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「えー、そろそろ夏休みも近いが……もちろん君らが一ヶ月休める通りはない」
 帰りのHR、教壇に立つ相澤が神妙な面持ちでそう話し出すと、『夏休み』というワードにA組の生徒達は「まさか」と期待を込めた眼差しで固唾を呑みながら言葉の続きを待った。

「夏休み、林間合宿やるぞ」

「「「知ってたよ──やった──!!」」」

 教室内が瞬く間にワッと歓声に包まれて騒がしくなり、相澤の眉間に皺が寄る。
 しかし、『林間合宿』はヒーロー科の生徒にとって待ちに待った楽しみの行事の一つである。湧き上がる興奮から生徒達が相澤の表情の変化に気づくことはない。
「肝試そ──!!」
「風呂!!」
「花火」
「風呂!!」
「カレーだな……!」
「行水!!」
「自然環境ですと、また活動条件が変わってきますわね」
「いかなる環境でも正しい選択を、か……面白い」
「湯あみ!!」
「寝食みんなと!! ワクワクしてきたァ!!」
「にゅ──」
「峰田さん」
 怒気を孕む佐鳥の鋭い呼び声に、自分の欲望を包み隠さず曝け出して叫んでいた峰田はすかさず両手で口を押さえた。
 そこに合わせて鋭い眼差しの相澤が髪を逆立てながら「ただし」と口を開くと、教室内に沸き上がった歓声は一斉に止み、しーんと静まり返る。

「その前の期末テストで合格点に満たなかったやつは、学校で補習地獄だ」

「「みんな頑張ろ──ぜ!!」」

 赤点のペナルティを耳にした切島と上鳴が形相を変えて全力で鼓舞した。もちろん、林間合宿をみんなで楽しみたいという理由もあるが、それ以上に『補習地獄』になると学校に置いてけぼりになるだけでなく演習でも周りとの差ができてしまうからだ。
 そんな二人を筆頭に、現実を目の当たりにしたA組は瞬く間に阿鼻叫喚に包まれた。
 相澤の話が終わったあとも「どうしよう」、「勉強全然できてない」なんて声があちこちから聞こえてくる。それに耳を傾けながら、佐鳥は黙々と帰る準備を済ませて鞄を肩にかけた。
「あの、佐鳥……ちょっといいかな?」
「? 尾白さん、どうかしましたか?」
 佐鳥は帰ろうとしていた足を止めて首を傾げた。
 緊張した面持ちで声をかけてきた尾白は、佐鳥と目が合うと少しだけ気恥ずかしそうに頭の後ろに手を置きながら口を開いた。
「あのさ、期末テストって演習試験もあるだろ? もし佐鳥さえ良かったら、どこかで一緒に個性訓練とかできないかなって……」
「『個性』の訓練……ですか?」
「うん。佐鳥、武術に長けてるし相手に会わせて戦術変えたりするの得意だろ? 正直、同じ武闘派としては佐鳥の動きが勉強になることもあるからさ」
 ぱちくりと瞬きを繰り返し、佐鳥は目の前に立つ尾白を見上げた。
 クラスメイトからこういった頼み事を受けるのは初めてのことだ。訓練を一緒にしたいという申し出も佐鳥としても有難いものだった。
 やんわりと微笑んだ佐鳥は大きく頷いた。
「そういうことでしたら、もちろん喜んで協力します。『個性』の使用を制限されていたので、自主訓練をどうするか悩んでいたんです」
「? そうなんだ」
「前に基礎学の授業でコントロールが上手くできない時があったので……家の人が心配して、しばらくは基礎練習だけにした方がいいと」
「あ、じゃあ誘ったらまずかったんじゃ……」
「今はなんとか使えるようになっているので、普段の使い方であれば大丈夫だと思います。流石にテスト対策で基礎練だけを続けるのもどうかと思いますし……私としても体を動かしたいので、むしろ誘っていただけて有り難いです」
「そ、そっか。良かった」
 佐鳥がそう答えると、尾白は安心したように笑った。
「む。二人とも『個性』の訓練をするのかい?」
「ああ。飯田も一緒にどうだ?」
「そうだな……佐鳥君と訓練するのは初めてだ。是非、ご一緒させてくれ!」
「あ、俺もいいか? 佐鳥とは授業でもなかなか当たんなくてよォ……」
「もちろんです。こちらこそ、お願いします」
 話を聞いていた砂藤がおそるおそる声をかけると、佐鳥を筆頭に尾白と飯田も笑顔で受け入れる。
 やる気が出てきた、張り切って頑張ろうぜ、と盛り上がる尾白達を見ていた佐鳥は、そこでふと、自分を凝視している視線に気づいて顔を向ける。
 じっと自分達を見ていたのは轟だ。しかし、物言いたげな視線を向けていた彼は佐鳥が顔を向けるとふいっと顔を背ける。
 そして一緒に帰ろうと声をかけてくる緑谷に意識が向くと、そのまま背中を向けてしまった。
「……?」
 今のはなんだったんだろうか。佐鳥は首を捻るが、だからと言って安易に『個性』を使うわけにはいかない。
 ――不便だな。
 これまではこっそり相手の心の中を覗くこともできたが、すでに『個性』を教えてしまった今、それをするのはなんだか憚られる。
 そもそも、他人の心などわからないのが普通だ。気になるが、相手が話しかけてくるまではそっとしておくのが一番だろう。
 佐鳥は何事もなかったようにいつ訓練を行うか話し合う飯田達との会話に意識を戻した。
 しかし、その翌日から度々轟の視線を感じることが増え、目が合う度に視線を逸らされる佐鳥は終始首を傾げることになるのであるが、この時の佐鳥はまだそんなことは想像もしていなかった。


 ──そう、物事には限度というものがある。
「あの、焦凍さん……何か御用ですか?」
「え」
「このところ、ずっと視線を感じるのですが……」
 連日のように視線を向けて来る彼に我慢できず、二人きりになったタイミングを狙って問い質した佐鳥に、声をかけられた轟は目を丸くしてから俯く。
「わりぃ……無意識だった」
「何か話したいことでも?」
「いや、話したいことがあったら話しかけてる」
「……まあ……それもそうですね……」
 言われてみれば確かに、とこれまでの轟の行動を振り返って佐鳥は納得した。
 なら、どうして彼は自分を見ているのか。観察でもしているのだろうか。
 訳がわからず何と言うべきか首を捻っていると、轟がハッとした様子で顔を上げた。
「なあ、佐鳥の『個性』って相手の心が見えるんだよな?」
「え? ええ……」
「最近、変な感覚が続いているんだ。俺もどう言えばいいのか良くわかんねえけど……」
「? ……病気ですか?」
「いや、そういうんじゃなくて……よくわからない気持ちなんだ」
 佐鳥はますます混乱したように首を捻り、困った顔をした。
「……つまり、今自分の中にある感情の区別がつかない……ということですか?」
「ああ」
「そういうことであれば残念ですが……私の『個性』は考えていることを文字にして見たり、過去に経験した記憶を映像として見るものです。どういう感情からそういう考えに至ったかは推測するしかありません」
「! ……そうだったのか」
「ええ。なので、焦凍さんがその不可解な感情をどういう時に感じているのか想像してくだされば何かわかるかもしれませんが……」
「いや、いい。それはちょっと……困る」
 救けを求めていたはずの轟は、すぐに首を横に振った。
 感情は見られても良いが、事の成り行きは知られたくないらしい。そんな我儘、一体どうしろというのか。
 また俯いてしまった轟に、佐鳥もまた途方に暮れて静かに肩を竦める。
 その時、二人に近づく一人の男子生徒がいた。
「佐鳥さん」
 佐鳥は振り返り、轟も顔を上げた。
 声をかけてきたのはC組の心操だった。彼と言葉を交わすのは体育祭以来で、佐鳥は目を丸くしながら彼と向き合う。
「ああ、心操さん……お久しぶりです」
「うん。……ごめん、取り込み中だった?」
 言いながら、心操の視線がちらりと轟に向けられる。
 その視線を真っ向から受け止めた轟は何か言いたげに眉を顰めたが、困ったように自分達を交互に見やる佐鳥に気づくとフイッと顔を背ける。
「……先に教室に戻る」
「あ、はい……」
 早足でその場を去って行く彼を見て、佐鳥はぽかんとした。その後ろ姿がどこか機嫌の悪いような気がしたのは気のせいだろうか。
 本当にどうかしたんだろうか、と気にかけていると、そんな二人を見た心操が首の後ろに手を置いて困ったよう口を開いた。
「あー……ごめん。声かけなかった方が良かった」
「いいえ、そんなことは……ごめんなさい。彼、最近ちょっと調子が悪いみたいで」
「それ、佐鳥さんが謝る必要なくない? ほんとお人好しだよね」
「友達、ですから」
「『友達』ね……」
 意味深に佐鳥の言葉を繰り返し、心操はもう一度ちらりと轟が去った方向を見て呆れたように笑いを零した。
 それに対し、佐鳥も困ったように曖昧に笑う。
「……職場体験、大変だったって聞いたけど、思ったより元気そうだな」
「! ……はい。おかげさまで。心操さんは……ちょっと体格が良くなってませんか?」
「俺、本格的にヒーロー科に入るための訓練を始めたんだ。あんたには隠してもいつかバレそうだから、見かけたら先に伝えておこうと思って」
 そう言った心操の声音と目が真剣な色を宿した。
 その雰囲気から本気であると伝わり、佐鳥は目を瞬かせてから優しく笑う。
「……そうなんですね。無理なトレーニングを行っているようには見えませんし、ここにはたくさんのプロヒーローがいますから、きっと良い師に巡り合えたんだと思いますが……」
「うん。だから……俺、負けないよ。あんたにも、緑谷出久にも」
「ふふ……はい。私も負けるつもりはありません。緑谷さんもそれを聞いたらますます張り切っちゃうと思いますよ」
「絶対言わないけど」
「ええ……言ってあげてください。心操さんがヒーロー科来ることになったら絶対に喜びますから」
「言わない」
 頑なに緑谷と口を利くつもりはないようだ。素っ気ない態度で拒絶の意を示す彼に少し残念に思いながら、それでも諦めずに這い上がろうという決意を自分に表明してくれた彼に、佐鳥は朗らかに微笑んだ。
 そんな自分を見て、また轟が苦い顔をしていることも気づかずに。


 *** *** ***


 ──名前を言葉にするだけで、文字にするだけで、心が震える。

 そんな恋に憧れていると恥ずかしそうに話す声が脳裏を過った途端、ノートを滑っていたペンがぴたりと動きを止めた。続けて心操と楽しそうに話していたところを思い返して、ポキリとペンの先が折れてどこかへと飛んでいく。
 一人になるとごちゃごちゃと色んなことを考えてしまうのは自分の悪い癖だ。だから家で勉強をするのは気が紛れて落ち着く。
 そう考えていたのに、どうやら今日はそれすら集中できないらしい。
 明らかに間違っている英語の綴りを見て、億劫な気持ちで轟は自室の床に倒れ込んだ。畳から仄かに香るイグサの匂いを吸い込むと、疲れの混じったため息が零れ落ちた。
(なんか……調子出ねえな……)
 原因はわからないが、佐鳥がラブレターを貰ったという話を聞いてから落ち着かない気分なのだ。特に、佐鳥がクラスメイト達と話している姿を見ると自分の腹の内でモヤモヤとした感情がずっと渦巻いている。なのに彼女と目が合うと、その真っ直ぐに自分を見つめる瞳に少し気恥ずかしさも感じて、なんとなく視線を逸らしてしまうのだ。
 その理由を考えていたおかげで、ずっと上の空になっていたようだ。学校では、声をかけてくれたことに気づかなかったせいで飯田や緑谷に心配をかけてしまった。
 当の本人である佐鳥も轟の異変には気づいていたようで、何度も視線が交わる度に目を逸らす轟に「どうかしたのか」と不思議そうに首を傾げていた。
 その時にふと、彼女が自分の胸の内を見れば何かわかるのだろうかと期待したが、残念なことに佐鳥の『心を視る』という能力は文字通り相手が過去に見た景色などを映像として見るか、その時に考えていることがわかるというものだったらしく、そこに付随する感情は推測でしか把握できないそうだ。
 答えは手探りで自ら見つけるしかない現状に、轟は途方に暮れていた。
「え、何。どしたの、焦凍?」
 畳に大の字で転がっている弟を見つけ、冬美は目を丸くしながら歩み寄った。
「疲れた? 何か飲む? 私、今からお茶飲もうと思ってるんだけど……」
「ん。飲む」
 素直に頷くと、冬美は優しく笑って「準備するね」と部屋を後にした。──と思いきや、彼女は何かを思い出したように足を止めて振り返った。
「あ! そうそう。前にお母さんが、空ちゃんのお母さんと手紙のやり取りしてたって言ってたでしょ? あの時の手紙、出てきたよ」
「!」
「片付けしていたらお母さんの部屋から出てきたの。その中に写真が入ってたんだけど……」
 轟はすぐに体を起こした。
「それ、見せてくれ」
「え。いいけど……」
 冬美が見つけた手紙と写真は色褪せてしまうほど古い物だった。
 写真は二枚あり、一枚目は母親と赤子が写っている。もう一枚は、おそらく個性が発現していない頃の写真だろう。仲睦まじそうに並ぶ夫婦の間に、彼らと手を繋いで嬉しそうに笑っている小さな子どもがいた。
 轟は、その子どもの花が咲くような笑顔に釘付けになった。
(あいつ……こんな風に笑えていたのか……)
 今の彼女も、決して笑っていないわけではない。だが、控え目にくすくすと笑うことはあっても、こんな風に屈託なく歯を見せる笑い方は一度も見せたことがなかった。
 続けて手紙の方へ目を向ける。綺麗に整った字は佐鳥のものと良く似ていた。丁寧な言葉で綴られた文章はどれも娘の成長を願い、轟の母である冷を心配するものばかりだった。中には同い年になるであろう轟とも会わせてあげたいという言葉が綴られており、もしお互いの家庭がこんな環境でなけば、きっと自分達の関係はもう少し違うものになっていたのだと安易に推測できた。
 真剣な表情で写真を食い入るように見つめる弟を見て、冬美は目を瞬かせながらも静かに微笑む。
「……それ、焦凍が持ってていいよ」
「! いいのか? これはお母さんに……」
「お母さんには私から話しとくから、もし空ちゃんが見たいって言ったら渡してあげて。空ちゃん、お母さんと離れ離れなんでしょ? ヒーロー目指すぐらいしっかりした子だけど、まだ高校生だもん。家族が恋しくなっちゃうことだってあったかもしれないし……」
「……そう、だよな……」
 轟には母の代わりに姉がいた。あまり話すことはなかったが、兄もいた。良好な関係ではないが父もいた。
 だが、佐鳥には育ての親はいても、血の繋がった家族は一人もいないのだ。そんな素振りを見せなかっただけで、寂しかったり、悲しかったりすることもあったかもしれない。
 そこで、ふと轟の目に佐鳥の名前について書かれた文章が目に入った。
『──娘は空という名前を付けました。佐鳥空です』
 とても素敵な名前でしょう、と綴られた文章から慈しむ気持ちが滲んでいるのが伝わってくるようだった。写真で見る母親の顔もとても優しいもので、以前佐鳥の口から語られた娘を疎ましく思う態度は想像できない。
 轟はその名前をじっと見つめ、静かに呟いた。
「……佐鳥……空……」
 何気なく呟いたその名前を、もう一度心の中で反芻する。
 その時、呼応するように心臓が大きく脈を打った。いつか彼女のハンカチを拾った時、その名前を呟いた時には感じなかったものだ。
 同時に、写真の中にいる幼い彼女のように笑う佐鳥を想像した。
(……ああ、そうか)
 ──理解、した。してしまった。
 じわじわと頬に熱が籠るような感覚に戸惑いを感じながら、静かに口元を覆い隠す。
 どうして、なんで。だって、今までは普通だった。ついこの間、自分達は友達だと、仲間だと確認し合ったばかりだ。それなのに、こんなのって、有りなのだろうか。
 だけど、自分で導き出した答えに安心している自分もいる。ちょっぴり気恥ずかしい気持ちもあるけれど、納得して、受け入れてしまっている。
 ふと彼女を視界に入れてしまう理由を、人一倍その存在を気にかけてしまう理由を、何より自分以外の異性と話している時のあの感情を、認めざるを得なかった。
「〜〜〜〜〜〜っ」
「……?」
 気づいてしまって、それからどうすればいいのか。
 悩みながら静かに机に突っ伏した弟を見て、彼の様子がおかしいこと気づいていた姉は「疲れてるのかな……?」と心配そうに見つめながら首を傾げるのだった。


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