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20

 ──職場体験、当日。
 A組の生徒二十一人は早朝から駅の改札付近で集合していた。
「全員、コスチュームは持ったな」
 担任の相澤は生徒達の顔を見渡して言葉を続けた。
「本来なら、公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」
「はーい!!」
「伸ばすな。『はい』だ芦戸」
「……はい」
 元気よく返事をした芦戸はぎろりと睨まれてしゅんと肩を落とした。
「くれぐれも失礼のないように! それじゃあ行け」
 相澤の出発の合図に、生徒達は各々動き出す。
 そんな中、佐鳥は緑谷や麗日と同じく、さっさと移動を始めた飯田に気遣うような眼差しを向けていた。
 その理由は一つだ。
 体育祭後、飯田の兄『インゲニウム』がヒーロー殺し『ステイン』に襲われ再起不能となった。大切な家族が襲われ、目標であり誇りでもあった兄のヒーローとしての道が奪われたのだ。彼はそれについては何も言わず普段通りを装っているが、ここ数日、何やら思いつめているのは誰の目から見ても明らかだった。
 スタスタと歩き去って行く飯田の背中に向かって、緑谷が意を決したように声をかけた。
「飯田君」
 飯田は足を止めた。
「……本当にどうしようもなくなったら言ってね。友達だろ」
 その隣で、麗日がぶんぶんと首を大きく縦に振る。佐鳥も無言のままだったが、緑谷の言葉に賛同していた。
 三人がじっと飯田の背中を見つめて返事を待っていると、飯田はゆっくりと振り返る。
「ああ」
 はっきりとした返事だった。だけど、それはどこか危うさを感じる表情でもあった。
 聡明な眼差しが濁っているのを見て、きらりと目を光らせた佐鳥はきゅっと眉を顰める。くるりと背を向ける彼に小走りで駆け寄って肩を掴んで引き止めると、彼女は周りには聞こえないよう小さな声で告げた。
「……あなたがやろうとしている事は、必ず後悔します」
「……」
「余計なお世話かもしれませんが、忠告しておきます。……私も、道を間違えた一人なので」
 瞬間、佐鳥の手は思いきり振り払われた。
 同時に振り返った飯田は鋭い眼差しで佐鳥を睨みつけ、色濃く浮かび上がった怒りを隠すことなく相手にぶつける。
「本当に余計なお世話だよ、佐鳥君。……君には関係のない話だ」
 言って、今度こそ飯田は振り返ることなく歩き去って行った。
 話の内容を聞かずとも険悪な雰囲気になった二人に気づいた緑谷と麗日は、振り払われた手を見つめて呆然としている彼女の背中になんと声をかけるべきか迷う。
 そんな重苦しい空気の中、一連のやりとりを黙って見ていた轟が佐鳥に向かって声をかけた。
「そろそろ行くぞ、佐鳥。電車に間に合わねぇ」
 轟の声に、佐鳥は顔を上げて振り返った。いつも真っ直ぐで美しく輝く夜の瞳は、暗闇に染まって不安げに揺れていた。
 それに気づかないフリをして、轟は一足先に電車の改札口へ向かって歩き出す。
 後ろ髪を引かれるように飯田を振り返りながら、佐鳥は緑谷達に声をかけて轟のあとを追いかけてその場から立ち去った。
 ずっと黙っていた轟が気遣うように声をかけたのは、駅から電車が発車した数分後だった。
「……大丈夫か?」
 静かな車両の中、向かい側からぽつりと聞こえた声にぼんやりと窓の外を見つめていた佐鳥は顔を向けた。
 同じく窓の方を向いていた轟はちらりと佐鳥の顔を見やると、視線を窓に戻す。
「飯田のことは俺も少し気になってた。今のあいつは……前の俺と同じ顔をしてたから」
「……杞憂であればいいと思って、余計なことを言いました。私がかけていい言葉ではなかったです」
 飯田の怒りの眼差しを思い返しながら、佐鳥はぽつぽつと話した。
 幾分か落ち込んだ声に耳を傾け、轟は静かに「そうか」と相槌を打つ。それから流れていく景色をぼんやりと眺めていた彼は、おもむろに自分の考えを口にした。
「お前が飯田に何を言ったのかは知らねぇが……多分、『余計なこと』なんかじゃないだろ」
 自分を肯定する言葉に、佐鳥は僅かに目を丸くした。
「ただ、視野が狭まってる時に人の助言はあまり耳に入らねぇんだ。だから……何かきっかけさえあれば、お前が伝えようとした言葉も必ず飯田には届くと思う。……友達なんだろ」
 こちらには一切目を向けず、轟は遠くの景色を見つめたまま話す。
 その目が何を考えているのか、どんな思いを秘めているのか。ほんの少しだけ気になったが、気落ちしている佐鳥はあえてそこに触れないようにそっと彼から目を逸らした。
「……そうだといいです」
 それきり、エンデヴァー事務所に着くまで二人の間に会話はほとんどなかった。


「待っていたぞ、焦凍。ようやく覇道を進む気になったか」
「……あんたが作った道を進む気はねぇ。俺は俺の道を進む」
 広い所長室に腕を組んで佇むエンデヴァーの言葉に、轟はいつになく平静を保って答えた。
 彼の隣に立っていた佐鳥はちらりと轟の顔色を伺い、エンデヴァーに視線を戻す。
「お前もきたか、佐鳥の娘」
「ご指名頂き、ありがとうございます。佐鳥空、改め『センリ』と申します」
「ふん……お前を呼んだのは焦凍のために過ぎん。体育祭の障害物競走での行動は少々目に余るが、その『個性』はいずれ焦凍や将来の子どもの役に立つだろう」
 エンデヴァーの言葉に、佐鳥は首を傾げた。
「子ども……?」
「……おい。まさか、そんなくだらねぇことのために佐鳥を指名したのか?」
 父親の意図をいち早く察した轟が目を吊り上げた。
 言外に、エンデヴァーは佐鳥が将来轟家に関わること、もしくは轟の『相棒』になることを示唆したのだ。
 数秒の間を置いてそのことに気づいた佐鳥は「ああ、なるほど」と暢気に頷いた。
「私の夢はヒーローを守ること──もっと欲を言えば『平和の象徴』の『相棒』になることです。彼が世間からそう呼ばれる存在になり、私がヒーローとしての資格を持つことを許されるのであれば、そういう未来もあり得るかと」
「! ……佐鳥?」
 佐鳥の言葉に轟は訝しんだ顔をしたが、平然と佇む彼女のポーカーフェイスは崩れることなく、ただ真っ直ぐにエンデヴァーを見据えていた。
 エンデヴァーもまた静かに佐鳥を見つめ返していたが、真面目な顔から一変して大胆不敵な笑みを浮かべる。
「ふっ……まあいい。お前達も準備しろ。出かけるぞ」
「? どこへ?」
「保須市だ」
 その言葉に、轟と佐鳥は瞠目した。
 保須──『ヒーロー殺し』と呼ばれる『ステイン』が事件を起こした場所。
 そして、飯田が職場体験に向かった先でもある。
「前例通りなら保須に再び『ヒーロー殺し』が現れる。しばし保須に出張し活動する。お前達に、『ヒーロー』というものを見せてやろう」
 自信に満ち溢れた顔で見下ろしてくるエンデヴァーに、轟と佐鳥は互いに顔を見合わせてからどちらかともなく意気込んで頷いた。


「……人がそれなりに多いですね」
 保須に到着してすぐ、周囲を見渡した佐鳥はぽつりと言葉を漏らした。
 彼女の隣を歩いていた轟もその言葉に反応して周りに目を向けた。
「ああ……『ヒーロー殺し』が現れたなんて想像もできない活気だな」
「まあ、狙われているのはあくまでヒーローですから……自分達は関係ないと安心しているんでしょう」
 そう言って目を細めた佐鳥の声は、幾分か冷たい温度を纏っていた。
 いつもと変わらない無表情の裏側で何を考えているのか、轟は不思議に思いながら彼女の横顔を見つめる。
 すると、エンデヴァーについてきた相棒の一人が振り返って笑った。
「市民が安心して過ごせているなら、それは良い事だろう?」
「安心してもらうために活動するのはヒーローの役目ですが、それとは別に多少の自衛心は持つべきだ、と思っているだけです。以前から気になっていたのですが、市民は少しヒーローに頼りすぎている節がある。その思考がいつか『ヒーロー』という存在を潰してしまわないか……少し、不安に思います」
「え、何君。その歳でそんな難しいこと考えてんの? 疲れない? おっさん、この歳でまだ暢気に生きてるよ?」
 なんて笑う彼に、佐鳥は目を瞬かせて首を傾げた。
「おっさん……? 随分とお若く見えます」
「やだァ、センリちゃんお上手! 何が欲しいの? おっさんチョロイからなんでも買っちゃう!」
「い、いえ。別に何も……」
「ふざけてるなら今すぐ事務所に引き返してもらうぞ、『タップ』」
「すいません!」
 エンデヴァーにぎろりと睨まれた『相棒』ことタップはへらりと笑いながら謝った。エンデヴァーの威圧に屈するどころか平然としている様子を見た轟と佐鳥は、怖いもの知らずのタップの態度に揃って感心した。
「ここからは分かれるぞ。俺は見回りついでに挨拶に行ってくる。お前達は予定通り見回りに行け。焦凍、お前は俺と一緒に来い」
「センリちゃんはおっさんとね!」
「なんで佐鳥は別なんだ」
 すかさず、佐鳥が返事をする前に轟が疑問を口にした。些か不満を込めた声になったのは、自分だけが父親と一緒にいるということに公平さが感じられなかったからだ。
 しかし、それに気づいていないエンデヴァーは息子の疑問が返って不思議だったようで、小首を傾げながら理由を述べた。
「センリの個性は『千里眼』だと聞いている。タップの個性との相性を考えれば、一緒にいた方が都合が良い」
「おっさんの個性は『地獄耳』だからね! ちょっと遠くまでの音を拾えんのよ。でも広範囲をずっと聞き続けるのは流石にキツイから、怪しい奴を見つけたらセンリちゃんが報告してくれると助かるわけ」
「『ヒーロー殺し』を捕らえる手助けができるなら、私はなんでも構いません。個人的にも、奴のことは一刻も早く捕らえたいです」
「……」
「え、何なに? 焦凍お坊ちゃんはセンリちゃんと一緒がいいの? ならおっさんと一緒に来る?」
 父親や先輩にあたる『相棒』の説明に加え、納得した様子の佐鳥に轟は押し黙る。
 その当惑した表情に、タップはにやにやと含み笑いを浮かべた。
 もちろん、からかっているのだと気づいた轟がますます物言いたげな表情でむっつりと黙り込んだのは言うまでもない。
「タップ」
「すいませぇん! ……じゃ、センリちゃん行こっか!」
 軽口を注意されているにも拘わらず全く誠意の感じられない謝罪を口にして、タップは佐鳥に声をかけて歩き出した。
 佐鳥は轟とエンデヴァーを交互に見ると、頭を下げてからタップのあとを追いかける。
「……センリちゃんさぁ、焦凍お坊ちゃんとコレなの?」
 自分達を見送る轟を肩越しに見たタップが小指を立てると、佐鳥は彼と同じポーズをして首を傾げた。
「……コレ、とは?」
「え、ウソ知らない? じゃあコレは?」
 親指と人差し指を交差させて尋ねるタップに、佐鳥は再び真似をするとその手のポーズを見つめて首を傾げる。
 残念ながら、いくら眺めてもそのハンドサインの意味が全く理解できなかった。
「……あ、うん。ダイジョウブ。おっさんの勘違いだったみたい」
「? そうですか」
 結局それが何のポーズなのか最後まで知ることはなかったが、その日の見回りは幸か不幸か何事もなく無事に終了したのだった。


 *** *** ***


「くそっ……」
 地面に叩きつけられたと理解した瞬間、隠しきれない悪態が口を衝いた。仰向けになったまま視界に入る佐鳥の顔を見上げ、轟は悔しさのあまり奥歯を噛んだ。
「やっぱ体術だけじゃお前や爆豪には敵わねぇな……」
 マントの陰から見える黒真珠がぱちりと瞬きした。
「私はそうは思いませんが……」
「一度でも俺に投げられてから言ってくれ」
 巡回を終えたあとの空き時間がもったいないと考えた二人は、エンデヴァーの許可もあって宿泊ホテルの近くにある道場を借りて鍛錬を行っていた。時折、エンデヴァーの相棒達がその様子を見に来るが、捜査の方で手がいっぱいなのか指導らしいものはほとんど受けていない。二人に指摘を受けるような点が見当たらないのも理由の一つだ。
 轟はゆっくりと体を起こし、佐鳥を見上げた。
「佐鳥は遠距離からも近距離からも攻撃に対応できる万能タイプだから、いい訓練に相手になるな」
「お役に立てたなら良かったです」
「その体術は家の人に習ったのか?」
「基礎は、そうですね……でも、ほとんどが実践で身に着けた喧嘩戦法ですよ」
「どういう実践したら相手の急所ばかり狙う攻撃をするようになるんだよ」
 先日の爆豪との組手もそうだが、佐鳥の攻撃は確実に相手を『仕留める』攻撃だ。戦闘スキルの高い爆豪はそんな佐鳥の戦法を瞬時に見抜いていたのだろう。自分に並ぶ強者だと認めているからこそ先日の組手でもクラスメイトだからと手加減してくる佐鳥に苛立ちを募らせているようだと、轟にはそう見えた。
 佐鳥は轟の質問に口を噤み、困ったように微笑んだ。
「……まあ、色々とありましたので」
 あんまり触れられたくない話題だったようだ。言外に隠しておきたいと言った彼女に、轟はやれやれと肩を竦めて小さく息を吐いた。
 自分は、まだ彼女から全てを語ってもらえるほどの信頼は得られていないらしい。
 その事実が少し胸に刺さり、寂しさを感じた。


 その夜は、布団の中に潜り込んでもすぐに眠れなかった。飯田のこと、飯田を気遣う佐鳥のこと、実父であるエンデヴァーのこと。色々と考えすぎているせいでもあるし、慣れないベッドで寝ているというのも原因の一つだとは思う。
 だが、それをわかっていて無理に眠ろうとしたところで無駄だった。何度も寝返り、目を瞑って羊を数え、心を無にしても意識は冴えていた。
 ──仕方ない。諦めてもうしばらく起きていよう。
 そう考えて体を起こした時だった。
 静かな廊下から──正確には隣の佐鳥の部屋から微かに扉が開く音が聞こえた。
 轟は急いでベッドから抜け出し、鍵を引っ掴んで廊下に顔を出す。
 見れば、ちょうどコスチューム姿の佐鳥が廊下の角を曲がるところだった。
 こんな時間に、あの姿でどこに行くつもりなのか。まさか単独で捜査をするつもりでは、と心配した轟は部屋着のまま小走りでそのあとを追いかけた。
 だが彼が声をかけるよりも早く、思いがけない人物が彼女を呼び止めた。
「そこで何をしている、センリ」
 エンデヴァーだ。自分に向ける時と変わらない厳しい声音が佐鳥を呼び止め、轟は反射的に壁に背を預けて息を潜めた。
 盗み聞きをするようで居た堪れないが、下手に動くと父親だけでなく佐鳥にも気取られるので動くに動けなかった。
「すみません……眠れないので、少し外の風に当たろうかと」
 それが嘘であるのは明白だ。顔を合わせていない轟でも察したのに、エンデヴァーが気づかないはずもない。
「勝手なことはするな。お前のことは少しだが事前に調べている。余計な問題を増やせば、それだけ『ヒーロー殺し』を捕まえるのに時間がかかるだけだぞ」
「……調べた、とは」
「数年前の『無個性』の子どもを狙った誘拐事件……と言えばわかるか?」
 ──『無個性』の子供を狙った誘拐事件。
 轟は自身の記憶の底から僅かな情報を引き出した。
 それは確か、数年前に連日報道されていた大事件だ。オールマイトが捜査に関わっていたという報道だったので、轟も朝のニュースで何度か耳にしたのを微かに覚えている。
 事件の犯人は『無個性』の子どもを利用した『個性実験』を行っており、その実験途中で起きた大爆発により死亡している。テレビでは詳細をあまり語られていなかったが、被害者だった子ども達も爆発が原因で全員死んだと報じられていた。世間を一時恐怖で震わせた非人道的で凄惨な誘拐事件である。
(その事件に、佐鳥が関わっていた……?)
 信じられない、と疑念を抱いた轟は眉を顰める。
 だがその答えは、意外にも否定しなかったことで確かなものとなった。
「……エンデヴァーさんに隠し事が通用しないことは理解しました」
「事件に関してはたまたま伝手があっただけの話だ。お前自身については何も知らん」
「でしたら、失望させる前に今お伝えしておきます。今日、あなたは私に『未来』を語りましたが……残念ながらあなたが思い描く『未来』は来ないと思われます」
「……どういう意味だ?」
 エンデヴァーと同じく、轟も佐鳥の言葉に首を捻る。
 しかし同時に、一度口を閉ざした佐鳥の沈黙に妙な胸騒ぎも感じた。
 そして、轟の嫌な予感は、的中する。

「このままだと、私の命はあと五年ももたないからです」

 淡々と事実だけを述べる声に一切の感情は込められていなかったが、その場の空気を凍らせるには十分すぎるほどの衝撃だった。
 エンデヴァーも、轟も、目を見開いて硬直する。
「それは……あの『個性実験』の影響か」
 我に返ったエンデヴァーが静かに問いかけると、佐鳥はこくんと頷いた。
「普段の日常生活に支障が出る副作用も、その実験で植えつけられた『個性』の影響によるものです。この力は日々私の体を蝕んでおり、使い道によっては……死ぬ覚悟さえあれば、国一つ滅ぼすことができます」
「なるほど……お前が『個性』を隠したがるのは、その力があまりに大きすぎることが原因か」
「それもありますが……敵連合から襲撃を受けた際、轟さんを含め、クラスメイトがその副作用の一端を目の当たりにしています。みんなに、要らぬ心配をかけさせたくはないのです」
 長時間の『個性』の使用による副作用。あの時のことは轟もしっかりと記憶に残っている。青白い顔で、息も絶え絶えになっていた彼女を見て、爆豪が真っ先に指摘したのは確か、肺だ。
 佐鳥そんな大きな爆弾を胸に抱えながら、ずっとみんなを守ることだけを考えて戦っていた。
(『個性』は体の機能の一部……それが、佐鳥の寿命を縮めてる……?)
 自分の夢を叶えるために、誰かを守るために使っているその『個性』が、彼女を蝕んでいる。
 その事実を知ってなお、彼女は自分に与えられた『個性』を使い続けている。
 そこにどれだけの強い覚悟と信念があるのか想像して、轟は全身にぞわりと言い表すことのできない何かを感じた。
 今、轟が佐鳥に抱いているこの感情は、おそらく畏怖だ。
 自分の命を省みようともせず、他人を最優先に考える。
 この時間に部屋を抜け出したのも、飯田のために『ヒーロー殺し』を見つけようとしからに他ならない。
 それは緑谷と同じ──否。それ以上の『自己犠牲心』からなるものだろう。

 体術や『個性』だけでない。

 彼女は、心まで強い。

 誰よりも強く、そして、優しい少女だ。

 そこで、呆然と二人の会話を聞いていた轟はエンデヴァーの足音を耳にして我に返る。
「ならば尚のこと、今日は部屋で大人しく休んでいろ。明日からもお前の『個性』に頼ることになる。俺と焦凍の足手まといになるなら要らん」
「……了解しました」
 遠ざかる足音に合わせ、金縛りが解けたように体の自由を感じた。
 轟は急いで部屋に駆け込み、部屋に鍵を掛ける。
 ベッドに倒れ込むと、さっき聞いた話がまたぐるぐると頭の中を巡っていた。

 やはり、今日はまだ眠れそうになかった。


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