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21

 翌朝、目の下に薄らと隈を作った轟を見て、佐鳥はきょとんとした。
「眠れなかったんですか?」
「……寝つきが悪かっただけだ」
 むしろ、あの時間まで起きていながらどうして佐鳥は平然としているのか。隈一つ見えない顔に、轟は恨みがましい視線を向けた。
 睨まれた佐鳥は首を傾げていた。昨夜、エンデヴァーとの話を轟が盗み聞きしていたことは気づかれていない様子だった。
「今日は私達もずっと見回りに出るそうです。鍛錬はどうしますか?」
「見回り終わってからやる。どうせ俺達は夜間の見回りには参加させてもらえねぇからな」
「わかりました。でも、今日はなるべく早めに切り上げましょう。轟さんもその調子では、明日にでも疲れが出てしまいます」
「……ああ」
 人より自分の心配をしろ、という言葉は飲み込んで、轟は短く相槌を打った。
 その後、今日こそはと二人で意気込んで見回りに出たものの、残念ながらこの日も『ヒーロー殺し』は現れなかった。
 捜査を開始してからまだ二日目だ。そう上手く事が運ぶとも思っていなかったが、佐鳥は気持ちが焦っているのか、それとも他に考えることがあるのか、見回りを終えたあともぼんやりとしていた。
 鍛錬中も全く佐鳥が集中していないことに気づいた轟は眉を顰め、迷わず彼女の隙を狙って背負い投げる。
「った」
「ぼーっとすんな。また投げ倒すぞ」
「轟さん、昨日とは全然動きが違いませんか……?」
「流石に何度も相手をすれば一本ぐらい取れるようになる。それに、お前が考え事し過ぎなんだ」
 昨日とは立場が逆転し、仰向けに倒れる佐鳥を見下ろす轟。佐鳥ほどの機転の利いた動きはできないが、『A組の最強』と言われるだけあって爆豪同様に轟の戦闘スキルも悪くないのだ。
 ふぅ、と軽く息を吐いて、佐鳥は体を起こした。
「すみません……気持ちが急いているようです」
「ここで焦っても『ヒーロー殺し』は捕まらねぇぞ」
 轟の言葉に、佐鳥はひょいと肩を竦めて視線を落とした。
「……すみません」
 覇気のない小さな謝罪が空気に溶けて消えていく。
 交わらない視線に、轟も思わずため息が零れ落ちた。
 聞きたいことはたくさんあるのだが、今のこの調子では話題を持ち出すのも憚れる。
 ──今日はもう切り上げるか。
 そう考えて、轟は座り込んだまま項垂れている佐鳥に手を差し伸べた。


 翌日、職場体験も三日目を終わろうとしていた。
「……大丈夫か、佐鳥」
「平気です」
「いや……どう見ても副作用だろ、それ」
 保須市に到着してから変わらずエンデヴァー達と見回りを続けていた佐鳥の不調は、思ったよりも早く出てきた。
 何度も欠伸を繰り返し、ずっと目を開閉している。時折こめかみを押さえているところから察するに、頭痛も起きているのかもしれない。
 最後の巡回に出る前に顔を合わせた轟がそれに気づいて指摘すれば、すぐさま平静を装った佐鳥も隠しきれないと悟ったのか顔を背けた。
「……流石に、三日も連続で『個性』を使い続けていたので……」
「センリちゃん、副作用酷いんだってね。ちなみにどんな症状なの?」
「主に眼精疲労による頭痛です。あと、眠気が少し……ですが、問題ありません」
「んー……そうは言っても目と脳に直接副作用出ちゃうならねぇ……このままセンリちゃんの『個性』に頼り過ぎるのも良くないな。ちょっとエンデヴァーさんに報告してくる。センリちゃん、今日はもう休みな」
 副作用が悪化することを考慮したタップの判断に、佐鳥はかぶりを振った。
「いえ、大丈夫です。私だけ休むなんてできません。足手まといにはなりませんので、見回りに参加させてください」
「え? でも……」
「こういう時こそ『プルス・ウルトラ』です。これまでの事件の詳細から推測するに、『ヒーロー殺し』は絶対この一週間以内に現れるはず……とにかく早く見つけなくては」
 それは、飯田のために他ならない。
 彼よりも早く『ヒーロー殺し』を見つけて捕らえれば最悪の事態は免れるはず──そう思って佐鳥はこの三日間頑張ってきた。
 そんな彼女の思いを少なからず理解している轟は複雑な思いを抱えながらも黙っていたが、事情を知らないタップは不思議そうに首を傾げていた。
「少し気になってたんだけど……センリちゃん、なんでそんなに『ヒーロー殺し』を捕らえることに意欲的なの?」
「……実は、友人にインゲニウムの弟さんがいて、彼もこの保須市に職場体験に来ているんです。聡明で真面目な方なんですが……『ヒーロー殺し』にお兄さんがやられてからは、どうも様子がおかしい気がして」
「……なるほどね。センリちゃんはその弟君がここに来た理由が『仇討ち』目的じゃないかと疑ってるわけだ」
「はい……友人を信じていないわけではないのですが、『家族が傷つく』ことが悲しいと思う気持ちは私にもわかります。気持ちというものは理性でなんとかなるものではないので……だから、彼にとって最悪の事態を回避する術は、先に誰かが『ヒーロー殺し』を捕まえるしかないかと……」
「ハハッ! なるほど、いいね! おっさん、センリちゃんのことちょっと見直しちゃった! というか、もう惚れそう!」
 思ったより鈍感じゃないのね、と笑いながら自分の頭をぽんぽんと叩くタップに佐鳥は眠そうな目をぱちぱちと瞬かせた。
 そして、その目はなんとなく隣にいる轟へと向けられる。
「私、鈍感に見えるんでしょうか……?」
「さあ……」
 彼女が変なところで鋭いのは経験上知っているが、鈍感に見えるか否かまではわからない。尋ねられた轟も、こればかりは首を捻った。
 その光景を微笑ましく思いながらも「ほんとに付き合ってないんだよね?」と邪推してしまう大人がすぐ傍にいることに、二人が気づくことはなかった。


 *** *** ***


「今日も今日とてパトロール。ごめんね、代わり映えしなくて」
 保須市に事務所を構えているプロヒーロー『マニュアル』が振り返りながらそう声をかけてくる。しきりに周囲へと目を向けていた飯田は「いえ」と首を横に振り、またキョロキョロと視線を動かした。
「むしろ、いいです」
 まるで何かを探しているようなその言葉と仕草をじっと観察されていることにも気づかず、飯田は熱心に周囲を見渡した。
 目的は、ただ一つだけだった。
「…………ねえ、聞きにくいんだけどさ」
 おもむろにマニュアルが口を開いた。
「君、『ヒーロー殺し』追ってるんだろ」
「それは……」
「ウチに来る理由が他に思い当たらなくてね。……や! 別に来てくれたことは嬉しいんだぜ!? ただ……──私怨で動くのはやめた方がいいよ」
 今までの人当たりの良い雰囲気を消し、足を止めたマニュアルの表情と声音が真剣なものに変わった。
「我々ヒーローに逮捕や刑罰を行使する権限はない。『個性』の規制化を進めていった中で『個性』使用を許されてるわけだから、ヒーロー活動が私刑となってはいけない。もしそう捉えられればソレはとても重い罪となる」
 その言葉を、飯田はただ静かに佇んで聞いていた。
 コスチュームのヘルメットで顔が覆われているため、マニュアルからは彼がどんな顔をしているかはわからない。
 説教臭かったか、とマニュアルは慌てて身振り手振りを多くして場を和ませた。
「あ! いや! 『ヒーロー殺し』に罪がないとかじゃなくてね。君、真面目そうだからさ! 視野がガーッとなっちゃってそうで、案じた」
 誇りでもあったヒーローとしての兄を奪われた飯田が周りが見えなくなりつつあることに気づいていながら、彼は『ウチに来てくれた学生』として何も言わずに今まで飯田のことを見守っていたのだろう。
 しかし今、マニュアルが口にしたそれは先輩として、『ヒーロー』としての忠告だ。
 そして、おそらく職場体験前に佐鳥が飯田に告げようとしたことでもある。

「……私も、道を間違えた一人なので」

 三日前、佐鳥が言った言葉が飯田の脳裏に甦る。
 飯田は、佐鳥の事情を詳しく知らない。ただ、あの時の彼女の表情はいつもと変わらない無表情だっただろうか。どこか焦りさえ滲んだ声音だけが耳に残っていて、それさえ思い出せなくなっていることに気づいて、飯田は自分の手を震わせた。
「ご忠告、感謝します」
 けれど、それでも、胸の奥で渦巻く怒りを上手く昇華できなかった。
 ヒーローは決して安全な仕事ではない。人一倍体を張って市民を守る立場だ。だから怪我をすることも仕方ない。敵に殺されることだってあるだろう。
 ──しかし。
(じゃあ僕は……この気持ちをどうしたらいい!?)
 やり過ごすこともできなくて、強く手を握りしめる。
 やっぱりこの思いに区切りをつけるには、『ヒーロー殺し』への復讐を成し遂げるしかない。今の彼には、そうすることしか考えられなかった。

 敵が現れたと市民が騒ぎ出したのは、それから十数分後だ。

「天哉君、現場行く! 走るよ!」
 遠くの建物から上がる黒煙に気づいて走り出すマニュアル。
 しかしその時、飯田は別の方角だけを見つめていた。

 そして、彼は人のいない江向通の細道へと足を踏み入れる。
 ──当初の目的を果たすために。

 ずっと探し求めていた敵の──『ヒーロー殺し(ステイン)』のもとへと。


 *** *** ***


(おかしい……本当に潜伏しているなら、もうすでに見つけられるはずなのに)
 血のように紅い巻物と、全身に携帯した刃物。それが『ヒーロー殺し』の特徴だ。そんな風貌の人間がいれば、例えそこが人混みであろうと佐鳥は一目で見つけられる。
 加えて、事件の被害者の六割が人気のない街の死角で発見されている。そのことから、今後の犯行も人気のない場所を重点的に探すのが正しいだろう。
 そう思ってずっと裏路地などを中心に探しているのだが、一向にそれらしい人物は見つけられなかった。
 焦りがさらに自分の視野を狭めていくような気がして、佐鳥は一度『千里眼』を解除すると大きく深呼吸した。
「大丈夫? 少し交代しよう」
「まだやれます」
「だーめ。俺がしばらく『聞き耳立てる』から、センリちゃんは休んでな」
 言って、タップは自身の耳を顔の半分ぐらいまで大きくした。彼の耳が個性の効果範囲が広がるにつれて大きくなるのだと知った時もそうだが、佐鳥は興味深そうにタップを見つめた。
「ん? どうかした?」
「いえ……タップさんの『個性』、とてもヒーロー活動に有利だなと思いまして」
「お、何なに? おっさんに興味津々? おっさんのこと気になっちゃった?」
「はい。とても興味深い『個性』です」
「興味あるのは『個性』だけなのね……」
 表情一つ変えず一刀両断とも言えるようなさっぱりとした返答にタップは苦笑する。
「確かにヒーロー活動するには便利だね。でも、まあ……やっぱり、良い事ばかりじゃないよ。聞きたくないもんも聞こえちゃうしね。他人のベッドの中での睦言とか」
「……はあ」
「あ、今めちゃめちゃ馬鹿にしただろ? これも結構独身にはキツイんだぜ? センリちゃんの『個性』だっていつか他人の情事を見ちゃう時がくるかもよ?」
「いえ、そうではなく『むつごと』の意味がわからなくて……あと、『じょーじ』ってなんですか?」
「うん、そうだよね! 純情純粋天使なセンリちゃんは知らないよね忘れてた! 多分それおっさんが教えたらエンデヴァーさんにクビ切られる!! ヒーロー人生も終わる!!」
「そうなんですか……わかりました、今自分で調べますので──」
「それも止めてお願い。せめて職場体験終わってからにして。できれば家族にも内緒で」
「は、はあ……わかりました」
 そこまで全力で止められるなら仕方ない。帰ってから調べるか、学校で博識な八百万にでも聞けばわかるだろう、と佐鳥は取り出したスマホをまたポケットに押し込んだ。
 その時、彼女はふと何かの気配を感じて視線を動かした。
「……?」
 そして、町に大きな轟音が響いたのも同時だった。
 地響きが伝わり、音に反応したタップと佐鳥はその音源の方向をすぐに察知して『個性』を発動した。
「な、なんだ……!?」
「あれは……脳無……!?」
「え、脳無って何!? なんの騒ぎなの!?」
「敵連合です! 奴らの仲間がいる!」
「はあ!?」
 数百メートル先を透視した佐鳥の目に映る脳が剥き出しになった化け物──脳無。見覚えのあるその風貌に、佐鳥は冷や汗を流した。
「並みのヒーロー一人では相手になりません! 加勢に行きましょう!」
「ああ、もちろんだ! ただし、加勢には俺一人で行く。君はエンデヴァーさんのところに行って敵の事を報告して」
「! ですが市民の避難も……」
「現地のプロヒーローがすでにやっているはずだ。君はまだ学生だから戦闘には参加させられない! ……わかった?」
 佐鳥はぐっと言葉を飲み込んだ。
 おそらくタップは『敵連合』がいるという言葉に過剰に反応している。
 佐鳥を含め、雄英高校のヒーロー科の生徒が敵の襲撃に遭ったことは当然ながら周知の事実だ。だからこそ、なおさらタップは佐鳥を『敵連合』との戦闘に関わらせようとはしないのだろう。力を過信した学生が一人で突っ走ってしまわないよう、万が一でも規則を破ってしまわないよう、最悪の事態を想定しての判断だ。
 そして佐鳥もまた、今はタップの判断に従うべきだと考えた。
「……了解しました。指示通り、エンデヴァーさんのところに向かいます」
「いい子。職場体験が終わったら好きなもの買ったげるからね」
 子どもをあやすように頭を撫でながらそう言い残し、タップは身を翻して走り出す。
 佐鳥はそんな先輩の後ろ姿を見つめたあと、エンデヴァーを探すべく『個性』を発動した。彼がいるであろう方角に金色の目を凝らすと、その姿はすぐに見つかった。
 轟も一緒だ。彼らは真っ直ぐ黒煙の上がる事件現場の方へと向かっていた。
 佐鳥も急いでそちらに向かおうと、足を踏み出す。
 ぐらりと彼女の視界が揺れたのは、その時だった。
「っ……」
 副作用だ。だが、こんな時に立ち止まっているわけにはいかなかった。
 ぐるりと世界が回る感覚にすぐ『個性』を解除し、佐鳥は足を踏ん張ってふらりと傾く体を支える。
 そして歯を食いしばった彼女は、『もう一つの個性』を使って空高く跳躍した。


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