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11

「やれやれ……あんたも無茶やる子だったとはねぇ……」
 自分以外は誰もいない保健室に、年老いた老婆の深いため息が零れ落ちる。
 謝ったところで小言が飛んでくるのは分かりきっていることだ。黙っているのが一番だとこの短い時間で学習した佐鳥は、負傷した左腕に改めて綺麗に巻かれていく包帯をじっと見つめたまま口を閉ざしていた。
「ほら、これで放課後まではなんとか動けるだろう」
「ありがとうございます、リカバリーガール」
「イレイザーからも話は聞いてるよ。ちゃあんと、放課後には病院に行くことだね」
「はい」
 静かに頷く彼女の顔をじっと観察し、リカバリーガールは眉根を寄せて尋ねる。
「……相変わらず病院が嫌なのかい?」
「……あまり好きではないです。白衣は……あの時のことを思い出すので……」
 素直に佐鳥が答えると、リカバリーガールは数秒の間を置いてから「そうかい」と一言だけ相槌を打った。深く追及しないのは旧知である彼女なりの配慮だ。
「それでも、『副作用』が続くうちはあたしの力でも少しずつ治療するしかないよ」
「はい」
「わかっているならいいさ。……まだお昼は食べてないんだろう? 食堂はすぐ混雑するから、早く行っといで」
 そう言って笑窪を深くして穏やかに微笑む彼女に、佐鳥はもう一度大きく頷いて立ち上がった。


 人の少ない廊下を歩いていると、制服のポケットの中でスマホが震えた。
 確認してみれば、数回の着信と何通ものメッセージが届いている。朝から一度も確認していないが、その内容は安易に想像できた。
 しばらく画面を見つめて悩んだものの、見なかったことにしようとポケットに戻す。
 その時、誰かが佐鳥の背後に立った。
「怒られて当然なんだよね」
 咎めるような口調の、聞き慣れた明るい声だった。
 佐鳥は目を見開いて振り返る。
 自分と同じくヒーロー科の制服を身に纏った青年が一人、口元に笑顔を浮かべながら腰に手を当てて立っていた。
「……ミリオさん」
「俺にも連絡がきてるよ。みんな心配してる。どうして黙って病院を抜け出したんだい?」
「……」
 通形の問いかけに、佐鳥は無言で俯いた。
 珍しいことだ。佐鳥は大抵、どんな質問にもはっきりと答える。分からないことでも「分からない」と包み隠さず伝える馬鹿正直な子だ。
 その彼女が、言葉に詰まっている。
 ミリオは笑顔の裏側で興味深そうに後輩の表情を観察した。
「君を担当していた看護師さん、びっくりして腰抜かしちゃったらしいよ」
「……すみません」
「俺に謝っても仕方ないよね」
 通形はひょいと肩を竦めてやれやれと首を横に振る。
 確かに、と佐鳥はまた口を噤んだ。
「……何かあった?」
「いえ、そういうわけでは……」
「でも、不安そうな顔をしてるね」
 通形がそう追撃すると、柳眉を歪めて困った顔をしていた佐鳥は恐々と顔を上げた。
 通路の窓から差し込む日差しに照らされる美しい黒の瞳には、いつになく戸惑いの色が浮かんでいた。
「……落ち着かなかったんです」
「何が?」
「一人でいること……それと……この学校に、みんながいることが」
「? みんなが学校にいるのが不安だってこと?」
 佐鳥はこくりと頷いた。
「今回の襲撃の件、おそらく学内に手引きした者がいると思います。彼らはヒーロー科の履修プログラムを把握しているようでしたので……」
「……なるほどね」
 つまる話、彼女が不安に思ったのは自分の不在時に再び起こる学校への襲撃だったのだ。
 通形は笑顔を消し、じっと佐鳥を見つめた。
「空。それは君が心配することじゃない」
「!」
「ここにはプロのヒーローが──オールマイトがいる。俺や、環もいる。俺達の他にも頼りになるヒーロー候補生がたくさんいる。何より、今回侵入してきた大半の敵を君のクラスメイトが撃退した。何を不安に思うことがある?」
 佐鳥は目を見開いた。
 その黒の瞳から少しずつ迷いが消えていくのを感じ、通形は親指を立てて笑った。
「大丈夫! 俺達は強い! 困難に打ち勝つ力がある!」
 長い睫毛が、僅かに震える。
 自分を見据えるつぶらな黒の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、佐鳥はゆっくりと瞬きをして、ようやくその無表情に優しい微笑を浮かべた。
「……はい」
 玲瓏な声が、静かに相槌を打つ。
「私達は、強いです」
「うんうん! 空はもう少し俺達を信じて頼ることを覚えた方がいいと思うんだよね!」
「信じています」
「じゃあ友達を信じることだ」
「信じていますよ、今は」
「それならいいんだけどね! あと、やっぱり帰ったら怒られる覚悟はしときなね」
「反省はします。……後悔は、できませんが」
 ──友達に会いたかったので。
 綺麗に纏められた髪に触れながら呟くように答えた佐鳥に、通形はきょとんとした。だが、すぐにニッと歯を見せて笑う。
「……そっか」
 通形は知っている。佐鳥は個性の扱いは器用だが、決して手先は器用ではないことを。
 だから綺麗にアレンジされた髪型が誰の手によるものか察して、彼は自分のことのように嬉しそうに笑った。
「空に優しい友達がいてくれて、俺も安心したよ」
 そう言って自分の頭を撫でてくる兄弟子に、佐鳥は物言いたげに口を閉ざす。
 本人が気づいているかはわからないが、佐鳥にとって通形の存在も大きいのだ。
 しかし改めてそれを伝えるのはなんだか照れくさくて、佐鳥はもどかしい思いを隠しながら、ただ静かに微笑を返したのだった。


 *** *** ***


 雄英高校の食堂『ランチラッシュのメシ処』は、在籍している生徒のほぼ半数以上が利用している。格安で美味しい料理が食べられると評判なのだ。
 今日も例に漏れず食堂内は混雑しており、注文を受け付けているカウンターにはたくさんの人で長蛇の列になっていた。
 カウンターの上には効率よく今日のメニューが張り出されており、生徒は自分の注文したいメニューの所に並んでいるようだ。
「デク君、なんだろね」
 その中の『蕎麦』の列に並んでいた轟は、ふと聞こえたクラスメイトの声に耳を傾けた。
 話し声は麗日と飯田のものだった。
「オールマイトが襲われた際、一人飛び出したと聞いたぞ。その関係じゃないか? 蛙吹君が言っていたように超絶パワーも似ているし、オールマイトに気に居られているのかもな」
「おお、なるほど」
 流石だ、と推測を述べる飯田に納得したと自分の手を打つ麗日。そんな二人を横目に見つめ、轟は目を細めた。
(オールマイトと、緑谷出久……)
 確かに。今にして思えば、オールマイトは初めての授業でもほんの少し緑谷を気にかけている節があった──ような気がする。それは本当に些細なもので、はっきりと轟には断言できないけれど。
 注文した蕎麦を受け取り、空いている席に腰かけながら轟は思案する。
 思い返してみれば、緑谷もまたオールマイトのことを随分と気にかけている。襲撃の時が分かりやすい例だろう。ピンチはあれど『平和の象徴』がそう簡単に負けるはずがないというのに、彼はオールマイトの身を常に案じていた。
 オールマイトはともかく、緑谷のあの様子は明らかに何かある。そうでなければ、ただの憧れのヒーローに対してあそこまで不安そうな表情をするだろうか。
(なら、オールマイトと緑谷の関係ってなんだ……?)
 まさか、公表されていないだけで血縁関係にあったりするのだろうか。
 そんなことを考えながら蕎麦をつゆに浸して啜っていると、ふと脳裏にもう一人、そんな緑谷を気にかける人物が思い浮かんだ。
「轟さん」
「!」
 聞き覚えのある声に驚いて食べる手を止める。きょとんとしながら顔を上げると、そこには轟がちょうど思い浮かべていた佐鳥が立っていた。
 どうやら彼女はシチューを注文したらしい。手に持つトレーの上から美味しそうな匂いが漂っていた。
 無表情のままこちらを見下ろしている佐鳥は首を傾げた。
「前、良いですか?」
「……ここで良いのか? 委員長達ならあっちにいるぞ」 
 不思議に思って轟が麗日と飯田のいる方に目を向けると、佐鳥も同じ方向に目を向けた。
 すると、彼女は何を思ったかそこにいない人物の名前を呟いた。
「緑谷さん、いないんですね……」
 ぽつりと聞こえたその言葉に、食事を再開しようとしていた轟は思わず反応した。
 そして逡巡したあと、彼女の疑問に答えるべく口を開いた。
「……オールマイトに呼ばれたらしい」
 何気なく答えたはずの声は思ったよりも低く、唸るようだった。
 轟の声音に反応した佐鳥が振り返り、目を瞬かせる。そこで彼女はようやく轟の変化に気づいたようだ。
 火傷のある顔は変わらずクールな無表情を浮かべていたが、その色違いの目はいつも以上に冷たさを増して気難しい雰囲気を放っている。
 佐鳥はそんな轟をじっと見つめ、気を取り直したように彼の向かい側にトレーを置いて席に座った。
「気になるんですか? 緑谷さんのこと」
「……別に。そんなんじゃねぇよ」
 否定したが、明らかに怪しい間を作ってしまった。
 誤魔化したい一心で視線を手元に向けたまま、轟は言葉を続ける。
「というか、気にしてるのは俺より佐鳥の方だろ」
「え?」
「襲撃されているとわかった途端に緑谷を庇うような仕草したり、怪我をしたと聞いたらいちいち体調を確認したりしてただろ。今も真っ先に緑谷の名前を挙げた……何かとあいつのこと気にかけてるじゃねーか」
 轟が例に挙げたのは、どれも些細な行動だ。傍から見れば、ただ彼女がクラスメイトを心配しているだけである。何も特別なことには感じられない。
 だが、それでも彼には少し、彼女の行動が目に余った。
 別にそれが不愉快とかではなく、純粋に疑問に感じたのだ。特に親しくしている様子もなかったのに、どうしてそんなにも彼を気にしているのだろう、と。
 返答を求めるようにじっと佐鳥を見つめると、彼女はまた数回の瞬きを繰り返した。
「……そんなつもりはなかったです。たまたまじゃないですか?」
 そう言った佐鳥は、どこか曖昧に微笑んだ。それはまるで惚けてシラを切るような素振りに感じられ、轟は今度こそ不快を露わにして眉を潜める。
 付き合いは浅くとも、本人に話す気がないのだと察することができた。だからこれ以上、轟は深く踏み込むことができないのだと気づかされた。
「……そうかよ」
 雑に受け応えした轟は、そこでばっさりと会話を終えようとした。
 そんな彼に気づいているのかいないのか、律儀にも「はい」と頷いた佐鳥は別の話題を切り出した。
「それよりも私、轟さんにお礼を言いたかったんです」
「? お礼?」
「はい。敵との戦闘中に倒れた私を運んで下さったと聞きました。ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げる佐鳥に、そんなこともあったな、とつい先日の出来事を思い出した。
「……別に、礼を言われるほどのことじゃねぇよ。お前も俺達を庇って戦っていたし、お互い様だ」
「それでも、すぐに運ばれていなければ命に関わっていたかもしれないので」
「命って……お前、いつも『個性』使うとああなるのか? 今までどうしてたんだ」
「いえ。力を長時間使い過ぎた時だけです。多少のことなら問題ありません」
「長時間ってことは、襲撃される前から使ってたってことか」
 おそらく、演習場に辿り着いてから『個性』を使っていたんだろう。それなら彼女が真っ先に敵の襲撃に気づけたことにも説明がつく。同時に彼女の戦闘スタイルを思い出して、その『個性』がどんなものであるかも想像がついた。
 敵の位置や数を察知し、風を操り、加えて素早く空中を移動する──。
「『空気を操る』のか……便利な個性だな」
 轟がそう一人で結論を出して納得してみせると、佐鳥は目を見開いてぽかんとした表情になった。
 あからさまに驚いた様子の表情に、個性の話はまずかったか、と轟は口を閉ざす。
 彼女は自分の『個性』を隠したがっている。ヒントが散りばめられているとはいえ、軽率に口にするべきではなかったかもしれない。
「……わりぃ。秘密にしときたかったんだよな」
「いえ……どうせいつかは知られることなので……でも轟さん、よく気づきましたね。大抵の人は『風を操ってる』と勘違いされるんですが……」
「多分、爆豪あたりも気づいてると思うぞ」
 轟の言葉に、佐鳥はひょいと肩を竦めた。
「やっぱり、ヒーロー科に通いながら隠し続けるなんて無理がありますよね……ここには優秀な人が集まってくるわけですし」
 それはそうだろう。ヒーローは自分の個性を活かして社会に貢献する立場だ。それをいつまでも隠し通せると思っている方がどうかしている。ヒーロー科に在籍していながら個性を使用しないままでいることだって不可能だ。隠し続けるにしても限界がある。
 それでも轟は、彼女なら最後まで黙秘を貫くものだと思っていた。てっきり「秘密にしてくれ」と頼まれると思っていたのに、今日の彼女はあまりにあっさりとしていた。
 ──それなら、最初に尋ねた時に教えてくれても良かったのに。
 そんな思いが胸の中を過ったが、すぐに考え直す。
 おそらく、その時の彼女の中ではまだ自分が信用に値する人間ではなかったのだ。だから彼女は自分の口から説明するのを拒んだのかもしれない。
 それに佐鳥は『気づいた』ことを認めただけで、『正解』だとは一言も言っていない。それは必ずしも彼女の中で一〇〇パーセントの完璧な答えではなかったということだ。
(まだ隠してることがあるってことか……)
 なら、その『隠し事』について知っている人はどれだけいるんだろうか。
 そう考えると、胸の中にまたモヤモヤとした不快感が渦巻いた。
 なんとも言えない複雑な感情を持て余したまま、轟は残った蕎麦を啜りながら目の前で黙々とシチューを口に運ぶ佐鳥を見つめる。
 どうしてこんな気持ちが湧いてくるのか、轟にはわからなかった。きっと考えたところで答えなど出ないし、無駄な時間を過ごすだけだろう。
 ──なら、さっさと忘れてしまった方がいい。
 今はとにかく体育祭に向けて集中するべきだと煩わしい気持ちに蓋をしたが、目を背けたその感情を持て余す日が来ることなど、この時の彼が知る由もなかった。


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