君が心に住み着いた

 知人の葬儀に出席すると言って出かけた主人が、子連れの少女を連れて帰ってきた。
 九条家の使用人となって早数年、甲斐甲斐しくもこの屋敷の主人の下で仕え続けてきた宮瀬は彼の突拍子もない考えに驚くことは度々あったものの、この日ほど言葉を失う衝撃はなかった。
 宮瀬は当主である九条壮馬の傍らで静かに佇む少女を見つめ、呆然とした。
 見た目から判断するに、歳は十六、七ぐらいだろうか。小柄な体に細い腕で幼い子供を大事に抱えている様は不自然なほど異様だ。見るからに訳アリの雰囲気である。
 腕に抱えられている子供はと言えば、ぐっすりと少女の腕の中で眠っていた。
「九条さん、そちらの方は……?」
「今日から俺達の家族になる、荻野イノリさんだ」
「はぁ……?」
 不可解のあまり礼儀を欠いた反応をしてしまったが、宮瀬の反応に九条は特に難色を示すことなく、むしろどこかその反応を楽しそうに見ていた。
 宮瀬はただただ困惑した。そもそも九条がこの家に連れ帰った時点で彼女がこの屋敷に滞在するであろうとは予想していた。が、聞きたいのはそういうことではない。宮瀬は九条と彼女がどういった関係であるのか知りたかったのだ。
(この人に婚約者なんていただろうか……)
 九条との付き合いはそれなりに長い方だが、これまで一度も彼に婚約者がいたという話を聞いたことがない。恋人を仄めかすような噂話すらなかった。
 だからこそ、九条が見ず知らずの子連れの少女を連れ帰ったことに疑念を抱いたのだ。
 まさか、彼がこんな幼気な娘に手を出したりは──。
「今回亡くなられた知人のお子さん達だ。」
 ──していなかったようだ。胸を撫で下ろし、宮瀬は小さく息を吐いた。
「葬儀に来ていた身請け人達が聞くに堪えない話ばかりするものでな。それならうちに来ないか、と誘ってみた」
 そんな子供が家に遊びに誘うような感覚で女に声をかけないで欲しい。
 宮瀬は思わず口から飛び出しそうになった言葉を必死に飲み込んで、「そうなんですか」と曖昧に微笑んだ。
 不躾にも凝視されていた少女は、笑顔どころか居心地の悪そうな表情のまま宮瀬に頭を下げる。
「荻野イノリです……弟共々、お世話になります」
「宮瀬豪です。事情は理解しました。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてくださいね」
 そう優しく声をかけるも、少女は小さく頷くだけですぐに視線を逸らしてしまう。
 宮瀬は彼女の目に怯えと警戒の色が浮かんでいることに気づいて、また一つ推察した。
 おそらく、彼女はほとんど詳しい説明もされないまま、こんな山奥まで連れてこられたに違いない。幼い弟を守るために、苛烈な環境から逃げたい一心で九条に差し出された手を取ってしまったのだろう。
 チラリと九条の後ろに立っている金髪の男──桐嶋宏弥に目を向けてから、宮瀬は小さく肩を竦めた。
 今日、運転手として九条に同行していたのは桐嶋だ。顔に傷がある大柄な金髪の男を引き連れていたのでは、彼女も少なからず九条が只者ではないと考えたはずだ。
(挙句、車で連れてこられて辿り着いた場所は山の中にある男所帯の大きな屋敷……あまり年頃の女性が安心できる環境ではないのは、確かだな)
 これからの生活に不安を抱えているのは誰の目から見ても分かることで、彼女の弟を抱きしめる腕にはほんの少しだけ力が入っていた。
「では、僕は先に彼女をお部屋に案内しますね」
「ああ、頼んだ。私は今から人と会う約束があるので少し出てくるが、夕飯までに戻るつもりだ」
「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ああ。……イノリ、今日は疲れただろう。夕飯までゆっくり休んでいるといい」
「は、はい……」
 ありがとうございます、と小さな声でお礼を言ったイノリに、九条は満足げに微笑んでから踵を返した。それに、宮瀬は「おや?」と眉を潜める。
(……なんだ?)
 初対面にしては、やけに主人が気にかけている気がする。やはり、二人は知り合いなのではないだろうか。
 桐嶋を伴って再び屋敷を去って行く九条を見送る間、宮瀬はどこか探るようにイノリと、その彼女の腕に抱かれた子供をじっと見つめていた。


 イノリは大人しい娘だ。だがそれ以上に、九条家の男達からは我慢強い女であると認識されている。
 九条家の世話になるにあたって、イノリは九条から二つの条件を出されていた。一つは『弟の面倒は自分でみること』、もう一つは『必ず大学まで進学すること』だ。
 おそらく彼女に進学を勧めたのは自分のことがあるからだろう。宮瀬はそう考えた。しかし『弟の面倒を自分が見る』というのは、イノリには厳しい条件なのではないだろうか。ひっそりと難しい表情を浮かべたものの、ただ黙って話を聞いていた。主人がそう言うのであれば、使用人の立場である自分は静観するしかない。
 てっきり自分達がサポートするものだと思っていた桐嶋も無茶苦茶な条件だと感じたようだが、それでも彼は九条に何か考えがあるのだろう、と宮瀬と同じく口を挟むことはしなかった。
 そんな二人の男を余所に、九条はイノリに言った。
「彼らは君に辛く当たるだろうが、君達を引き取ることはできた。それでも彼らの世話になりたくない、と言ったのは自分だ。自分が選んだ道に弟を巻き込んだ。それは分かるか、イノリ」
 九条の言葉を、イノリは静かに聞いていた。
 つまり、九条は自ら彼女に手を差し伸べたにも関わらず、自分の言動に責任を持ち、それ相応の覚悟で弟の保護者になれと言いたいのだ。その言葉が未成年の彼女に最も辛い現実を突きつけていると分かっていながら、あえて彼は厳しい言葉を選んでいた。
 イノリが今まで通っていたのは私立の有名な高校だ。数多くの著名人を輩出した、文武両道を掲げる規律に厳しい学校である。出席日数も厳しくチェックされるため、まだ二歳の弟を抱えたまま彼女が通い続けるには到底無理がある環境だった。
 だが、イノリはここぞという時、素早い決断力と実行力を併せ持つ人物だった。
 彼女はなんの躊躇いもなくその高校を中退したかと思えば、すぐに通信制の高校へと編入した。それだけでなく育児に関する知識も独学で学び、勉強の合間には宮瀬の手伝いをすることも欠かさなかった。
 まだ子供でありながら、男達に『母は強し』なんて言葉を思い出させるには十分なほどの働きぶりだ。
 弱音も吐かず、必要以上に頼ることもせず、一人で頑張ってしまう健気な女の子。
 誰の目にもそう映る彼女が九条家の一員として正式に認められるようになったのは、それから半年も経たない頃だった。
 そして、その頃には宮瀬の心にも少しの変化が現れるようになった。
 幼い少年が覚えたてのつたない言葉で「ねえね」と自分を呼ぶ度に、イオリはいつも優しい声音で「なぁに」と答える。彼女の声に耳を澄ませながら、笑顔で駆け寄って来る弟に『抱っこ』をせがまれて「仕方ないなぁ」と苦笑しつつも受け入れる彼女の姿を、その姉弟が笑い合っている光景を、愛おしいと思うようになったのは一体いつのことだったか。少年の姉であり、母でもあらなくてならない彼女に、何度も自分の母の面影を重ねるようになったのは、いつだっただろうか。
 ──彼らのように、自分の兄弟を大切にできれば、と願うようになったのは──。
 過去の自分と兄に思いを馳せているなんて二人は知るはずもなく、楽しそうに笑いながら彼女達は自分が作り上げた屋敷の庭を眺めている。
 宮瀬はそんな姉弟を見つめながら、人知れず笑みを零した。自嘲するような、諦めを含んだ笑みだった。
「ホント自分の姉貴を見つけたらすぐすっ飛んでくよな……あいつ、絶対シスコンになると思うんだけど、宮瀬はどう思う?」
 今日も今日とて、イノリは朝早くから宮瀬の手伝いで庭の花の水やりをしていた。その間、屋敷で弟の遊び相手になっていたのは桐嶋だったが、どうやら庭に散歩に出るなり世話を焼いていた相手に置いて行かれてしまったらしい。
 多少の呆れを滲ませているものの、それでもどこかあの仲の良さが微笑ましいのか、彼は宮瀬の隣に立って自分のことのように楽しげな表情で彼らを見ていた。
「うーん、そうですね……将来イノリさんの旦那さんになる方は、きっと大変でしょうね」
「ん? なんでだよ?」
 きょとんとする桐嶋に、宮瀬は穏やかに微笑んだ。
「だって、彼女もきっと、ブラコンですから」

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