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18

 職場体験先の希望用紙は週末までに提出するよう指示があった。指名があった者はその中から、なかった者は学校側が予めオファーした受け入れ可能の四十件の中から行きたい場所を選ぶことになり、A組では昼休みになると誰がどのヒーロー事務所に希望を出すかという話題で持ちきりになった。
「ねぇねぇー……みんなどのプロ事務所に行くかもう決めた?」
「オイラはマウント・レディ!!」
「峰田ちゃん、やらしいこと考えているわね」
「違うし!」
 芦戸の質問に真っ先に答えた峰田に、彼の後ろを横切った蛙吹が冷静に横槍を入れた。
 すかさず峰田が否定したが、ギクッと体を震わせるあたり図星のようだった。
「芦戸もいいとこまで行ったのに指名ないの変だよな」
「それ!」
 よほどショックを受けているのだろう。あからさまに残念がった様子で芦戸は尾白猿夫の言葉に同意した。
 彼らの会話に耳を傾けていた麗日がくるりと後ろを振り返り、もう一人指名が来なかった緑谷に声をかけた。
「デク君はもう決めた?」
「まず、この四十名の受け入れヒーローらの得意な活動条件を調べて統計別に分けた後、事件、事故解決件数をデビューから現在までの期間でピックアップして僕が今必要な要素を最も備えている人を割り出さないといけないな……こんな貴重な経験そうそうないし慎重に決めるぞ。そもそも事件がないときの過ごし方等も参考にしないといけないな。ああ、忙しくなるぞうひょー」
「緑谷さん……ちょっと怖いです」
 彼に近づいた佐鳥が思わずそう声をかけると、ようやく我に返ったらしい緑谷は顔を上げた。
「あっ、ごめん! 夢中になっちゃって……!」
「相当悩んでるわね、緑谷ちゃん」
「実は私、もう決めてるよ!」
「え、ホントに!?」
「どこ?」
「バトルヒーロー『ガンヘッド』の事務所! 指名来てた!」
「バトルヒーロー……」
 麗日の希望先を聞いて、佐鳥はふむと顎に手を添えながら彼女を凝視した。
 バトルヒーローと言うぐらいなのだから、当然武闘派であるのは予想がつく。佐鳥の頭の中で、自分と同じように麗日が派手に大立ち回りしながら敵をなぎ倒す光景が浮かび上がった。
「てっきり13号先生のようなヒーロー目指しているのかと……」
「最終的にはね! でも、こないだの爆豪君戦で思ったんだ。強くなればそんだけ可能性が広がる! やりたい方だけ向いていても見聞狭まる! と!」
「「……なるほど」」
 意外な人物からの意見に佐鳥と緑谷は二人揃って目を瞬かせた。
 それはきっと麗日だからこそ導き出せた答えだ。体育祭で爆豪に徹底的に打ちのめされた彼女にしか言えない、説得力のある言葉だった。
 見聞が狭まるという言葉を反芻し、一理あると思った佐鳥は顎に手を添えながら自分にきた指名について考える。
 そんな彼女を余所に、緑谷を見下ろしていた麗日は不思議そうに首を傾げた。
「それより、さっきから気になってんだけど……震えてるね?」
「ああ、これ。空気イス」
「クーキィス!!」
「まさか、授業中もずっとその状態だったんですか?」
「空気イスとか古くね?」
「何言ってるんだ! 空気イスは筋肉の等尺性収縮を応用した動けない状態でも手軽に出来るトレーニングだよ!」
 ストイック過ぎる緑谷に目を丸くする麗日達に、尾白が熱の籠った目で『空気椅子』がいかに有用なトレーニングかを語る。
 そんな彼の言葉に耳を傾けながら、佐鳥はじっと緑谷を見つめた。
「今のままじゃ、駄目なんだ」
 そう言って手元のプロヒーローの事務所一覧を食い入るように見ている緑谷は真剣な眼差しで、その言葉が本心から零れているのは言わずとも知れた。
 するとその時、食堂へ向かおうとしていた轟が佐鳥に声をかけた。
「佐鳥、今日は食堂に行くか?」
「? いえ、今日はお弁当を持ってきたので教室にいますが……どうかしましたか?」
「そうか、ならいい。……食堂で食うなら、少し話がしたかっただけだ」
 どこか気落ちした様子で視線を落とした彼に、佐鳥は目を瞬かせる。
 そんな二人のやり取りを見ていた芦戸が目敏く目を光らせ、にまにまと笑った。
「え〜? 佐鳥も食堂でお弁当食べたらいいじゃ〜ん!」
「いや、流石にお弁当持参は迷惑かと……」
「ああ。いつも混んでるし、俺も大した用じゃねぇから気にすんな」
「真面目か! そこはガンガン押していこうよ轟!」
「……? 佐鳥押してどうすんだ? 危ねぇだろ」
 違う、そうじゃない。話をふっかけた芦戸だけでなく、成り行きを見守っていた麗日達の心の声が揃った。
 その手の話題に疎かったのは佐鳥だけではなかったらしい。体育祭で芦戸に話題を振られたので彼女はもう理解しているようだが、轟は本当に芦戸が言った意味がわからなかったようで眉を顰めて首を傾げていた。
 空気を読んで余計なことは言うまいと口を閉ざした佐鳥の隣で、蛙吹が顎に指をあてながら冷静に当たり障りのないフォローを入れた。
「食堂だって、いつも満席ってわけじゃないわ。他にもお弁当を持って行って食べている子はいるんだし、大丈夫じゃないかしら。あくまで食事をする場所だもの」
「! そう! そうだよ、佐鳥! 遠慮せずに行っておいでよ!」
「はあ……そういうことでしたら」
 嬉々とした表情で期待の眼差しを向けてくる芦戸に、佐鳥はあまり気乗りしない様子で答えた。芦戸の顔にははっきりと「A組初のカップルができるかも……!」という心の声が浮かび上がっている。爛々と光っている瞳を見て、『目は口ほどにものを言う』とは良く言ったものだと佐鳥は心の中で独り言ちた。


「迷惑だったか? 昼メシに誘ったの」
 賑わう食堂の片隅のテーブルで、蕎麦を啜っていた轟は目の前でちまちまとお弁当の具を口に運ぶ佐鳥にそう声をかけた。
 もぐもぐと咀嚼をしていた佐鳥はチラリと轟を見てから小さく首を横に振った。
「……迷惑ではないです」
 ただ、意外だと思ったのは事実だ。
 用事があったとはいえ、轟が自ら『一緒にお昼ご飯を食べよう』と誘ってくるとは思ってもいなかった。思えば最初から用事がなければ話しかけてこないタイプではあったが、好んで誰かと食事するようにも見えなかったのだ。これには流石に佐鳥も戸惑いを感じている。
 だが、それ以上に気になるのは周りの視線だ。つい先日の体育祭で二位という成績を修めた轟に興味があるのか、いたる場所からこちらへ視線が向けられている。廊下を歩く時もずっと誰かが振り返ってくるので、落ち着かないのだ。
 対し、轟はそんな佐鳥の胸中など気づくわけもなく、佐鳥の弁当の中身を凝視していた。
「……それ、卵焼きか?」
「? そうですけど……」
 佐鳥がちょうど摘まみ上げていたのは、明らかに焦げ目の多いものだ。厚みもお好み焼きのように薄い。どちらかと言うと、本当に卵を固めて焼いただけのように見える。
「……朝はちゃんと綺麗に出来ていたんですよ。サー……家族が、焼き直したみたいで」
「……そうか」
 家族がわざわざ焼き直したということは、その中までしっかりと火が通っていなかったということだ。聞かずとも大方見当のついた轟は、余計なことは言わずに短い相槌で話を切り上げることにした。弁当に入っている他の具を見る限り、佐鳥があまり手先の器用なタイプではないことも察した。
 すると、きらりと目を光らせた佐鳥がむっと口をへの字に曲げた。
「味は保証します。見た目はあれですけど」
「別に、何も言ってねぇだろ」
「目が言ってました」
 前にも似たようなやりとりをしたが、その時とは立場が逆だった。
 不満もそこそこに僅かに強い口調になった佐鳥は、轟の口元に摘み上げた卵焼きを近づける。
 目の前に差し出された歪な形のそれと佐鳥を交互に見つめ、轟はきょとんとした。
「……え」
「食べてみればわかります」
「いや、俺は別に……つか、お前の弁当がなくなるだろ」
「卵焼き一つぐらい構いません。それより私の味付けが疑われたままという方が釈然としません」
 よほど自分の料理の腕を疑われていることが不服らしい。真っ直ぐ自分を見つめる視線が恨みがましそうにジトリと睨んでいるような気がして、意地でも食べさせようとする彼女に抗うのも面倒になった轟は仕方なく口を開いた。
 そして中に放り込まれたそれを一回、二回と咀嚼を繰り返したあと、彼は「おっ」と声を上げて瞠目する。
「……うまい」
 佐鳥の言う通り、味付けは悪くない。だしを入れたであろう仄かな風味は濃くもなく、薄くもない。絶妙な味加減である。
 うまい、と褒め言葉を聞いた彼女は無表情を崩し、嬉しそうに唇を緩めて頬を綻ばせた。
「最初に練習した料理ですから」
 どこか得意げにそう告げると、彼女は満足したのか再び食事を再開した。
「それで、轟さんのお話というのは?」
「職場体験、どこに行くのか聞こうと思っただけだ。指名もあっただろ? ……少し、気になってた」
「ああ、その話ですか……実は、まだどこに希望を出すか決めていないんです。指名があったヒーローの名前も、一つは聞いたことがなくて……」
「なんていうヒーローだ?」
「『チャーム』という名前のヒーローです。聞き覚えありますか?」
「……いや、ねぇな」
「ですよね……」
「緑谷なら何か知ってるんじゃないか? あいつヒーロー好きだし、ある程度詳しいだろ」
 轟の提案に、佐鳥は目を瞬かせた。
「……そう、ですね……あとで聞いてみます」
「もう一つはどこから指名きたんだ?」
「……聞いて怒りませんか?」
「……? なんで俺が怒るんだ?」
「エンデヴァーさんからです。もう一つの指名」
 轟はむっつりと口を閉じた。名前を聞くなりその柳眉がきゅっと歪んで眉間が狭まったのを見て、佐鳥は苦笑を浮かべながら静かに肩を竦めた。
「なんでアイツが佐鳥に?」
「さあ……指名を頂けたのは有難いことですが、不思議ですよね。私のことなんて、最初は眼中にもなかったように思いましたし」
「だろうな。……でも、悪くはねえと思う」
「え」
 ぽつりと聞こえた言葉に、思わず佐鳥は驚いた声を零して轟を凝視した。
 まだ不機嫌そうな表情は変わらないものの、轟は手元の傍に視線を向けたままぽつぽつと言葉を続けた。
「腐ってもあいつはナンバーツーのヒーローだ。学べることはたくさんある……と、思う」
「……轟さん、もしかして……エンデヴァーさんのところに行かれるんですか?」
「ああ」
 轟はこくりと頷いた。
 数回の瞬きを繰り返し、佐鳥は轟の顔を凝視する。
 どういう心境の変化かはわからないが、あれだけ父親を忌み嫌っていた轟が自らその事務所に赴くと言うのだから、当然驚きである。しかし、思う所があれど彼なりに考えてエンデヴァーのもとでヒーローとしての活動を学ぶと決めたのだろう。それだけは佐鳥にも理解ができた。
「ただ正直に言うと、まだアイツとまともに話せるとも思ってねぇ。だから、もし佐鳥が居てくれるなら……助かる」
「わかりました。そういうことでしたら、職場体験はエンデヴァーさんのところへ行きます」
「いいのか? もう一つの指名は……」
「いいんです。どんな理由であれ、ナンバーツーから指名される機会なんてそうありません。さっきお茶子ちゃんも言っていましたが、やりたい方だけ向いていては見聞が狭まると思うんです。なので、今回はエンデヴァーさんにお世話になります」
「……そうか。ありがとな」
 安心したようにやんわりと口元に笑みを浮かべた轟に、佐鳥も小さく微笑み返す。
 人影が二人の視界に入ったのは、その時だった。
「あ、あの!」
 轟と佐鳥は揃って目を向けた。
 二人の傍に立っているのは見知らぬ女子だ。触り心地の良さそうな長い青黒髪を両耳の下で結んだ彼女は真っ赤な顔になっており、眼鏡の奥に見える明るい海のような色をした目が落ち着かない様子で右へ左へと動いている。
 また、轟と佐鳥は揃って首を傾げた。
 何か用事でもあるんだろうか。ぱくぱくと唇を開閉させている女子に佐鳥が口を開きかけたその時、彼女の背後にいた友人らしき女子生徒がばしっとその背を叩いた。
 瞬間、「ぴゃあ!」と背中を叩かれた女子が声を上げて佐鳥の目の前に勢い良く小さな紙袋を突き出した。
「あ、あの! 経営科の小山内幸です! これ、受け取ってください!!」
 差し出した、というよりは押しつけに近かった。え、と目を丸くする佐鳥は小山内と名乗った女子と紙袋を交互に見つめる。紙袋を掴む彼女の手はプルプルと震えており、あからさまに緊張しているのが一目でわかった。
 その様子から下手に拒むこともできず、佐鳥はそっとその紙袋を受け取って問いかける。
「あの、これは……?」
「た、助けて頂いたお礼です! ありがとうございました! それじゃあさよなら!!」
「え。いや、ちょっと待って──」
 助けたとは一体なんのことか。しかし、言い逃げの如く猛ダッシュでその場から走り去る小山内を引き止めようとしても、すでに間に合わず。瞬く間に遠くに行ってしまった彼女を呆然と見つめていた佐鳥は伸ばしかけた手を戻し、手元の紙袋に視線を落とした。
 すると、小山内の友人がため息を吐きながら佐鳥に苦笑交じりに告げた。
「それ、お礼のクッキーだよ。あの子の家ケーキ屋さんでね、洋菓子もSNSで話題になるほど結構人気あるんだ。期待していいよ」
「はあ……」
「私もあの子と同じで障害物競走の時にあんたに助けられたからさ、一言お礼言いたいと思ってたの。ありがとね」
「……ああ。もしかしてさっきの方、仮想敵を前に腰を抜かしてた……」
「そう、それそれ! すごいね、覚えてんだ?」
「たまたまです。言われなければおそらく思い出せませんでした」
 障害物競走の時に仮想敵を前に腰を抜かして座り込んでいた女子生徒がいたのは覚えている。あの時とは服も髪型も違うのですぐには気づかなかったが、確かにその姿を目に入れた記憶がある。記憶の底にある女子生徒の顔と先程の彼女の顔を脳内で照らし合わせ、佐鳥はようやくお礼の意味に納得した。
「ま、そういうわけでさ……普段から人見知りで仮想敵にすらビビッてた内気なあの子が自分からお礼言いたいって言い出して来たんだ。今回は何も言わずに受け取ってやってよ。ヒーローになったらこんな事いくらでもあるでしょうし」
「……わかりました。すみません、お気を遣わせてしまいました」
「あはっ! あんたかったいねぇ〜! そんなんじゃ、そっちの彼氏君も変に気を遣っちゃうよ!」
「え」
 今まで我関せずといった風に一人黙々と蕎麦を啜っていた轟が急に話を振られて動きを止めた。
「……俺は彼氏じゃないぞ」
「嘘!? だってさっき『あーん』ってしてたじゃん!」
「『あーん』……?」
「食べさせてたってこと!」
「あれは友達同士では普通のことでは?」
 佐鳥の言葉にぎょっ、と目を剥いたのは女子生徒だけではなかった。轟もまた驚いた様子で佐鳥を凝視しており、それに気づいた女子生徒は二人の顔を交互に見つめて何かを察すると神妙な顔つきになる。
「……とりあえず、あんた達の距離感おかしくない?」
 あからさまに身を引いて顔を引きつらせた彼女に、佐鳥は「そうでしょうか」と首を傾げる。轟は何も言わず、ほんのりと赤らんだ顔で視線を下げただけだった。
 そんな彼らを見た女子生徒が「まじか」と心の中で呟いたことは、今後も二人が知ることはない。


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