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10

「お前はもう少し考えて動くタイプの奴だと思っていたんだがな」
「……申し訳ありません」
「謝るなら最初からちゃんとした手順を踏め。医者の許可があればいつでも登校できただろ」
 俯いたまま謝罪を述べる佐鳥に、相澤はため息と共にやれやれと肩を落とした。
 全く、こんな事態になるなど誰が予想できたか。敵による襲撃もそうだが、まさか自分のクラスの──それも負傷のため入院していた生徒が病院から無断で抜け出すとは。
 最初は礼儀正しく物静かで大人しい生徒だと思っていた。襲撃の際に共闘した時は強い個性と戦闘力を持った心強い味方だと感じた。総じて将来にも期待できる優秀な生徒だと認識していたのだ。
 だが、ここにきて相澤はその認識を改めた。
(とんだ『問題児』だな、こいつは……)
 今回の件で始末書やら何やらを提出しなければならないのは確実だ。思わず「退院早々に面倒事を起こしやがって」と隠しきれない不満を込めた小言が口から零れた。
 それに佐鳥は何か言いたげに口を開いたが、結局その小さな唇は引き結ばれてしまう。
 代わりに、消え入るような小さな謝罪が再び相澤の耳に届いた。
「……申し訳ありません」
「なんで勝手に抜け出してきた」
「……」
 ──沈黙か。
 ぐるぐると巻かれた包帯の裏側で、どうしたものかと相澤は思案する。
 今回は予想外にも浅はかな行動ではあったが、決して彼女は考えなしに行動に移すタイプではないだろう。それは相澤も理解している。
 ただ、彼女は少し隠し事が多いのだ。担任である相澤ですら、彼女についてまだ知らないことはたくさんある。
 だから相澤は問い質すしかない。話したくないと言われても、隠さねばならないことでも、一人の生徒としてここに立っている以上は佐鳥も自分が守るべき子どもだ。理解を深めるために尋ねる権利があるし、隠さねばならないほど重要なことであるなら知っておく義務がある。少なくとも、相澤本人はそう考えている。
「佐鳥。俺達のことが信用できないってんなら、それでも構わないよ」
「! そういう訳では──」
「だが、実際のお前はだんまりが多いだろ」
 佐鳥が反論しようと口を開くが、相澤はすかさず言葉を遮った。
「別に、それが悪いとは言わない。時には『隠し事』が必要な時もある。……ただ、これから先もずっと同じように過ごせるとは限らないぞ。何も知らない仲間のこともちゃんと考えろ。お前、自分の『個性』すらあいつらに教えてないだろ」
 僅かに佐鳥の目が見開かれ、迷いに揺れる。
 彼の言葉に思うところがあったのだろう。眉根を寄せてきゅっと唇を引き結び、再び視線を落とした。
 そんな彼女を見た相澤は、ちらりとある方向へ目を向ける。
 通路を挟んだ向かい側の席。そこに、ひょろりとした金髪の男が座っている。見るからにひ弱そうな体躯のその男は、オロオロとしながら佐鳥と相澤を見つめていた。
 口を挟むに挟めないという雰囲気だが、彼もまた『隠し事』の多い人物である。同じプロヒーローであるが故、まだ相澤の知るところではあるが。
 落ち着きのない様子の彼に再びため息を吐き出し、相澤はまた肩を竦めた。
「……まあ、自分のことは話せる時に好きなヤツに話してくれればいいさ。とにかく、連絡はしてあるから今日は帰る前にちゃんと病院に行くように」
「……」
「行・く・よ・う・に」
「……了解しました」
 無言を『抵抗』と受け取った相澤が再度念を押す。包帯の隙間から見える目がギラリと怪しく光ったのを見て、佐鳥は覇気のない声で答えた。
 最初に見た時と同じで大人びた態度は変わらないが、やはりまだ子どもらしい一面があるみたいだ。職員室にいる相澤以外の教師達は、渋々といった風に頷く彼女にやや呆れながらも微笑ましく見つめていた。
「一応、昼休みに保健室で見てもらっとけ。ばあさんには俺から言っとくから」
「……はい」
 再び頷いて、ぺこりと頭を下げてから職員室を出て行く佐鳥。
 続けてその彼女を追いかけていく痩せこけた男を見送り、相澤はまた深いため息を吐き出した。


「佐鳥少女」
「……なんですか、オールマイト」
 廊下に出てすぐ、職員室の前で呼び止められた佐鳥は振り返ってひょろりと自分より背の高い彼を見上げた。
 今彼女が紡いだその名を聞けば、学校中の──いや、世界中の人々が目を剥いて驚きの声を上げるだろう。
 しかし、見間違いかと思えるほど姿が違っても彼は正真正銘の『平和の象徴(オールマイト)』だ。個性で肉体強化された姿とは違う、真の姿がそれである。
 慌ただしく辺りをキョロキョロと見回してから、オールマイトは両手を合わせた。
「ご、ごめんね……この姿の時は八木でお願いシマス」
 言われて、佐鳥はきょとんとした顔で瞬きする。それから思い出したように「ああ」と声を上げると、軽く握った右手を吊るされた左手の平に軽く打ちつける。
「すみません。忘れていました」
「いや、気をつけてくれればそれでいいんだ……それより、今回のことだけど」
 オールマイトは真剣な声で本題を切り出す。
「相澤君、本当は君のことすごく心配してるんだよ。襲撃の時、君の傍にいたのは自分だから……言われなくても、君なら『わかる』と思うけど」
「……はい」
 佐鳥は静かに頷いた。
 凪いだ瞳が、真剣な輝きを伴ってオールマイトを見つめていた。
「ちゃんと、わかっています」
「……そうか。なら、いいんだ」
 彼女の返答に、オールマイトはやんわりと口元に笑みを浮かべた。
「私も心配したよ。まさか君が『あんな状態』になるまで戦うとは思っていなかったからね。……彼も、今頃すごく心配してるんじゃないか?」
「……先生」
「私が口出しできることじゃないが……あまり無茶をしないでやってくれ。君に何かあれば、彼はきっと悲しむ」
「それは『あの時』のあなたも同じでした」
 語気が強まり、真っ直ぐに自分を見つめる夜の瞳がほんの少しだけ、そこに隠した激情を映し出す。
 一際真剣になった彼女の瞳を見つめ返し、オールマイトは思わず口を噤んだ。
「あの人は悲しんでました。苦しんで、悔やんでもいました。……私なんかに言われるまでもないと思いますが」
「……ああ、わかっているよ。今でも申し訳ないと思ってる。合わせる顔もない」
「……緑谷さんのことも?」
 彼女の口から出てきた生徒の名前に目を丸くした。
 しかし、彼女の『個性』を知っているオールマイトはすぐに頷いた。
「彼を選んだことを、間違っているとは思っていない」
 はっきりとした返事だった。
 佐鳥はじっとオールマイトを見つめ返し、ゆっくりと目蓋を伏せる。
 それから彼女は静かに微笑むと、穏やかな表情で頷き返した。
「私も、そう思います」


 *** *** ***


「あ、空ちゃん、おかえり!」
「だ、大丈夫だった? 先生、かなり怒ってたみたいだけど……」
「とても怒られました」
「う、うん……だろうね……」
 教室に戻ってすぐ佐鳥に声をかけたのは麗日と緑谷と飯田だ。
 無表情のまま首を縦に振った彼女に、「へこんでないなら別にいいんだけど……」と緑谷は指で頬を掻いて言葉を止めた。
「佐鳥君は意外と行動派だったんだな! もう少し慎重に動く人かと思ったが……」
「? ちゃんと考えてます」
「いや、その言葉の信憑性に欠けるんだが? 病院から脱走したことを忘れたのか?」
 手刀を落とすような仕草で的確にツッコミを入れる飯田の隣で、うんうんと麗日が深く頷く。あまりのマイペースっぷりに緑谷は苦笑するだけに留まった。
 すると、しばらく考え込むように黙った佐鳥は無表情からやや困った表情を浮かべた。
「だって……」
 視線を落とし、彼女らしくない駄々をこねるような口調が聞こえた。
 思わず三人が耳を澄ますと、佐鳥は言い辛そうにしながらもぽつりと答えた。
「……学校に来たかったんです」
 賑やかな生徒達の話し声でかき消されてしまいそうなほど小さい声だった。
 なんとかその声を聞き取った緑谷、飯田、麗日は目を丸くし、互いに顔を見合わせた。
「空ちゃん……そんなに学校が好きやったん……?」
「そういえば、個性が原因で中学も休みがちだったと相澤先生から聞いたな……」
「あ、もしかして……小学校の頃からほとんど学校に通えてなかった、とか……?」
 三者三様にどんな幼少期を過ごしていたのか想像して憐れむような眼差しを向けてくる彼らに、佐鳥はただただ困惑した表情で沈黙した。
 そして彼女が口を開くより早く、右手を麗日が握りしめ、飯田が左肩に手を置いた。
「空ちゃん……! これからいっぱいお喋りしよ! 一緒に遊びに行ったりとかもしようね……!!」
「委員長として、友人として、君の気持ちを尊重する! 困ったことがあればいつでも頼ってくれ!」
「あ、ありがとうございます……?」
 麗日と飯田に鬼気迫る勢いで詰め寄られ、佐鳥は思わず後退りした。少し勘違いが生まれているが、学校にあまり通えていないのは事実だ。訂正するのも面倒なので、余計なことは言わずにお礼だけを口にした。
 その時、ふと緑谷が思い出したように口を開いた。
「あ……そういえば僕、まだ佐鳥さんにお礼言ってなかったや」
「お礼?」
「うん。あの死柄木って敵に襲われそうになった時、佐鳥さんボロボロなのに僕達を庇って戦ってくれたでしょ?」
「あれは……お礼を言っていただくことのほどではないです。むしろ、あの後に私は倒れてしまったので……ご迷惑をおかけしました」
「そんなこと……! いや、実際に倒れた君を運んでくれたのは轟君だから、僕が言うことではないんだけど……」
「轟さんが……?」
「そうそう! あん時ね、轟君が空ちゃん背負って戻ってきたんだ」
 緑谷の言葉に麗日が頷き、佐鳥は視線を動かして後方の座席に座る轟に目を向けた。
 佐鳥達の声が聞こえていたのか、誰と話すこともなく一人で読書していたはずの彼もまたこちらに目を向けていた。──が、目が合った途端に視線が逸らされる。
 彼も何か言いたいことでもあるのだろうかと気になったが、今は読書の邪魔になりそうだ。声をかけるのはあとにしようと考え、佐鳥は「あとでお礼を言っておきます」と視線を緑谷に戻した。
 微かに煌めく瞳と視線が交わった時、緑谷は胸の中を探られるような奇妙な感覚に気づいた。
「……緑谷さんは大丈夫ですか?」
「え?」
「怪我をされたと聞きました。今はなんともないみたいですが……」
「あ、うん……『個性』が制御できなくて……でも、リカバリーガールのおかげでもうなんともないよ」
「そうですか……それなら、良かったです」
 緑谷が乾いた笑みを浮かべると、しばらく彼を見つめていた佐鳥も口元を緩ませた。
 するとその時、二人の女子生徒が佐鳥達に近づいてきた。
「ねえ、佐鳥! 髪結ぼうよ! 手がそれじゃ一人でできないでしょ?」
「今日は別の髪型にしたげるね!」
 芦戸と葉隠だ。どうやら彼女達は他人の髪を弄ることにハマったらしい。芦戸が櫛とヘアゴムを両手に持って期待の眼差しを向けているので、おそらく姿が見えない葉隠も彼女と同じ表情をしているのだろうと想像できた。
 話を聞いて「それいいね!」と賛同の声を上げる麗日の隣で、飯田も思い出したように口を開いた。
「ああ、そういえば……この前の髪型も二人がやったそうだな。女子は器用だな」
「でしょでしょ〜? もっと褒めてくれてもいいんだよ、飯田君」
「佐鳥、そこそこ髪が長いからアレンジの幅が広がって楽しいんだよね〜」
 その言葉に、きょとんとしていた佐鳥はやんわりと微笑んだ。
「そういうことなら、お願いしてもいいですか?」
「やったーっ! じゃあ早く始めよ! 時間なくなっちゃうよ」
「今日はこんな感じにするからね!」
「はい。お願いします」
 芦戸が佐鳥の背中を押して席に座らせ、葉隠がスマホで検索した髪型を佐鳥に見せる。
 麗日と一緒に画面を覗く彼女を、緑谷はじっと観察した。
 それから先程の出来事や襲撃事件の時のことを思い返し、顎に手を添える。
(さっきの感覚……佐鳥さんの個性って、もしかして──)
「? どうかしたのかい、緑谷君」
 つい癖でやっていた仕草で考え込んでいることがバレてしまったらしい。
 不思議そうに自分を見つめる飯田に、緑谷は思考を中断させて首を横に振った。
「あ、ごめん! なんでもないよ。ただ、佐鳥さんの『個性』が興味深いなって……」
「ああ……確か『風を操る個性』だったか」
「う、うん……それに『個性』がなくても高い身体能力を持ってて……とにかく、すごいよ」
 襲撃の時、佐鳥と相澤が共闘したのは初めてだったはずだ。なのに、佐鳥はプロである相澤の立ち回りを理解して対応しただけでなく、一瞬で大人数の敵を叩き伏せてしまった。脳無にやられたあとも仲間を守るために一人敵に立ち向かっていたし、意識を失う寸前まで仲間のもとへ駆けつけようとした。
 彼女はプロの世界をすでに知っているようだった。何が最善で、何を優先するべきか、彼女の中ではきっと答えがはっきりとしているのだろう。
 あの状況下において、緑谷の目には佐鳥がただの同級生ではなく本物のヒーローに見えた。
「本当に、すごかった」
 再びぽつりと呟いた緑谷の瞳に、憧れとも羨望とも違う光が宿る。
 飯田はそんな彼の横顔を見て目を丸くした。
 そしてほんの少しだけ苦い顔を浮かべると、意気込んだ表情で女子に囲まれる佐鳥に目を向ける。
「それは……僕も負けてられないな」


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