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 ──休み時間。
「佐鳥、今日の授業でわからない問題あったか?」
「いえ。今のところはありません」
「そうか……わからない所があったら遠慮なく誰かに言えよ。俺もわかるところは教える」
「は、はあ……ありがとうございます」

 ──昼休み。
「佐鳥。今日の昼はどうすんだ?」
「今日は八百万さんと梅雨ちゃんと教室で食べます。焦凍さんは食堂ですよね」
「ああ……」
「? ……どうかしましたか?」
「……食堂、行かねえか?」
「え? お弁当があるのに……?」
「と、轟君! 早く行かないと食堂混んじゃうよ!?」

 ──ヒーロー基礎学の時間。
「今日の基礎訓練は対人訓練か……佐鳥、相手がまだ決まってないなら一緒に組まねえか?」
「あ、すみません。今日は切島さんと組む約束をしていて……」
「……そうか。じゃあ次は」
「すみません、その次は障子さんという話に……」
「…………じゃあその次」
「その次が緑谷さん、お茶子ちゃん、梅雨ちゃん、葉隠さん、飯田さん、芦戸さんです」
「………………」
「あの……すみません……そんな目で訴えられても……」
「捨てられた犬みたいな目だわ、轟ちゃん」
「どんだけショックやったん……」

 職場体験が終わってからというものの、轟の様子が変だ。
 どう変なのか、と問われれば主に物言わず自分に視線を向ける頻度が多いことなのだが、一度問い質してからはさらにその視線が妙な色を纏っているような、そんな感じがするのである。
 どこか熱さえ込められているそれを見るとなんとも表現し難いむず痒い気持ちになるので、視線を感じてもできるだけ気づかないフリをしてクラスメイト達と話しているが、そんな自分の行動はお見通しとでも言うように轟は隙を狙っては話しかけてくる。無口とまでは言わないが、コミュニケーションにおいては受動的なところが多い彼が(あくまで個人的な主観だが)明らかに接触を増やしてくるのである。
 それ以外は至っていつも通りなのだが、突然のこの変わりようには佐鳥も頭を捻るしかなかった。

「それってさ、単純に好かれてんじゃないの?」

 ガガガガガ、ガタンガタンガタンと激しい物音が響く開発工房の片隅でテスト勉強のために参考書等を机に広げたまま、紙パックのオレンジジュースをストローで飲み干した戸坂の妹に、佐鳥は目を瞬きさせた。
「……好かれている、とは?」
「性的な意味で」
「せ……」
「勇希ちゃん、言い方!」
 話を聞いていた小山内が慌てて手をぶんぶんと振りながら注意する。
 相談を口にした佐鳥もまた、彼女の言わんとする意味を瞬時に理解して顔を赤くしながら咳払いをした。
「仮にそうだとして……何故私を?」
「いや、それは流石にあたしらに聞かれてもねえ……なんか思わせぶりな態度を見せたとか? あんた達最初から距離感バグッてたじゃん」
「そこまでおかしくはなかったかと思うのですが……?」
「あー……うん。まあ、その話は置いとくけどさ」
 飲み終わった紙パックの端を広げ、平たくしたそれをゴミ箱に投げ入れながら勇希は言葉を続けた。
「恋愛的な意味か友達的な意味かは知らないけど、好かれるのはいいコトじゃん。そっとしとけばそのうち慣れるって! ほら、他の奴らも結構遠巻きに空のこと見てるし、同じだと思えばさ」
「そういうものでしょうか……」
「そーそー。……ていうか、そもそも恋愛的な意味だったとして空はどーすんの? 付き合うの?」
 佐鳥は閉口した。答えは否である。
 だが、もし本当に恋愛的な意味が含まれていたとしたら、その想いを轟から告げられることがあれば、自分ははっきりと断れるだろうか。そう考えると絶対的な自信はなかった。
 そんな佐鳥の思考を見抜いているのかはわからないが、勇希はからりと笑った。
「なんだ。満更でもない感じじゃん」
「……断れる気がしなかっただけです」
「ふぅん? まあ、『今は』友達みたいだし? 見ず知らずのクラスの男子よりは仲良い男子の方がそりゃ気まずいか。……ところで、その公式違うんじゃない?」
 言いながら、勇希は佐鳥の手元の問題を指差した。
 今は、を強調されたことに幾分か疑問を抱きながら、指摘された佐鳥は手元の問題を睨んでむっつりと黙り込み、そっと助けを求めるように小山内に視線を向けた。
 自分の間違いがわからないのだと理解した小山内は苦笑しながら説明を始めた。
「そ、それ……さっきの応用なんだけど……」
 佐鳥が今解いているのは苦手な科学の問題だ。緑谷や飯田、八百万から教わりながら懸命に取り組んでいるが、未だに間違いの数は絶えない。
 テストも直前に迫っていることからクラスメイトばかりに迷惑をかけるわけには、とせめて放課後ぐらいは一人で勉強することにしたものの、この様である。
 そこで現れた救世主が経営科の首席である小山内とサポート科の勇希だった。今もまだおどおどと佐鳥を前にして落ち着かない様子だが、小山内は根気良く彼女のテスト勉強に付き合ってくれる。物作りに役立つため科学的な分野は得意だという勇希もその流れで協力してくれることになったのである。
 佐鳥が小山内の説明に耳を傾けながら問題を解いていると、そんな彼女達を見てサポート科のクラスを受け持つパワーローダーがため息を吐いた。
「なんでもいいが君達、こんなところでテスト勉強するんじゃないよ。家でやりな、家で」
「す、すみません……!」
「でも兄貴が終わるまで待ってなきゃいけないし、もうちょっとだけお願いせんせー」
 素直に謝る小山内とは反対に、勇希は注意を軽く聞き流していた。
 佐鳥は作業台で大きな音を立てている戸坂の兄──遥に目を向けた。激しい火花を散らしていた彼は手を止めると、最後にガチャガチャと何かを弄ってパワーローダーを振り返った。
「先生。確認をお願いします」
「はいはい。お前も、今大事な時期だってわかってんのかねえ……」
 ぶつぶつと小言を呟きながら彼の方に歩み寄っていくパワーローダーを見て、「あんなこと言ってるけど優しいよね。流石ヒーロー」と勇希がにやにやと笑いながらこっそり囁いた。
 その言葉に、小山内と佐鳥はこくんと頷いた。
「……でさ、さっきの話なんだけど」
「はい」
「相手の気持ちがわからないなら、向こうからそれらしいアクションを起こすまでは今まで通りにしてあげなよ。気づいて欲しいけど気づいて欲しくないみたいな面倒なヤツもいるからさ」
「そう……なんですか?」
「みんながみんな、好きって気づいてすぐに告白するわけじゃないからねえ。人を好きになるのが恥ずかしいって人もいるし」
「よ、良くわからないなら今まで通りに接してあげるのが一番じゃないかな……どちらにしても、佐鳥さんと仲良くしたいって気持ちはあるんだと思うし……」
「はあ……まあ、避けるつもりはないのですが……」
 小山内がフォローを入れるも、勇希の言葉が複雑すぎるのかまるで解読不能の公式を見たような顔で首を捻る佐鳥。
 しかしこの数秒後、戸坂の作品を最終チェックしたパワーローダーに佐鳥が呼ばれたことで、自然とこの話題は中断されたのである。


 *** *** ***


「体の調子はどうだ?」
「問題ありません。むしろ、最近は調子がいいです」
 仕事がひと段落したとのことで久しぶりに帰宅したサー・ナイトアイの問いかけに、佐鳥はここ数日を振り返って答えた。
 その答えは本来喜ぶべきだが、サー・ナイトアイはどこか物思いに耽るような真剣な眼差しで佐鳥を見つめていた。佐鳥の言葉の真偽を見極めているのもあるだろうが、物言いたげな視線である。
「……先日、保須市で受けた検査の結果だが」
「! ……はい」
「空の『個性因子』に変化が見られたらしい。数日前から『個性』の制御ができないと言っていたが、おそらくはそれが原因ではないかと私は考えている」
「個性因子が……?」
 サー・ナイトアイは頷きながら続けた。
「お前の個性因子は二つある。それは前に説明したと思うが……」
「はい。『千里眼』と『大気操作』、それぞれあるということですよね」
「ああ。本来、異なる個性を受け継いだ時点で体内でその因子が混ざり合うはずだが、お前は特殊な経緯だったせいか、それが分かれたままだった。体調を崩しやすくなったり、『大気操作』の個性が扱い難いのもそれが原因だ」
「? つまり、今回『個性』がいつも通り使えなくなったのは……」
「何らかの理由により少しずつ二つの個性因子が結合したことで、ようやくその『個性』が体に馴染み始めたんだろう。体の調子がいいというのであれば、それはおそらく確定だ」
 なるほど、と佐鳥は納得したように頷いた。
「では、やっぱりしばらくは基礎練習に集中するべきですね」
「そうだな。完全に結合してしまう頃には今までと加減も勝手も変わってくるだろう。それがいつになるかはわからんが……細心の注意は払っておけ」
「了解しました。……ところで、サー。話は変わるのですが」
「なんだ」
 着替えのために部屋に戻ろうとした彼は振り返り、佐鳥を見る。
 佐鳥はいつも通り、無表情だった。
「友達に好意を向けられているって、どういう時にわかるのですか?」
 その時、普段感情を見せない切れ長の瞳が怪しく光った。
 どこか不穏な気配を感じ取った佐鳥は「聞く相手を間違えた」と後悔したが、後の祭りである。どうして佐鳥がそんな質問をするに至ったのか、経緯を知らないサー・ナイトアイは剣呑な雰囲気を醸し出しながら佐鳥に詰め寄った。
「誰かに言い寄られているのか?」
「いえ、そうではなく……」
「お前に彼氏はまだ早いぞ」
「あの、お付き合いを始めたわけでもなくてですね……」
「恋愛も早い」
「あ、はい」
 駄目だ、話を聞いてもらえそうにない。自分から話題を振っておきながら面倒になった佐鳥は諦めて素直に頷くだけに留めた。
 そんな彼女に気づき、サー・ナイトアイは片手で顔を覆い隠すように眼鏡の位置を直しながら落ち着きを取り戻すと、低い声で答えた。
「……そういう感情は本能で感じ取ることが多いだろう。女はそういう直感が良く働くからな」
 もちろん、鈍感な人もいるが。そう付け加えながら部屋の中へとサー・ナイトアイが消えていくのを見送りながら、佐鳥はそういうものなのかと顎に手を添える。
 そして頭に手を置きながら、数日前のことを思い返した。
(……もしかして、あの時のあれがそうなのかな……)
 自分がついているから、と優しく声をかけてくれた轟。その時に触れられた部分は今も彼の体温を感じるようだった。
 その時の彼の目はやはり今思い返してもむず痒いもので、この後も耳まで赤くなっていることに気づいたサー・ナイトアイが眉を顰めたことは知らないまま、思い出しそうになるのを振り払うようにぶんぶんと首を振りながら佐鳥は食事の準備に取り掛かるのだった。


 ──その日、佐鳥は夢を見た。

「空」
 優しく呼びかけるその声を、久しぶりに聞いた気がする。
 部屋の片隅で大人しく読書をしていた佐鳥は顔を上げ、自分を呼んだ人物を視界に捉えようとした。
 しかし、その視界はすぐに真っ暗になる。体を包み込む温もりから、自分が抱きしめられていると気づくのは早かった。
 ──どうして。
 あの一件以来、彼女は一度も自分と目を合わせようとしなかった。心の奥底で自分を恨んでいることも知っている。
 こうして触れられることも、数年ぶりだったと思う。
 ──何かしようとしているのか。
 懐疑的な考えが、妙な警戒心を煽った。
 気味悪さを感じてすぐに抜け出そうと身動ぎしたが、そこで自分を抱きしめる腕が震えていることに気づいた佐鳥は、同時にぽたりと自分の頭上に落ちてきた水滴に何事かと顔を上げた。
 自分を見下ろす彼女は、泣いていた。
 声も上げず静かに涙を流す姿に、ただただ佐鳥は混乱した。
 わかるのは、自分と同じ夜の瞳が深い闇に包まれていることだけだ。
「……おかあさん」
 最後に彼女をそう呼んだのは、いつの話だっただろう。
 忘れかけていたその呼び名を口にしたその時、母の顔がくしゃりと歪んだ。
「……ごめんね」
 そう言って自分の目を覆い隠すように手を押しつけてきた母に、しまったと思ったのも束の間、佐鳥の耳に震える声が響く。


「……しあわせになりなさい」


 ──世界が暗転して、声がした。


「さて……この暴れ馬達、どう拘束したものか……」
 佐鳥は目を見開いた。
 目の前に立つオールマイトが緑谷の腕を掴み上げ、足で爆豪を踏みつけている。緑谷と爆豪の体はボロボロで、明らかに彼から攻撃されたのだとわかる。
 どうしてこんなことになっているのか。教師が生徒を踏みつけているなど、あり得ない光景だ。
 佐鳥は辺りを見渡して、愕然とする。
(……何……これ……)
 彼らが戦闘を行った痕跡にしては建物への被害が酷い。
 爆豪がやったのだろうか。オールマイトが『拘束する』と言ったのは、そういうことなのだろうか。
 ──いや、これが犯行とは限らない。
 ならば、これは──。
 その時、佐鳥はオールマイトの視線が自分に向いたことに気づいた。

 そして、世界が再び暗転する。

 ピピピピ、とけたたましく鳴り響くスマホのアラーム音にビクリと体を震わせて目を開いた彼女は、見慣れた自分の部屋を見渡して深いため息を吐き出した。
 ──あまり見たくない夢だった。
 佐鳥は億劫な気持ちでベッドから体を起こす。


 いよいよ、今日から期末テストが、始まる。


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