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29

「どうして病院にいる?」
「お見舞いです。友人のお母様が入院していて……」
 電話の向こう側から聞こえるサー・ナイトアイの冷静な声は、佐鳥の返事に「そうか」と穏やかさを取り戻した。
「『ヒーロー殺し』と交戦したという報告を聞いて、バブルガールが泡を吹いて倒れたぞ」
「……それはまた……ユニークなジョークですね」
「冗談ではない。本当に卒倒していた」
「すみませんでした」
 少し咎める口調から、彼を含め色んな人に心配をかけてしまったのだろう。罪悪感から素直に謝罪を述べると、サー・ナイトアイは小さく息を吐く。
「まあ、何もないならいい。迎えはいるか?」
「いえ、大丈夫です」
 首を横に振って、佐鳥は沈黙する。
 その妙な間に気づかない男ではない。すぐに佐鳥の異変を察し、サー・ナイトアイは訝しげに声をかけた。
「どうかしたか?」
「……あの……サーは、私に隠し事をしていませんよね……?」
「どういう意味だ?」
「例えば……私の、両親のこととか……」
「……何を聞きたいのか知らないが、私はお前が知っていること以上の情報は何も知らないぞ。そもそも、知っていたらお前はすぐに気づくだろう」
「……そう、ですね」
「何かあったのか」
「……友人のお母様が、母の知り合いだったそうで」
「その友人というのは?」
「エンデヴァーの息子さんです。テレビ、見ていたでしょう?」
「ああ……表彰台に立っていた」
 すぐに思い当たったようで、サー・ナイトアイは少し間を置いてから言葉を続けた。
「噂は色々とあるが、ナンバーツーというだけあって人脈も多いだろう。お前のことについても多少のことを知っていてもなんらおかしくはないと思っていたが……まさか母親同士に縁があったとは、運命のような巡り合わせだな」
「運命はともかく……彼女、エンデヴァー本人から母のことは『個性の副作用でいつ目覚めるかもわからない』と説明されているようです。それがまるで……母が、生きているような口振りで……」
「……なるほど。それでさっきの質問か」
「サーなら真実を調べられますか?」
「無理だ。相手は国家機関に属する情報操作のエキスパートだぞ。下手な探りはすぐに勘付かれる。もしエンデヴァーの話が真実だとしたら、お前に秘密にしているだけの理由があるはずだ。今度こそお前が消される口実にされるかもしれない」
「……」
「気になるのはわかるが、その件は一度忘れるべきだ。必要なことであれば、必ずいつか知る機会が回ってくるだろう。……賢いお前なら、理解できるな?」
「……はい」
 強く手を握りしめ、唇を噛みしめ、佐鳥は眉根を寄せながら唸るような声で応えた。
 サー・ナイトアイが言いたいのは『今がその時ではない』ということだ。どれだけ気掛かりであっても、そちらに気を取られている暇はない。
 気をつけて帰ってきなさい、という言葉にもう一度相槌を打って、通話を切る。
 空しく響くツーツーという音から静かに耳を離し、佐鳥は俯いた。
「……佐鳥」
 声をかけられて、振り返る。
 いつの間にか、轟がそこに立っていた。
「もしかして、怒られたのか?」
「いいえ。『ヒーロー殺し』の件で心配をかけてしまっただけです。……轟さんは、お母様とお話しされなくていいんですか?」
「毎週見舞いに来るつもりだから、いつでも話せる」
 言って、轟はじっと佐鳥の目を見た。
「……聞いた話と違うな。お前の母親のこと」
「ええ……私も、何がなんだか……」
 佐鳥は母が『死んだ』と聞かされていた。
 なのに、冷は『眠っている』という。
 ただ誤魔化したい故の暗喩なら、それでいい。だが、あのエンデヴァーがそんな回りくどいことをするとは想像もできない。
「ですが……言われてみれば私は、この目で母が死んだ瞬間を見ていないんです……あの日のことはうろ覚えで、気がつけば父に連れられてベッドの上に横たわる母を見せられて……もう目覚めることはないだろう、と……」
「……なるほどな。お前が勘違いしている可能性も十分にあるってわけか」
 首の後ろに手を置き、思案しながら轟は佐鳥を横目に見て言葉を続けた。
「お母さんに聞いても、多分何もわかることはないだろうな。現状、何か知ってそうな奴がいるとすればクソ親父ぐらいだろうが……」
「……いえ。今は、何も聞かなかったことにします。轟さんも一度忘れてください」
「……なんでだ?」
「もしかしたら……この件は私が想像するよりもっと大きな『何か』を呼び寄せるかもしれません。身を守るためにも、時には知らない方がいいこともあります」
 ぐっと轟の眉間に皺が作られる。あからさまに理解し難いという表情を浮かべ、彼は苛立ちを込めた声で言った。
「でもそれじゃ、お前はずっと『ありもしない母親の死』を抱えたままになるだろ」
「……『死んだ人間』よりも、今生きてる人を守ることの方が大切です。そんなの、言うまでもないでしょう」
 轟の雰囲気を感じ取り、どうしてそんなことも考えられないのか、と佐鳥も少し尖った声で言い返した。
 それが、引き金だった。
「そうやって、また俺達の知らないところで隠し事を増やすのか。さっき電車の中で話してた時も何か隠したよな。緑谷達にも、副作用について本当のこと言わなかった」
「っ……なら、どうしろって言うんですか。真実を話したところで現状は何も変わらないんだから、仕方ないじゃないですか!」
「それを考えるために仲間がいるんだろ! いつまで一人で無茶する気だよ!」
 冷静さを欠いた轟の強い語気に、その強い眼差しに、佐鳥は思わず尻込みする。
 気圧されて口を閉ざす彼女に、轟はすかさず追撃した。
「お前は強いから、なんでも一人で背負い込んでやってしまおうとするよな。周りに心配かけたくなくて、一人だけ我慢して抱え込んで……そういうとこすげえと思うけど、同じくらい心配になる。一人で無茶やって、一人だけ倒れて、それの繰り返しだ。『ヒーロー殺し』の時だってそうだ。自分がやらなきゃ、って周りを頼ろうともしねえ」
 佐鳥は人の手を取ろうとしない。USJで切島が差し伸べた時も、先日轟が手を差し伸べた時も、本当に危ない時に佐鳥は他人の手を掴もうとしない。
 その些細な一瞬の出来事が、轟はずっと気掛かりだった。その真意が上手く汲み取れなくて、何度思い返してもただ無茶をやろうとしているようにしか見えなくて、だから轟の中でさらに腹立たしさが込み上げる。
「佐鳥が誰かを助けたいって思うように、俺だって佐鳥を助けたいって思ってんだ。なんでお前にそれがわかんねぇんだよ」
 がつんと頭を打つような衝撃が佐鳥を襲う。轟の言葉はあまりにも直球で、真っ直ぐ過ぎるぐらいに佐鳥を想う気持ちを込めていた。
 煌めく目を丸くして固まる佐鳥は、ただただ自分に向けられる心の声に戸惑った。轟の心は佐鳥の今の境遇をどうにかしたいと、佐鳥のために何ができるかを必死に考えている。同時に信じて欲しい、頼って欲しいという気持ちが溢れていた。
「なんで……どうして……あなたがそんなに必死になる必要があるんですか……最初から、あなたには関係ない話じゃないですか……」
「友達だから心配するんだろ。お前だって、飯田の時そうだったじゃねぇか」
 轟の言葉に佐鳥は何か言おうと口を開いたが、その唇から音が紡がれることはなかった。
 ゆっくりと下がっていく視線は迷い、困惑の色を強く映し出している。
「でも、今は……俺にはお前の言う『友達』が『自分の都合のいい存在』にしか聞こえねぇ」
 怒りでも、悲しみでも、困惑でもない。突きつけられた現実に気づいたように、再び顔を上げた佐鳥は呆然とした表情で轟を見つめ、言葉を失った。
 そんな彼女を見て、落ち着きを取り戻した轟は静かに告げた。
「今まで友達とかいたことなかったから、こういう時になんて言えばいいのか俺も良くわかんねぇけど……もっと信用してくれよ。少なくともお母さん達が関係してる以上、俺は無関係だとは思ってねぇし、俺自身お前が心配するような弱い奴じゃねぇ……つもりだ」
「……っ」
 その瞬間、泣くのを堪えるようにくしゃりと佐鳥の表情が歪む。小さな唇がまた何か言おうと動くが、それは音もなく震えを堪えるように引き結ばれ、沈黙した。
 ただただ言われるがままになる彼女に、轟もいよいよ困った顔をした。
「……なんか言えよ。俺だって、ただ責めたくて言ってるわけじゃねえんだ。ちゃんとお前の考えが知りたい」
「……返す言葉もないから、困っているんです」
「そうか……わりぃ」
「……いえ……私も……すみません……」
 二人揃ってよくわからない謝罪を口にして、俯く。
 そのまま重い沈黙が流れると、ますますお互いに話しにくい雰囲気に包まれた。
 しかし、ずっとそのままでいるわけにもいかない。
 眉根を寄せながら言葉を探し続けている佐鳥を見つめ、轟は先に言葉を発しようと口を開いた。──が、それよりも先に、佐鳥の唇が動いた。
「……信用、していないわけじゃないんです。轟さんのことも……みんなのことも」
「……おお」
「都合のいい存在だとか、そういうこともなくて……」
「……おお」
「ただ……あの時と同じ失敗を繰り返すかもしれないと思うと、怖いです。『最悪の状況』ばかり想像してしまって……また、死なせてしまうかもしれないと、そう思う自分がいて……」
「守ればいいじゃねえか」
 静かに告げる轟の言葉に、佐鳥は瞠目した。
「今度こそ、守ればいい。そのためにお前は今まで頑張ってきたんだろ? それでも自信がなくて怖いなら、ちゃんと言え。俺も一緒に最善策を考える」
 だから、と真正面から佐鳥の弱音を受け止め、轟はハッキリと告げた。

「『恩返し』とか『責任』とか関係なく……お前も、なりてぇもんちゃんと見ろ」

 なりたいもの。
 幼い頃から、胸の内に秘めていた思い。
 それがいつしか、己の過ちを理由に『ならなくてはならないもの』に変わりつつあった。
 いつの間にか、色んな事情が絡んで、複雑になっていた。
「私の……なりたいもの……」
 英雄。
 ヒーロー。
 そう呼ばれる存在を身近に感じて、改めて強く思ったこと。それはとてもシンプルで、容易く心に浮かび上がる答えだ。
「……いいんでしょうか……私が、そんな我儘を言っても……」
「そんなの、我儘のうちにも入らねぇよ」
 そうなのか。そう、なのだろうか。
 迷い、悩み、考え、やがて落ち着きを取り戻すように深呼吸を一つ。
 そして、ゆっくりと佐鳥は自分の思いを口にした。

「私は……『ヒーローを守りたい』です」

「市民だけでなく、ヒーローも守る──」

「そんな存在(ヒーロー)に……私も、なりたいです」

 その答えに、轟は小さく笑みを浮かべた。
「俺は『ヒーロー・センリ』の仲間にはなれそうか?」
 佐鳥は肩を竦め、苦笑した。
「心強い仲間だと、そう思っていますよ」


 *** *** ***


「もー、焦凍……会わせてあげてとは言ったけど、何もその日のうちに会いに行くことないじゃない」
 病室に戻って開口一番、いつの間にやって来たのか扉付近に立っていた冬美が二人を出迎えるなり弟を見て不満を口にした。
「早い方がいいと思って」
「そうだけど……! 佐鳥さんに会いたかったのはお母さんだけじゃないからね?」
「だから連絡した」
「そうだね。私が家に戻ってる途中だったけどね」
 おかげで大慌てで家に戻って病院までとんぼ返りしたんだから。そう言って疲れたようにため息を吐いた冬美は、そこで気を取り直すと改めて佐鳥ににっこりと笑いかけた。
「こんにちは、佐鳥さん。焦凍の姉の冬美です。去年、あなたにひったくりから助けてもらったんだけど……覚えてない……よね?」
 冬美の言葉に、佐鳥は首を横に振った。
「いえ……ちゃんと、覚えています」
「そ、そっか……なら、良かった! 私、あの時にちゃんとお礼言えてなかったから……今さらかもしれないけど、助けてくれてありがとう」
「こちらこそ……ずっと気にかけてくださっていたと轟さんからお聞きしています。ありがとうございます」
 穏やかに微笑んで言葉を返す佐鳥に、冬美は少しだけ目を丸くした。
「? どうかしましたか?」
「う、ううん、なんでも……! ……あ、これ、佐鳥さんのだよね。名前書いてた」
 慌てて首を横に振った冬美は、そう言って鞄の中から丁寧に包装した小さな袋を取り出した。首を傾げながら袋の中身を取り出した佐鳥は、目を丸くして冬美を見た。
「……なくしたと思っていました」
「あの日、あそこに落ちてたのを焦凍が見つけてくれたんだ」
「そうだったんですね……とても大事な物なので、大切に持っていてくださって嬉しいです」
 佐鳥の言葉に、轟はしゅんと肩を落とす。
「そうだったのか……わりぃ。いつ言おうか考えてたけど、途中から色々あって忘れてた」
「いえ……普通の人はハンカチなんてすぐ捨ててしまいますから……こうして戻ってきただけで、十分です。見つけてくださってありがとうございます」
 佐鳥は頬を弛ませたままそう言い、すぐさま自分の鞄の中にそれをしまいこんだ。
 それから冷へと目を向けると、佐鳥はおそるおそるといった風に声をかけた。
「あの……また来てもいいですか? 良ければ、母の話をもう少し聞かせてください」
「ええ、もちろん。嬉しいわ……私もゆっくり空ちゃんとお話ししたいと思ってたの」
 やんわりと穏やかに微笑む冷は、言葉通りとても嬉しそうだった。
 その表情に、佐鳥もまた安心したように顔を綻ばせる。
「私も佐鳥さんとお話したいな……ねえ、今度うちにおいでよ。お礼もかねてご馳走させて欲しいな」
「轟さんのご迷惑でなければ」
「俺は別に……」
「? ……今のはお姉さんに言ったんですが……?」
「お……そうか」
「あはは! 私達みんな轟だし、気軽に名前で呼べばいいよ」
 冬美の提案に、それもそうだな、と轟は頷いた。
「紛らわしいから、そうしてくれ」
 ぱちり、と瞬き一つ。佐鳥は目を丸くして轟を見ると、視線を彷徨わせて「わかりました」と小さく頷いた。
 思ったよりもひかえめなその声音と少し居心地の悪そうな様子に「どうした?」と轟は首を傾げる。
 その時、佐鳥の顔を見た冷と冬美は思わず互いに顔を見合わせた。それから再び二人に視線を戻すと、その眼差しに温かい色を浮かべる。
 視線に気づいた佐鳥は、咄嗟にきゅっと唇を引き結んだ。
 その白い顔がほんのり赤らんでいることに気づいていないのは、残念ながら轟だけだった。


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