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01

 ──国立雄英高校ヒーロー科。
 そこは『個性』の犯罪抑止や人道的活動を行う『ヒーロー』の育成を目的とした、毎年三〇〇を超える倍率を叩き出す偏差値約八十の超難関養成校である。定員は一般入試と推薦入試を合わせて四十名。その数少ない枠を勝ち取った者達は並ならぬ実力を持った将来有望の『ヒーロー候補生』である。
 そんなレベルの高い雄英高校ヒーロー科だが、今年はその定員が特別に変更された。推薦入試を通し、一人だけ多く入学を許可された者がいたのである。

「入学早々に体調管理もできずに風邪を拗らせるとか……ヒーロー科なめてんのか、佐鳥」

 プロヒーロー『イレイザーヘッド』こと一年A組の担任である相澤消太は、僅かな不機嫌を隠すことなく目の前の女子生徒を叱責した。
 相澤は時間の無駄をひどく嫌う男だった。『自由』な校風に倣って学校行事である入学式に生徒を参列させず、初日から生徒の実力を確かめる『個性把握テスト』を行うほどである。合理性を重視しているため、とにかく時間の使い方に口煩いのだ。
 だから彼は、初日から三日も欠席したおさげの女子生徒──佐鳥空に些か苛立ちを感じていた。血色の悪い顔をしながらも相手を怯ませるほどの鋭い三白眼で彼女を睨みつける姿は、傍から見ても威圧感があった。
 そんな担任の雰囲気を感じ取った佐鳥は小さな口を噤んだまま、その無表情に僅かな困惑の色を浮かべて静かに腰を折った。
「……申し訳ございません」
 礼儀正しく大人しい印象に相応しい、清らかで透き通る声だった。
 地味で暗い印象を受ける容姿でありながら、誠意と落ち着いた態度を見せるところは流石『ヒーロー科』の生徒と言うべきか。反省をしているのかどうかはその表情と声音から察し難いが、本人なりに思うところがあるのは確かのようだ──と、彼女について詳しく知らない今は、そう信じるしかなかった。
 相澤は深いため息を吐き出す。
「……まあ、俺もお前の『体調不良』については多少は理解しているが」
 責めたところで仕方ないと分かっているが、これだけは言っておくべきだろう。
 後ろ髪を掻きながら相澤は言葉を続けた。
「事情がどうであれ、入学したからにはお前はもう雄英の生徒だ。あまりに欠席が多いと『ヒーローの資格なし』と見做してすぐ除籍処分にするぞ、俺は」
「はい。以後、気をつけます」
 顔を上げた佐鳥は長く伸びた前髪の間から相澤をじっと見つめ、臆することなく頷いた。その表情はいたって真面目そうで、良く観察してみれば顔立ちの良さも伺えた。
 夜を連想させるほどの静けさを纏うその瞳もまた、清らかで強い意志が見え隠れしている。
 そんな彼女の顔をしばらく見つめ返した相澤は、おもむろに机の上に準備しておいたプリントの束へと手を伸ばした。彼女が欠席していた間に配布された保護者宛てのお知らせや、特別課題である。
 それを差し出せば、佐鳥は無言で受け取った。
「とりあえず、欠席した三日分の課題を出してある。今週中に仕上げてちゃんと提出しろ」
「わかりました」
「そんじゃあ……さっさと教室行って挨拶してこい。みんな初日からいないお前のことが気になって仕方ないみたいだったからな。質問攻めになるのは覚悟しとけよ」
 そう言って相澤が顔を背けると、佐鳥はまた律儀に「はい」と返事をした。
 軽く頭を下げ、踵を返してそのまま職員室を出て行った彼女を横目で見送った相澤は、軽いため息を吐きながら視線を手元に向ける。
 そんな小さなため息を耳聡く拾ったのは隣の席に座っていたB組の担任である『ブラドキング』で、彼は楽しそうな声で相澤に話しかけた。
「アレが『例の』推薦合格者か」
「ああ。休みがちだとは聞いていたが、さっそく入学初日から欠席するとは……」
 おかげで彼女の実力だけまだ把握できていない。
 返事をした相澤は小さく肩を竦める。
「見た感じは物静かで癖のあるヤツには見えなかったが」
 ブラドキングの言葉に、確かに、と心の中で相槌を打つ。
 佐鳥は見た目だけならどこにでもいるような大人しい印象の女子生徒だ。しかし、その反面で子どもとは思えないほど落ち着いていて、大人顔負けの堂々とした態度でもあったと思う。
 ──人は見た目では計り知れないものだ。特に、この『超人社会』においては。
 生徒の写真と個人情報が載った紙を眺めながら、相澤はポツリと呟いた。
「……さて、どうだろうな」


 *** *** ***


「今日も来てないんや……」
 朝のHRが始まる前の時間。
 ふと近くで聞こえた女子の呟く声に、学級委員長の飯田天哉とお喋りをしていた緑谷出久は会話を中断してそちらに顔を向けた。
 ぽつりと聞こえた声の主は麗日お茶子だった。飯田と同じく、入学して間もないにも関わらず比較的緑谷と話すことが多いクラスメイトである。彼女は窓際の一番後ろ──学級副委員長の八百万百が座っている、その後ろの一つだけ飛び出た席を見つめていた。
 担任の話によれば、どうやらそこにいるはずの生徒は入学早々に風邪を拗らせたらしい。一度も使われることなく、今日もその席は空白のままだった。
「もう四日目やし、授業とか大丈夫なんかな……」
「相当具合が悪いのかもしれないな」
「えっと、佐鳥さん……だっけ? 先生は個性の影響で体調を崩しやすい子だって言ってたよね」
「うん。あんまり休みが多いと、本当に除籍されるんとちゃうかなって……」
「確かに、相澤先生ならあり得ない話ではないが……事情が事情なら、学校側も考慮して受け入れているんじゃないか?」
 見たこともない生徒を気遣うのはヒーローとして必要な『お人好し』な気質があるからだが、ヒーロー科に所属する数少ない女子であるということも理由の一つだろう。
 A組でただ一人だけ『個性把握テスト』や『ヒーロー基礎学』をまだ受けていない女子生徒。どんな個性なのか気になった生徒が訊ねても、担任の相澤は「本人に聞け」の一点張りで詳細は未知のまま。推薦入試で合格した生徒という情報だけはあるが、同じ推薦組の生徒はその名前に覚えがないというので何もかも謎に包まれたままだ。
 そんな女子生徒は今日もまだ、その姿を見せていない。
 ──個性の影響を受けやすい体質。それは裏を返せば、影響を受けるだけの強い個性の持ち主であるという意味なのではないか。
 子どもの頃からヒーローオタクである緑谷は、これまで見てきた個性の特徴を思い出しながら密かにそう分析していた。まだ見ぬ人物の人柄より個性に興味が惹かれているのは内緒の話だ。
 しかし、それは麗日も同じだったらしい。
「どんな子なんやろ〜。個性とかめっちゃ気になる!」
 ぶんぶんと手を振り、好奇心と謎が解けないモヤモヤした心中を素直に表現している彼女に、緑谷と飯田はただただ苦笑した。

 なんの前触れもなくガラガラと教室の扉がゆっくりと開かれたのは、その時だった。

 一年A組生徒全員がほぼ条件反射で口を閉ざし、教室内は妙な静けさに包まれた。
 時間はHRが始まる十五分前。相澤がやって来るまではまだ時間があるが、生徒達はすでに揃っている。
 だとすれば、誰が教室の扉を開いたのか。それを考えられるのは一人だけだった。
 生徒達の視線が開いた扉に注目すると、一人の女子生徒がするりと潜り抜けてきた。
 時代錯誤のような長い黒髪のおさげに、顔を隠すように伸びた前髪。クラスメイトより少し長い丈のスカート。地味な雰囲気に相まって小柄な身長と憂いを帯びた表情が『病弱そう』だと印象づけるが、その体躯は決して華奢ではない。
 その女子生徒は無言のまま教室に足を踏み入れ、すたすたと教卓付近まで歩いたところで自分に集まる視線に気づき、生徒達の方に顔を向けた。

 教室にいた誰もが、その瞳に息を呑んだ。

 淀みなく真っ直ぐに前を見つめるそれは凪いだ海を連想させるほど静かで、意志の宿った輝きは夜空に浮かぶ星に似た力強さがあった。
 ──吸い込まれてしまいそうな、とても綺麗な目だ。
 比喩ではなく、それ以外に表現する言葉を緑谷は持ち合わせていなかった。
 ぱちり、ぱちり。
 澄みきった瞳が瞬きを数回、繰り返す。
 どうやら自分が注目されている理由が思い浮かばなかったらしい。物憂げな無表情は不思議そうに首を傾げていた。
 けれど、すぐに注目されている理由を自ら導き出したようで、彼女は「あ」と呟いてから軽い握り拳を作り、自分の手の平をぽんっと打った。
「あ、可愛い」
 そんな馬鹿正直な感想を零したのは誰なのか。確認するよりもまず、生徒達は黒板の前でおもむろに言葉を発しようと口を開いた女子に注目していた。
「おはようございます。初めまして、佐鳥空です」
 物静かな雰囲気に相応しい玲瓏な声で簡潔に挨拶を述べたあと、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。続けて顔を上げた彼女は、物憂げな無表情からは想像もできないほど穏やかで優しい微笑を浮かべた。瞳の冷たさを忘れさせるような、とても温かい表情だった。
 刹那、待ち望んでいた最後のクラスメイトの登場にA組の生徒達は驚嘆の声を上げた。それは廊下を歩いていた生徒が何事かと顔を覗かせるほどの騒ぎで、思わず佐鳥が目を丸くし、「もう少し静かに!」と飯田が声を上げるぐらいだ。残念ながら、彼女と話をしたくて仕方ないと言わんばかりに教卓の前に突撃していく生徒達には聞こえていないが。
「ああ、もう! 初対面でいきなり取り囲んだら彼女も驚くだろう……!」
 かく言う彼も入学初日に初対面でガツガツと緑谷に近づいてきた一人なのだが、小言を零しながらクラスメイトに囲まれた彼女のフォローに向かうところは流石『委員長』というべきだろう。
 佐鳥を取り巻く輪に突入していく飯田の背を見送りながら、緑谷は心の中で彼に称賛の拍手を送った。
「これでA組勢揃いやね! 優しそうな子で良かった〜。仲良くなれると良いな……!」
「う、うん。そうだね……」
 嬉しそうに笑う麗日に相槌を打った緑谷は、飯田のフォローによって自席へと案内された佐鳥を見つめる。
 大人しく暗い印象の見た目でありながら、存在感を感じさせる不思議な少女だ。見た目だけなら推薦で合格したなんて俄かに信じられないが、その内側にはまだ自分も見たことのない力が秘められているのだろう。
(でも……なんだろう……?)
 何が引っかかっているのかは分からないが、違和感がある。
 だが、その違和感の正体を探るよりも早く、宝石のような美しい双眸が体ごと振り返った。
 自分の席に向かおうとした彼女の視線が再び教室内を見渡し、意図せず緑谷のそれと視線が交わる。

 見つめ合ったのは、ほんの数秒。
 その間に黒の双眸がほんの少し見開かれ、笑うように細くなる。
 小さな口元に浮かんだ微笑は愛想笑いではなく、その胸の内を素直に伝えていた。

 理由は分からないが、初対面の異性にそんな風に笑顔を見せられては、耐性のない男子は少なからじ照れ臭くなってしまうものだ。
 思わず赤くなった顔を隠すように、緑谷はそっと彼女から目を逸らして俯いた。


 この時、どうして彼女が自分を見て微笑っていたのか。
 それを彼が知るのはもう少し後の話である。


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