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34

「そこ、間違ってるよ」
 ふと視線を上げて向かい側に佐鳥の手元に注目した時、緑谷はそう声をかけた。
 指摘された佐鳥はすぐに手を止め、「う……」と珍しく唸るような声を零して億劫な様子で消しゴムを手に取った。
 丁寧に消したあと、説明を求めるように自分の方へ目を向ける彼女に、緑谷は嫌な顔一つ見せず教科書を指差してアドバイスする。
「それ、さっき説明したやつの応用なんだ。こっちの公式を使って、次にこっちの公式を使うんだよ」
「なるほど……」
 頷いて、佐鳥はまた黙々とペンを動かす。
 今度はしっかりと式を当てはめて計算出来ており、そのまま最後の問題まで順調に解き終わった佐鳥は答え合わせをしてから手を止めた。
「なんとか出来ました……! ありがとうございます、緑谷さん。こんな時間まで付き合っていただいて……」
「ううん。僕もわからないところは佐鳥さんに聞けたし、勉強が捗ったよ。他の科目はなんとかなりそう?」
 緑谷の質問に、佐鳥はすっと顔を背けて明後日の方向を向いた。哀愁の漂うその雰囲気から、まだ課題が残っているのだとすぐに察することができた。
「……科学が……」
「ああ……佐鳥さん、理科が一番苦手なんだっけ?」
 言われてみれば、佐鳥の自主勉強はいつも理科以外の科目だ。それに関しては八百万にも教えを乞う姿を見ていない。
 授業で実験をやっている時も、同じ班になった彼女がぽつりと「苦手だ……」と呟いていた記憶はある。
 佐鳥は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「生物学や元素記号の暗記はまだいいんです……ただ……式にされるともう……」
「あれもほぼ暗記みたいなものだよ……?」
「無理です。脳が考えることを拒否します。教科書を開くのも嫌です」
「即答……!?」
 それほどまでに苦手意識が強いのだろう。佐鳥は駄々をこねる子どものように首を横に振って拒否の意を示した。
「でも佐鳥さん、『個性』で電撃とか放つよね? 轟君からは炎を操ることもできるって聞いたけど……」
「『個性』に関する情報は独学で調べたのですが、流石に元素記号を使った計算式までは……大気中に記号が浮かんでるわけでもないですし、ほぼ感覚で使ってるので……」
 正直なところ、現状は独学と中学生レベルの知識で事足りるらしい。それで自身の『個性』の汎用性を理解しているのだから、むしろ優秀と呼べる方なのかもしれない。
 佐鳥の説明に耳を傾けながら、とことん彼女の学力が偏っているのだと気づいた緑谷は苦笑を浮かべ、どうしたものかと内心で呟いた。
「多分、最初の方で理解が追いつかなかったから余計に苦手意識があるんじゃないかな。とりあえず、明日は科学をやってみようよ。ちゃんと理解していれば、もっと『個性』の使い道が増えるかもしれないし……」
「………………それも……そうですね……わかりました」
 随分と考えながら渋々と返ってきた言葉に、緑谷は「頑張ろうね」と優しく声をかけて励ました。


 そして緑谷がその話題に触れたのは、帰り道だった。
「あの、佐鳥さん……ずっと話そうと思ってたんだけど……」
 誰もいないことを確認してから小さな声で話を切り出した緑谷に、佐鳥は足を止めて振り返る。
 何かあったのか、と不思議そうに首を傾げる彼女の顔を見つめ返しながら、緑谷は意を決して口を開く。
「この前オールマイトから聞いたんだ。僕の『個性』の原点……オール・フォー・ワンのこと……それと、佐鳥さんのことも少しだけ」
「……そうなんですね」
 話しておかなければならないと考えて思い切って打ち明けたことを、佐鳥は気づいているようだった。
 緊張した面持ちの緑谷の心情を察し、佐鳥は静かに相槌を打って話を続けた。
「なら……どうして私が佐鳥家を出たあとも世間から『個性』を隠すことになったのかも……?」
「うん……ごめん」
「謝る必要はないですよ。あの人の判断です。私はその意思に従いますし、緑谷さんも誰かに言いふらすような人ではないと、ちゃんと理解しています」
「うん……」
「ただ……そうですね……それなら、私も正直に伝えるべきなのでしょう」
 言いながらもどこか悩んでいる様子の佐鳥は、意を決したように顔を上げ、真剣な目で緑谷を見つめた。
「私は、彼に救けて頂いた恩を返したい。『平和の象徴』の手助けがしたいと思って『ヒーロー』の道を選んだんです。例えそれが『相棒』という立場になれなくても、多くのヒーローを……あなたを守ることができれば、それだけで彼の救いになると考えていました」
「え……」
 緑谷は息を呑んだ。
 佐鳥は本気だった。生半可な覚悟で言っている様子でもない。
「『象徴の不在』はいつか訪れます。けれどその時、新たな象徴も生まれるでしょう。それはきっと、彼の選んだ後継者であることは間違いないです」
「……本気で言ってる? 僕が、いつか『平和の象徴』になれるって……?」
「もちろんです。そのために私もこの『個性』を使う道を選んだのですから」
 緑谷はなんと言葉を返せばいいのかわからず、再び俯いた。
 ヒーローは守る立場の者だ。決して守られる側ではない。
 けれど、佐鳥はその『ヒーロー』を守りたいと言う。自分を、いつかの未来で『平和の象徴』と呼ばれる存在になると、そう信じている。
 そして、そのためにヒーロー科に来た──それは今改めて彼女の立場を考えると、間違いなく自分を守るために危ない橋を渡っているということだ。
 ──いつ自分の『個性』が狙われるかも、わからないのに。
 未来がどうなるかもわからない、そんな自分のために危険な道を選んだのだと気づいて言葉を失くして佇む緑谷。
 けれど、佐鳥はやや明るい声音で「ですが」と言葉を続けた。
「最近は少し、その考えを改めました」
「……?」
「理由はどうあれ、私も『ヒーロー』を目指す一人です。ヒーロー科の人達はみんな同志で、仲間で、ライバルでもある。……でも、それ以前に私は、緑谷さんの友達でありたいと思います。今はただ、友人としてこれからもあなたを支えたいと思います」
「! ……佐鳥さん」
「だから本当に困っている時は……あなたが一人で抱え込んでしまいそうだと思った時は、例えお節介だと言われても手を差し伸べます。これだけは絶対に譲りません」
 そう言って、佐鳥はいつものように穏やかに微笑んだ。
「デク。その名が例え『平和の象徴』と呼ばれなくとも……私は奴からあなたを守れるぐらい強くなります。あなたに負けないぐらい、強いヒーローになってみせます」
「……僕もだよ。センリだけじゃない、誰にも負けない強いヒーローになる。……今はまだ全然みんなに敵わないけど」
「現実的になりましたね……座学では私の方が劣っていますよ」
「でも、今回の期末の結果はまだわからないでしょ? 苦手だって言ってた数学も克服できそうだし、国語と英語は佐鳥さんの方が圧倒的に有利だもん」
「……期待に応えられるよう、頑張ります」
 そう言って笑い合い、再び二人は帰路を辿って足を動かす。お互いに同じ秘密を共有する者同士、いつか出会う強敵を倒せるぐらい強くなると改めて心に誓いながら──。
「そう言えば最近、焦凍さんの様子がおかしいと思うんですが……」
「へっ!? そ、そうかな……!?」
「ええ。なんだかずっと物言いたげな目で私を見ていることが多くて……気になって聞いたら『なんでもない』と言われたんですが、緑谷さんは何か聞いていませんか?」
「え、いや僕は……えっと……あの……轟君も、人に言えない悩みがあるんじゃないかな……?」
「そう、なんですか……? 悩み……私が何かしたんでしょうか……」
「そうじゃないと思う!! 気にしない方がいいんじゃないかな!?」
 本気で悩んでいる彼女に、轟の様子がおかしいという原因を察している緑谷は全力で否定した。
 なんとなく察してはいたが、佐鳥は自分に向けられる感情に鈍感過ぎる。そして変なところで素直だ。今も力いっぱい否定した緑谷の言葉をそのまま受け止め、「緑谷さんがそう言うなら、気にしないでおきます」と大人しく詮索を諦めた。
 それに一先ず胸を撫で下ろした緑谷だが、このあと一人になった彼はふと、やけに佐鳥が自分の言うことを素直に聞き入れていることに気づいた。
(前も同じようなこと言ってたけど……なんか佐鳥さん、僕のこと信用し過ぎじゃない!?)
 友人に信用してもらえるのは喜ばしいことだが、その真っ直ぐな信頼があまりに純粋すぎる。
 嬉しいけど、気恥ずかしい。そんなむず痒いような気持ちが胸の内を渦巻き、緑谷は顔を赤くしながら頭を抱えた。
 決してそういう意味ではないけれど、彼女に惹かれてしまう人の気持ちが少しだけわかるような気がした。


 *** *** ***


 ──時は流れ、六月最終週。
 期末テストまで残すところ一週間を切ったA組では、芦戸と上鳴の悲鳴が上がった。
「全く勉強してね──!!」
 正しくは、上鳴の悲鳴だけだ。芦戸は諦めが勝っているのか、終始笑い声を上げている。
「体育祭やら職場体験やらで全く勉強してね──!!」
 そう言って頭を抱える上鳴は中間テストではクラスで最下位。芦戸はその次だ。
 呻く上鳴の言葉に「確かに」と同意したのは十五位の成績だった常闇である。
 続けて、話を聞いていた砂藤(十三位)が前の座席に座る口田甲司(十二位)に話しかける。
「中間はまぁ、入学したてで範囲狭いし特に問題なかったんだけどな……行事が重なったのもあるけど、やっぱ期末は中間と違って……」
「演習試験もあるのが辛えとこだよな」
 砂藤の言葉を繋いだのは中間テストで九位の成績を峰田だ。
 足を組み、机に肘をつき、余裕の笑みを浮かべながら言った峰田に、上鳴と芦戸は血相を変えて指を差した。
「あんたは同族だと思ってた!」
「お前みたいな奴はバカではじめて愛嬌出るんだろが……! どこに需要あんだよ……!!」
「『世界』かな」
 余裕の表情で応える峰田に二人は苦虫をみ潰したような表情になる。
 そこで、食堂に行こうと集まっていた成績上位者達が声を上げた。
「アシドさん、上鳴君! が、頑張ろうよ! やっぱ全員で林間合宿行きたいもん! ね!」
 ──四位の緑谷。
「うむ! 佐鳥君のように努力すればなんとかなるさ!」
 ──二位の飯田。
「普通に授業うけてりゃ赤点は出ねえだろ」
 ──五位の轟。
「言葉には気をつけろ!!」
 フォローしていた緑谷と飯田はともかく、最後の轟の言葉は耳が痛かった。上鳴は自分の胸を鷲掴みながら吠えた。
 そんな中、八百万にわからないところを聞いていた佐鳥(十位)もまたがくりと項垂れて落ち込んだ声を上げた。
「私……もう無理です……」
「流石の佐鳥もダウンしてる!」
「そりゃ毎回休み時間もずっと勉強してっからな……」
「お腹が空いて……力が出ません……」
「って、ただの空腹かよ!! 早くメシ食いに行けよ!!」
 あんぱんヒーローかよ、という上鳴のツッコミを受けながらフラリと立ち上がる佐鳥。その顔は思わず緑谷と麗日が口を揃えて「大丈夫?」と声をかけてしまうほどげっそりとしていた。さっきの授業は彼女が苦手な科学の時間だったのだ。それも相俟って相当疲労が溜まっているようだった。
 そんな中、A組トップの座学の成績を誇る八百万が上鳴と芦戸に声をかけた。
「お二人とも。座学なら私、お力添え出来るかもしれません」
「「ヤオモモ────!!」」
「演習の方はからっきしでしょうけど……」
 ぽつりと聞こえた声に、佐鳥と轟が振り返る。
 先程の佐鳥と同じく項垂れる八百万を佐鳥は眉を寄せてじっと見つめ、その隣にいた轟はただ不思議そうに首を傾げるだけだった。


「普通科目は授業範囲からでまだなんとかなるけど……演習試験が内容不透明で怖いね……」
「突飛なことはしないと思うがなぁ」
「まだなんとかなるんや……」
 緑谷と飯田の会話を聞いていた麗日がぽつりと呟いた。
 葉隠と蛙吹も彼らに続いて口を開く。
「一学期でやったことの総合的内容」
「とだけしか教えてくれないんだもの、相澤先生」
「戦闘訓練と救助訓練。あとはほぼ基礎トレだよね」
「あ、それなら──」
「あイタ!!」
 麗日に続いて佐鳥が声を上げたその時、緑谷が悲鳴を上げた。
 佐鳥はすかさずその悲鳴の原因に目を向け、口を閉ざす。
 緑谷の後ろにわざと佇んで肘をぶつけたのはB組の物間寧人だ。彼は澄ました顔で緑谷達を見下ろすと、厭味ったらしく言葉を放った。
「ああ、ごめん。頭大きいから当たってしまった」
「B組の! えっと……物間君! よくも──」
「君ら『ヒーロー殺し』に遭遇したんだってね」
 抗議の声を上げようとした緑谷に、物間がすかさず言葉を重ねて遮った。
「体育祭に続いて注目を浴びる要素ばかり増えてくよね、A組って。ただ、その注目って決して期待値とかじゃなくてトラブルを引きつける的なものだよね」
 責めるような口調で告げられた言葉に、ぐっと緑谷達は言葉を飲み込む。彼の言うことは事実なので返す言葉もなかった。佐鳥もむっとした表情ではあったが、唯一轟だけが無視して食事の手を止めずにいたので、それに倣って食事を続けた──が。
「あー怖い! いつか君達が呼ぶトラブルに巻き込まれて僕らにまで被害が及ぶかもしれないなあ! 疫病神に祟られたみたいに」
 ぴくりと佐鳥の手が不自然に止まる。
 それに気づいたのは向かい側に座る轟だけだ。静かに手元から彼女の顔へと視線を動かすと、俯いたまま物間の言葉に耳を傾けている佐鳥は目を見開いたまま硬直していた。
 一瞬で食卓に気まずい空気が流れるが、しかし、その淀んだ空気は物間の後ろから現れた拳藤一佳により払拭された。
「ああ怖──ふっ!!」
「しゃれにならん。飯田の件知らないの?」
 力強い手刀が物間の首に落ち、物間は一瞬で地面に伏した。
 すかさず彼の持っていたトレーを奪い取り、拳藤は緑谷達に謝った。
「ごめんな、A組。こいつちょっと心がアレなんだよ」
「拳藤君……」
「あんたらさ、さっき期末の演習試験不透明とか言ってたね。入試ん時みたいな対ロボットの実践演習らしいよ」
「え!? 本当!? なんで知ってるの!?」
「私、先輩に知り合いがいるからさ。聞いた」
 ちょっとズルだけど、と言って笑う拳藤に、目を丸くする緑谷はいつもの癖で顎に手を添えてぶつぶつと呟きながら否定した。
「ズルじゃないよ! そうだきっと前情報の収集も試験の一環に練り込まれてたんだ。そっか先輩に聞けば良かったんだ。なんで気づかなかったんだ」
「…………!?」
 その勢いに思わず拳藤が言葉を失っていると、意識を取り戻した物間が苦し紛れに声を絞り出した。
「バカなのかい拳藤。せっかくの情報アドバンテージを!! ココこそ憎きA組を出し抜くチャンスだったんだ……」
 顔を上げた物間の首にトスッと再び手刀が落ちる。
「憎くはないっつーの」
 言いながらずるずるとクラスメイトを引きずって行く拳藤。その姿からB組の姉御的存在なのだと想像するのは容易かった。
「こ、怖いね……物間君……」
「同じヒーロー科だから、悪い子ではないのでしょうけど……」
「あ、そう言えば佐鳥さん、さっき何か言いかけて……佐鳥さん?」
 料理を見つめたまま固まっている佐鳥に気づき、緑谷は眉を寄せる。不思議に思って声をかけると、彼女はようやく我に返って緑谷に目を向けた。その瞳に隠しきれない動揺が浮かんでいることに気づいて、飯田と緑谷は彼女の心情を察して眉を顰めた。
「えっと……大丈夫?」
「顔色が悪いぞ」
「はい……平気です。少し、考え事をしていただけで」
 言いながら、佐鳥は残っていた料理を急いで口に放り込み、咀嚼もそこそこに飲み込むと我先にと席を立った。
「すみません……お先に失礼します」
 まるで逃げるように一人だけその場から立ち去って行く佐鳥に女子は首を傾げ、緑谷と飯田は互いに顔を見合わせる。
 そんな中、彼女と同じく静かに食事を進めていた轟もまた食事を終えて箸をおいた。
「悪い。ちょっと佐鳥に話があるから、俺も行く。お前らも早く食べないと時間がなくなるぞ」
 そう言って佐鳥のあとを追いかけていく轟。
 ぽかんと二人を見送った緑谷と飯田を前に、葉隠は鼻息を荒くして握り拳を作った。
「ラブの予感……!!」
「らぶの予感……?」
「透ちゃん、好きね」
 葉隠の言葉に蛙吹と緑谷は苦笑し、飯田は不思議そうに首を傾げる。
 そんな彼らの会話を、麗日だけは一人ぼんやりと聞いていた。


 *** *** ***


「佐鳥」
 食堂を出てすぐ、真っ直ぐに教室に戻らず食堂周辺に生えている林へと足を向けていた佐鳥は、自分の後ろから追いかけて来る轟に気づいて足を止めた。
「焦凍さん……どうかしたんですか?」
「物間の言葉、気にしたんじゃねえかって……」
 思い悩んでいる様子に気づいて追いかけて来たのだという彼に、佐鳥は目を丸くしてからやんわりと微笑む。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
「……お前の『大丈夫』はあんまり信用できねえんだが」
「今回は本当に大丈夫です。ただ……動揺したのは事実ですが……」
 言って、佐鳥は視線を下に落とした。
「いつか、私は……物間さんと同じ言葉をみんなに言われるかもしれないんですね」
「……そうだな」
「覚悟の上で始めたんです。なのにさっき、今になって怖気づいてしまいました。嫌われ者になるのは慣れているはずなのに……」
「……」
 轟は何も言わず佐鳥の弱音に耳を傾ける。
 だが、佐鳥はそれ以上自分の胸の内を吐露することはしなかった。
「……すみません。今のは忘れてください。すでに巻き込んでしまったあなたに言うべきじゃなかった」
「別に、構わねえよ。俺は自分の意思でお前に手を貸してんだ」
 言いながら、轟は佐鳥に歩み寄って彼女の頭に手を置いた。
「誰に何を言われても、俺がいる。だから……あんま自分を追い詰めるな。一人で考え込むと俺みたいになるぞ」
 俯いていた佐鳥は轟の顔を見上げた。
 色違いの双眸が何を考えているのかはわからない。しかし、その涼やかな瞳から穏やかな温もりを感じる。
 佐鳥は瞬きを繰り返しながら彼の目を見つめ返していた。
 一向に返事をしない彼女に、ぼんやりしていると気づいた轟は首を傾げた。
「おい、聞いてるか?」
「! あ、はい。すみません」
「?」
 我に返ると慌てた様子でぱっと背中を向けてしまう佐鳥。
 そのまま両手で顔を押さえている彼女に、今度は反対側に首を傾げる轟。

 彼女の白い頬が少し赤らんでいることに気づくのは、まだもう少し、先の話になる。


 *** *** ***


「「やったぁあ〜!!」」
 放課後、緑谷達から演習試験の内容を聞いた芦戸と上鳴は安心して声を上げた。
「んだよ、ロボならラクチンだぜ!!」
「ホントホント!!」
「お前らは対人だと『個性』の調整大変そうだからな……」
「ああ! ロボならぶっぱで楽勝だ!!」
「私は溶かして楽勝だ!!」
「あとは八百万に勉強教えてもらえば、期末はクリアだな!」
「「これで林間合宿バッチリだ!!」」
 両手を上げて喜ぶ二人に、帰り支度を済ませた爆豪が低い声で一蹴した。
「人でもロボでもぶっとばすのは同じだろ。何がラクチンだ、アホが」
「アホとはなんだ、アホとは!!」
「うるせえな、調整なんか勝手にできるもんだろ、アホだろ!」
 上鳴が抗議の声を上げると、爆豪はさらに目を吊り上げて怒鳴り返す。
 その勢いに上鳴と芦戸は怯み、口を閉ざした。
 しかし、苛立ちの籠った爆豪の視線はすぐに二人からとある人物へと向けられた。
「なあ!? デク!」
「!」
 名前を呼ばれた緑谷は考え事を中断し、びくりと肩を震わせて爆豪に目を向ける。
「『個性』の使い方……ちょっとわかってきたか知らねえけどよ。てめェはつくづく俺の神経逆なでするな」
「あれか……! 前のデク君、爆豪君みたいな動きになってた」
「あ──! 確かに……」
 すぐに思い当たった麗日の言葉に、芦戸も先日の救助訓練で行ったレースを思い出す。
「体育祭みてえなハンパな結果はいらねえ……! 次の期末なら個人成績で否が応にも優劣つく……! 完膚なきまでに差ぁつけて、テメェぶち殺してやる!」
 言いながら、爆豪は緑谷に人差し指を向けた。
 そして、その視線が次に轟と佐鳥にも向けられる。
「轟ィ、佐鳥ィ……!! てめェらもなァ!!」
 そう吐き捨てたあと、爆豪は勢いよく扉を開いて教室を出て行った。
 静まり返った教室の中で、切島がぽつりと呟いた。
「……久々にガチなバクゴーだ」
「焦燥……? あるいは憎悪……」
「そうですね……どちらもあるかもしれません」
 常闇の言葉に、佐鳥が静かに同意した。
 爆豪の宣戦布告に耳を傾けながらも平然と帰り支度を続けていた佐鳥は、鞄を肩にかけると爆豪の出て行った扉を見つめて首を傾げる。
「ところで私……座学の成績は爆豪さんの足元にも及ばないんですけど、どうして宣戦布告されるんでしょうか……?」
「お前だけ国語と英語で満点取ってたからだろ」
 心底不思議そうな彼女に、轟はしれっと答えた。
 それにぎょっと上鳴と芦戸が目を剥いた。
「満点!? 嘘だろ!?」
「それでなんで中間十位なの!?」
「理科と数学が半分ぐらいしかなかったからです。社会は八割ぐらい……」
「何その偏った学力!?」
「英語はともかく、国語は教科書さえ読んでいればなんとかなると思いますが……」
「お前もか!! 言葉には気をつけろ佐鳥ィ!!」
「ジャパニーズでも日本語がわからないピーポーはそこら中にいるんだよ!!」
「あ、はい……すみません」
 完全に失言だったらしい。
 ギラリと怪しく光る目を向ける上鳴達に、佐鳥は素直に謝罪する。
 そこで、彼女ははたと動きを止め、とあることに気づいた。
 その表情があまりに驚きに染まったので、全員が首を傾げた。
「空ちゃん、どうかしたの?」
「思えば私……今初めて爆豪さんに名前を呼ばれた気が……」


 数秒後、普段の爆豪の佐鳥に対する呼び方を思い返した全員が「本当だ!?」、「轟もじゃね!?」と驚きの声を上げたのは言うまでもない。


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