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16

「それではこれより!! 表彰式に移ります!」
 パン、パン、と乾いた音が空に鳴り響き、派手に花火が打ち上げられる。
 小さかった歓声が波のように大きくなる中、ミッドナイトの声に合わせて表彰台がフィールドの地面から現れた。
 その表彰台に注目した一年生達は、揃いも揃って唖然とした。
「うわぁ……」
「何アレ……」
「起きてからずっと暴れてんだと」
 思わず峰田と耳郎が声を漏らし、八百万と佐鳥に至っては信じられないものを見たように口を手で覆い隠した。
 それは仕方のないことだった。二回戦以降もトーナメントを勝ち残り、宣誓通り名誉ある一位の座を獲得した爆豪が頑丈に拘束されていたのだから。喋れないようにマスクまで装着されているのだから、その様は正しく捕らわれた敵のようだった。
 拘束されたまま人目に晒されているにも構わず隣に立つ轟に向かってずっと何かを叫び続けているので、A組の生徒達はその執念深さに顔を引きつらせた。
「しっかしま──……締まんねー一位だな」
 流石の切島も苦笑を浮かべて呆れた声を出した。
 爆豪があそこまで怒り心頭になっている理由は、轟が『全力を出さなかった』からだ。
 発破をかけられたとはいえあれだけ嫌っていた『熱』の個性を使って二回戦の緑谷を倒し決勝戦まで上がってきた轟が、爆豪との試合ではその力を使おうとしなかった──それがどうしても爆豪には納得できない事案らしい。
 拘束が解かれたら今にも轟に襲いかかりそうな爆豪と、そんな爆豪を完全に無視して何やら考え込んでいる様子の轟を見て、佐鳥は人知れずため息を吐いた。
 表彰台に上がっているのは三人。一位の爆豪、二位の轟、三位の常闇だ。三位はもう一人飯田がいるのだが、彼は家の事情で早退したので不在となっている。
 会場内にいる観客はずっと最終種目のトーナメントを勝ち残った彼らに拍手やら歓声やらを送っていた。
「飯田ちゃん、張り切っていたのに残念ね」
 蛙吹の言葉に、緑谷と麗日と佐鳥は互いの顔を見合わせてから視線を落とした。
 飯田が早退したのは、彼の兄が敵の襲撃に遭い病院に運ばれたと連絡を受けたからだ。簡潔に事情を聞いていた三人は兄を心から慕っていた飯田が気掛かりで、気がつけばずっと浮かない表情になっていた。
 だが、そんな三人の気持ちなどお構いなしに表彰式は進行していく。
「メダル授与よ!! 今年メダルを贈呈するのはもちろんこの人!!」
「私がメダルを持って来──」
「我らがヒーロー、オールマイトォ!!」
 派手な登場シーンだったのに、見事に連携のない台詞かぶりだった。
 白けた空気を醸し出すオールマイトだが、ミッドナイトは両手を合わせて謝ると気を取り直して三位の常闇から一人ずつメダルを授与していく。
 その時に何を話したのかは佐鳥達には聞こえなかったが、彼から各々激励を受けているのはわかった。常闇や轟とハグを交わしてから、授与を嫌がる爆豪とも言葉を交わして無理やりメダルを受け取らせ、オールマイトはくるりと振り返る。

「さァ!! 今回は彼らだった!!」
「しかし皆さん! この場の誰にも『ここ』に立つ可能性はあった!!」
「ご覧いただいた通りだ! 競い! 高め合い! さらにその先へと登っていくその姿!!」
「次代のヒーローは確実にその芽を伸ばしている!!」

 競技場に響くその声に耳を傾ける観客の視線を独り占めにしながら、オールマイトはその人差し指の先を天に向ける。

「てな感じで最後に一言!! 皆さんご唱和ください!!」

 せーの、と彼の合図に合わせて全員が大きく息を吸い込んだ。
 その言葉はもちろん、雄英生徒なら誰もが胸に刻んでいるものだ。
 ──と、この時の佐鳥も周りの人達と同じくそう思っていた。

「お疲れ様でした!!」

 てっきり『プルス・ウルトラ』と言うものだと思っていた生徒達の戸惑う声はオールマイトの声にかき消され、観客席から嵐のようなブーイングが沸き起こる。
 そんな中ミッドナイトに叱責されてしゅんと肩を落とすオールマイトを見て、佐鳥は思わずくすりと笑みを零した。

 高校一年目の雄英体育祭。
 残念ながら結果は予選落ちとなったが、佐鳥にとっては退屈のしない有意義な一日だった。


 *** *** ***


 体育祭後の休日は、よく晴れていた。
 部屋を出た轟が居間に足を運ぶと、ちょうどそこにいた姉の冬美がテレビを見ていたらしく、弟の気配に気づいて振り返った。
「あ、焦凍! 見て見て、これ昨日の体育祭! 録画してたやつ!」
 言われるがままテレビ画面に目を向けると、ちょうど障害物競走が始まったところだった。放送はやはり先頭を突っ切っている生徒を映し出しており、轟は自分と一緒に映っている女子を見て面倒なことになりそうだ、と半歩後ろに下がった。
 その直感は当たっており、画面を見ていた冬美は弟と画面を交互に見やりながら鼻息を荒くした。
「あの子! 佐鳥さん! 焦凍、どうして一緒のクラスだって教えてくれなかったの!?」
「言ったら家に連れて来いとか、会わせろとか言いそうだったから……」
「当たり前じゃない! まだお礼してないんだもん! 流石に家に連れてきてとかは言わないけど、せめて連絡先ぐらいは……えっ、ねえねえ、もしかして焦凍あの子と仲良いの? なんか喋ってるよね、今!」
 それみたことか。年甲斐もなく画面越しに自分達のやり取りを見てはしゃぐ姉に、轟はふぅと小さく息を吐いて答えた。
「……まあ、他の奴らよりは喋る……と思う」
 あくまで轟の主観での話だが。
 一匹狼の如くクラスメイトと一切の接点を持たなかった轟とは正反対で、佐鳥は率先してみんなの輪に入っていた。そんな彼女からみれば自分などクラスメイトの中の一人でしかないだろう。それを『仲が良い』の一言で片づけるのは間違っていると思った轟は、とりあえず事実だけを答えた。
「それより、ちょっと出かけてくる」
「え? 珍しいね、どこ行くの?」
「病院。……お母さんのお見舞い、行ってくる」
「そっか。気をつけて──…………え? びょ、病院?」
 数秒の間、冬美は時が止まったように動きを止めた。弟の口から予想もしていなかった言葉が飛び出して、理解が追いつかなかったようだ。
 画面に向けていた視線を再びこちらに向けて自分を凝視する冬美を見て、轟はふいと顔を背けて玄関へと足を向けた。
「ま、待って待って! 急にどした……ていうか焦凍、それお父さんに言わなくていいの?」
「ああ」
「なんで今さらお母さんに会いに行く気なったの!」
 その質問には、答えられなかった。
 だから無言のまま玄関の扉を開いて、外に出る。
 暖かな日差しが体を包み込むのを感じながら、戸惑いを隠せないまま自分を見送る姉に構うことなく、轟はゆっくりと歩き出した。


 轟が見慣れたおさげ髪の後ろ姿を発見したのは、病院に入ってすぐだった。
「……佐鳥?」
 まさかこんな所で遭遇するとは思ってもいなかった轟は目を丸くしながら彼女の名前を口にした。
 名前を呼ばれた佐鳥も振り返ってきょとんとする。
「……轟さん?」
「具合悪いのか? ここ、入院受付だろ」
 見た感じではいつも通りのポーカーフェイスだが、実は昨日の体育祭でも無理をしていたのかもしれない。実際、麗日達にも病み上がりで決勝トーナメントまでもちそうにないと話していたことを思い出し、轟は彼女の表情の変化に注目した。
 だが、佐鳥はけろりとした表情で否定した。
「いえ。ただの定期健診です」
「……健診って、入院しないといけねぇのか?」
「私は異常がなければ必要ないと思っていますが……まあ、心配させてしまいましたので、今回は仕方なく」
 言って、佐鳥はようやくその無表情にやんわりと笑みを浮かべた。
「轟さんはどうしてここに?」
「お見舞い。……お母さんの」
 その言葉に、佐鳥は瞬きを繰り返して轟の顔を凝視した。
 その反応がなんとなく姉と同じで驚いているように感じられ、居心地が悪くなった轟は顔を背けて受付へと歩を進める。
「佐鳥さん、お待たせしました。手続きは以上なので、部屋へ移動してください」
「あ、はい。ありがとうございます」
 部屋に入るためのカードキーを受け取り、佐鳥はチラリと轟に目を向ける。受付を終えた轟も同じく来客用のカードキーを受け取ったところのようで、佐鳥に目を向けた。
 煌めく黒曜の瞳が、じっと自分を見つめる。
 あまりに真剣な眼差しに思わず轟が身構えると、佐鳥はいつもの静かな声で問いかけた。
「……時間があるなら、少しだけ付き合っていただけますか?」


 入院病棟の入り口には、デイルームがある。
 自販機でお茶を購入した佐鳥は椅子に座って待っている轟のもとへと向かい、小さなテーブルの上に買ったばかりのそれを置いた。
 きょとんとする轟が「お金」と呟くと、佐鳥は首を横に振って拒否した。
「体育祭のお祝いだと思ってください」
「……悪い」
 それは単なる口実だ。断る理由を失った轟は言葉少なに答え、少し躊躇いながらもテーブルの上に置かれたそれに手を伸ばす。
 そこで、轟は自分の手に力があまり入っていないことに気づいた。
「やっぱり轟さん、緊張されてたんですね」
「え」
「下にいた時から、顔色が少し良くなかったので……」
 轟は視線を落とした。
 その指摘は図星だった。病院に入ってからはずっと心臓が激しく音を立てており、口の中がひどく乾いている。「緊張なんてしていない」と堂々と言えたら良いが、お茶の入った紙コップを掴もうとした手は自分の目から見ても微かに震えていた。
 見栄を張ることもできず黙り込んでしまう轟を見つめ、佐鳥はデイルームの窓へと視線を動かした。
「緑谷さんと戦ったあとから、轟さんの顔つきが変わりましたね」
 それは昨日、体育祭を終えた表彰式でオールマイトにも同じことを言われた。
 手元のお茶に視線を落としたまま、轟は「そうか」と短く相槌を打った。
 結果から言うと、轟は二位の成績で体育祭を終えた。二回戦まで勝ち残った緑谷と戦い、三回戦では飯田と戦い、そして最後の決勝戦で爆豪に負けたのである。
 その中でも緑谷との試合は、轟にとって大きな変化をもたらした。緑谷は自分の夢を叶えるためにいつも全力で、だからこそ試合では「『全力』でかかってこい」と轟を煽った。その『個性』は父親のものではなく『自分の力』だと、そう言って自分の手を犠牲にしながら。
 そんな彼の言葉に、轟もいつの間にか忘れていた『ヒーローになりたい』という気持ち──自分の原点を見つめ直したのだ。
 そうして考え、悩み、前に進むため、過去と向き合うためにこの病院にいる母に会いに来た。
「轟さん」
「! ……なんだ?」
「炎を出していただけますか。指先ぐらいの大きさでいいです」
「なんで」
 轟は目を瞬かせる。
 しかし、佐鳥はその質問には何も答えずじっと轟を見つめるだけだった。
 このままだと埒が明かないと理解した轟は、よくわからないまま自分の左手から僅かな炎を出した。
 すると、一つ瞬きして目と髪の色を変えた佐鳥は、無造作にその炎へと手を近づける。
「お前、こんなところで『個性』なんて──……」
「大丈夫、今は誰もいません。……もういいですよ」
 あれだけ秘密にしといて軽々しく『個性』を使う彼女に、轟はやや呆れた。
 しかし彼女の言う通り炎を消した時、彼は目の前の出来事に瞠目した。
 消したはずの炎はふわりと轟の手から離れ、佐鳥の手の平の上でゆらゆらと小さく燃え続けている。
 それが彼女の『個性』によるものだと理解し、轟はぽかんと口を開いた。
「佐鳥……お前、どうやって……」
 轟は佐鳥の個性を『空気を操る』ことだと仮定していた。空気──すなわち襲撃で見せた『空間認識』や、『風を操る』こと、もしくは体育祭で見た『高速移動』がメインだと想像していたのだ。
 なのに、彼女が今見せている力はなんだ。まるで『炎を操っている』ようにしか見えないではないか。
 しかし、轟の疑問に佐鳥は答えなかった。
「炎の揺らぎは、人の心を落ち着かせる作用があるんです」
 呆然としている轟を気にすることなく、佐鳥はその輝く金色の瞳で自分の手の平で燃え続ける炎を見つめたまま、言葉を続けた。
「火は簡単に人の命を奪うので扱いには注意が必要ですが、同時にヒトの命を繋ぐ大切なものでもあります。『超常』の歴史が始まるよりもっと前、ヒトが群れを作って言葉を話すようになった頃から、この火が私達の祖を守っていました」
 まるで説法を説くような淡々とした口調で、けれど美しい寝物語を語るような玲瓏な声だった。
 最初は彼女が何を言いたいのかわからずに耳を傾けていた轟は、自分が生み出した炎に目を向ける。
 これまで忌々しいと思っていた炎が、今でも彼女の手の平で燃え続けている。
 その炎から、何故か目を離せなかった。彼女の言葉が耳に入る度に、それがとても神聖なものに見えてきたからだ。
「だから私は思うんです。一目でその炎が美しいと思えたのなら、それはきっと『優しさ』の宿ったものなのだと……それが『人の手』で生み出されるものなら、なおさら」
 そこで一度言葉を区切って、佐鳥は顔を上げる。
 手の平から炎が消え、轟もつられて佐鳥の顔を見た。『個性』を解除した彼女は、いつも通りの黒髪に戻っていた。

「とても綺麗だと思ったんです……轟さんの『個性』が」

「その氷の美しさが、あなたの生まれ持った『優しさ』の象徴であり」

「その力強い炎が、人々の心を明るく照らす──」

「少なくとも私は、あなたがそんな『ヒーロー』になると信じています」

 そう言葉を紡いだ彼女の表情も、とても優しいものだった。
 無表情だった顔に柔らかい微笑を浮かべ、満月のような美しい輝きは穏やかな夜の海に潜んでいる。
 そんな彼女の表情に、轟は思わず言葉を失った。
「……緑谷さんって、不思議ですよね」
 轟の沈黙を気にしていないのか、また突然、佐鳥は話題を変えた。
「あんなに真っ直ぐ夢を追いかけているのに、気がつくと周りにばかり目を向けて……自分がどんなに傷つこうと『目の前にいる人』のことを考えてしまう。そんな気がするんです」
「……それは佐鳥も同じだろ。予選の時にお前、一番に他のクラスの奴らを助けに行ったじゃねぇか」
 正直に言うと、今でも轟はあの時の佐鳥の行動について理解できない。彼女の行動は緑谷以上に周囲のことしか考えていないように見えた。
 ──今でもそうだ。佐鳥は轟の感情を見抜いたからこそ、こうして話をしている。
「お前はよく他人を『優しい』って言うけど……俺には、お前の方がずっと『優しい』人間に見える」
「私のはただの『真似事』です。『本当の優しさ』とは、誠意が込められるものです」
 佐鳥は微笑にほんの少しの困惑を浮かべ、首を横に振り、否定した。
「私には、皆さんのような誠意はありませんから」
 その言葉に、轟は何も言えなかった。違うと言いたいのに、上手く言葉が見つからなかったからだ。
 佐鳥がどういうつもりで自分に『誠意』がないと言っているのかはわからない。ただ、『誠意』があるかないかは彼女が判断することではないと轟は思った。
 だから轟は悩み、自分なりに言葉を探し、考えを口にした。
「……少なくとも、今こうして俺と話してるお前は『優しい』よ」
「……」
「お母さんに会いに来んの、すげぇ怖かった。正直に言うと、今でもまだ少し怖い。……でもお前と会って、こうして話してたら……少しだけ落ち着いた」
 そう言って、轟は真っ直ぐに佐鳥の目を見つめた。
 無意識に穏やかな眼差しと、その口元に微笑を湛えて。

「……ありがとな」

 そんな轟の顔を見た佐鳥は、きょとんと目を丸くしてから視線を逸らした。人差し指で僅かに赤らんだ頬をかいているのは照れ隠しだが、残念ながら轟がそれに気づくことはない。
 その代わり、蚊が鳴くような小さな声の「どういたしまして」という言葉に、轟は胸の内側がじんわりと温かくなっていくのを感じていた。

 心に灯ったそれは、まるでさっきまで見つめていた炎みたいだった。


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