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「焦凍! 事件だ、ついて来い。ヒーローというものを見せてやる!」
 轟音と共に上がる黒煙を発見したエンデヴァーはそう言って走り出す。
 しかし、肝心の息子が自分ではなくスマホに目を向けていることに気づき、彼はすかさず目を吊り上げた。
「ケータイじゃない、俺を見ろ焦凍ォ!!」
 この非常事態に目先の事件ではなく別の事に気を取られている場合ではないのだ。指導者として、先輩ヒーローとして当然の憤りである。
 だが、それでも彼の息子はエンデヴァーに目を向けることはなかった。それどころか素早く方角を変えて走り出すので、エンデヴァーは目を剥いて叫んだ。
「どこ行くんだ焦凍ォ!!」
「江向通り四の二の十の細道。そっちが済むか、手の空いたプロがいたら応援頼む。お前ならすぐ解決できんだろ」
 引き止めようとしたエンデヴァーは目を瞬かせて言葉を呑み込む。
 まさか息子から自分の実力を認めるような発言を聞くことになるとは思ってもいなかった。そして今、自分に背を向けて走る息子の背中は一人のヒーローとして逞しくも見えた。
「友達がピンチかもしれねえ」
 そう言って走り去る息子を見つめていたエンデヴァーは、「どうしますか」という相棒達の質問に思案する。
 今すぐ自分の相棒を息子について行かせるか、それとも目先の事件を先に解決するか。
 その時、エンデヴァーは頭上から落ちて来る人影に気づいて視線を動かした。
「エンデヴァーさん」
「センリか。タップはどうした?」
「敵連合の仲間の『脳無』が出現したため、事件現場に向かいました。私は彼から敵の情報をエンデヴァーさんに伝えるよう指示を受けてここに──」
 そこまで話し、顔色の悪い佐鳥は彼の周囲に目を向けて言葉を失う。
 その目が誰を探しているのか察し、エンデヴァーはまた彼女を見つめたまま考え込んだ。
「轟さんは……ショートはどこですか?」
「ケータイを見たあとに江向通りに向かった。友達がピンチかもしれない、と」
「!」
 エンデヴァーの言葉に、佐鳥はすぐさま自分のポケットからスマホを取り出した。
 見ると、通知はクラスのグループメッセージだった。発信元は緑谷で、メッセージらしき文章はない。画面をタップすると、一面に位置情報だけが開示されていた。
「これは……」
 住所は江向通四の二の十。指定された場所はおそらく人のいないであろう細道。
 佐鳥は顔を上げ、『個性』を発動してそちらへと目を向けた。
 そして、彼女は目を見開いた。
 その目に映ったのは『ヒーロー殺し』らしき風貌の男と、緑谷。それから──地面に倒れている飯田だ。
 ──最悪の、事態だ。
 最も避けるべき展開を、その未来を、自分は防ぐことができなかった。
 タップの言葉が何度も脳裏を過り、駄目だと理性が告げるのを無視して、佐鳥はエンデヴァー達に向けていたつま先の向きを変える。
「すみません、エンデヴァーさん。ご迷惑をおかけすると思います」
 言い残し、佐鳥は黒のマントの下で目と髪の色を変えて再び空へと跳躍した。
 一瞬で小さくなったその背中を見送ったエンデヴァーは、数秒の間を置いて彼女に背を向ける。
「事件現場に向かう。ついて来い」
 目先の事件を先に解決する。
 それが彼の選んだ、最善の選択肢だった。


 *** *** ***


 恨みつらみで動く人の顔はよく知っている。
 兄がやられてからの飯田の顔は、以前までの自分と全く同じだったから。
 だから、そんな彼のことを心配している彼女のことにも、すぐ気づくことができた。

 驫がそのメッセージの意味を理解した時、まず脳裏に浮かんだのは佐鳥の顔だった。
 彼女は聡く、賢い。緑谷から送られてきたこのメッセージの意図にすぐ気づくだろう。そして、またあの無表情の裏でずっと思い悩むに違いない。
 この三日間、彼女は懸命に事件の解決に尽力していた。それは他でもない飯田のためだ。彼の胸中を理解していながら、恨まれる覚悟で彼の企みを阻止しようと奮闘していた。
 なのに、結果は彼女の望まぬ未来となってしまった。
「やめてくれ……僕は、もう……」
 先に兄の仇を見つけ、けれど敵の個性により無念にも地面に伏した飯田の弱音が耳に入り、驫は歯を食い縛った。
(やめるだと……? あいつは……お前のために自分の命すら厭わず『ヒーロー殺し』を探していたんだぞ……!)
 今のこの状況を、彼女が知ったらどう思うだろう。ここで自分達が折れてしまったら、心根の優しい彼女はきっと己の無力さに責任を感じてしまう。
 どうすればいい。どうすれば、佐鳥の努力を無駄にせずいられる。どうすれば、飯田を奮い立たせることができる。
「っ……」
 ──この状況で、今、自分が飯田に言えることは。

「やめて欲しけりゃ立て!!」

 少し前の自分も、飯田と同じだった。
 これまでの事を無かったことにするつもりはない。これからも父の行いを赦すことはできないだろう。
 ただ、事実は事実として受け止めるべきだとは思った。
 保須市で再び事件が起こると言い切れる勘の良さも、相棒達に的確な指示を出せる判断力も、やはり本物のプロの実力だった。
 ──簡単なことだった。
 改めて思う。自分がどれだけ狭まった視野で物事を捉えていたか。どれだけ目の前の出来事に固執していたのか。

「君の力じゃないか!!」

「とても綺麗だと思ったんです……轟さんの『個性』が」

 体育祭で真正面からぶつかってきた緑谷や、氷の個性も炎の個性も綺麗だと言う佐鳥がいなければ、きっと驫は今でもまだ父親に対し憎しみを抱えたまま過ごしていただろう。
 そんな自分が彼に言えることは、たった一つだけだ。

「なりてぇもんちゃんと見ろ!!」

 腹の底から叫んで、自分の炎が、言葉が、飯田の道標となるよう願って、驫は自分の左腕を燃やした。
 そして、氷の壁を壊して突っ込んでくるステインに向かって炎を放つ。
「氷に、炎」
(っ……んで避けられんだよコレが!)
 轟が一瞬の隙を衝いて繰り出した攻撃さえ簡単に避けたステインの刀が、その懐を狙って刃を振りかざす。
「言われたことはないか? 『個性』にかまけ、挙動が大雑把だと」
「バケモンが……」
 最後の意地で悪態を吐いた轟が痛みを覚悟したその時、彼の視界の端から細長い棒が飛んできた。
 ──六尺棒。
 それは寸分狂うことなく乾いた衝撃音と共にステインの刀を受け止め、刀の軌道を変えながら相手に襲いかかった。確実に自分の首を狙ってくる攻撃を躱し、ステインは割り込んできた人物に目を向ける。
「……女?」
 揺れる黒いマントの下から覗く白銀の髪。フードの陰に隠れ表情は見えないが、その口元は一文字に引き結ばれていた。
 突然現れて物静かにステインと対峙する参戦者に、轟達は息を呑んだ。
「……佐鳥……くん……」
 飯田の声に、佐鳥はゆっくりと振り返った。
 穢れを知らない美しい金色の瞳が、飯田と轟、そして振り返って緑谷を捉える。
 その瞳を見た轟達は、途端に背筋が凍りつくのを感じた。
「……よくも」
 ぽつりと呟いたいつもの玲瓏な声が、氷よりも冷たい音を奏でた。

「この人達に、手を出したな」

 満月の瞳が力強く輝き、丸い瞳孔が縦に細長く変形する。
 ふわりと彼女を中心に渦巻く風に合わせて揺れるフードの下から白銀の髪が姿を現した時、彼らは変貌した彼女の姿を見て驚愕の表情を浮かべた。
 緑谷がぽつりと呟く。
「鬼の……角……?」
 ──それに、あの模様は。
 首筋から黒い痣のような模様が彼女の目に向かって伸び、少しずつ顔を覆っていく。
 その変貌した姿を見たステインもまた、静かに眉を顰めていた。
「佐鳥……鬼の角……」


 *** *** ***


 現代における超常社会は、『偽善』と『虚栄』で作られている。
 その中でも『ヒーロー』という『職業』は特に歪なもので、ステインは『ヒーロー』に対する思想が世間のそれと異なっていた。
「なるほどなァ……お前達が雄英襲撃犯……その一団に、俺も加われと」
「ああ、頼むよ大先輩」
 客のいない古びたバーで相対した人の手で顔を覆い隠す青年──死柄木弔を前にしたステインは、静かに問いかける。
「……何が目的だ」
「とりあえずオールマイトをブッ殺したい。気に入らないものは全部壊したいな。こういう……糞餓鬼とかもさ、全部」
 言いながら死柄木が見せた二枚の写真には、それぞれ少年と少女が写っていた。他にも何枚かあるが、彼は今見せている少年少女を特に殺したいのだろう。
 滲み出る殺意と悪意を感じ取りながら、ステインは深いため息を吐いた。
「興味を持った俺が浅はかだった。お前は……俺が最も嫌悪する人種だ」
「はあ?」
 ステインの言葉に、死柄木は隠すことなく苛立ちを露にした。
「子どもの癇癪に付き合えと? 信念なき殺意に何の意義がある」
 すらりと自身の剣を引き抜き、ステインは素早く死柄木に飛びかかった。
「何を成し遂げるにも信念……想いが要る。ない者、弱い者が淘汰される、当然だ」

 ──だから、死ぬ。

 ふてぶてしい態度でカウンター席に座る死柄木も、自分を死柄木の前に連れてきた黒霧も切り伏せて、ステインは誘いを断ろうとした。
 だが、ふと死柄木が見せた一面に、ステインは己の考えを改める。

「あんなゴミが祀り上げられているこの社会を、滅茶苦茶にブッ潰したいなァ、とは思ってるよ」

 死柄木弔という男は信念などという陳腐で仰々しいものは持ち合わせていなかった。代わりに持っていたのは『平和の象徴(オールマイト)がいる現在の社会を壊す』という目的のみ。
 それは、ステインと同じ『現在を壊す』ということだ。
 自分と同じく日陰を行く者の『信念の芽』がどう芽吹いていくのか、まだ若い青年から感じた異様な空気に、彼らと手を組む気はさらさらないステインも不思議と興味が沸いた。
 ──目的は、対極。
 けれどその信念を見届けてから殺すのも悪くはない、と考えたその時、ステインの背後から一人の男が入ってきた。
「やあ、これは面白いことになっていますねぇ」
 ねっとりと耳に張り付くような声音は、言葉通り楽しそうだった。顔を覆い隠している気味の悪い能面すら笑っているように見える。
 その男の登場に、ステインの攻撃で怒り心頭の死柄木は「また面倒くさいのが戻って来た」と舌打ちを零す。
「なんだお前は」
「僕? 僕は、んー……そうですね、『人形師』です」
「何が『人形師』だヘンタイ似非研究者。死ね」
「弔君は相変わらずお口が悪いですねえ」
 能面を貼りつけたままクスクスと笑う『人形師』に、死柄木はますます嫌悪を露わにして「気持ちわりぃ」と呟く。
「それより、『ヒーロー殺し』さんはこれから保須に戻られるんですよね? それじゃあ、仲間になった記念に一つだけアドバイスしておきたいんですが……」
 言いながら、カウンター席に歩み寄った彼は死柄木が置いたままの写真を一枚手に取り、ステインに見せる。
「佐鳥空……この少女の血は口にしない方がいい」
「……何故だ?」
「彼女の血は『呪われている』からです。そんなものを口に含めば、例えあなたでも少なからず体に影響が出るでしょう」
「……」
「まあ、それ以前にあなたが彼女に傷をつけられるかわかりませんが……何せ、彼女は佐鳥家が待ち望んでいた『最高傑作』──」
 ──対人用の『暗殺人形』ですから。
 そう告げた能面の男は一人、気味の悪い笑い声を零した。


「佐鳥家の、『暗殺人形』かァ……」
 ステインの言葉に、轟達は目を丸くする。
「なんだって……?」
「傑作……? 笑わせる……よもや人殺しが雄英に入学し『英雄』を目指すなど……笑止!」
 死柄木達の言葉が真実であるかどうかはわからない。だが、佐鳥というこの少女が本当に人殺しを目的とした教育を受けていたのなら、その過去を想像するのは容易い。
 事実、今の彼女は彼らとは似て非なる存在──それだけの雰囲気を纏っていた。
(……これは、間違いなく殺気だ)
 彼女の怒りと共に感じる寒気──おそらくそれは殺意で、ステインは少なからずその気に当てられている。何もされていないのに、そこに佇んでいるだけの彼女の目が、顔が、その纏う空気が、自分に『死』を予感させた。
 だが、そこで引くほど弱い信念を持ち合わせた覚えもない。
 何より、その少女は自分が抱いている『理想の英雄』から最も遠くかけ離れている。
 ステインは刀を構え、同じく殺意を纏う目で佐鳥を睨んだ。

「お前も、贋物だ」


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