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15

 ──最善を尽くしている、はずだった。

「お前らを選んだのは、これが最も安定した布陣だと思うからだ」
 上鳴、八百万、飯田を前に、轟は表情一つ変えず淡々と告げた。
「上鳴は左翼で発電し、敵を近づけさせるな。八百万は右翼。絶縁体やら防御、移動の補助。飯田は先頭で機動力源もとい、フィジカルを活かした防御」
「轟君は氷と熱で攻撃、牽制ということか」
 飯田の言葉に、轟は視線を動かす。
「……いや」
 その視線の先にいるのは、ただ一人。
 高みから自分を見下ろしている父だけだ。
「戦闘に於いて、熱(ひだり)は絶対使わねえ」

 ──最善を尽くした、はずだった。

「突っ込んで!!」
 悲鳴にも似た、怒鳴り声だった。
 制限時間は残り二十秒。その短い時間に奪われた自分の持ちポイントを取り戻すために、緑谷は最後まで諦めなかった。
 ──否、最初から『諦る』という選択肢はなかったのだろう。
「ああああああああああ!!」
 思えば、ずっと緑谷越しにオールマイトの存在を感じていたのかもしれない。
 仲間と共に突っ込んでくる緑谷の気迫は先の事件で『平和の象徴』が見せたそれと似ていて、あの時それを肌で感じることができた轟だからこそ、負けじと挑んでくる緑谷の脅威に気圧された。
 自分の方へと伸びてくる手から逃れるために出した左手。
 その手が無意識に『個性』を発動させていることに気づいた時、轟は油断したのだ。
「轟君、しっかりしたまえ!! 危なかったぞ!」
 飯田の叱責が耳にこびりつく。
 けれど彼の言葉以上に、轟はショックだった。
(攻撃には使わねぇ……そう決めたはずなのに……)
 使ってしまった。例えそれが一瞬の出来事であったとしても、轟はあの時、間違いなく緑谷に気圧されて自分の誓約を破ってしまったのだ。
 アナウンスでプレゼント・マイクが自分のチームの順位を告げる。
 なのに、少しも嬉しくない。
 勝った気もしない。
 残ったのはただ、言い表すことのできない悔しさだけだ。
「……くそっ」


 ──自分は、何をしているんだ。


「轟さん」
 声をかけられて、沈んでいた意識が浮上する。
 振り向くと、いつものように無表情の佐鳥が自分を見つめていた。
 夜の静けさを纏うその目を、彼女はそっと自分の腕に向ける。
「すみません……少し、痛いです」
「あ……わりぃ」
 無意識だった。
 タイミングが良かったのか悪かったのか、彼女が自分の父と話しているところを目撃した轟は焦りにも似た衝動に駆られて彼女を父から引き離した。
 何故、佐鳥があんな所で父と話していたのかはわからない。
 だが、その光景を見た途端どうしてか嫌な予感が胸の中に渦巻いて、気がつけば彼女を庇っていたのだ。
「さっき……何、話してた」
 轟の問いに、ぱちぱちと佐鳥の目が瞬く。
「……何も」
「本当か? 変なことは言われてねぇな?」
「本当に、何も。名乗ったら、出自のことについて少し問われただけです」
「出自……?」
 轟は眉を顰めた。
「佐鳥って、有名な家なのか?」
「軍人、警察、政治家……表にはあまり名前が出ませんが、国家に属する機関の間では有名だそうです」
「……なるほどな」
 轟は納得したように頷いた。
 手段を選ばない狡猾なあの父のことだ。まともに取り合っていたのなら、きっと彼女の背後にある家柄に目をつけたのかもしれない。
 しかし、そんな轟の懸念を払拭するように、佐鳥の口からさらりと衝撃的な発言が飛び出した。
「まあ、一方的に私から縁切りしましたが」
「え」
 ──家族と縁切り? 自分から?
 高校生などまたまだ子どもだ。親元から離れて生きるなど無理がある。
 自分では少しも思い浮かばなかった選択肢に轟はきょとんとした。
「……お前、『家族』はいるんだよな?」
「はい。育ての親です」
 なるほど、という相槌は再び声になることはなかった。
 どうやら彼女も複雑な家庭のようだ。話を切り上げるべく轟は口を閉ざして顔を背ける。
 これ以上踏み込んで聞く話でもないと思ったが、佐鳥はそうではないらしい。少し考え込んでから、彼女はぽつりと言葉を発した。
「……佐鳥家は代々、『個性婚』でその力を強めて地位を確立した一族です」
「! ……なんだ、いきなり」
「すみません。わざとではないのですが、先ほどの轟さんと緑谷さんとの会話をお聞きしてしまいまして……せめて話せることはお教えしておこうかと」
「ああ、さっきの……聞いてたのか。別に気にしなくていいぞ。聞かれて困る話でもねえし、あんな所で話した俺が悪い」
「そうですか」
 そこで会話は途切れた。
 突然訪れた沈黙に、轟は肩越しに半歩後ろを歩く佐鳥を見やる。
 佐鳥は相変わらずの無表情だが、視線は下を向いていた。何やらまだ考え込んでいるようだ。そして長い思考の末、佐鳥は再び口を開いた。
「……轟さんの気分を悪くさせるとわかっていて、あえて言いたいのですが」
「……なんだよ」
「私、轟さんの炎を見てみたいです」
「……」
 本当に気分を害する話だった。
 轟はオッドアイの双眸に冷たい色を浮かべて佐鳥を睨む。
 けれど、佐鳥は臆することなく無表情のまま轟を見つめ返していた。
「……左は使わねえっつってんだろ」
「別に、今日じゃなくても良いのですが……」
「断る。俺はこれからもこっちを使う気はない」
「……そうですか。残念です」
 全く残念そうな表情ではないが、佐鳥はそう言って轟から視線を外した。

「でもきっと、轟さんの炎は綺麗だと思うんです」

 轟は今度こそ答えなかった。
 何を言われても、彼女の望みを叶えるつもりはない。
 もうこれ以上、自分の誓約を破りたくなかった。
 でも、何故か玲瓏な声で紡がれたその声を何度も耳の奥で反芻する。
 僅かに温かさを孕んだそれがどこか居心地悪いものに感じて、轟は小さく舌打ちした。


 *** *** ***


 最終種目は例年通り一対一で行われるトーナメント形式のガチバトルとなった。
 トーナメントの組み合わせを決めて最終種目前に挟んだレクリエーションの時間、参加者を応援すべく競技場に残った女子達に混ざり、佐鳥はポンポンを両手に持ちながらしゅんと肩を落とした。
「皆さん、すみません……私が間に合わなかったばかりにチアの格好に……」
「謝らないでいいのよ、空ちゃん」
「そうですわ……! もとはと言えば、峰田さんと上鳴さんの策略にまんまとハマった私の悪いのですし……」
「悪いのは佐鳥でもヤオモモでもなくてあのアホ共でしょ」
 ポンポンを持ってレクリエーションに参加する男子の応援する芦戸、蛙吹、麗日、葉隠は楽しそうだが、耳郎はよほど不服のようだ。しゃがみ込んで借り物競争で走り回る上鳴や峰田に恨みがましい視線を送っている。八百万はトーナメントへの緊張が解れないのか、少し強張った顔でポンポンを振っていた。
「それにしても、轟と戻って来たのは驚いたよ」
「先生の所に向かう途中で偶然お会いしたので……」
「ふぅん……仲良いの? 佐鳥ぐらいじゃん、あいつと喋ってんの」
「よく……わかりません。皆さんと大して変わらないと思いますが……」
 耳郎の言葉に佐鳥は困ったように眉根を寄せた。
 無口で一匹狼のように他人と群れない轟と佐鳥が比較的接点が多いのは事実だ。しかし、それはあくまで当社比というもので、実際は佐鳥も他の生徒達と同じであまり轟と話すことはない。轟はいつも休み時間は読書に勤しんでいるし、機会がなければ佐鳥も自分から話しかけることはしないのだ。
 首を捻る佐鳥に、話し声が聞こえていたらしい葉隠がくるりと体ごと振り返った。
「でもでもっ! 轟君ってよく空ちゃんのこと見てるよね!」
「そうなんですか?」
「うん! 気がつくとずっと見てるよ!」
「言われてみれば、たまに視線を感じる時があるような……」
「そ、それってもしかして……!」
「もしかすると、そうなんじゃない?」
「え、何なに〜? 佐鳥、轟に狙われてるの?」
 八百万と耳郎が仄かに頬を赤らめ、期待に目を輝かせる。
 つられて興味津々といった風に振り返った芦戸の言葉に、佐鳥はきょとんとした。
「私……轟さんに命を狙われるようなことをしてしまったんでしょうか?」
 知らなかった。気づかないうちに轟の気分を害していたなんて。
 そう解釈して一人思い当たる節がないか記憶を遡っていく佐鳥に、その場にいた女子達は思わず閉口した。「そうじゃない」と一同が心の中で叫んでいることは悩み続ける本人に伝わるはずもなく、悶々と考え込む佐鳥を見ながら麗日はぽつりと呟いた。
「……とりあえず、誤解は解いた方がええんとちゃうかな」
 轟の真意はともかく、自分達が伝えたかったのは『好意を向けられている』ということだ。二人の関係が拗れる前に訂正しておいた方がいいと判断した麗日の言葉に、全員が同意した。
 その後、芦戸の言葉の意味をようやく理解した佐鳥が『それだけは違うと思う』と否定したが、半信半疑の女子達が聞き流したのは彼女の知らない話だ。


 レクリエーションが終わり、トーナメントの一組目以外の生徒が観覧席へと移動する。
 その途中、佐鳥は一組目の出場者とすれ違い、足を止めた。
「心操さん」
「……佐鳥さん」
 呼び止められた心操も足を止めた。静かな闘志を秘めた瞳と視線が交わり、佐鳥はやんわりと笑みを浮かべた。
「いよいよですね。トーナメント、頑張ってください」
「いいの? 俺なんかの応援して……相手、A組の緑谷君だけど」
「どちらも応援します」
「そういうの、偽善って言われない?」
 薄ら笑いを浮かべながら皮肉った彼の言葉に、佐鳥は肩を竦めた。
「誰にも話さなかったんだな、俺の『個性』のこと」
「約束は守ります。それに……それは心操さんも同じじゃないですか」
「これからもそうだとは限らないだろ」
「いえ、心操さんなら必ず約束を守ってくださいます。だって……私達と同じ、ヒーローを目指してる人ですから」
 数日前の昼休み、食堂でお互いの『個性』について話した二人は別れる前に一つだけ約束をした。それは一方的な佐鳥の口約束にすぎないが、彼女はこれからも心操がその約束を律儀に守ってくれると確信していた。
 心操は笑みを消した。
「……だから、そういうのが偽善だって」
「でも、本心です」
「あ、そ」
 いつかのように短い相槌を返し、心操は再び足を動かした。
 しかし、それは佐鳥を追い越した時にまた止まる。
「なあ……俺は、ヒーローになれると思うか?」
「……正直に言えば、なれるかどうかはわかりません。あなたの現状では、ヒーロー科に編入できるかも努力次第なので」
 ただ、と佐鳥は言葉を続けた。
「あなたの『個性』は、間違いなくヒーロー向きだと思います」
 その答えに、心操は何も言わなかった。
 今度こそ無言で立ち去った彼の背中を見送り、佐鳥は視線を落とす。
「『個性』には……善も悪もない……」
 ただ気持ちの在り方の問題だ。生まれ持ったその力をなんのために使うか、それだけの問題なのだ。本当は『敵向き』だとか、『ヒーロー向き』だとか、そんな区別も最初からどこにも存在しない。
 ──そんな簡単な答えすらわからない人達が、この世界には少し、多すぎた。
 心操の『個性』を知った時に見えた彼の『覚悟』を思い返しながら、佐鳥は静かに踵を返した。

「あれ? 空ちゃん、遅かったね。何かあった?」
「少し知り合いと会ったので話をしていました」
「ふぅん?」
 観覧席に戻った佐鳥を出迎えた麗日が不思議そうに首を傾げた。

『ヘイガイズ、アァユゥレディ!?』
『色々やってきましたが!! 結局これだぜガチンコ勝負!!』

 プレゼント・マイクによる試合開始のアナウンスが競技場に響き渡る。

『頼れるのは己のみ!』
『ヒーローでなくともそんな場面ばっかりだ! わかるよな!!』
『心・技・体に知恵知識!! 総動員して駆け上がれ!!』

 一組目は緑谷対心操の試合。最初は心操による『洗脳』の個性で緑谷が場外へと誘導されそうになるが、寸前のところで意識を取り戻した緑谷が反撃。背負い投げ一本で相手を場外へと誘い、結果は緑谷の勝利となって第一試合は終了した。
 二組目は轟対瀬呂の試合だったが、開始直後に轟の膨大な氷結の攻撃を受けて瀬呂が敗北を宣言した。
 あまりの一瞬の出来事に自然と沸き起こった「どんまい」という観客の声が響く中、競技場を遥かに超える大きな氷を自らの手で溶かす轟を見つめていた佐鳥は観覧席へと戻って来た緑谷に目を向ける。
 次の轟の相手は緑谷だ。なのにその目は強大な力を前に恐れるどころか、どこか憐れむような色を浮かべて次の対戦相手を見つめていた。
 続けて、佐鳥は麗日に目を向ける。
 次々と試合が終わるにつれて強張っていく彼女の表情に気づき、佐鳥はぽんっと彼女の背中を叩いた。
「! 空ちゃん……?」
 背を叩いただけで、佐鳥は何も言わなかった。
 無言で、ただじっと麗日の顔色を観察するように見つめるだけだった。
 そんな彼女に、麗日はぐっと唇を噛みしめて意気込んだ顔をする。
「……っし。そろそろ控え室行ってくるね」
 精神統一するためだろう。まだ強張った顔のまま立ち上がった麗日と、その麗日を見た緑谷が何かに気づいて追いかけて行ったのも、佐鳥はただ黙って見送るだけだった。

 一回戦最後の組は爆豪対麗日。その試合の中身はとてもじゃないが、女子が顔を引きつらせて手で覆い隠したくなるものだった。
 相手を『個性』で浮かせようと何度も突撃する麗日を、爆豪は己の『個性』で撃退する。何度も何度も同じことを繰り返し、それでもボロボロになりながら立ち上がって向かって行く彼女に、蛙吹が不安げな声を漏らした。
「お茶子ちゃん……!」
「爆豪、まさかあいつそっち系の……」
「峰田さん、やめてください」
 真剣に試合を見守っているというのに。安定の峰田らしい発言に、クラスメイト達と同じく二人の試合を静観していた佐鳥が珍しく無表情のまま口を挟んだ。
「……あの変わり身が通じなくて、ヤケ起こしてる」
 そんな声がどこからか聞こえて、佐鳥は顔を上げた。
 続けて、反対側の観客席から大きな怒鳴り声が聞こえた。
「おい!! それでもヒーロー志望かよ! そんだけ実力差あるなら早く場外にでも放り出せよ!!」
 爆豪に対する罵声だ。その声を皮切りに、各所からブーイングの声が沸き起こった。
「女の子いたぶって遊んでんじゃねーよ!!」
「そーだそーだ!」
 その瞬間、きらりと佐鳥の目が怪しく光る。
「……ガヤ風情が」
 我慢できないと言わんばかりにぽつりと零れた怒気の滲む声に、隣に座っていた緑谷が顔を向けて頬を引きつらせた。
「さ、佐鳥さん……? 何か怒ってる……?」
「緑谷さん、あそこにいる『ヒーロー気取り』黙らせてもいいですか? 初めてやりますけど、ここからでも十分な威力で届く気がします」
「待って!?」
 言いながら向かい側の観客席に手を鉄砲の形にして人差し指を向けた彼女に、何をしようとしているのか察した緑谷は慌ててその手を掴んで引き止めた。
「佐鳥、お前ホント見かけによらずアレだよな……」
「もうあれじゃん。大人しめクラッシャー」
「破壊神……」
 二人のやり取りを見ていた瀬呂、上鳴に続いて常闇がぼそりと呟き、緑谷の反対側に座っていた蛙吹が「落ち着いて」と佐鳥の肩に手を置いた。
『一部からブーイングが! しかし正直俺もそう思──わあ肘っ』
 実況しているプレゼント・マイクですらブーイングに同意しようとしたその時、マイク越しに鈍い音がした。続けて聞こえたのは『今、遊んでるつったのプロか? 何年目だ?』という相澤の声だった。冷たい温度を纏ったその声に、会場は瞬く間に静まり返る。
『シラフで言ってんならもう見る意味ねぇから帰れ。帰って転職サイトでも見てろ』
「相澤先生……!?」
 A組の面々も担任の静かな怒りに気づいて目を瞬かせる。
『ここまで上がってきた相手の力を認めているから警戒してんだろう。本気で勝とうとしてるからこそ、手加減も油断もできねぇんだろうが』
 全くもってその通りである。宣誓で「俺が一位になる」と豪語する爆豪のことだ。男女関係なく相手が誰であろうと手を抜くことはしないはず。ましてや、その相手が全力で挑んでくるのであれば、なおさら自尊心の強い彼は全力で相手を叩き潰そうとする。
 それに何より──麗日の目はまだ死んでない。
「勝ぁああつ!!」
 麗日が自分の両手の指を合わせた。『個性』を解除した合図だ。
 見ると、頭上にはいつの間にか大量の瓦礫が浮かんでいる。ただ突撃していたのではなく、麗日はずっと捨て身で当たりながら自分の武器を蓄えていたのだ。
 気合の入った大きな雄叫びと共に、爆豪の頭上からたくさんの瓦礫の流星群が降り注いだ。その反撃の威力は相当なものだろう。
 だが、爆豪の『個性』はそれ以上に強かった。一撃の爆破で瓦礫の雨を粉々に粉砕した。
 そんな彼との実力差を見せられても再び挑もうとした麗日だが、その体力はもう限界に達していた。
 フラリと傾いた麗日の体は重力に従って地面へと落ち、ミッドナイトが彼女に歩み寄っていく。
「……許容重量」
「限界……ですね」
 緑谷の言葉を引き継いで紡がれた佐鳥の声は、思いの外落ち込んでいた。
 きっと、ここで倒れた彼女の中にはやりきれない思いが残ってしまうだろう。
 そんな麗日の胸の内を想像して、佐鳥は静かに目を閉じた。

 一回戦、最終試合。
 結果は、爆豪の勝利に終わった。


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