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25

 目覚めて最初に口から零れたのはため息だった。
 見慣れた白い空間、温かい布団、廊下から聞こえる人が行き交う足音。時折聞こえる患者の名前も、昔から何度も聞いている病院の風景だ。
「……どれぐらい眠っていましたか?」
 誰もいないはずの個室。だけど、佐鳥は目を向けずともパーテーションの向こう側にいる人物に気づいていた。
「あれから八時間……といったところでしょうか」
 穏やかな声と共に姿を見せたのは御守だ。学校で見た時と変わらぬ装いで現れた彼に、佐鳥は驚くこともなく目を向けた。
「思ったより目覚めは早かったですね」
「みんなの怪我は?」
 自分の怪我よりも先に気になったのは緑谷達のことだった。
 二の次に出た質問に、御守は肩を竦めながら答えた。
「轟君は腕の負傷のみなので明日にでも退院できるでしょう。緑谷君はそこそこに重症ですが、残りの職場体験期間中はほぼ入院となりそうです。そして飯田君ですが──彼は、左腕の腕神経叢をやられていて、後遺症が残るとのことです」
 後遺症、という言葉に佐鳥は眉を寄せた。
「佐鳥さんの手の火傷は痕も残らないそうですよ。良かったですね」
「私のことは別に、どうでもいいんですが……」
「もしここで君の手に痕が残ったりなんてしたら、飯田君は一生気に病んでしまうでしょうねえ」
「……」
 満面の笑顔の御守に、佐鳥は思わず口を閉ざした。確かに責任感の強い飯田なら『僕が責任を取る』なんて言い出しそうだ。そんなことを考えながら、言葉とは裏腹に「どうでも良くねぇよ」という副音声が御守から聞こえたのは気のせいだと思い込んだ。
「『ヒーロー殺し』の件……君の行動は褒められたことではありませんが、今回ばかりはその功績を評して『お咎めはなし』という結論に至りました」
「……サーには」
「報告は入れてあります。黙っていても、おそらく彼ならニュースを見て察することでしょう」
 彼の言葉に、そうだろうな、と佐鳥は小さく息を吐いた。サーが賢いことは自分が一番よく理解している。聞くまでもなかった。
 御守から視線を逸らし、再び天井に目を戻した佐鳥はぽつりと呟いた。
「……彼らに知られてしまいました……私のこと」
「……我々としては、『ヒーロー殺し』が君のことを知っていたのは想定内です。奴が『敵連合』と接触する可能性は充分にあった」
「『敵連合』に、私のことを知っている人物がいるということですか?」
「可能性はあります。それがどこの誰なのかはわかりませんが……」
 御守の言葉を聞きながら、佐鳥はゆっくりと瞬きを繰り返す。
 何も言わない彼女に、御守は「それに」と静かに言葉を続けた。
「隠し事はいつまでも続かないものです。どれだけ君が望んでも、綻びはいつか大きくなる。だから僕個人の意見としては……あそこで彼らに知られたのは良かったのではないかと思います」
 そして、御守は静かに立ち上がった。その足は静かに病室の扉へと向かっており、佐鳥はその背中をぼんやりと見送る。
「ずっと眠っていてお腹が空いたでしょう。何か食べられそうな物を買ってきます。くれぐれも、こんな所で脱走しようだなんて思わないように」
 有無を言わせない笑顔で『くれぐれも』の部分を強調して釘を刺した御守に、佐鳥は少し考える素振りを見せてから無言で頷いた。


 *** *** ***


「そう言えば、さっき麗日さんと電話した帰りに看護師さんに聞いてきたんだけど……佐鳥さん、まだ目を覚ましてないって」
 ステインとの戦闘中にSOSとして発信したメッセージを気にかけていた麗日は、電話越しでもその表情がわかるくらいに心配そうな声音だった。佐鳥も巻き込まれたという事実がさらに不安を煽ったのだろう。未だに彼女と連絡がつかないと話していたことを思い出しながら、緑谷は思いきって飯田と轟に話題を切り出した。
「まだ副作用が続いているのか……USJの時は脳無の攻撃を受けた怪我もあるだろうと思って深く考えていなかったが、今回のヤツの指摘で気づいた。佐鳥君のあれは、普段から日常生活に支障があるというだけあって想像以上にリスクが高いようだな」
「うん……でも、副作用が強く出る人もいるにはいるけど、『個性』は身体機能の一つ……過度な使用さえしなければ症状は出ないはずだと思うんだけど……」
「……」
 二人の言葉に、轟は沈黙した。彼は入学してから少なからず何かと佐鳥の事情を聞いている。中にはエンデヴァーとの会話を盗み聞きしたものもある。それを本人の預かり知らぬ場所で話すのは気が引け、どうしても口を閉ざすしかなかった。
 そんな彼に、飯田の気まずそうな視線が向けられた。
「轟君は何か知っているようだったが……」
「……お前らの方が仲良かっただろ。俺より詳しいんじゃないのか」
「ううん。確かに一緒にいるけど……佐鳥さん、一度も僕らに自分の話なんてしたことなかったと思う。その分、僕らに深入りすることもなかったけど……」
「『個性』のことも『できれば話したくない』の一点張りだったからな」
「俺も同じだ。何度か話すことはあったけど、あいつのことなんてほとんど知らねぇ」
 佐鳥は轟を『友達』と呼んだが、その実、距離が縮まったと言ってもほんの僅かだ。
 彼女を助けるべく伸ばした手が拒まれたことを思い出し、轟は自分の手を見下ろしながら話した。
 しんみりとした雰囲気に触発されたのか、ぽつりと緑谷の口から不安の声が漏れ出る。
「今思えば、やっぱり……距離、置かれてたのかな……」
 はっと轟は顔を上げ、すぐさま緑谷の言葉を否定した。
「それは違うだろ」
 緑谷と飯田は目を丸くして顔を上げた。真っ直ぐに二人を見上げる轟の目は、とても真剣な眼差しをしていた。
「あいつはいつだってお前らのこと気にかけてただろ。それは『友達』だからじゃねぇのか」
 その言葉に、緑谷と飯田はこれまでのことを脳裏に思い浮かべる
 轟の言う通りだ。USJで襲撃されたあと、彼女は自分の怪我よりも緑谷の怪我を心配していた。体育祭のあとは、前に進もうとする轟の背中を押した。職場体験の前では、飯田が誤った道を進まぬように注意していた。
 彼女はいつだって人のことばかり気にかけている。そうして自分の体が傷つくことも厭わないのは、決して偽善でできることではない。
 何より彼女はあの時、緑谷達を傷つけたステインに対し怒りを露わにしていた。
「だから余計に話せなかったんだろ、あんな話……あいつは、優しいから」
「轟君……」
 友達に不要な心配をかけたくないから、むやみに不安を煽りたくないから。万が一、悲しませることもしたくないから。
 そういう周りへの幾重にも重なった配慮が、彼女の口を閉ざしていた。
 今の轟がそう言えるのは、あの日、父と彼女の会話を聞いていたからに過ぎない。
 だが、何も知らない緑谷と飯田もまた、彼らなりに理解があった。
 二人はその顔に微笑を浮かべ、大きく頷いた。
「うん、そうだね。僕も、佐鳥さんは優しい人だと思うよ」
「ああ。例え『ヒーロー殺し』の言っていたことが真実だとしても、今の佐鳥君が俺達と同じヒーローを目指す仲間であることに変わりはない」
 緑谷と飯田の佐鳥を受け入れる言葉に、轟は小さく安堵の息を吐いた。ステインの言葉は確かに気掛かりだが、真実がどうであれ、これまでの彼女の行いを無碍にしていい理由にはならない。
(それに、あの時の佐鳥はきっと──……)
 あの時、あの瞬間、救いの手を拒む佐鳥の目が脳裏に浮かぶ。夜を想像させる美しい瞳に宿っていたのは、底知れない暗い絶望だ。そこに浮かぶ諦念の色を、轟ははっきりと覚えている。
「僕、もう一度病院の人に聞いて佐鳥さんのところに行ってみるよ。もしかしたら、もう目を覚まさしてるかもしれないし……」
 また一人で静かに物思いに耽っていると、ふと緑谷が思い立ったように松葉杖をついたままおぼつかない足取りで出口に向かった。
「今さっき聞いたばかりなのかい?」
「うん。グラントリノは眠ってるだけって言ってたけど、やっぱり自分の目で一度見ておかないと安心できないしさ」
「だ、だが、いくらなんでも女性の入院病棟に行くのは……」
「……俺、普通にお母さんのお見舞いに行ってるぞ」
「母親と同級生はまた別の話だと思うんだ轟君! 仮にも相手は眠っているんだぞ!?」
「別に起こさなきゃいいんじゃねぇか?」
 真面目な飯田が力説するも、轟は全く不可解な様子でただ首を傾げていた。
 そんな二人のやり取りに苦笑しながら、緑谷は病室の扉を開いた。
 ──その時だった。
「あ……」
「え……」
 間抜けな声が二つ、見事に重なった。
 扉の前に立っていたのは今まさに緑谷が会いに行こうとしていた佐鳥だ。そこで何をしていたのか、呆然と緑谷を見つめたまま彼女は突っ立っている。
「さ、佐鳥さん……!?」
「い、いつからそこに……!?」
「すみません……立ち聞きするつもりはなかったのですが、開けようとしたところでちょうど緑谷さんが私の名前を出したので……」
 自分の名前が挙がっただけでなく会話の流れから入りづらい空気だったのだろう。そうして扉の前で一人右往左往としているところで緑谷が出てきてしまったらしい。気まずそうに視線を逸らしながら言った彼女に、緑谷と飯田は先程の会話を思い返して同じように視線を落とした。
「その……飯田さんの腕……後遺症が残ると聞きました」
「あ、ああ……でも、思ったより酷くはないんだ。多少の手指の動かしづらさと痺れは残るが、手術をすれば直る可能性もあるらしい。心配をかけてすまないな」
「いえ、そんなことは……」
 そこまで言って、佐鳥は一度口を閉ざした。
 その表情はどこか思案しているようで、彼女が何やら言いたげであると気づいた飯田は静かに言葉を待った。
「……すみません。やっぱり、今回はとても心配しました。余計なお世話だとは、理解していますが……」
「……余計なお世話なんかじゃなかったさ。君は『ヒーロー殺し』に復讐しようとしている俺を止めようとしてくれたんだろう? 轟君から、少しだけ職場体験中の君の話を聞いた。俺が間違った道を進まないよう倒れるまで必死に最善を尽くしてくれた君を、俺はあの時、あんな言葉で傷つけてしまった……本当に申し訳なかった」
 飯田はそう言って頭を下げる。
 そんな飯田に、佐鳥は首を横に振った。
「謝らないでください。家族を傷つけられて平気なはずがありませんし、私は気にしていませんから」
 そう言いながらも、その声音はひどく落ち込んでいた。
 そんな彼女の反応に、飯田は眉尻を下げて控えめに笑みを浮かべた。
「俺より、佐鳥君の手は大丈夫なのか?」
「……ええ。痕も残らないので、心配されるほどでは」
 そこで、ふと轟が顔色を変えた。
「そういえば、お前も手をやってたな……やっぱり俺が関わったせいか……」
「「ぶっ」」
 轟の言葉に、しんみりとした空間に飯田と緑谷が噴き出す声が響いた。
 顔を背けてプルプルと笑いを堪える二人を交互に見て、話の流れが良くわかっていない佐鳥は呆然とした表情で首を傾げた。
「……どうして轟さんのせいになるんですか?」
「俺が関わるとみんな手が駄目になってるから、ハンドクラッシャー的な呪いかと……」
「な……なる、ほど……? ハンドクラッシャー……?」
 相槌を打ちながらも頭の上にはたくさんのクエスチョンマークが飛び交っている。言わんとしていることは理解できても、どうしてそういう思考になったのかは不可解な様子だった。
 そして未だに笑いを噛み殺している緑谷と飯田に目を向け、彼女は軽く息を吐いて微笑む。
「……なんと言いますか……轟さんのおかげで、さっきまで色々と考えていたことがどうでも良くなってきました」
「お、そうか……なら良かった」
「良くありません。これでもかなり緊張していたんですよ」
「緊張がほぐれたならいいじゃねぇか」
「罵られる覚悟までしていたんですが……」
「こいつらがそんなことするかよ。そんなの、お前が一番良くわかってるだろ。だから話をしに来たんじゃねえのか」
「そりゃ……まあ……知っていますけど……」
 言葉を濁した佐鳥はそれからしばらくむっつりと黙り、唇をほんの少しだけへの字に曲げたまま轟を恨めしそうな目で見た。
「……なんだか最近の轟さん、私より緑谷さんや飯田さんのことをわかっているみたいですね。私がここに来る前も三人で楽しくお話していたみたいですし……仲良くなって何よりです」
 まるで子どものような嫉妬心を隠すことなく不満として口にした佐鳥に、緑谷と飯田は目を丸くして互いに顔を見合わせた。
 轟は佐鳥が拗ねた理由がわからないようで、「そうか?」と小首を傾げている。
 そんな二人のやり取りを見た緑谷は、やんわりと笑みを浮かべながら声をかけた。
「僕には、轟君は僕らのことよりずっと佐鳥さんのことを理解しているように見えるよ」
「! 緑谷さん……」
「緑谷……?」
「轟君、少しでも佐鳥さんの事情を知っているみたいだし……正直、僕は轟君に妬いてる……かな……? ……ねっ、ねえ!? 飯田君!」
「えっ! あ、ああ! うん、もちろんそうだとも!!」
 緑谷は照れくさそうに人差し指で頬をかきながら話していたが、途中で恥ずかしさがピークに達したようだった。同意を求めるように飯田に話題を振った。
 突然話題を振られるとは思っていなかった飯田は、躊躇いながらもぶんぶんと千切れそうな勢いで首を縦に振った。
「だ、だからさ……僕らにも教えてよ、佐鳥さんのこと。もちろん、話せる範囲でいいから……僕達、『友達』だろ?」
 飯田の時と同じようにそう言って、緑谷が優しく微笑む。
 そんな彼の言葉に佐鳥は瞠目したが、ゆっくりと瞬きをしたあと、いつも見せるひかえめで穏やかな微笑を返した。
「……ちゃんとお話します。皆さんが知りたいこと」


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