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08

 廃れたビルの一角にあるバー。
 そのホールの真ん中にワープゲートが開き、血塗れの男が現れて床に倒れ込む。
「これはまた、手酷くやられましたねえ」
 カウンター席に座っていた一人の男が笑いを含んだ声で言った。その言葉は間違いなく床に転がった男に向けられていた。
 不気味な笑みを貼りつけた気味の悪い能面で目すら見えないが、間違いなくその人物は笑っているのだろう。この男はそういう人間だ。
 血塗れの男は舌打ちを零し、そして傷の痛みに唸った。
「ってぇ……」
 絶対にやれると思った。
 個性を持て余したチンピラの寄せ集めとはいえ、あれだけの人数で攻めたのだ。多少の犠牲が出たとしても、目的は完遂できると高を括っていた。
「両腕両足撃たれた……完敗だ……」
 銃撃を受けて負傷したこの体では立つこともままならぬ。
 床の上に横たわったまま、男は忌々しそうに言葉を放った。
 脳無もやられ、せっかく集めた手下達も呆気なく瞬殺されてしまった。
 標的のオールマイトは多少力が弱まっていても依然として強さは変わらなかった。
 雄英高校に通う子ども達もみんな十分に強かった。
 ──違う。全然、聞いていた話と違う。
 男は視線を動かし、カウンター席に座る能面の男の奥にある暗いテレビ画面を見上げた。
「平和の象徴は健在だった……! 話が違うぞ、先生……!」
「違わないよ」
 バーに備え付けられたテレビから僅かにノイズが流れ、男の言葉に返事が返ってくる。真っ暗な画面には『Sound only』という文字が映し出されているだけで、姿は映っていない。
 分かるのは『先生』と呼ばれたその人物もまた、男性の声だということだけ。
「ただ、見通しが甘かったね」
「うむ……なめすぎたな。『敵連合』なんちうチープな団体名で良かったわい」
 もう一人、声が聞こえる。口調から考えて、おそらく年老いた人物だ。
「ところで、ワシと先生の共作の脳無は? 回収してないのかい?」
「吹き飛ばされました。正確な位置座標を把握できなければ、いくらワープとはいえ探せないのです。そのような時間はとれなかった」
 靄を纏った男がそう告げると、画面の向こう側で残念だと言わんばかりのため息が吐き出された。
「せっかくオールマイト並みのパワーにしたのに……まぁ、仕方ないか。残念」
「パワー……」
 床に這いつくばったまま、体中に手を貼りつけた男は呟く。
「そうだ……二人……オールマイト並みの速さを持つ子どもがいたな……一人は女だった……個性の反動ですぐ倒れたけど、脳無の攻撃を受けても動いてやがった……」
「…………へえ」
「あの邪魔がなければオールマイトを殺せたかもしれない。餓鬼がっ……餓鬼……!」
「悔やんでも仕方ない! 今回だって決して無駄ではなかったハズだ」
 画面の向こう側にいる『先生』が空気を切り替えるように明るい声を出した。

「精鋭を集めよう! じっくり時間をかけて!」

「我々は自由に動けない!」

「だから君のような『シンボル』が必要なんだ」

「死柄木弔!! 次こそ君という恐怖を世に知らしめろ!」

 床に這いつくばったまま、死柄木弔はその目に剣呑な光を宿す。

 ──そうだ。望みはまだ潰えていない。
 自分達はまだまだ、これからだ。

 恐ろしい闇はまだ動き出したばかりだ。
 傍らに佇む能面の男は歪な笑みを浮かべながら、その闇をただ静かに見つめていた。


 *** *** ***


 敵の襲撃を受けた翌日、学校は臨時休校となった。
 緊急搬送された相澤と13号、そして佐鳥の三名も命に別状はなく、駆けつけた『リカバリーガール』による治療のおかげもあって怪我は動けるまでに回復した。
 しかし、治療が終わっても佐鳥は未だに目を覚めないままである。
 彼女は『個性』を使用した副作用により、深い眠りについていた。
「まさか、オールマイトを狙って雄英が襲撃されるとは……」
 ベッドに横たわる佐鳥の傍らに佇み、男は静かに声を零した。
 その隣に佇む通形も、いつも浮かべている笑みは消して真剣な眼差しで彼女を見下ろしていた。
 搬送された直後は呼吸機をつけられていたが、一晩経った今は荒々しかった息遣いも平常に戻り、静かに眠っている。
 子供らしさの残る顔で穏やかな呼吸を繰り返す彼女に、男は軽い息を吐き出した。
「この程度の怪我で済んだことを喜べばいいのか……正直、分からないな」
「生徒達から聞いた話じゃ、イレイザーヘッドと一緒に主犯格の男達と戦ったんですよね。負傷したあとも、クラスメイトを守るために『個性』を使ったって……」
「それでこの有様では、立つ瀬がないな」
 通形の言葉に、男は眼鏡のブリッジを静かに押し上げてから佐鳥の頭に触れた。痛々しくも包帯が巻かれたそこを優しく一撫ですると、またそっと手を離す。
「……襲撃前に空を見た時、何か悩んでるみたいでした」
「……そうか」
「俺、ちゃんと話を聞いておくべきでした。もしかしたら、空はこうなるって『分かっていた』のかもしれない。あの時に無理にでも俺が話を聞いて、先生達に相談しておけばこんなことには──」
「それは違う」
 通形の悔やみを、ぴしゃりと男は否定した。
 佐鳥から目を逸らさぬまま、彼は言葉を続ける。
「ミリオ……多分、お前が教師に相談したところで結果は変わらなかったはずだ。最初から『知っていた』なら、すでにこの子が手を打っていた」
「……」
「一番悔しいのは……空のはずだ。きっと友人達に怖い思いなんてさせたくなかっただろう。誰よりも先に今回の襲撃を予想していたとしたら、なおさら自分の無力さを思い知ったに違いない」
 男は知っている。
 中学までまともに友人を作ろうとしなかった彼女が、高校に入ってからぽつぽつとクラスメイトの話をするようになったことを。今までは誰かが問いかけなければ学校での出来事を話すこともしなかった彼女が、自ら語るようになったことを。
 この短い期間で、どんな心境の変化があったのかは分からない。
 学校でどんな出会いがあったのか、まだ話を聞いていない。
 しかし彼女と最も近い場所にいる男は、誰よりも早くその成長に気づいていた。
 いつもの無表情が僅かに綻んでいることに、気づいていた。
 だから今回、彼女が『身を挺して』守った理由もなんとなく想像がつくのだ。
 それが良いことであるのに素直に喜べないのは、一重にこの結果が原因なのだが。
「……少し席を外す。傍にいてやってくれ」
「……任せてください。もし目を覚ましたら、サーの代わりに俺が空を笑わせてやりますから!」
 わざとらしい元気な声で笑顔を作りながら、通形は自分の腕の力こぶを見せた。
 今から気丈に振る舞うのは、目を覚ました時に彼女を不安にさせないためだ。
 どうせ見抜かれてしまうと言ってもそう振る舞うが彼なのだ。
 健気に笑う弟子を見て、『サー・ナイトアイ』もまた無言のまま小さく笑い返した。


 病室を出て、すぐ近くにある待合室。
 そこに佇んでいた一人の男が、足音に気づいてこちらを振り返った。
 儚い雰囲気の好青年だ。背はすらりと高く、細身でありながらも男性らしい体躯をしている。スーツ姿から察するに成人であることは間違いなさそうだが、幼さの残るその顔立ちはどこか見覚えのあるもので、亜麻色の髪から見えるやや垂れ下がった目は温情の感じられる優しい眼差しをしていた。
 サー・ナイトアイはペリドットの瞳を見つめ返し、無言のまま歩み寄った。
「お久しぶりです、サー・ナイトアイ」
 その柔らかな雰囲気に違わず、青年は物腰穏やかな口調で優雅に腰を折った。
 サー・ナイトアイは怪訝な表情になる。
「久しぶり……? ここ数日我々を見張っていた奴の言うセリフではないな」
「やはり、気づかれていましたか」
「下っ端の動きだ。気づかない方がどうかしている」
 暗に彼の実力不足であると告げたサー・ナイトアイに、青年は返す言葉もなく苦笑した。
「率直に問おう。何の用だ」
「仕事です。僭越ながら、僕が彼女の警護にあたることになりました」
「『警護』……? つまらない冗談だ。『監視』の間違いだろう」
 すげなく言い返した男に、青年はまた困ったように笑った。
 作り笑いにも見えるその表情を睨み返しながら、サー・ナイトアイは続ける。
「大方、あの子が敵に寝返ることを危惧しているのだろうが……心配は無用だ。あの子はもうあの頃とは違う。今はヒーローを志す候補生の一人だ」
「それでも、『絶対』はあり得ない」
 穏やかな面持ちのまま、冷徹な声が彼の言葉を跳ね返した。
「彼女は少なからず『その力』を奴らの前で使ってしまった。警察からの報告では、彼女の姿が変わったのを見たという生徒もいたとか……今はまだ大丈夫だとしても、いずれ近いうちに『敵連合』にもその力を知られることになるでしょう」
「わからないな……遅かれ早かれ、あの子の『個性』は隠しきれるものではないと理解していたはずだ。今さらそんな理由で『監視』の目を増やす必要もないだろう。……他に何か隠していることでもあるのか」
「……」
 方や険しい表情で、方や笑顔のまま。睨み合いの冷戦は、偶然近くを通り過ぎた看護師達が目を向けてしまうほど不穏な空気を漂わせていた。
 刺すような冷たい眼差しを見つめ返していた青年は、小さく息を吐き出す。
「……『僕達』は、彼女を守りたいだけです」
「その言葉を信用しろと?」
「信じる、信じないはどうぞご自由に。ただ……以前にもお話ししましたよね? 『個性特異点』の話」
 サー・ナイトアイの視線が鋭くなる。
「『予言者(スコアラー)』の予言は外れない。同じ力を持つあなたもまた『視た』はずだ。近いうちに訪れる彼女の運命を」
「君はそんな戯言を言うためにこんな所まで来たのか?」
 サー・ナイトアイは眉間の皺を増やしながら、苛立ちを含んだ強い口調で青年に言い返した。
「どんなに『外れない』と言われた予言だとしても、今はまだ『その時』が訪れていない。だから我々はあの子に正しい力の使い方を教えている。あの子もまた、自分の運命を変えるために、我々の思いに応えてここまできた」
 青年は口を噤む。
 彼は何も知らない。知らないから、いずれくるであろう『未来』を恐れているのだ。
 だが、サー・ナイトアイは知っている。彼女が自分の運命を少しずつ『変えている』ことに。自分の夢に近づくために、一歩ずつ変わろうとしていることに。
 だから保護者の立場として、監視役として、はっきりと言い切ることができた。

「あの子はきっと、誰もが認めるヒーローになる」

 そこで、二人の間に再び沈黙が訪れた。
 双方、どちらも自分の思いを抱えたまま引き下がることをせず、見つめ合ったまま。
 ずっとそうしていても埒が明かないと理解しながら、互いに言葉を発することはない。
 すると、そんな二人の間に甲高い声がかけられた。
「お話し中のところ、失礼します」
 サー・ナイトアイが振り返り、青年が目を向ける。
 二人の間に入ったのはムカデの顔をしたサー・ナイトアイの『相棒』である『センチピーダー』だ。声だけだと性別は分からないが、服装と横槍した口調から紳士らしさが伺えた。
 センチピーダーはちらりと青年に目を向けて、サー・ナイトアイに話しかけた。
「サー。バブルガールがこちらに向かっているそうです。連絡があなたにも入っているかと」
「わかった」
 短く答え、サー・ナイトアイは再び青年へと視線を向ける。
「……私もまだ仕事が残っている。君の『警護』に関しては口を挟むつもりはないが、詳しい話はメールでお聞かせ願おう」
 それだけを言い残し、サー・ナイトアイは静かに踵を返した。
 センチピーダーも青年に会釈を一つ残し、彼の後を追いかける。
 二人の後ろ姿を見つめたまま、青年が再び彼らに声をかけることはなかった。


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