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32

「え〜〜っ!? ラブレターを貰ったぁ!?」
 朝から教室に響いた芦戸の声に、クラスメイト全員が視線を向ける。緑谷と轟も例に漏れずその一人で、談笑を止めて聞こえてきた話題に視線を動かした。
 芦戸の席周辺に佐鳥を除いたクラスの女子が集まっている。
「佐鳥が!?」
 その名前に、緑谷は「え」と目を丸くした。まさか、よりによってそんな話題に彼女の名前が挙がるとは思いもしなかったのだ。
(でも、言われてみれば確かに……職場体験の前にも何度か他の生徒に話しかけられていた気がする……)
 どうも佐鳥はその事情を詳しくは知らないようだが、偶然緑谷が通りすがりの生徒から盗み聞きした話では体育祭での彼女の行動が一因しているらしい。ヒーロー科の生徒らしく困っている人達を優先したことが思ったより高く評価されているようで、故に当時助けられた生徒達から注目が集まっているのかもしれない。
「何それ! なんでそんな面白い展開になってんの!?」
「その肝心の空ちゃんいないし!」
「皆さんが来る前に手紙を手渡しに行きましたわ。善は急げといいますから」
「えっ、告白受けたの!?」
 驚きの混じった葉隠の言葉が聞こえた瞬間、話し声を聞いていた瀬呂が口を開く。
「表情が明るくなってきたもんな、佐鳥。髪型とか葉隠達にやってもらってからヒーロー基礎学ある日はちょくちょく変えてるし、なんつーか……最近は雰囲気が普通の女子高生って感じ」
「確かに。最初は大人びた愛想笑いばっかだったけど、今はずっと感情表現豊かだよな。爆豪と喧嘩したりとか、ちょっと子どもっぽいとこもあるけどよ」
 言われてみればそうかもしれない。
 ここ頻繁に接することの多い緑谷は普段の佐鳥の様子を思い返し、切島の言葉に納得した。
「そこにギャップを感じて可愛かったりするんだよな」
 上鳴の言葉に「そういう人もいるよな」と思ったその時、轟の方から冷たい空気を感じて緑谷は視線を彼に戻した。
 見ると、轟が触れている机の一部分が僅かに凍って霜ができていた。
「と……轟君……机、凍ってるけど……?」
「! あ……」
 どうやら無意識だったらしい。緑谷の言葉に芦戸達から手元に視線を戻した彼は、慌てて反対の手で霜を溶かした。
 澄ました表情は変わらないが、その鋭い眼差しや行動から動揺しているのは明らかである。その理由が『佐鳥に恋人ができた』という言葉であることも確信できた。
 確かに俄かには信じ難い出来事である。普段の彼女のことを考えると想像もできない。
 だが、轟の場合は驚きではなく、モヤモヤとしたものが胸の内で渦巻き、どこかそれを不快に感じているようだった。そして、濡れた机の上を呆然と見つめて途方に暮れている様子からは、どうしてそんな感情が湧くのかよくわかっていないようだった。
 そんな轟を見て目を瞬かせている間にも、女子達の会話は続いていた。
「告白は断るそうよ」
「え、断っちゃうんや……」
「なんで!?」
「それが、初恋もまだらしいんだよね。だから、恋もよくわからないままお付き合いは考えられないって」
「もったいないよ〜! もしかしたら付き合ってくうちに好きになるかもしれないじゃん!」
 せっかくのチャンスなのに、とどこか悔しがるように芦戸が声を荒げる。
 ぼんやりと彼女達の会話に耳を傾けていた轟が、そこで安心したように小さく息を吐いたのがわかった。
 気づいてしまった事実になんと言えばいいのか。
 緑谷は迷い、考え、そっと気遣うように声をかけた。
「……佐鳥さんらしい答えだね」
「……ん」
 短い相槌はひどく静かで、その後も轟はずっと上の空だった。


 *** *** ***


 佐鳥は困っていた。
 手紙の返事を書いたものの、肝心の相手の所属クラスがわからないのである。
 そのことに気づいたのは差出人の名前を確認した昨夜のことで、どうしたものかと佐鳥は手紙を見下ろしたまま長い廊下を歩く。
 そもそも、返事は早い方がいいとは言え、差出人が自分と同じ時間に登校しているとも限らない。
 行き交う人も少ない廊下でぽつんと途方に暮れていると、そんな彼女を何人もの生徒が不思議そうに見つめて通り過ぎて行った。
 そうこうしている間に時間は過ぎていくばかりで、誰かに尋ねた方が早いと身近にいる人に声をかけようと辺りを見渡す。
 その時、佐鳥は背後に歩み寄って来る誰かの気配に気づいた。
「やっと見つけたぞ、佐鳥空!」
 予想外にも大きな声で話しかけられて、佐鳥はびくりと肩を震わせて振り返った。
 例えは悪いが、頭は鶏、目つきはハシビロコウと言ったところだろうか。大柄な体躯の特徴的な髪型をした目つきの悪い男子生徒が自分を睨みつけており、佐鳥は目を丸くした。
 見たところ三年生のようだが、全く見覚えのない人物だ。強面のしかめっ面で自分を凝視している彼を、佐鳥はぽかんと見上げた。
「なんだ!! 想像以上に地味な女だな!?」
 鋭い眼差しのまま叫びながら地味と蔑まれ、佐鳥はまたもや目を白黒させながら「はあ……?」と覇気のない相槌を溢す。
 しかし、そんな彼女の反応すら歯牙にもかけない男子生徒は食い入るようにじっと佐鳥の顔を見つめていた──かと思えば、今度はがしっと勢い良く彼女の肩を掴み、またもや叫んだ。
「まあいい! 俺と付き合え!!」
「無理です」
 もう少し言い方があったが、佐鳥は唐突な発言を理解するより先に本能で答えた。相手の心を慮るよりもまず、この場からどうやって逃げるか、という思考の方が勝っていた。手紙の相手を探すのは昼でも十分に間に合う。今はただ、一刻も早く教室に駆け込みたい一心で首を横に振った。
 だが、すげなく断られた彼は全く堪えていない様子で「あ、間違えた」と言いながら佐鳥から手を離すと、胸を張って親指で自分を指し示した。
「俺に付き合え!!」
「付き合え──じゃないんだよね!」
 にゅっと横から伸びて来た太い腕が、素早く男子生徒の頭にチョップを繰り出し、鶏冠のように逆立った髪を二つに割った。
 見ず知らずの三年生を一撃で倒した人物に目を向け、佐鳥はぱちくりと瞬きする。
「ミリオさん、環さん。おはようございます」
「うん、おはよう。ゴメンねー、こいつ人の話聞かないからさ」
「おはよう。いきなり知らない三年に呼ばれて驚いただろ? 俺が君を見つけてしまったばかりに……ご、ごめん……」
「いえ、環さんのせいではないかと……それで、これは一体どういう……?」
「彼が勝手に君の教室まで行かないか不安になって早めに登校したんだ。みんな彼と会うと怯えて逃げ出すから……」
 言って天喰が廊下の床に倒れた男子に目を向ける。ヒーロー科で鍛え上げられている通形のチョップは想像以上に強烈だったのだろう。青白い顔のまま体を起こし、彼は挑戦的な笑みを浮かべた。
「ふ、ふん……俺を見て逃げ出すような腰抜けに、大事な魂を預けられるか」
「カッコつけて起き上がってるとこ悪いけど自慢の鶏冠が曲がってるよ、戸坂」
「曲げたのは貴様だろうが! あとこれは鶏冠じゃない!」
「お前がさっき空のことを『地味』って叫ばなかったらもう少し手加減したよ」
 相当気に入らない発言だったらしい。眉を顰め、当の本人よりも怒りの籠った眼差しを向ける通形の指摘に、逆立てた髪が無残に折れ曲がっているのを手で直しながら戸坂と呼ばれた三年の男子は立ち上がった。
「む……それはすまない。だが、お前らが声をかけたら変に注目される、等と言うからわざわざこの時間を狙って来たんだぞ。本当なら放課後にでも呼び出すつもりだったが」
「君が呼び出しするとか、ただのカツアゲにしか見えないんだよね。あと、もう十分注目されてるから」
「だったら最初からお前が間に入ったら良かっただろーが」
「いや、そもそも最初から彼女に開発工房へ来てもらえば良かったと思うんだけど……」
「ぁあん!?」
「ごめん」
 ボソッと呟いた天喰を鋭い目で睨む戸坂。天喰はすぐさま謝罪して目を逸らした。どちらも目つきは悪いが、圧倒的に気弱な天喰が不利に見える。
 しかし、戸坂はすぐに凄んだ表情から納得したような表情に変わった。
「それもそうだな。よし、開発工房行くぞ!」
 思ったよりも強い力で腕を引っ張られた佐鳥は反射的に近くにいた通形の腕を掴んで足を踏ん張り、拒否の姿勢を示した。
「いえ、あの……すみません、その前に名乗っていただけませんか……?」
「三年F組戸坂遥だ! 趣味は開発! 特技も開発! 好きな女は開発し甲斐のある女! ちなみに、残念ながら君は対象外だ!!」
「教室に帰らせてください」
「うん、いーよ」
「駄目に決まってるだろう!! 開発のし甲斐はないが、君を基に面白いものは作れそうだからな!! 俺の作業にインスピレーションは欠かせない!!」
 なんだこの人。やばい。全く話が通じる気がしない。
 佐鳥は助けを求めるように通形と天喰に目を向けた。二人はやれやれと肩を竦め、いささか強引に戸坂の手から佐鳥の腕を引き離すと、庇うように自分達の後ろに隠した。
 そこで、また聞き覚えのある声が廊下に響いた。
「ちょっと! 佐鳥さんに何してんのよ、バカ兄貴!」
 全員の視線が声の主の方へと向いた。
 そこに立っていたのは、職業体験前に佐鳥に菓子折りを持ってきた小山内とその友人だ。小山内は赤い顔のままおどおどとした様子で会釈をしているが、彼女の隣に立つ友人は憤慨した様子で戸坂を睨みつけていた。
 どうやら声を発したのは友人の方らしい。兄貴、というのは十中八九戸坂のことだろう。佐鳥と通形と天喰は似ても似つかない兄妹を交互に見遣り、口を閉ざした。
「おお、勇希! 今日は早い登校だな!」
「兄貴が珍しく早起きしてるなんて碌な事じゃないと思っただけだよ! やめてよね、そのいかつい顔で詰め寄ったら女の子は泣いちゃうんだから! 佐鳥さん大丈夫? 兄貴怖かったよね、ホントごめん!」
「い、いえ……」
 怒涛の如く兄と呼んだ戸坂を責め、小山内の友人はすぐさま佐鳥に目を向けると心配そうに声をかけた。
 兄とはまた違った騒々しさがあるが、彼とは違う優しい声音と活発な印象は近寄りやすい雰囲気だった。見知った顔に僅かに安心した佐鳥は「大丈夫ですよ」と苦笑した。
「あ、今日はおさげじゃないんだね」
「今日は演習があるので……」
「そっちの方が断然いいよ! 可愛い! ね、幸!」
「え!? あ、う、うん……!」
「ありがとうございます。えっと、小山内さんと……」
「あ、ごめん。そう言えば名乗ってなかったわ! あたしは戸坂勇希。兄貴と同じでサポート科のクラスなの」
「戸坂さんですね」
「勇希でいいよ。良かったら幸のことも名前で呼んでやって」
「! あの……でしたら、私のことも名前で呼んでください。お二人とはまたお話したいと思っていたんです」
「だって。良かったじゃん、幸」
「ええっ!? わ、私はそんな……お、畏れ多いので……」
「気にしないで、コレ照れてるだけだから」
「勇希ちゃん……!!」
「あ! なんなら今日のお昼一緒に食べない? 連絡先も交換しようよ」
「喜んで。幸さんも良ければ、是非」
「あ、あう……あう……は、はぃ……」
 完全に妹のペースである。自分達は置いてけぼりのまま女子トークが盛り上がっていくのを見て、通形は「完全に蚊帳の外だねぇ」とマイペースに呟いた。そんな彼は不快な気分になっているわけではなく、ただただ佐鳥達のやり取りを微笑ましく見守っている。天喰も同じで、口元が少し緩んでいた。
 しかし、戸坂(兄)の方は違った。
「おい、勇希! 俺の話はまだ終わってないんだぞ!」
「あーはいはい。どうせ佐鳥さん利用して新しいサポートアイテム作ろうとしてるんでしょ? 時間かかるんだから話なら放課後にしなよ。佐鳥さんも用事あるみたいだし」
「む……そうなのか?」
 落ち着きを取り戻した兄の方に目を向けられ、佐鳥はこくんと頷いた。
「すみません。実は今、人を捜していて……」
「人探しって、その手紙の相手? 恋文?」
「え!? 恋文!?」
 勇希の何気ない質問に、通形が大袈裟に反応する。
 ──が、面倒な気配を察知した佐鳥は気づかないフリをした。もちろん、その反応に通形はまたショックを受けるのだが、それでも彼女は視界に入れることはなかった。
「その返事です」
「マジで!? どこのクラス?」
「それが、顔と名前はわかるのですが、クラスが書いてなくて……」
「どれどれ……ああ! そいつ、うちのクラスだよ。付き合う気がないなら、あたしの方から渡しとこうか?」
「え……」
「だって、フるのに直接会うのって気まずくない?」
 そういうものなんだろうか。佐鳥は勇希の言葉に悩む。
 佐鳥としては直接渡すことがけじめであるとも考えていたので、彼女の言う『気まずさ』が良くわからなかった。だが、それはあくまで自分を視点に置いた場合だ。受け取る側がどうであるかはわからない。
 視線を落として考え込む佐鳥に、小山内がおずおずと声をかけた。
「あの、さ……佐鳥さん、が大丈夫なら……直接渡した方がいいんじゃないかな……」
「! 幸さん……」
「わ、私なら……例えフラれてしまうとしても、返事を直接貰えたら嬉しいかなって……」
「ん〜……確かに。そっちの方が誠実ではあるけどね」
 小山内の言葉も一理ある、と勇希は頷いた。
 つまり、どちらの選択も有りということだろう。
 佐鳥はまた悩み、考え、頷いた。
「直接お渡ししたいです。きっとすごく勇気がいることだったと思うので……想いに応えることはできなくても、相応の礼儀は尽くすべきかと」
 その言葉に、二人は柔らかに微笑む。
「よっし! じゃあ一緒に行くか!」
 励ますように佐鳥の背中を叩く勇希。
 その時、自分の胸の内が少し軽くなった気がした。憑き物が落ちたようなスッキリとした表情で、佐鳥は大きく頷いた。


 通形達とは後で連絡を取り合うことで話を切り上げ、当初の目的を果たした佐鳥が教室に戻ったのは始業のチャイムが鳴る十分前だった。教室に入るなり仁王立ちで待ち構えていた芦戸と葉隠を目にした佐鳥は、満面の笑顔を浮かべている芦戸を見てきょとんとしていた。
「おかえり佐鳥! さあ聞かせてもらうよ! 告白してきたのはどこの誰!?」
「情報が早いですね……サポート科の人でしたよ」
「返事は!?」
「お断りしましたが……」
「やっぱり! ヤオモモ達から先に聞いてたけど!」
 芦戸の言葉に、佐鳥は困ったように笑った。
「好きでもないのにお付き合いするのは、些か不誠実のような気がしますので」
「じゃあお友達から始めればいいじゃん」
「残念ながら、ヒーロー科にいてクラスメイト以外の人と交流できる時間があるとは思えません」
「た、確かに……」
「あ、じゃあ俺となら付き合えんじゃね!? お友達からどう?」
 突然横から割って入ってきたのは上鳴だ。手を上げ、自分を指差しながら高らかに声を上げた彼に、佐鳥はすんっと真顔になって首を横に振った。
「クラスメイトだからいい、という問題ではないです」
「ごめん。真面目な顔をしてそーゆーこと言われると傷つくんだけど?」
「あれ……? 遠回しに俺らもフラれてね、これ……?」
「言うな、切島。俺らまで悲しくなるだろ」
 塩対応とも言える佐鳥の言葉に切なさを抱えて項垂れる上鳴。そんな彼を見ながら苦笑いを浮かべる切島に、瀬呂も同じような表情で言った。
 そんな彼らに向かって、佐鳥は心底不思議そうに首を傾げた。
「? だって、皆さんとはもうお友達だと思ってますし……仲間ですし……お友達からも何もないかと……」
「そして当然のようにお友達枠に入れてくるよコイツ」
「落として上げてくるこの感じ」
「魔性の天然」
「嬉しいような、悲しいような……」
「騙されんなお前らァ!! それはつまり男としての魅力はゼロってことだぞ!!」
「そんなことより、ねえ佐鳥」
 峰田の渾身の叫びを『そんなこと』で片づけた芦戸。主張していた峰田は目を剥いて「そんなこと!?」とショックを受けていたが、完全に無視だ。
 佐鳥もこれ以上相手にするつもりはないようで、視線を芦戸に戻していた。
「好きじゃないと付き合えないなら、どんな人が好みなの?」
「どんな人……?」
「理想の人いないの? こんな恋がしたい〜、とかは?」
 芦戸と葉隠の質問に、佐鳥は視線を泳がせる。その視線は緑谷と轟の方へ向けられたように見えたが、彼女はすぐに俯くともごもごと口を動かした。
「その……理想の人、は良くわかりませんが……」
「うんうん」
「とある小説の一節に『名前を言葉にするだけで、文字にするだけで心が震える』と恋心を綴った文章があったんです。……そんな恋に憧れはある……よう、な……」
 気恥ずかしさがあるのか、最後は小さな声でごにょごにょと口ごもっていた。色白の頬はほんのりと赤らんでおり、瞳はやはり居心地の悪そうに右へ左へと視点が定まっていない。
 そんな彼女が語る『理想の恋』に、教室内がしんと静まり返った。
 全員から無言のまま凝視されていることに気づいた佐鳥は、そのなんとも言えない空気に耐え切れず自らの手で顔を覆い隠した。
「……今のは忘れてください」
「えーっ! なんで? いいやん!」
「そうですわ! とても素敵だと思います!」
「なんか意外だったけど」
「ね! 空ちゃん意外とロマンチックなんだね!」
 きゃっきゃっと顔を隠したままの佐鳥を囲んで騒ぐ女子達。
 それを遠巻きに見ていた一部の男子達が「佐鳥って、ちゃんと女の子だったんだな」なんて失礼なことを考えていたことも、轟が目を丸くしながら自分を見つめていることにも、恥ずかしさで俯いている佐鳥が気づくことはなかった。


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