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27

「センリちゃんも悪い女だねぇ」
 緑谷達のいる病室を出て、いつもと変わらぬ調子でタップが口を開く。
 佐鳥はちらりとタップを横目に見た。
「嘘でしょ。さっきの」
「……なんのことでしょう」
「ははっ、いいね! 秘密の多い女は確かに魅力的だ。……でも、俺には通用しない。心音で分かるからな」
 声のトーンが下がって真面目な声音に変わり、佐鳥はタップを振り返る。
 お調子者のような雰囲気はどこへやら。タップは笑顔こそ浮かべているものの、真剣な目で佐鳥を見下ろしていた。
「言っただろ? 良い事ばかりじゃないって……隠し事はあとで後悔することもあるぞ。相手が大切な存在なら、なおさらな」
 佐鳥は無言でタップの顔を見つめた。
 言葉の真意を探るような眼差しを受けたタップもじっと彼女の目を見つめ返したが、それは短い時間だった。すぐに気を取り直してへらりと笑い、佐鳥の背中を叩く。
「まっ、俺も人のことは言えないけどね! ただ、センリちゃんには向いてないって思っただけ」
 そう言って、タップは少し歩調を早めて先を歩いた。
 そんな彼の背中を見つめていた佐鳥は、静かに眉根を寄せながら俯いた。
「……わかっています」
 わかっている。隠し事は時に相手を傷つける──幼い頃に両親から最後に教わった教訓だから、自分でも嫌というほど良く理解している。
 そんな佐鳥の呟くような声は聞こえているのか、それとも聞こえないフリをしているのか。タップは振り返ることなく佐鳥の病室に向かって歩き続けていた。


「『脱走』という言葉を今一度辞書でお調べいただけますか」
 病室に戻って開口一番、満面の笑顔の御守は佐鳥に顔を向けて言葉を放った。
 全く笑っていないその瞳から顔を背け、佐鳥はぼそりと答えた。
「……抜け出して逃げることです」
「わかっていてやりましたね?」
「でも、病院は抜け出していません」
「そんな頓知レベルの話をしているんじゃありません。全く……窓が開いてれば飛び出す鳥なんですか、君は」
 ぴしゃりと佐鳥の言い訳を跳ね除けて、御守は頭が痛いと言わんばかりにため息を吐きながら額に手を当てた。
 そんな御守を見たタップは腹が捩れるほど笑った。
「佐鳥だけに?」
「おっさんは黙っていてください」
 にべもない。いつも爽やかな微笑を浮かべる顔が凍てつくような無表情を浮かべ、鋭い眼差しで親父ギャグを一蹴した。
 しかし、タップは涙目のまま肩を震わせる。
「いやいや……こいつを振り回せるなんてセンリちゃんぐらいだよ。ホント面白いね、君達」
「タップさんは御守先生とお知り合いだったんですか?」
「お知り合いも何も、こいつは昔インターンで俺の事務所にいたんだよ。弟子みたいなもんだ。あの頃はこーんな爽やか君じゃなかったんだぜ? いつもツンツンして澄ました顔してんの。でも、面白いくらい女には囲まれてたな」
「誰が弟子ですか。昔の話はやめてください」
「おーこわ。そんなんじゃ好きな子に嫌われちゃうよ」
「大丈夫です。こんな顔を見せるのはあなたぐらいなので」
「あれ? 何、おっさん愛されてる?」
「黙れペテン師」
「ペテン師」
「センリちゃん、そこ反応しなくていいから」
 佐鳥が口を挟んだ途端に軽口を止めたタップ。
 そんな彼を睨むように見てからにっこりと微笑んだ御守は、ゼリーの入ったビニール袋を佐鳥に差し出した。
「もうすぐドクターが診察に来ます。これを食べて大人しく、くれぐれも『お・と・な・し・く』していてくださいね。おそらく明日の朝には退院できると思いますので」
「……了解しました。ありがとうございます」
 またもや笑顔で『大人しく』を強調してくる御守。それも二度も言われてしまい、佐鳥は今度こそその言葉通り静かにゼリーを食べながら医者が訪れるのを待つことにした。ベッドの上に座ってテーブルを引き寄せている間も、タップと御守はずっと軽口を言い合いながら病室を出て行く。そんな彼らを見送りながら、佐鳥は「御守先生は怒らせると怖い」、「今度から逆らわないように気をつけよう」とひっそり自分に言い聞かせた。
 そうして病室が静かになると、御守が買ってきた果物入りのゼリーを黙々と食べながら、佐鳥は静かになった部屋で先程の緑谷達の言葉を思い出した。
(……ヒーローになりたくないの、か……)
 あの時、轟と緑谷に返す言葉は出てこなかった。誰に言われても自分の夢は『ヒーローを守ること』だと答えてきたのに、それ以外の答えを持ち合わせていなかったのに、どうしてか言葉に詰まってしまったのだ。
 心に引っかかったのは、轟に言われた言葉だ。
(私が、ヒーロー科に入った理由……)
 佐鳥はただ、社会の規律を守っただけだ。規則に囚われず、自由に『個性』を使う資格が欲しかった。だが、それを許されているのは『ヒーロー』だけだ。だからヒーローの資格を取得する手っ取り早い方法として雄英を選んだ。
(……返す言葉なんて、なかったな……)
 ヒーローを守りたい。『平和の象徴』の相棒になりたい。その気持ちに偽りはない。
 だが、その夢が実現する可能性が少ないということも痛いほど理解していた。
 だから──。
(……言えないな)
 自分が雄英に来た『本当の目的』は、やっぱり誰にも教えられない。
 そう考えたと同時に、ついさっきタップに言われた『隠し事は向いていない』という言葉が脳裏を過って、佐鳥は小さくため息を吐き出した。
 誰かが扉をノックしたのはその直後だった。
 入ってきたのはグラントリノで、顔を上げて顔見知りの姿を視界に入れた佐鳥は微笑みながら出迎えた。
「こんにちは、グラントリノ」
「体の調子はどうだ」
「平気です。病室を抜け出して怒られるぐらいには」
「はっはっはっ。相変わらずの病院嫌いだな。サー・ナイトアイもお前のそれにはいつも頭を抱えていたと思うが」
「話があったので、友達のところへ行っただけです。あの三人なら大丈夫だと思ったので」
 言って、佐鳥は苦笑を浮かべた。
「責められることもなく、ただ驚かせるだけでしたが……」
「当たり前だ。お前さんはただの被害者だと前にも言っただろうが」
「……客観的に見れば、ですよ」
「そういう問題は客観的な意見の方が真っ当だったりするもんだ。いい加減、素直に子どもらしく我儘でも言ってみろ」
「お腹が空きました」
「お前さん、本当に相変わらずだな」
 呆れた表情を浮かべたグラントリノはやれやれと息を吐き出し、握りしめていた杖で軽く佐鳥の頭を小突く。
「飯はあとで食え。それよりも空……お前さんに言っておかなきゃならんことがある」
 小突かれた頭を摩っていた佐鳥は首を傾げながらグラントリノを見た。
 皺の多い顔に真剣な表情を浮かべた彼はしばらく佐鳥の顔をじっと見つめたあと、重々しくその口を開いた。


 *** *** ***


「職場体験に戻る」
 翌朝、轟は身支度を整えてベッドから立ち上がった。
 緑谷は目を丸くしながら轟を見上げた。
「エンデヴァーのところに……?」
「あいつから学べることは学んでおきたい。それに……実際やってもねえのに『ヒーロー殺し』を倒したことにされたアイツが、どんな顔をしてるのか見てえしな」
 飯田はすでに退院している。昨夜、母親が迎えに来て一足早く職場体験を切り上げて実家に帰ることになったのだ。まだ傷の癒えていない緑谷は入院が続くことになっている。
 ──そして。
「それに、佐鳥も戻るんだ。俺だけいつまでもここにいるわけにはいかねえだろ」
 佐鳥は検査の結果、体に異常はなかったらしい。『個性』による副作用も治まっているとのことで、あの後は病室で待機するよう言われた彼女に代わってタップが退院することを伝えに来た。
 それならば、と轟も彼女のついでに自分の退院手続きも済ませてもらっていたのだ。
 病室を出て行く轟に、緑谷は「そっか」と頷いた。
「頑張ってね。また学校で……って、佐鳥さんにも伝えてほしいな」
「……ああ。わかった」
 肩越しに緑谷を振り返った轟は少しだけ考える素振りを見せたあと、静かに頷いた。
 轟が玄関口に向かうと、すでにそこには佐鳥とタップの姿があった。二人の傍にはグラントリノと見知らぬ青年が立っており、彼らが話し込んでいるのを見て驫は近づくべきかどうか悩みながら足を止めた。
 それにいち早く気づいたのは青年の方で、彼は穏やかな笑みを浮かべると佐鳥とタップに頭を下げてどこかへと去って行った。
 グラントリノもまた轟に目を向け、佐鳥に声をかける。
 そこでようやく二人が振り返ったので、轟は少し迷いながらも足を動かした。
「おはようございます、轟さん」
「おはよう」
 佐鳥の挨拶に応え、轟はタップとグラントリノに軽い会釈をする。
「……話の途中だったか?」
「いえ。グラントリノは緑谷さんのお見舞いのついでに見送りに来てくださっただけなので」
「それじゃ、そろそろ行こうか。エンデヴァーさんが待ってるからね」
 そう言ったタップに、グラントリノと挨拶を交わした佐鳥が、そして轟があとに続く。
 自分達を見送るグラントリノの視線を感じながら、轟はチラリと佐鳥に目を向けておもむろに口を開いた。
「……さっきの、誰だ?」
「さっきの……? ……ああ、御守先生のことですか?」
「御守『先生』?」
「雄英の先生ですよ。他の科を担当しているので滅多に会いませんし、轟さんが知らなくて当然だと思います」
「相澤先生ならともなく、なんでそんな人がここに?」
「出張で保須に来ていたらしいんです。私は前に先生とお話したことがあるので……心配して駆けつけてくれたみたいですね」
「……そうか」
 多少まだ気になる部分はあるが、彼女の説明にひとまず頷く。
 そして少し考えてから、轟は再び口を開いた。
「……飯田、昨日の夜に家に帰ったぞ」
「? はい。飯田さんからメールで伺ってます」
「……あと、緑谷が『また学校で』って言ってた」
「そうなんですか。挨拶が出来ずに申し訳ないと思っていたので、あとでメッセージを送っておきます」
 ああ、と相槌を打とうとした轟の言葉は音もなく不自然に途切れた。
 不思議に思った佐鳥が目を向けると、轟は顎に手を添え、何やら考え込んでいる。
「轟さん? どうしました?」
「……いや、別に」
 なんでもない。そう小さな声で言った轟の顔は、事務所に戻るまでずっと何かを考え込んでいるようだった。


「二人とも戻ったか」
 迎えに来たダップに連れられるまま事務所に戻ると、事務仕事をしていた手を止めてエンデヴァーは顔を上げて仏頂面のまま二人を出迎えた。
 マスコミの対応、各所へ出す始末書の準備など面倒な手間が多いのだろう。今の彼には初日に見せたような大胆不敵な笑みは一切浮かばなかった。
「ご迷惑をおかけしました」
「構わん。お前達の単独行動を許した俺の責任だ」
 ぺこりと頭を下げた佐鳥に対し、轟は何も言わずに佇んでいた。だが、その目は真っ直ぐに父親を見つめており、ほんの少しだけ見開かれている。
「俺はまだ手が離せん。今日は二人ともタップについて回れ。すでに指示を出してある。知りたいことや見ておきたい場所もあれば、あいつに聞くといい」
 そう言ってまた手元の書類に視線を戻した彼に、二人は後ろを振り返る。
「おっさんに任せなさい!」
 タップはへらりと笑って親指を立てた。
 そんな彼に、佐鳥は再びエンデヴァーに視線を戻して口を開いた。
「でしたら、早速お願いがあるのですが」
 そう言って話を切り出した佐鳥を、轟達は不思議そうに見つめた。


「──というわけで、今回みたいなケースはここだとほとんど書類仕事がなくてね。経費とか細かいお金のことはちゃんと担当の子がいるし、私は事件の調査資料とか報告書なんかをまとめて管理するぐらいなの。あとは電話対応かな……エンデヴァーさん人気だし、色んな所からかかってくるから……」
「なるほど……事務所はメディア以外にも一般市民からの通報が入ったりもします。エンデヴァーさんほどの人気になると、やはり人手は多い方が良いですね……仕事量も想像以上にあるようですし……」
「そうね。それに私達が各所に送る書類とかも一応目を通してもらうし……その辺は一般の企業と同じなんじゃないかな。それに相棒の人もそれぞれエンデヴァーさんの指示で動いてるから、かなり色んな所に目を配っていると思うわ」
(これ、誰の話をしてんだ……?)
 呆然としている自分を余所に繰り広げられる会話に轟は目を白黒させる。話している内容は確かにエンデヴァーのことだが、事務員や佐鳥の口振りからは全く自分の知る父親の姿が想像できないのである。それが『ヒーロー・エンデヴァー』の評価なのだろうと理解できるが、あまりにも自分の中の彼とは違う現実的な話に戸惑いが大きくなっていく。
 一方、佐鳥は事務員達の仕事内容にひとまず納得したようで、お礼を言いながら頭を下げるとその場を離れた。
 そんな彼女を見ながら、タップは呆れた顔をした。
「センリちゃん……なんで『知りたいこと』が事務員の仕事内容になるわけ?」
「私の周りにいるプロヒーローの人は事務員を雇わずに自分で処理してしまうタイプなので……ここまで大きな事務所になると、経営とか運営方針とかどうなっているのか気になりました」
「ねえ君、ホントにヒーロー目指してる? 興味持つとこ他にもあるでしょ? そこまでくると経営科の方が向いていたんじゃない……?」
「そっちは偏差値が跳ね上がるので無理です。私、勉強はあまり得意じゃないので……」
「ああ、そう……それで、もう気は済んだ?」
「まあ、細かいところは追々……」
「まだあんの!? センリちゃんはいったい何を目指してんの!?」
「将来独立するなら絶対誰もが通る道じゃないですか? 経理然り、雇用然り……その辺りのことも、今のうちに簡単なことから把握しておかないと……」
「佐鳥、独立なんて考えてたのか」
「一応、今のところ『平和の象徴』以外の『相棒』になるつもりはありませんので……でも、この先何があるかわかりません。理想は事務所を持たない方向で考えていますが……」
「なんでだ?」
「情報収集をメインに活動する予定だからです。そのため、一ヶ所に留まる予定もなく……コスチュームもそれを想定して作っているので、意図的に私服に寄せているんです」
 佐鳥の答えに、タップと轟は二人揃って「へえ」と感心したように声を漏らした。
「なるほどね。センリちゃん、『ケー弁』みたいなやつになりたいのね」
「『ケー弁』?」
「ケータイ弁護士。事務所を持たずに、携帯電話一つで仕事の依頼受ける弁護士のこと」
「! そう、それです。表立って行動できないので、依頼に関しては人の伝手だけが頼りになりますが……」
「というか、そもそも情報収集をメインにすると仕事が限られてくるでしょ……なんでそんなことしたいの?」
「情報こそが最大の武器で盾になるからです。犯人の居場所、敵の拠点、個性の特徴などの把握──私の『個性』なら、それらをいち早く確実に調べられることができます。的確な情報は事件にあたる者達の助けになりますし、下調べが迅速であればそれだけ市民への被害を最小限に抑えられると思うので」
「それじゃまるで公安の仕事だな」
 タップはそう言って苦笑いと共に肩を竦めた。
「今じゃ敵の個性も強力なものになってきて、ヒーローもチームアップで動くケースが多い。センリちゃんみたいな縁の下で働くタイプは重宝されるだろうが……その分、メディアで取り上げられるヒーローよりも数倍危険な任務が多くなる。君の場合、自分から敵の巣に飛び込む行為は避けるべきだと俺は思うけどね」
 タップの言葉に、轟も静かに頷いて同意した。
 難しい表情の佐鳥は顎に手を添えながら悩む素振りを見せる。
「……やっぱり、現実的ではないでしょうか?」
「現実的でなくとも、現実にするかどうかはまた別問題。そこは君の努力次第だ」
 意地悪でもなんでもなく、タップはさも当然のようにそう答えて佐鳥の頭を撫でた。
「まっ! とりあえず今は、そんな小難しい話は置いときなさい。そういうのは必要になってから専門家に聞くか任せるのが一番だ。……それより、そろそろ次の予定に入らないと怒られちゃうんだけど」
「あ、すみません……」
「この後は何をするんですか?」
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれたショート君! それはね……タップさんと地獄のトレーニングだ!」
 自分に親指を向け、胸を張りながら高らかに宣言するタップ。
 冷静な佐鳥と轟は二人揃って瞬きを繰り返すだけだった。


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