image

14

 十五分の交渉タイムが設けられていたが、思ったよりも各騎馬のメンバーは早く決まったようだ。
 誰もいないA組の観覧席にぽつんと座ってクラスメイトのいるフィールドを見つめていた佐鳥は、緑谷の騎馬を見つけて目を瞬かせた。
 麗日がいるのはなんとなく想像ができた。入試試験で緑谷と縁があったという彼女はよく彼に話しかけているし、緑谷もまたそんな彼女に気を許しているのか、気兼ねなく接している。
 だが、そこにはもう一人男子が混ざっていたはずだった。いつも見る姿が見当たらず、佐鳥は視線を動かした。
 その人物は、意外にも轟のいる騎馬にいた。
(飯田さんは轟さんに協力したのか……)
 飯田の個性は『エンジン』だ。きっとこの騎馬戦において、緑谷にとって貴重な戦力だったに違いない。
 佐鳥は少し──否、ものすごく残念に思った。
 もし自分が残っていれば、迷うことなく緑谷に協力したのに。そうすれば、飯田がそちらについても彼の代わりに機動力を補うことができただろう。
 自ら望んだ結果だが、こればかりは後悔しかなかった。
 この状況で、緑谷は誰と手を組んだのか。
 佐鳥はもう一度緑谷に視線を戻した。彼と一緒にいるのは麗日と常闇、そして見知らぬ他クラスの女子生徒だ。何やら装置を取り出して説明をしているところから察するに、どうやらその女子はサポート科の生徒のようだ。
 そのメンバーでこの騎馬戦をどう切り抜けるのか。
 ほんの少しの期待と好奇心を込めて彼らを見つめていた佐鳥は、そこでふと、通路側に誰かが立ったことに気づいた。
「お疲れ様です」
 御守だ。観客席の巡回をしていたのか、それとも仕事がなく手持ち無沙汰になったのか。にこりと微笑んだ彼は佐鳥の隣に腰かけると、彼女と同じくフィールドに視線を向けた。
「なかなか面白い結果になりましたね。一位の緑谷君……まだ一度も『個性』を見せていませんが、佐鳥さんは彼の『個性』を見たことがありますか?」
「……いえ」
 佐鳥は僅かに瞳を光らせながらチラリと彼を見て、首を横に振った。
 隠そうとしたわけではなく、事実だった。体育祭まで二週間という期間があったのに、その間に緑谷が佐鳥の前で『個性』を使ったことは一度もなかった。使おうとする意思は見られるが、タイミングが悪いのかその瞬間を目の当たりにする機会がなかったのだ。
 佐鳥の返事に、御守は「そうですか」と特に気に留めた様子もなく穏やかに微笑んでいた。
「御守先生、お仕事は大丈夫なんですか?」
「ええ。ちょうど暇になったので、巡回がてら観戦でもしようかと」
「そうなんですか。なら、ちょうど良かったです。確認したいことがあったので」
 佐鳥の言葉に、御守が不思議そうな眼差しを向けた。
 佐鳥はいつも通り無表情のまま彼を見向きもせず、淡々と興味もなさそうな口調で言い放った。
「さっきの障害物競走で使用された仮想敵、『暴走させた』のは先生ですよね」
「……おや。何か証拠でも?」
「『暴走』をさせた証拠はありません。ただ……サーから『警護』の話を聞いています。もしそれが『監視』も含まれているのなら、当然その人は私の『個性』に対応できるはずだと考えました。事実、あなたには今も『個性』が効かない。今回のことも、『敵』を警戒しているからこその妨害だと思えば納得ができました」
「……」
 沈黙が流れた。御守は変わらずその表情に笑みを浮かべたまま、佐鳥と同じくフィールドに視線を戻す。
『さァ、上げてけ鬨の声! 血で血を洗う雄英の合戦が今! 狼煙を上げる!!』
 プレゼント・マイクの声が響いた。
『よぉーし、組み終わったな!? 準備はいいかなんて聞かねぇぞ!! いくぜ!! 残虐バトルロイヤルカウントダウン!!』

 ──三。

 狙いは。

 ──二。

 一つだけだ。

 ──一。

『スタート!!』
 大きな合図と共に、フィールドにいたほとんどの騎馬が緑谷に向かって走り出す。だが、その実態は高ポイントを持つ騎馬を狙っているのだ。緑谷に向かっていく轟や爆豪にも各所から騎馬が襲いかかっていく。
 その光景はまさしく全面戦争。
 手加減など一切ない一○○○万ポイントの争奪戦だった。
『さぁ〜〜〜〜まだ二分も経ってねぇが早くも混戦混戦!! 各所でハチマキ奪い合い!!』
 猛々しく迫ってくる生徒達を前に、緑谷が騎馬となった仲間達に指示を出す。緑谷が背負っていたサポートアイテムを作動させ、麗日達は上手く自身の『個性』を使いながら逃げ続ける。サポート科のアイテムと麗日の『無重力(ゼロ・グラビティ)』の相性が良いようだ。四人全員を浮かして騎馬そのものを器用に誘導していた。四人の死角は常闇の『黒影(ダークシャドウ)』が補っているのも良い案だ。
『やはり狙われまくる一位と猛追をしかけるA組の面々共に実力者揃い!!』
 ──これは、もしかしなくても生き残れるかもしれない。
 寄せ集めの人材だったろうに、緑谷は仲間の『個性』を最大に活かしている。ヒーローオタク故に探求心から研究したのだろうが、クラスメイトの『個性』をよく把握しているのは彼の一番の長所だ。
 必死に逃げ回る緑谷の騎馬を見守っていた佐鳥は、ひっそりと口角を上げた。
『さァ、残り時間半分を切ったぞ!! B組隆盛の中、果たして一〇〇〇万ポイントは誰に頭を垂れるのか!!』
 しばらく黙っていた御守がようやく声を発したのは、轟が自分と緑谷の騎馬を氷で包囲した時だった。
「佐鳥さん」
 佐鳥は首を動かし、振り返った。その目はもう『個性』を発動させていなかった。
 凪いだ夜の海にも似た瞳に映る青年はもう笑っていない。人当たりの良い微笑すら浮かべずに、真剣な表情で自分を見つめていた。
「君は聡い。自分の立場を理解できるだけの賢さがあり、その現実を受け入れられる強い女の子です。そんな君を、僕は何があっても守らなくていけない」
 吸い込まれるような真っ黒の瞳を見つめ返し、御守はおもむろにそう言葉を紡いだ。

「……すみません」

 白熱する会場の中、静かに告げられた。
 最後はたった一言、それだけだ。
 だが、それで充分だった。

 誠意を込めたその眼差しが。
 ほんの少しだけ哀愁を感じさせたその謝罪が。
 彼の本心を物語っていた。

 それが十分前に投げた自分の質問に対する答えなのだと理解し、佐鳥はふいと顔を背ける。
 そこからは、また長い沈黙だった。
『残り時間約一分!! 轟、フィールドをサシ仕様にし、あっちゅー間に一○○○万奪取──とか思ってたよ、五分前までは!! 緑谷なんと! この狭い空間を五分間逃げ切っている!!』
 プレゼント・マイクのアナウンスに耳を傾けながら、佐鳥はフィールドに目を向けたままぽつりと言葉を発した。
「申し訳ありません、御守先生」
 いつもの玲瓏な声が、ポーカーフェイスを保っていたその表情が、幾分か不貞腐れたような色を含んだ。
 年相応のその表情に、御守は目を丸くする。
「……私には、先生の謝罪の意図がわかりかねます」
 それは何も聞かなかったことにするのと同義だった。
 佐鳥の言葉に御守はきょとんとしていた。しかし、その整った顔はすぐ思いつめたような表情で視線を落とし、やがて無言のまま席を立って佐鳥の傍から立ち去った。
 轟の前騎馬になっていた飯田が動きを見せたのは、ちょうどその時だ。
 彼のふくらはぎにあるエンジンのような器官にエネルギーが集まっており、彼が全力で突進するつもりであることは容易に推測ができた。
 だが、そのスピードは想像を遥かに超えていた。
「トルクオーバー! レシプロバースト!!」
 それは、一瞬だ。
 轟を背負った飯田が緑谷の背後をとった。その速さは佐鳥と同じか、もしくはそれ以上だっただろう。
 思わず佐鳥は立ち上がり、轟の手を凝視する。
 飯田の『個性』に驚き目を瞠る彼の手には、それでもしっかりと一○○○万と書かれたハチマキが握りしめられていた。


 *** *** ***


 騎馬戦の結果は、残念ながら轟のチームが一位となってしまった。しかし緑谷のチームも奮闘の末、最後は常闇のファインプレーにより四位という結果に収まり、無事に最終種目まで残ることができた。
 昼休憩に入ってすぐ、佐鳥はクラスメイトに労いの声をかけるべく食堂へと向かって人気のない廊下を歩いていた。
 すると、そこで彼女は壁に凭れかかったまま俯いている爆豪を見つけた。
 食堂へも行かずそんな所で何をしているのか。疑問に思った佐鳥が首を傾げると、爆豪もまた彼女に気づいたらしい。目が合うなり不愉快そうにその顔を歪めた。
 実に失礼な反応である。しかし、佐鳥は瞬きをするだけで特に気に留めることなく足を踏み出そうとした──が、その歩みはとある人物の声を聞いて止まった。
「『個性婚』、知ってるよな」
 轟の声だった。問いかけている様子から誰かと話しているのだろう。その相手はきっと緑谷だろう、と何故か佐鳥の中に妙な確信があった。
 どうして爆豪がそこで立ち止まっていたのか理解して、佐鳥もまた彼に倣って壁に隠れて息を潜める。
 轟の言う『個性婚』とは自身の『個性』をより強化して自分の子どもに継がせるため、配偶者を選んで婚姻を結ぶことだ。倫理観の欠落した前時代的発想であり、しかしながら未だに世間では賛否両論の声で議論が絶えない話題だ。
「実績と金だけはある男だ。親父は母の親族を丸め込み、母の『個性』を手に入れた」
「!」
 息を詰めたその声は、やはり緑谷のものだった。
「俺をオールマイト以上のヒーローに育て上げることで自身の欲求を満たそうってこった。鬱陶しい……! そんな屑の道具にはならねえ」
 忌々しげに呟かれる轟の声は、心の底から憎悪に塗れていた。
 佐鳥はこれまで彼が一度も『左側』の個性を使っていないことを思い出し、そして納得した。
 轟はずっと憎んでいたのだ。自分が引き継いでしまったその個性を。望まずして得てしまった、父の力を。
 そして父親の目論見通りに生まれ持ってしまったその『個性』のせいで、彼の人生は大きく変わってしまったのだろう。
 ──なら、あの火傷も。
 ふと浮かんだ佐鳥の疑問に答えるように、轟は言葉を続けた。
「記憶の中の母はいつも泣いている。『お前の左側が醜い』と、母は俺に煮え湯を浴びせた」
 ひどい話だ。だが同時に、それだけ彼の母親が追い詰められていたことを如実に語っていた。
「ざっと話したが、俺がお前につっかかんのは見返すためだ。クソ親父の『個性』なんざなくたって……いや、使わず『一番になる』ことで、奴を完全否定する」
「……」
 緑谷は無言だった。
 あまりに生きている世界が違う。
 目指す場所は同じはずなのに、抱えている過去も、その強い想いも、何もかも自分と違うのだ。
 だから緑谷は、轟の話になんと答えていいのか迷っていた。
「言えねえなら別にいい。お前がオールマイトの何であろうと、俺は右だけでお前の上に行く。……時間をとらせたな」
 迷って、悩んで。そして彼は、話を切り上げて立ち去ろうとする轟に声をかけた。
「僕は、ずうっと助けられてきた。さっきだってそうだ……僕は誰かに助けられてここにいる」
 轟に比べたら些細な動機かもしれない。しかし、だからといって引き下がることもできない。
 ここまで助けてくれた人達に応えるためにも。
「さっき受けた宣戦布告、改めて僕からも……僕も君に勝つ!」
 緑谷の言葉に、轟は返事をしなかった。
 遠退いていく足音を聞いて、爆豪も静かにその場を去って行く。
 佐鳥は、動けなかった。
 言い表すことのできない思いが胸の中に渦巻いている。
 それは轟に対してなのか、己に対してなのかはわからない。
 ただ、一つだけ思うことがある。
 己の『個性』を明かせないと言った時に、轟は自分にも『踏み込んで欲しくない部分はある』と言った。それはつまり父親との関係のことであり、また家族との確執を通して彼は『人は傷つくものだ』と学んだのだ。
 ──本来の彼は、本当に心根の優しい人なのだろう。
 それなのに過去に囚われたまま狭まった視野の中で生きようとする姿は、とても寂しく、悲しいものに見えた。


 *** *** ***


「チアの服を着て応援合戦……ですか?」
 食堂に辿り着いてA組の女子メンバーと合流した佐鳥は、八百万の話題にきょとんとした。
「ええ……先程、峰田さんと上鳴さんから聞きましたの。相澤先生から伝言らしいのですが……」
「……」
「うんうん、怪しいよねぇ〜」
 あからさまに物言いたげに口を閉ざした佐鳥に、彼女の雰囲気に気づいた葉隠がその胸の内を代弁するように言葉を発した。
「……着るんですか?」
「……着るしかなくない?」
「本当に着るんですか? 何かの間違いでは?」
「佐鳥めちゃめちゃ問い詰めるじゃん……」
 それはそうだろう。何せ、伝言してきたのがあの峰田なのだ。胡散臭いことこの上ない。上鳴も峰田ほどではないが、比較的思考回路がそっち寄りである。悪ノリしている可能性は十分にあった。
 だが真面目な八百万は「もし本当に相澤からの伝言だったらどうしよう」と迷い、峰田の言葉を信じかけているようだ。
「……私、相澤先生に聞いてきます」
「えっ! でも、あと十五分で集合時間だよ?」
「すぐ戻ります。先生ならプレゼント・マイクと一緒にもう放送席にいると思いますので。もし五分前でも間に合わなければ、すみません……あとは八百万さんの判断にお任せします」
 言って、佐鳥は素早く立ち上がってその場から立ち去った。
「……空ちゃん。そんなにチアの服装嫌いなのかしら……?」
「まあ、率先して着るタイプじゃないのは確かだよね」
「似合いそうなのに……」
 逃げるようにいなくなってしまった佐鳥を見送りながら蛙吹と耳郎と麗日がぽつりと呟く。
 しかし、彼女達は知らない。
 もし間に合わなければ、なんてフリを残した佐鳥が本当に時間までに間に合わなくなることを。
 八百万の判断により佐鳥以外の女子がチアの服に着替える羽目になることを。
 そして佐鳥の疑念通り峰田と上鳴に騙されていたことも、この時はまだ誰も気づかなかった。


 急いで相澤に確認を取るべく廊下を走っていた佐鳥は、放送席に向かうその途中で一人の大柄な男を見つけ足を止めた。
 不自然に立ち止まった足音に気づいたのだろう。視線の先にいた男もまた、のそりと振り返って佐鳥を視界に捉えた。
 燃ゆる炎の間から見える鋭い眼差しに、佐鳥は自ずと口を閉ざす。
「君は……確か焦凍のクラスメイトだったか」
 焦凍、という名前に佐鳥は目を瞬かせる。佐鳥の中で、焦凍という名前を持つ生徒は一人しか知らない。
 燃焼系ヒーロー『エンデヴァー』──轟炎司。この男が轟の話していた『クソ親父』なのだと、佐鳥はすぐに理解した。
「……お初にお目にかかります。佐鳥空と申します」
「佐鳥……?」
 僅かに無表情を強張らせながら、佐鳥は静かにお辞儀をした。
 そんな彼女を見下ろし、エンデヴァーはひょいと肩眉を上げて凝視する。どうやら予選の時にプレゼント・マイクが口にしていた名前は耳に入っていなかったらしい。
 その反応から心底『息子』以外は眼中にないのだと察し、同時に轟に向ける異常な執着に佐鳥は僅かに不快感を覚えた。
「佐鳥……優秀な警察官や軍人を輩出しているという、あの佐鳥家の者か?」
 佐鳥はその問いには答えられなかった。
 だんまりを決め込んだ彼女の態度は傍から見れば無礼であっただろうが、無言こそが『答え』であると確信し、エンデヴァーは薄ら笑いを浮かべた。
「そうか。どうりで」
 何を納得することがあったのか知る由もないが、きっと碌な事ではないのだろう。
 下手に関わって巻き込まれる前に距離をとった方が良いと感じた佐鳥は必要以上に会話をするまい、と唇を引き結んだ。
 だが、その時だ。
「何してる!」
 厳しい声が背後から飛んできて、佐鳥はびくりと体を震わせた。
 続けて荒々しく近づいてきたその人物は、佐鳥が振り返るよりも早くその肩を掴んで思い切り後ろへと引き寄せた。
「こんな所でこいつに何を吹き込んでやがる」
「なんだ焦凍。お前のお気に入りか?」
「うるさい、質問に答えろ。答える気がないならさっさと観客席にでも行け」
 言外に『消えろ』と刺々しい口調で告げる轟に、佐鳥はぱちりと瞬きした。盗み聞きしていた時からなんとなく察していたが、想像以上に二人の親子関係は拗れているらしい。憎悪を通り越して殺意すら滲んでいる轟の気迫に、佐鳥は彼とエンデヴァーを交互に見つめる。
 しかし、エンデヴァーは興味深そうに自分達を見つめるだけで、動く気配がない。
 その反応から自分の質問に対する答えはないのだと判断した轟は、くるりと振り返って佐鳥の腕を掴んで歩き出した。
「行くぞ」
「え。でも、私──」
「もう集合時間だ。さっさとしろ」
 全く聞く耳を持たないどころか、こちらの顔を見ようともしない。
 そんな彼に、佐鳥は小さく息を吐いた。彼の言う通り集合時間もすでに間近まで迫っているのは確かだった。残念ながら、本来の目的は諦めるしかないみたいだ。
 代わりに、と佐鳥はエンデヴァーを振り返る。
 狂気すら感じられる眼差しが、ゆらゆらと燃える炎に包まれたその表情が、にやりと怪しく笑った気がした。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -