風圧だ。それがオールマイトの攻撃であると気づき、佐鳥は自らの『個性』で起こした風で相殺する。──が、オールマイトの力はそれ以上に強く、三人の体が吹き飛ばされてしまいそうになる。
「街への被害などクソくらえだ。試験だなんだと考えてると痛い目みるぞ」
 その声が三人の耳に届いた時、彼らを包み込む空気が重くなった。
「私は敵だ。ヒーローよ、真心込めてかかってこい」
 三人を包み込む空気は威圧感だ。自分達を捉えている殺意と、本気。
 その雰囲気に気圧されて、緑谷が身を引いた。
「正面戦闘はマズイ、逃げよう!!」
「俺に指図すんな!」
「かっちゃん!!」
 緑谷とは打って変わって真っ向から戦闘に挑む爆豪は佐鳥を押し退け、先手で閃光弾を撃ち込み、オールマイトとの間合いを詰めていく。オールマイトの大きな手が自分の顔を掴んだとしても、彼は臆することなく真正面から爆破の連弾を打ち放った。
 普通は顔を掴まれた時点で焦るものだが、爆豪のそれは最初から逃げることを考えていない、無謀で強気な攻撃だ。
 流石のオールマイトも予想していなかったのか、「あ痛たタタタ」と素直に悲鳴を上げた。
 しかし、やはり相手はナンバーワンヒーロー。弱連打では傷もつかなかったようで、オールマイトは爆豪の腕を掴んで手の向きを変えると、顔を掴んだまま地面に叩きつけた。
 続けて、その視線が緑谷へと向けられる。
「そして……君も君だ、緑谷少年!」
 素早く逃げ道を塞ぐように回り込み、オールマイトは緑谷を見下ろす。
「チームを置いて逃げるのかい?」
「! 駄目っ、緑谷さん!」
 フォローに入ろうとした佐鳥が動くより先に、緑谷が『個性』を発動してオールマイトと距離を取るべく飛び退いた。だが、その先にいたのはオールマイトへと突っ込んできた爆豪だ。二人が空中でぶつかり落ちていくのを見て、佐鳥は二人をサポートすべく『個性』で宙へと跳び上がる。
 だが、そうして佐鳥が他者を気にかける隙を、敵(御守)が見過ごすはずがなかった。

「人の心配をしている場合ですか?」

 気配を感じられなかった。
 声のする方へ目を向けるより早く佐鳥の体には長い数珠が巻きつき、いとも簡単に空中で拘束される。そのまま建物へと叩きつけられた彼女は大きな穴を開けて飛んでいき、その尋常ではない威力を目の当たりにした緑谷と爆豪は愕然とした。
「佐鳥さん!!」
 駄目だ。やはり圧倒的な力の差を見せつけて来るプロに、戦闘で敵うはずがない。
 緑谷の顔に絶望の色が浮かぶ。
「容赦がないな、『チャーム』」
「そうですか? こんなもの、まだまだ序の口ですけどね」
 チャーム。それが御守のヒーロー名であるのはすぐに理解できた。
 オールマイトの言葉に緑谷は聞き覚えのある名前だと思案し、記憶を手繰り寄せる。それは確か、佐鳥が指名を受けたと言っていたヒーローの名だった。
(チャーム……この人が……!?)
 まさかこんな近くにいた人物だったとは、と内心で驚いている緑谷をよそに、縄を掴んでいた御守は違和感に気づいて「おや?」と楽しそうに声を漏らした。
 それもそのはずだ。強い衝撃を与えたはずの佐鳥が縄からすり抜けて真っ直ぐに自分の方へと飛びかかって来るのだから。
 そのまま『見えない土台』に力強く踏み込み、高く跳躍した佐鳥は握りしめていた棍を振り上げ、躊躇いなく御守の頭に目掛けてそのまま振り下ろした。
 それを数珠で難なく防いだ御守は、彼女の体に損傷が少ないことを確認して口角を上げる。
「なるほど。圧縮した空気をクッションにして体への衝撃を軽減しただけでなく、拘束される前に隙間を作るとは……素晴らしい判断力です。佐鳥家の秘蔵っ子と言うのも、あながち冗談ではないみたいですね」
「そんな易い挑発には乗りません」
「挑発? まさか。事実です」
 言い終わる前に御守の足が佐鳥の顎を狙う。すかさず棍を短くして退避した佐鳥に、続けて数珠が鞭のように襲いかかる。佐鳥は間一髪のところで攻撃をかわして反撃に出ようとするが、その動きを読んでいたのか数珠がしなり、素早く行く手を阻んで牽制する。
 ――近づかれるのが嫌なのだろうか。
 距離をとって牽制してくるということは、その間が攻撃の射程範囲外である証拠だ。
 しかし、ヒーローはいつでも己の欠点を克服する者である。苦手と見せかけて相手を誘い込む戦法だったとすれば、迂闊に懐へと飛び込むのはあまりに危険な行為だ。
 特に相手が御守であるならば、なおさら一筋縄ではいかないだろう。
 飛んでくる攻撃を避けながら、佐鳥はチラリと緑谷に目を向けた。彼も形勢が不利であると理解しているらしい。防戦に徹している佐鳥を見て、勝てないと知って尚もオールマイトに挑もうとする幼馴染みを引き止めた。
「佐鳥さんも手が出せない……かっちゃん! やっぱりここは一旦退いて――」
「うるせえ」
「だから! 正面からぶつかって勝てるはずないだろ!?」
 どうしてわかってくれないのか。焦りと苛立ちのまま切実に訴える緑谷に、爆豪もまた苛立ちを込めて「喋んな」と背を向けたまま告げた。
「勝つんだよ。それが……ヒーローなんだから」
 どうしてそこまで彼が『勝ち』に拘るのか。その理由を、緑谷はなんとなくではあるが察しているのだろう。だからこそ、今彼を一人で行かせてはならないとも思っている。
 だが、緑谷が爆豪を引き止める前に、オールマイトが先に動いた。
「とりあえず、逃げたい君にはこいつをプレゼントだ!」
 頭上から降ってきた師の手に、ガードレール。それを呆然と見上げていた緑谷は、あっという間にそれで地面に縫いつけられた。続けて攻撃を仕掛けようとした爆豪の腹部に重い鉄拳が繰り出される。
 衝撃で反吐を吐き出した爆豪は地面に倒れ、身動きが取れない状況にもがく緑谷に気づいた佐鳥がそちらに足を向けようとするも、御守がすかさず攻撃を仕掛けて阻止した。
「随分と余裕がありますねえ。君も僕の手の中だというのに」
「……?」
 御守の言葉に、佐鳥は眉を顰める。それからふと足元に目を向けた時、彼女はあることに気づいた。
 御守の攻撃で抉られた地面の跡――その一部が、八芒星を器用に描いていた。
「! しまっ――」
「もう遅い」
 その場から待避しようと退いた佐鳥だったが、それより早く御守が両手を合わせ、「『スペル』」と口にした。
 それが彼の『個性』を発動させる合図なのだろう。地面に浮かんでいた八芒星が淡く輝き、そこを中心にして佐鳥達のいるフィールド全域を包み込んだ。
「これは……」
「僕の『個性』で作り上げた『個性封じ』の結界です。これだけ広いフィールドですから、効果は限定的になりますが……まあ、君一人封じられれば充分でしょう。他の二人も彼には手も足も出ないようですし」
 言いながら、にっこりと笑った御守の視線が緑谷と爆豪に向けられる。あちらはあちらで、何やらオールマイトが爆豪に話しかけているようだ。
「……あの二人だけでは、オールマイトから逃げることもできないと?」
「少なくとも、爆豪君があのままでは君達に合格はあげられませんね」
 そう言った御守の本音を探すように、佐鳥はじっと彼を見つめた。その途中でさりげなく『個性』を使おうと試みたが、やはり彼の言葉通り『個性』を封じられたようで、大気に反応はなかった。
 その時、緑谷が『個性』を発動し、ガードレールを押し上げて動いた。
 それを確認した佐鳥はポーチへと手を伸ばす。
「……御守先生は誤解しているようですね」
「?」
「先生が思ってるより仲が良いですよ、あの二人。だって、ほら。未だに愛称で呼び合ってるじゃないですか」
 御守が眉を落とし、怪訝な顔をする。緑谷はともかく、爆豪のそれが侮蔑の意味を込めているのだということは把握済みなのだろう。
 しかし、そんな御守の反応とは打って変わり、今度は佐鳥がにっこりと愛想笑いを浮かべた。

「良く言うでしょう? 『喧嘩するほど仲が良い』って」

 その瞬間、勢い良く走り出した緑谷が全力で爆豪を殴った。

「負けた方がマシだなんて――君が言うなよ!」

 それは衝撃の光景だっただろう。
 動く気力を失っていた爆豪にオールマイトがとどめの一撃を繰り出すより先に、緑谷が爆豪を殴ったのだから。
 ――だが、それでいい。
 ――あの二人はきっと、そうやって少しずつ歩み寄るしか道がないのだ。
 二人ともお互いを良く見ているから。お互いを常に意識しているから。だからお互いを良く知っていて、でも理解できない部分が生まれてしまう。
 その理解できない部分が偶然、本当に偶然、相容れなかっただけだ。受け止めきれず、時間がかかっているだけなのだ。
 目を見開いて二人を振り返った御守の隙をついて、佐鳥はポーチから小さな筒を三つ取り出し、彼の足元に向かって投げつける。
 それは煙幕だった。
 シュウシュウと煙を噴き出しながら辺り一面を白く染めたそれは、お互いの視界を完全に遮った。
 そして煙が晴れたあと、佐鳥達の姿は跡形もなくなっていた。
「……ふっ……はは、ははははは!」
 古典的な方法で姿を晦ました生徒達に呆然としていた御守は、我に返ると堪らずといった様子でおかしそうに笑い声を上げた。
 これには近くにいたオールマイトも吃驚だ。肩を震わせ、瞬きしながら御守を振り返った。
「いやいや……すみません、オールマイト。流石と言うべきか、やはり不意をつかれてしまいました」
「いや、私も同じだ。まさか、緑谷少年が来るとは……」
 言いながら、二人は彼らが目指すであろう方向に目を向けた。
 勝ち目がないと悟った三人に残されているのはただ一つ、逃げ切ることだけだ。


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