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「……?」
 いつでも動き出せるように『個性』でオールマイトを探していた佐鳥は、ふと自分の視界に違和感を感じた。
(いつもより……視野が広い……?)
 個性発動時、佐鳥の視界は全ての物が半透明になって見えていた。その時、完全に透過するにはより集中して見なければならず、視野が狭まってしまう。だが、今日はそれがいつもより鮮明で、意識せずとも幅広い視野で見えている。
 それは普段見えていなかったモノも同じだ。空中を漂うふわふわとした丸い物体。通常の人の目には映らないそれを自分の方へ引き寄せながら、佐鳥は首を傾げた。
 けれど、今はそんな事を気にしている暇はない。
 ブーッ、と『運動場γ』に鳴り響くブザー音がスタート開始の合図を告げ、佐鳥の意識はレースへと戻された。
 すぐさま高く跳躍し、佐鳥はオールマイトのいる方角へと向かって空中に足を踏み出す──その瞬間だった。
「わっ……!?」
 いつもと同じ感覚で踏み込んだ佐鳥の体が、目にも止まらぬスピードで吹っ飛んで行く。
 明らかに制御できていないスピードだった。目標から逸れていることに気づいた佐鳥が慌ててスピードの調節と軌道修正をしようと足元に意識を集中させるも、再び踏み込んだそれは威力が弱く、今度は重力に従って体が傾いた。
「っの……」
 落ちる先に見えた導管に掴まり、くるりと鉄棒のように回転し、反動で体を宙に浮かせる。
 流石に二度目ともなれば自分のコントロールがおかしいことに気づいた。佐鳥は焦りを滲ませながらもなんとか繰り返し空中に足場を作り、時に建物の上を駆け抜け、とにかくオールマイトを目掛けて走り続けた。
 遠くからはすでに爆豪の姿が見えている。危なげもなく爆風で飛翔する彼もまた、一直線にオールマイトのもとへと向かっていた。
(急がないと、このままじゃ……!)
 ──負ける。
 その一言が脳裏に浮かんだ時、佐鳥の胸の奥底に潜んでいた対抗心がむくりと膨れ上がる。度々爆豪の向上心に触発されることもあってか、どうしても彼にだけは負けたくないと思ってしまうのである。
 しかし、その焦燥が再び集中力を欠く原因となった。
 力強く踏み込んだ佐鳥の体はまたもや加減の知らないスピードでオールマイトのいる足場へと突っ込んで行く。そのまま爆豪よりも一足早く辿り着けたものの、地面に足が着いても勢いが止まらず佐鳥は地面を転がり鉄格子に思いきりぶつかった。
 先に爆豪の姿に気づいて意識がそちらに向いていたオールマイトは目を丸くして声を上げた。
「うおっ!? 大丈夫か、佐鳥少女!?」
「だ、大丈夫です……すみません、ちょっと勢いが止められなくて……」
「本当に大丈夫ですか?」
「今、すごい勢いで背中を打っていたと思うわ。すぐに動かないで」
 佐鳥の後を追いかけていた八百万と蛙吹も到着して真っ先に彼女に駆け寄った。
「気づいて受け止めてあげられず、すまないな」
「いえ、そもそも救助対象の方に救けられては意味がありません……今回はレースだったので良かったですが、救助活動本番での出来事だったら大問題でした。すみません、訓練としては失敗です」
「とにかく、君に大きな怪我がなくて良かったよ」
 最後に到着した青山の言葉に小さく頷き、八百万に支えられながらふらりと立ち上がった佐鳥は自分の手を見下ろす。
 どこか思い悩むような表情を浮かべている彼女だったが、オールマイトはその憂いを払うように肩を叩くとぐっと親指を立てた。
「訓練そのものの意味としては確かに失態だが、一番は一番だ。おめでとう、佐鳥少女!」
「……ありがとうございます」
 オールマイトから『助けてくれてありがとう』と書かれた襷を受け取り、佐鳥はチラリと爆豪を見る。
 彼は静かに佐鳥達のやり取りを見つめていた。それはどこか呆然としているような無表情だったが、次第にその目に苛立ちの色が浮かび上がっていくのがはっきりと見えた。
「君達も個性の使い方に幅が広がってきたな! この調子で期末テストに向けて準備しておくように!!」
 そう言って締め括ったオールマイトの言葉をちゃんと聞いていたのかはわからない。
 その後の訓練も爆豪は終始何も言うことなく、授業が終わってからも一人静かに運動場から立ち去って行った。


 *** *** ***


「君に話さなければならない時がきた。私と、ワン・フォー・オールについて」
 レースが終わった直後、改まってそう言ったオールマイトの言葉を思い返しながら、緑谷は黙々と着替えを続ける。
 憧れの人の話を聞けるのは喜ばしいことだが、今回は少し恐怖を感じる。まだ時間はあるというのに、この後に彼のところへ行くと考えると人知れず緊張感が襲いかかった。
「久々の授業、汗かいちゃった」
「俺、機動力課題だわ」
「情報収集で補うしかないな」
「それだと後手にまわんだよな。お前とか瀬呂が羨ましいぜ」
 そんな会話をぼんやりと聞き流しながら、緑谷はふと自分を呼ぶ声に気づいて耳を傾けた。
「おい緑谷!! やべェことが発覚した!! こっちゃ来い!!」
「ん?」
 必死に押し殺した声で自分を呼んでいたのは峰田だ。彼は剥がれかけのポスターを指差し、顔を紅潮させながら熱弁した。
「見ろよ、この穴ショーシャンク!! 恐らく諸先輩方が頑張ったんだろう!! 隣は、そうさ! わかるだろう!? 女子更衣室!!」
 壁にぽっかりと開いた穴。言わずともその穴の先がしっかり隣まで貫通しているのは間違いない。
 興奮する峰田につられ、他の男子達もピクリと反応を示したのをしっかりと緑谷はその目で捉えた。
「峰田君、やめたまえ!! 覗きは立派な犯罪行為だ!」
「オイラのリトルミネタはもう立派なバンザイ行為なんだよォォ!!」
 すかさず話し声を聞いていた委員長の飯田が峰田を諭すが、そんな言葉だけで止まるような男ではないのがこの峰田実という生徒である。
 剥がれかけたポスターをビリッと破り取り、隠す気もない下ネタを吐き出し、峰田は荒い呼吸で穴を覗き込んだ。
「八百万のヤオヨロッパイ!! 芦戸の腰つき!! 葉隠の浮かぶ下着!! 佐鳥の色気漂う白い足!! 麗日のうららかボディに蛙吹の意外おっぱァアアア」
 ──ズブリ。
 ──ドックン。
 叫ぶ峰田の大きな目玉にイヤホンジャックが刺さり、心音と連動した音が目から脳へと流れる。
「あああ!! 目から爆音がぁぁあああ!!」
「言わんこっちゃない!」
「耳郎さんのイヤホンジャック……正確さと不意打ちの凶悪コンボが強み!!」
 人は、人の失敗を見て学ぶものである。
 目を押さえながら床をのた打ち回る峰田を見て飯田が助け起こし、緑谷を含めた男子達は青褪めながらそっとその穴から視線を逸らした。
「くそ……なんだよ耳郎のやつ……きっと俺だけじゃねぇぞ……佐鳥だって透視の個性持ってんだ……ぜってー男子の着替えを覗いたり普段から異性の裸を見てるは──」
 ──ビリビリ。
 耳郎のイヤホンジャックが引っ込んだ穴から懲りずに反対の目で覗き込もうとした峰田目掛けて、今度は微弱な電流が流れ込んだ。
「続けて襲いかかる佐鳥さんの電撃……!?」
 静電気ほどの衝撃でしかないが、直撃したのが目ということもあって想像以上の痛みなのだろう。再び床に倒れて悶絶する峰田に緑谷は思いがけない佐鳥の報復に声を上げる。
 そんな中、成り行きを静かに見守っていた轟が峰田に冷ややかな眼差しを向け、幾分か棘のある声を発した。
「自業自得だろ」
「全くだ」
 轟の言葉に飯田が何度も頷く。
 その時、穴からぽんっと小さな紙が飛んできて、峰田の頭にぶつかった。
 なんだこれ、と峰田はくるくると丸まった紙を広げる。

『峰田さんへ。次言ったら沈めます』

 明らかに佐鳥の書いた字である。
 文面から感じ取れる彼女の怒りに思わず固まる峰田。
 そんな彼を放置して、無言で着替えを済ませた男子達は我先にと急いで更衣室を出た。
 触らぬ神に祟りなしである。

 余談だが、後日緑谷が佐鳥に聞いた話ではこの時、女子更衣室の方でも穴の存在に気づいていたらしい。ちょうどそれを見つけた佐鳥が耳郎に盗聴を頼み、自分は彼女の心を覗いて男子更衣室の会話を聞いていたそうだ。
 そして教室に戻った後、子どものようにふくれっ面でわかりやすく不機嫌を露わにしていた佐鳥に声をかける勇者(男子)は緑谷の知る限り誰もいなかったという。


「掛けたまえ」
 約束通りオールマイトのもとへと向かった緑谷は、ソファーに腰かける彼に促されるまま向かい側の椅子に座る。
「色々大変だったな。近くにいてやれず、すまなかった」
「そんな……オールマイトが謝ることでは……」
 二人きりの空間でいつもと違って重い空気を纏う彼に、緑谷は言葉に詰まりながらも話の本題を切り出した。
「それより、あの……ワン・フォー・オールの話って……」
「君、『ヒーロー殺し』に血を舐められたと聞いたよ」
「!? あ、はい。血を取り入れて体の自由を奪う『個性』で……」
 それが何か問題でもあるのか、と問い返すと、オールマイトは重々しく口を開く。
「力を渡した時に言ったこと、覚えているかい?」
「食え……」
「違うそうじゃない」
 顔をオールマイトに似せて口調まで真似ながら答える緑谷だが、すかさずオールマイトは否定した。
「『DNAが取り込められるならなんでもいい』と言ったはずだ」
 そこで緑谷は事の重大さに気づき、血相を変えて椅子から立ち上がった。
「え……じゃあまさか……『ヒーロー殺し』にワン・フォー・オールが……!?」
「いや、ないよ。君ならそれを憂慮してるかと思ったが……そう、忘れてたのね。ワン・フォー・オールは持ち主が『渡したい』と思った相手にしか譲渡されないんだ。無理矢理奪われることはない。無理矢理渡すことはできるがね」
 そんなことができる『特別な個性』なのだ。その成り立ちも。
 そう説明するオールマイトに、落ち着きを取り戻した緑谷は椅子に座りながら静かに耳を傾ける。
「緑谷少年……佐鳥少女の話を聞いたそうだね」
「え……あ……はい。本人から、少し過去のことを……」
「成り行きとはいえ、君達に話さずにはいられない状況だったというのも聞いている。……今だから教えられるが、彼女もまた私の秘密を知る一人だ」
「!」
「彼女は一時期私の事務所で保護していたからね……だから、これから話すことは君と彼女だけが知ることだ。それを肝に銘じてくれ」
 緑谷は目を見開き、けれど思ったよりも冷静に頷いた。
 佐鳥がオールマイトの秘密を知っているかもしれないということは、彼女の『個性』について聞いた時になんとなく予想していたのだ。グラントリノと親しい間柄であるという事実がさらにその予想を裏付けていたので、驚くことはなかった。
 思ったよりも冷静な緑谷の反応を見て、オールマイトはまた静かに自身が持っていた『個性』──『ワン・フォー・オール』について語り始めたのだった。


 *** *** ***


「空ちゃん、そろそろ機嫌を直したらどう?」
 帰り道。蛙吹と八百万と耳郎の三人と一緒に帰っていた佐鳥は未だにぶすーっと効果音が聞こえそうなほど、リスのように片頬を膨らませていた。
 普段の冷静沈着な姿からは想像もできない幼子のような感情表現に、蛙吹は思わず弟達の姿を重ねて宥めるように「飴ちゃん食べる?」と声をかけた。
 差し出された苺飴を素直に受け取った佐鳥は、お礼もそこそこにそれを口に放り込んだ──が、間もなくして口の中でガリガリと音が鳴り響く。
「飴はとても美味しいですが……ふとした時に峰田さんの言葉を思い出してしまいます」
「次、同じこと言ったら迷わず吊るし上げましょう。私も手伝うわ」
「心強いです。お願いします」
「あんた達、だんだん峰田に容赦なくなってきたよね……いいと思うけど」
 更衣室での会話をはっきりと聞いていたのは耳郎だ。彼女は耳から垂れ下がっているイヤホンジャックをくるくると弄びながら笑う。
「それより佐鳥さん、体の方は本当に大丈夫ですか?」
「ええ、怪我はありません。ただ、何故か『個性』のコントロールが上手くできなくて……」
「突然だよね。それも副作用の影響?」
「それが、普段の副作用とは少し違っていて今はなんとも……一度家の人に相談してみます。このままだと、使い方次第では皆さんにも怪我をさせてしまいますので」
「そうですわね……期末テストも近いことですし、早急に対策しておきませんと」
 耳郎の言葉に眉根を寄せながら困った顔をした佐鳥は、続いた八百万の言葉に遠い目になった。
 それに気づいた蛙吹がまた違う意味で気遣うように声をかけた。
「空ちゃん、大丈夫……?」
「私……今度こそ赤点取るかもしれません……」
「佐鳥が勉強苦手とか意外だよね。ヤオモモと同じでできるタイプかと思った」
「苦手というか、副作用が原因で全く授業に集中できていない時が……」
「その難儀な体質が問題ね……でも期末テストまでまだ時間はあるんだし、今からやればなんとかなるんじゃないかしら?」
「…………すみません……またテスト勉強中の皆さんに色々聞いてしまうと思います……」
 少し考えたものの、一人ではどうしようもなかった。
 申し訳なさそうな表情になる佐鳥に、三人は気にするなと言わんばかりに笑顔で応えた。
 特に八百万は目を輝かせて嬉しそうに笑っていた。
「座学ならいつでも力になりますわ! 演習の方は佐鳥さんの足元にも及びませんが……」
「? 演習での八百万さんもとても頼りになりますよ?」
「いえ……私なんて、轟さんや佐鳥さんに比べたらまだまだです……」
 途端に自信を失ったように俯いた八百万を、佐鳥は不思議そうに見つめた。
 蛙吹や耳郎も理由がイマイチわからないようで、二人に目を向けても首を横に振ったり、傾げたりするだけだった。
 ──と、その時だ。
「さっ……佐鳥さん!」
 背後から声をかけられ、佐鳥は振り返る。蛙吹達もつられて足を止めて同じように彼女を呼び止めた人物を見た。
 どうやら、他のクラスの男子生徒のようだ。どこの科の生徒かはわからないが、顔を真っ赤にした彼は真っ直ぐに佐鳥を見つめたままぎこちない動きで近づき、勢いよく握りしめていた封筒を差し出した。
「こ、これ……受け取ってください!!」
 佐鳥はぱちくりと目を瞬かせ、男子生徒と封筒を交互に見る。彼の手は、佐鳥にお礼を伝えようとした小山内のように緊張で震えていた。目に見える心情に気づき、言われるがまま静かに受け取った佐鳥は説明を求めるように男子生徒に目を向ける。
 しかし、彼は佐鳥と目が合うと今度こそぼふんっと茹蛸のように煙を上げて耳まで顔を赤くすると、背中を向けてしまった。
「返事はいつでもいいので!! さようなら!!」
「え……」
 渡し逃げと呼んでもいい展開だ。ぐるんと体の向きを変えて飯田に負けない速さで地面を駆け抜けて行った彼の背を、佐鳥はただぽかんとした表情で見送った。
 そんな彼女の周りで、八百万達は頬を赤らめながら目を輝かせていた。
「そ、それってまさか……! ラブレター!? やったじゃん、佐鳥!」
「……らぶれたー」
「片言になってるわ、空ちゃん」
「予想を裏切らない反応ですわ……」
「恋文なんて初めて貰ったので……」
「恋文!? 言い方!!」
 興奮した様子で自分のことのように盛り上がる八百万と耳郎。蛙吹もポーカーフェイスは変わらないが、丸くて大きな瞳には好奇心の色を浮かべていた。
 だが、受け取った張本人は聞き慣れない単語にただただ戸惑うだけだった。
「お返事はいつでもいいと仰っていましたが、できるだけ早い方がよろしいかと! 佐鳥さん、便箋はお持ちでして?」
「いえ。手紙なんて全く書いたことがなくて……」
「それなら、今から買いに行こうよ。うちもついでに買いたい物あるし」
「ケロ……放課後の寄り道ね。いい案だわ」
 蛙吹の言葉に、ぱあっと佐鳥の目が輝いた。
 さっきまでの不機嫌そうな顔でも、テストへの不安を滲ませた顔でもない。
 口角をあげ、満面の笑みで喜びを表現していた。
「行きたいです! 行きましょう、みんなで寄り道!」
「……ラブレターを貰うより嬉しそうですわね」
「まあ、悪い気はしないけど」
「ケロケロ」
 見ず知らずの男の告白よりもクラスメイトと遊びに行けることの方が嬉しい。
 ラブレターを渡してきた彼には申し訳ないが、無意識であろう佐鳥のその反応に蛙吹達もまた喜びを噛みしめるように頬を綻ばせた。


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