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19

 ビルの間から見える茜色の空は、いつもより高く見える。
 気がつけばコスチューム姿のまま見知らぬ街の中でぽつんと佇んでいたが、時折すれ違う人達は誰も自分を振り返ったりはしなかった。マントがないことも理由の一つかもしれない。私服と変わらないデザインのコスチュームなので、特に目立たないのだろう。
 今、自分はどこにいるのだろう。辺りを見渡してみるも、これと言って目印となりそうなものはなく、わからない。
 その時、どこからともなく轟音が響いた。音が聞こえた方へと視線を向けると、煙が上がっている方角の空が色濃く赤く染まっている。
 ──火事だ。
 そう察した時、自分の肩に誰かの手が触れた。
「君はエンデヴァーさんのところに行って敵の事を報告して」
 プロヒーローだ。顔は見えないが、コスチュームらしき服装ですぐそう判断した。
 なら、自分は今、職場体験をしている夢を見ているのだろうか。
 でも、本当にただの夢なのだろうか。USJで襲撃された時のことを思い出して嫌な予感が背筋を凍らせていくのに、自分の意思とは反対に体は事件現場とは真逆の方へ向きを変える。

 そして、見てしまった。

 血の色に染まる空の下、血を流して地面に倒れる生徒の姿を。

 彼らの前に立つ、刀を持った赤い襟巻の男の後ろ姿を。


 *** *** ***


「オラァ!! くたばれェクソ人形!!」
 雄々しく声を荒げて罵声を飛ばし、爆豪の右の拳が的確に標的に狙いを定める。しかし、それは相手の顔に直撃することなく簡単に避けられた。続けて左の拳が繰り出されたが、それも難なく華麗に避けられた。休むことなく回し蹴りや肘、膝、背後を取って攻撃など多彩な攻撃を繰り返すも、それは少しも掠ることはない。挙句、再び繰り出した拳が手の平で受け流され、自分が背後を取られて軽く背中を蹴られている。
 勢いで前へと態勢が傾いたものの、踏ん張って倒れるのを阻止した爆豪は青筋を浮かべながら振り返った。
「おいてめぇ……いつまでもちょこまか逃げてんじゃねぇぞ……!」
「普通は避けると思いますが……当たると痛いじゃないですか、絶対」
 クソ人形こと佐鳥は平然と答えた。あれだけ激しい攻防を繰り返していたというのに、息一つ乱れていない。余裕綽々とした態度で佇む彼女に、爆豪の青筋が増えた。
 ぴくぴくと眉を震わせ、般若の如く怒りの表情を露わにした彼は大きく息を吸い込み、あらん限りの声で怒鳴った。
「死ねっ!!」
「嫌です。生きます」
 まるで小学生の口喧嘩のようなやり取りのあと、再び殴り合い(主に爆豪が一方的)が始まった。
 その光景を、遠目から見ていた常闇がぽつりと呟いた。
「悪鬼羅刹……再び」
 彼とペアになっていた砂藤力道もそちらに目を向けて唖然となっている。
「あれ……組手なんだよな……?」
 今日のヒーロー基礎学は対人訓練だった。一人二組で組手を行う簡単なものだが、一部の者には個性の使用に制限がかけられている。爆豪と佐鳥もその内の一人だが、二人のあれは個性のあるなし関係なくすでに『喧嘩』のレベルにまで発展していた。
「つか、爆豪なんであんな佐鳥にキレてんの? まるで緑谷相手にしてるみたいじゃん」
「わかんねぇけど、そろそろ止めた方がいんじゃね……? 先生に怒られんぞ……」
「いやぁ……あれを止めるとか無理あるだろ……」
 瀬呂と切島も組手を中断して二人の様子を見守るが、その攻防は激しくなるばかりである。仕舞いには爆豪の我慢に限界がきて盛大に爆破を起こしながら佐鳥に攻撃を仕掛けるので、麗日を含めて女子全員が容赦のない彼の攻撃に顔を引き攣らせた。
「佐鳥、あれ避けんの……? すごいね……」
「ねー。あの爆豪君がまだ一本も取ってないもんね」
 耳郎と葉隠が感心したその時だ。
 爆豪がようやく佐鳥を捕らえた。無造作にコスチュームのフードを鷲掴みにし、そのまま思い切り投げ飛ばす。
 だが次の瞬間、佐鳥の目に剣呑な光が宿る。そして身軽にも空中で態勢を立て直した彼女は地面に足を着くなり素早く爆豪との距離を詰め、そのままの勢いで彼の腹部に飛び蹴りを繰り出した。
「……あっ」
 あまりの速さに対応できず直撃した爆豪は吹っ飛んだ。
 おおっ、と驚きの声が上がる中、佐鳥はしまったと言わんばかりの顔をして間抜けな声を漏らした。地面に転がった爆豪はピクリとも動かない。 
 焦った佐鳥は小走りで爆豪の方へと近づいた。
「すみません爆豪さん! つい手加減できず……大丈夫ですか?」
「……」
 爆豪からの返事はなかった。ただ静かに体を起こし、ふらりと立ち上がる。
 俯いたその顔がどんな表情をしているかは誰にもわからなかったが、遠巻きに見ていた緑谷だけはその異様な静けさから彼の心境を想像し、青褪めて固唾を呑んだ。
 そして物言わぬ彼に首を傾げた佐鳥が再び口を開こうとしたその時、爆豪の手が素早く彼女の顔を鷲掴みにした。
「誰が手加減しろっつったよ……俺は最初に本気でやれっつったよなぁ……? あ? なめてんのかクソ人形……」
 顔を上げた爆豪は鋭い三白眼を怪しく光らせ、地を這うような低い声を発した。
 少しの間を置いて、佐鳥は静かに反論した。
「手加減しろと言ったのはオールマイトですよ。私は先生の指示通りにしたまでです。……それと、この間から思っていたんですがその『人形』呼びは改めていただけますか。正直、不愉快です」
「知るか! てめぇなんざクソモブ人形で十分だわ!」
 その時、顔を掴まれていた佐鳥はむっと口を閉ざした。それから無造作に爆豪の腕を掴むと反対の手でその腕に手刀を落とし、力が抜けた隙を狙って体を回転させ、爆豪を遠くに背負い投げる。
 今度は爆豪が空中で身を翻し、手の平で爆発を起こしながら佐鳥へと突っ込んだ。
 それが手合わせ再開の合図だった。
 再び過激化した二人の攻防が始まり、うわぁ、と生徒達は顔を引きつらせる中、オールマイトと組手を行っていた尾白が尋ねた。
「先生、いいんですか? あれ……」
「うぅむ……まあ、あれでお互い手加減はしていると──」
 ──ドォン!
 激しい爆発音が響き、地面に一つのクレーターが出来上がる。
 続けて二発、三発と同じ音が鳴り、地面にいくつもの穴が作られるのを見たオールマイトは慌てて二人の仲裁に割り込んだ。
「二人とも個性の使用は禁止!」
「……すみません」
「くそっ」
 大柄な彼に首根っこを掴まれぷらんとぶら下がる二人を見て、一先ず落ち着いたと全員が安堵の息を吐いた。


「っ……」
 口元に消毒液の付いた綿が触れ、佐鳥は小さく悲鳴を上げた。
 それを聞いたリカバリーガールは笑窪を深くして窘めた。
「自業自得さね」
「私のせいではないのですが……」
「売られた喧嘩を買った時点でお前さんにも非があるよ」
「納得できません。爆豪さんのあれはほぼ八つ当たりでした。私の場合は正当防衛です」
 よほど不満が溜まっているのだろう。いつもなら反感することなく黙って忠告を受け入れる佐鳥は、これでもかと無表情に嫌悪の色を浮かべて抗議した。
 その様子に、リカバリーガールは傍で控えているオールマイトに目配せをする。
「まあ……今日の爆豪少年はいつも以上に荒れている感じはあったが……」
「爆豪さんの向上心の悪いところは他人を巻き込むことです。常に相手が自分と同じ土俵までやって来て戦うと考えている。相手に合わせる協調性がないのはヒーローとして大問題です。あの行動はいずれ周りからも敵のそれと同じだと思われます」
「おやまあ……いつも冷静なあんたがそこまで怒るのも珍しいことだねぇ」
 言い淀むオールマイトを無視して堪えきれない鬱憤を口にした彼女に、リカバリーガールはからからと笑い声を漏らした。それからその腫れ上がった頬にぺたりと湿布を貼り、肩を叩く。
「お腹も空いて気が立っているんだろうさ。きっとお昼を食べたら気分も晴れるよ。ほら、これで治療は済んだから行っといで。帰る前にもう一度ここに来るんだよ」
「……わかりました」
 こくんと頷いて立ち上がる佐鳥に、オールマイトが「待った」と手を上げた。
「その前に佐鳥少女、緑谷少年から彼の職場体験先の話を聞いたかい?」
「? 指名があったという話は伺いましたが、ヒーロー名までは……それがどうかしましたか?」
「いや……実は同じ人物からの指名が君にもあったんだが……佐鳥少女はすでに体験先の希望届を出していたからね。教えるべきかどうか悩んでいたんだ」
 そう言ったオールマイトの顔の血色は悪く、がくがくと体が震えていた。その怯えた様子から彼の言う『指名をくれた人物』が誰なのか察し、佐鳥は苦く笑った。
「まさか……『グラントリノ』なんですか?」
「………………うん」
 長い溜めのあと、オールマイトはこくんと頷いた。
 最早恐怖を通り越して虚無になったのだろう。目が遠くを見ていた。
「……連絡先が変わっていなければこちらから連絡しておきますが……」
「そ、そうかい……? 助かるよ。私はまだ、その、心の準備ができていなくてね……いたっ」
「『平和の象徴』が聞いて呆れるね! 子どもに任せてないで、それぐらい自分でちゃんと連絡しなオールマイト」
 佐鳥の申し出に表情を明るくしたオールマイトだが、すかさずリカバリーガールがオールマイトの頭を自身の持つ杖で小突いて、強い口調で叱責した。
 オロオロとしながら「すみません」と謝るオールマイトを見ながら、佐鳥は思考に耽る。
(グラントリノが緑谷さんを指名、か……)
 久しく見ていない顔を思い出し、緑谷が彼のもとで職場体験を行うことを想像し、自身の経験から一抹の不安が過る。
(緑谷さん……炊事できるのかな……)
 残念ながら、佐鳥の知る限りでは『グラントリノ』が料理をしているところを一度も見たことがない。助言した方が良いんだろうか、と思いながら、佐鳥はリカバリーガールに叱られて項垂れるオールマイトと一緒に保健室をあとにした。


「あ、佐鳥さん……顔、大丈夫?」
「少し痛みますが、問題ありません」
 食堂に行くと、すでに麗日や飯田と昼食を食べていた緑谷が佐鳥に気づいて声をかけた。
 授業中ずっと佐鳥と爆豪の組手をハラハラとしながら見守っていた彼に、麗日の隣に腰かけた佐鳥はこくんと頷いた。
 抑揚の感じられない怒りを押し殺したような声に、緑谷と麗日は苦笑する。
 結局、あの後の激しい攻防の結果は引き分けとなった。彼なりの最初の佐鳥の飛び蹴りに対する報復なのだろう。最後に佐鳥の頬に入った拳は、手加減も容赦もない重たい一撃だった。
 女子の顔に痛々しく湿布が貼られていれば誰でも気になってしまうもので、例に漏れず食堂にいた生徒達も物珍しそうに佐鳥へと目を向けていた。
 そんな彼らの視線は気にしないことにしているのか、佐鳥は手合わせると箸を手に取り、注文したうどんを口に入れようとした──が、まだ治っていない口内の傷に沁みて痛みに呻く。
 ピクリと止まる動きに、麗日が気遣うように声をかけた。
「本当に大丈夫……?」
「平気です……慣れてますから」
「慣れてる……!?」
「私の個性、制御できなかったから吹っ飛ぶので」
 佐鳥の言葉に、彼女が空中を素早く移動する場面を思い出した緑谷達はなるほど、と納得した。
「でも、すごいね佐鳥さん。あのかっちゃんに一撃入れられるなんて」
「うんうん! 結局勝負は引き分けやったし!」
「あれはつい咄嗟に『個性』を使ってしまっただけで……身体能力だけなら間違いなく爆豪さんの方が上ですよ」
「くぅ〜……あれだけやり合ってた空ちゃんに言われると爆豪君の強さが改めて身に染みる……!」
 体育祭で爆豪と戦った麗日は試合を思い返しながら悔しそうに言った。
 佐鳥は次に麗日に目を向け、ようやくその顔にやんわりとした微笑を浮かべた。
「ガンヘッドのところで武術を学べたら、一矢報いるチャンスはきっとありますよ」
「そうだね! 私、頑張る!」
「はい。私も頑張ります」
「そう言えば、佐鳥さんは職場体験どこ行くの?」
 ふと思い出し、緑谷は首を傾げた。
 言われてみれば、彼らにはまだ職場体験先については話していなかった。
 佐鳥は食事の手を止めて質問に答えることにした。
「轟さんと同じ、エンデヴァーさんのところです」
「ええっ!? エンデヴァー!?」
「もしかして、指名きてたとこ!?」
 驚く緑谷と麗日に、佐鳥はこくんと頷いた。
「まさかあのエンデヴァーから指名きてたなんて……」
「私も驚きました。もう一つは知らないヒーローからの指名だったんですが……ああ、そう言えば緑谷さんに聞こうと思っていたんですが、『チャーム』というヒーローの名前に聞き覚えはありますか?」
「『チャーム』……? ……ううん。ごめん、ちょっと思い出せないや。調べても何もわからなかったの?」
「はい。とにかく家にあるヒーロー関連の情報誌からそれらしいヒーローを探したり、ネットで名前を検索してみたりもしたんですが、どこにも名前がなくて……」
「ネットにも名前がないって、ちょっと不思議だよね」
「ですよね……飯田さんは、何かご存知ありませんか?」
 そこで、佐鳥は向かい側に座る飯田に声をかけた。佐鳥が来てからもずっと一人黙々と食事を続けていた彼は、もごもごと口を動かしながら手元を一心に見つめていた。まるで心ここに在らずといった様子で、そんな彼の様子に気づいた佐鳥達は一度互いに目を合わせてから再び飯田に声をかけた。
「……飯田さん?」
「! あ、ああ、すまない……なんだい、佐鳥君?」
 二度目の声掛けにようやく反応を示した飯田に、佐鳥はやや困ったような表情で微笑んだ。
「『チャーム』というヒーローについてお聞きしていたんですが……何かご存知ですか?」
「『チャーム』? ……すまない。僕も聞いたことがないな……」
 そう言って、飯田はまた静かに食事を再開した。
 話している時はなんでもない様子だが、会話が途切れると視線がすぐに下を向いている。
 そんな彼を佐鳥は物言いたげにじっと見つめていたが、結局何も言わずに食事を再開した。
 途端に無言になった二人を見て、互いに顔を見合わせた緑谷と麗日もまた食事を続けるべく手を動かす。

 この後、飯田の職場体験先が保須市であると緑谷達は知らされるが、誰もそのことについて彼に追及することはなかった。


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