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17

 気だるい──否、気だるいどころの話ではない。頭痛、胸焼け、浮遊感。ありとあらゆる症状が体に襲いかかっている。
「……空。大丈夫か?」
「はい……平気です」
 朝食を並べ、弁当のおかずを詰めながら佐鳥は覇気のない声で答えた。
 平気と言うが、ずっと目が閉じたり開いたりを繰り返しており、とても眠そうだ。今にも倒れそうな勢いでフラフラとテーブルと調理台を行き来している彼女に、サー・ナイトアイは眉間に皺を寄せながら窓の外に視線を動かした。
 生憎と、今日はひどい雨だった。
「……休み明けとはいえ、流石にその状態は無理をしているだろう。休んだ方がいいんじゃないか?」
「いえ。今日は実習もないので、なんとかなるかと……」
「……そうか。なら、学校の近くまでは送って行こう。薬は忘れず飲んでおけ」
 意地でも学校に行くと言うのなら仕方ない。それ以上は自己責任だ、とサー・ナイトアイはそれだけを告げて、テーブルに並んだ皿の中から焦げ目のない綺麗な形をした卵焼きに目を向けた。
 こんなにも綺麗な卵焼きを焼いているのは初めてだ。佐鳥は基本、料理を作ると形が歪になる。具材は形がバラバラだし、卵料理などは上手く巻けなかったりする。煮たり焼いたりしても少なからず絶対に焦げ目をつけるのに、今日はそれが一つもない。
「……」
 そっと、綺麗に焼かれた卵焼きをこっそり箸で割ってみる。その裂け目からとろりとした黄身が流れ出てきたのを見て、サー・ナイトアイは数秒の間その動きを止めた。
 そして佐鳥が再びフライパンに火をつけ直したところで、彼はすぐさま彼女の肩に手を置いて引き止める。
「空、あとは私がやっておこう。とりあえずお前は着替えてくるといい」
「え? でも、お弁当の卵焼きがまだ……」
「いいから。着替えてきなさい」
「? ……わかりました。それじゃあ、あとはお願いします」
 首を傾げながら残りの調理を養父に任せ、フラフラとした足取りで佐鳥は部屋に戻る。
 そのあと、黙ってサー・ナイトアイが手早くテーブルの上の卵を焼き直したことに佐鳥が気づくのは、着替えから戻ってきて数分後のことだった。

 教室に入るなり、佐鳥の顔を見た切島はぎょっと声を上げた。
「おわっ……何だよ佐鳥、その目! 全然開いてないじゃん!」
「失礼な……ちゃんと開いてます……」
「いや、鏡見てから言えよ。目蓋しか見えねぇよ」
「大丈夫です。そのうち開眼します……」
「なんかその言い方、別の能力持ってるみたいだね……」
「でもホント、顔色も悪いよ? 体調悪いなら、休んだ方が良かったんじゃ……」
 いつもと変わらない調子で話しているつもりだが、その声はどう頑張っても空元気そのものだ。加えて色白の顔がさらに青白く変わっている。
 心配そうな葉隠の声に、佐鳥は眉根を寄せて「うぅん」と小さく唸った。
「そんなフラフラの状態で大丈夫だったか? 雄英の制服だし、学校に来る途中で声かけられたりしたんじゃねーの?」
「……? いえ、誰にも……今日は学校の近くまで送って頂いたので……」
 上鳴の言葉に佐鳥が首を傾げた時、一限目のチャイムが鳴り響いた。
 その瞬間、佐鳥達は会話を止めて蜘蛛の子が散るように自分の席へと着席した。
「おはよう」
 チャイムが鳴り止んだ途端にピタリと静まり返った教室に相澤が入ってくる。
 おはようございます、と生徒達が元気に挨拶をしたあと、相澤の姿を見た蛙吹が真っ先に声を発した。
「相澤先生、包帯取れたのね。良かったわ」
「ばあさんの処置が大袈裟なんだよ」
 心配されていたことが照れ臭いのか、それともまだ目の辺りに違和感があるのか。目の下を小指で擦りながら、相澤はぶっきらぼうに答えた。
「んなもんより今日の『ヒーロー情報学』、ちょっと特別だぞ」
 早速と言わんばかりに切り出された担任の言葉に、「きた!!」と生徒達が息を呑む。

「『コードネーム』──ヒーロー名の考案だ」

「「「胸ふくらむヤツきたあああああ!!」」」

 ヒーローを目指す者なら誰もが一度は考えたことだろう。どっと生徒達が立ち上がって喜びの声を上げる。
 しかし、一瞬にして騒がしくなった教室内にすかさず相澤が目を光らせて髪を逆立てると、瞬く間に静寂が戻った。
「というのも、先日話した『プロからのドラフト指名』に関係してくる。指名が本格化するのは経験を積み、即戦力として判断される二、三年から……つまり今回きた『指名』は将来性に対する『興味』に近い。卒業までにその興味が削がれたら一歩的にキャンセル、なんてことは良くある」
「大人は勝手だ!」
「頂いた指名がそんまま自身へのハードルになるんですね!」
 峰田が机を叩きながら恨み言を吐くのを余所に、葉隠が納得した様子で声を上げた。
「そ。で、その指名の集計結果がこうだ」
 相澤がそう言って黒板にA組の指名件数を表示した。
 一番多いのは体育祭で優勝した爆豪ではなく轟だった。その次に優勝者の爆豪、常闇、飯田、上鳴、八百万、切島、麗日、瀬呂と名前が続いている。
 全員最終種目のバトルトーナメントまで残った人達だ。
「だ────白黒ついた!」
「見る目ないよね、プロ」
「一位轟、二位爆豪って……」
「体育祭と順位逆転してんじゃん」
「表彰台で拘束された奴とかビビって呼べないって……」
「ビビってんじゃねーよプロが!!」
 切島と瀬呂の素直な感想に爆豪が声を荒立てる。
 だが、一位と二位の指名が逆転したことよりも驚きなのは、そこに緑谷の名前ではなく意外な人物の名前が入っていたことだった。
「……え」
「佐鳥名前あんじゃん!」
「すげぇな! 予選で落ちたのに指名きてる!」
 二件。たった二件だが、確かに佐鳥の名前が表示されていた。
 いつもの無表情ではなく困惑を露わにしながら黒板を凝視する佐鳥と、そんな彼女を横目で見ていた轟に八百万が声をかけた。
「流石ですわ、轟さん……佐鳥さんも」
「俺はほとんど親の話題ありきだろ……」
「私より、八百万さんの方がすごいですよ。指名の数、百を超えてるじゃないですか」
「たったそれだけですわ……」
 佐鳥の言葉に、八百万は視線を落として幾分か落ち込んだ声で答えた。
 そんな彼女の様子に、仕方ないことだろうな、と佐鳥は閉口した。予選落ちしたにも拘わらずの指名がきている自分はともかく、一位の轟に至っては四〇〇〇件以上の指名がきている。数の差は圧倒的で、他者から見た己の価値が数値となって表れたのだ。気にするな、と言う方が無理がある。
「これを踏まえ……指名の有無関係なく、いわゆる職場体験ってのに行ってもらう」
 相澤の言葉にまた生徒達は耳を傾けた。
「お前らは一足先に経験してしまったが、プロの活動を実際に体験してより実りある訓練をしようってこった」
「それでヒーロー名か!」
「俄然楽しみになってきたァ!」
 砂藤力道とその隣に座る麗日が嬉しそうな声を上げた。
「まァ、そのヒーロー名はまだ仮ではあるが、適当なもんは──」
「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」
 相澤の声を遮り、威勢よく教室の扉を開いて一人の女性が登場した。
 体育祭で一年の審判を務めたミッドナイトだ。相変わらずの際どいコスチュームで教室に足を踏み入れた彼女は、A組の生徒達の顔を見渡して告げた。
「この時の名が世に認知され、そのままプロになってる人多いからね!!」
「そういうことだ。その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。俺はそういうのできん」
 言いながら、相澤は仮眠をとるつもりなのか寝袋の準備を始めた。
「将来、自分がどうなるのか。名を付けることでイメージが固まり、そこに近づいていく──それが『名が体を表す』ってことだ。『オールマイト』とかな」
 ミッドナイトから生徒達へと色紙とペンが配られていく。手元に回ってきた真っ白な余白を見つめた佐鳥は、相澤の言葉に耳を傾けながらチラリと生徒達を見渡す。
 悩む者もいれば、さっそくペンを走らせる者もいる。そんな彼らを見て、佐鳥もまた眠気に負けてしまいそうな思考を必死に起こしながら自分のヒーロー名について考えを巡らせた。

 ──十五分後。

「じゃ、そろそろ出来た人から発表してね!」
 まさかの発表形式に、ミッドナイトの言葉を聞いた生徒の表情が引きつった。それから、「誰が最初に行く?」とそれぞれ顔を見合わせる。
 そんな中、真っ先に歩み出たのは青山優雅だった。スタスタと迷いなく教壇に立った彼は、自らが考案した『ヒーロー名』を堂々と掲げた。
「輝きヒーロー『I can not stop twinkling』! キラキラが止められないよ☆」
「短文!! そこはIを取ってCan'tにした方が呼びやすい」
「それね、マドモアゼル☆」
 青山は納得したようだが、教室にはなんとも言えない雰囲気が漂っている。
「じゃあ、次はあたしね! 『エイリアン・クイーン』!!」
「U!! 血が強酸性のアレを目指してるの!? やめときな!!」
「ちぇー」
 続いて発表した芦戸まで妙な『ヒーロー名』を発表したので、その大喜利っぽい空気に全員が出るに出られなくなった。
 しかし、青褪めて「バカヤロー!」と心の中で叫ぶ生徒達の中から一人の勇者が現れる。
「じゃあ次、私いいかしら」
「梅雨ちゃん!!」
 蛙吹だった。物怖じすることなく前に進み出た彼女は、自分の色紙を見せて『ヒーロー名』を口にした。
「小学生の時から決めてたの。『フロッピー』」
「カワイイ!! 親しみやすくて良いわ!! みんなから愛されるお手本のようなネーミングね!」
 ミッドナイトが目を輝かせて褒める。だがそれ以上に、彼女のおかげで空気が変わったことに生徒達は安堵から表情を綻ばせた。
 それならば、と続けて教壇に向かったのは切島だ。
「んじゃ、俺!! 『烈怒頼雄斗(レッドライオット)』」
「『赤の狂騒』! これはアレね!? 漢気ヒーロー『紅頼雄斗(クリムゾンライオット)』のリスペクトね!」
「そっス! だいふ古いけど、俺の目指すヒーロー像は『クリムゾン』そのものなんス」
「フフ……憧れの名を背負うってからには、相応の重圧がついてまわるわよ」
「覚悟の上っス!!」
 ミッドナイトの脅しにも意気込んで答える切島に、ますます生徒の勢いが乗ったらしい。『イヤホン=ジャック』、『テンタコル』、『セロファン』──次々とクラスメイトの名前が公表されていく。
 だが、ミッドナイトが納得のいく『センスの良い』名前ばかりではなく、『爆殺王』と書かれた爆豪の色紙を見た彼女は努めて冷静に「そういうのはやめた方が良いわね」と却下した。もちろん、納得いかなかった爆豪は「なんでだよ!!」と吠えていた。あまりに酷いネーミングセンスにミッドナイト含めほとんどの生徒は彼の抗議を黙殺したが、切島だけは「『爆発さん太郎』は?」などというふざけた名前を提案して笑っていた。当然のことながら不機嫌な爆豪によって全力で却下された。
「思ったよりずっとスムーズ! 残ってるのは再考の爆豪君と、飯田君と緑谷君、そして佐鳥さんね」
 名前を呼ばれ、まず飯田が先に前に出た。その表情はどこか強張っており、いつも堂々と前を見ている視線も下を向いたままだ。彼が見せた色紙には『天哉』と自分の名前が書かれていた。
 続けて前に歩み出たのは緑谷だ。
 生徒達はみんな一様に目を瞬かせて彼の『ヒーロー名』を凝視した。
 痛む手で書いたため歪な文字になっていたが、そこには大きく『デク』という二文字が書かれていた。
「えぇ、緑谷いいのかそれェ!?」
「一生呼ばれ続けることになるかもしんねーんだぞ……?」
 その呼び名が誰によって付けられたものか、A組の生徒は全員知っている。その名前に侮蔑の意味が込められていることも理解していた。
 けれど、緑谷は大きく頷いた。
「うん。今まで好きじゃなかった。けど、ある人に『意味』を変えられて、僕には結構な衝撃で……嬉しかったんだ」
 これが自分のヒーロー名だと最後まで言い切った緑谷のヒーロー名を、佐鳥はじっと見つめた。
 ──『デク』。それがオールマイトの後継者であり、『平和の象徴』となるヒーローの名。
 佐鳥はその名前を一心に見つめ、それから自分の色紙に視線を落とした。そして未だ白紙だったそこにようやくペンを走らせ、立ち上がる。
 その名前に、またもや生徒達が目を瞬かせた。
「……『センリ』?」
 不思議そうにその名を読み上げたのは緑谷だ。
 こくりと頷いて、佐鳥は静かに告げた。
「私の個性──『千里眼』から名付けました」
 まさかの唐突過ぎる暴露に生徒達は「えっ」と驚いた声を上げる。
「はっ、え……? 『千里眼』……!?」
「佐鳥の個性って、確か……『風を操る』んだよな?」
「それもできます」
「それもって……え、何? お前まさか轟と同じで個性二つあんの?」
「はい」
「いやいやいや……めちゃめちゃサラッと暴露すっけど何それ!? 隠れチートじゃん!?」
「チートじゃないです。ただただ不便で生きづらいです」
「青白い顔で言われると切実やな……」
 さっきよりも幾分かマシになったとはいえ、相変わらず顔色の悪い佐鳥の言葉に麗日は苦笑した。
 今まで秘密にしていた『個性』について語る佐鳥は、それでも少しだけ居心地が悪そうに視線を色紙に向けながら言葉を続けた。
「死ぬまで呼ばれる名前となるなら、生まれ持った『個性』に因んだ名前の方がいいと思いました。『個性』もまた、一生をかけて自分が背負っていくものなので……ヒーロー名、これで大丈夫だったでしょうか?」
「うん! 『個性』と一緒に覚えられやすくて良いと思うわ!」
 グッと親指を立てて笑うミッドナイトに、佐鳥はこくりと頷いて教壇の前から立ち退く。
 自分の席へと戻る途中で、ふと佐鳥は自分を凝視する轟に目を向けた。
「……良かったのか?」
 佐鳥が『個性』について話そうとしなかったのは、『家族』との約束があったからだ。
 その事情を僅かながらに知っているからこその質問だった。
「遅かれ早かれ、みんなには話そうと思っていましたから」
 じっと自分を見つめる轟に、佐鳥はそう言って小さく微笑みながら頷いた。


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