One sceneShort story made with Word Palette

 ──眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと思ったのが間違いだったんだ、この大馬鹿者。
 休憩スペースで仁王立ちしている不機嫌な降谷さんを見上げながら、私は数分前の自分を心の中で罵倒した。
 間違いなく自分はタイミングを見誤った。まさかこの現役潜入捜査官である上司が今朝から登庁しているだなんて思いもしなかったのだ。それも「おはよう」と声をかけてきたはずの彼は私と目を合わせた途端、眉間に皺を作って今にも説教を始めそうな雰囲気を漂わせている。
 どうしよう、どうしよう。「それでよく公安が務まるな」という副音声が聞こえてきた。怖いよぅ、お願い風見先輩、助けて──って駄目だ。先輩はこの上司のせいで先日の事件の書類作成に追われているんだった。
 猛獣に睨まれた獲物の如く、青褪めたまま硬直している私に逃げ道はない。大人しく降谷さんの発言を待った。
「君──「はいっ!」……いや、見事な敬礼だが……そこまで硬くならなくて良い」
 降谷さんの口が動いた瞬間、私の体は無意識に敬礼していた。それはこの組織で身についた癖であり、もはや条件反射だった。
「ここ数日、家で何をしていた? すごい隈だぞ」
「べ、勉強を……」
「勉強? 何の勉強だ?」
 険しい表情を崩し、降谷さんはきょとんとした。なるほど可愛い。いつも上司としての厳しい顔ばかりみているので、突然のギャップにきゅんとした。流石、公安部の女性陣から童顔美男子と言われるだけあるな。
「次の任務先で必要な知識を、少々……」
「次の任務先? ……ああ、例の社交ダンスパーティーか。何か特別問題があるとは聞いてないが……」
 そこまで言って、何か思い当たったらしい彼は「ん?」と首を捻ってから薄ら笑いを浮かべた。
「まさか……ワルツの練習でもしていたのか?」
 あー、これは絶対人を馬鹿にしてるやつ。こいつ馬鹿だなぁ、って思ってるやつ。部下は知ってます。
 私はそっと視線を逸らした。
「……そのまさかです」
「ぶはっ」
 隠したところで無駄だと諦めた私が素直にぶっちゃけると、噴き出した降谷さんは腹を抱えて笑った。
 心外である。なんで笑われないといけないんだ。こっちは真剣なんだぞ。
「はははっ。君は本当に真面目だな! そこまで頑張らなくても、適当に初心者のフリをすれば良いだろう?」
「それじゃホシが振り向いてくれないかもしれません。経験者は初心者を疎むこともありますので……」
「……ふぅん」
 私の言葉に降谷さんは目を細め、何か言いたげにこちらを見つめた。さっきまで大笑いをしていたかと思えば、また少し不機嫌になったようだ。その薄ら笑いがあの犯罪組織に属していた時の悪い顔そっくりで、私の背筋にヒヤリと冷たいものが走った。
「いくら仕事とはいえ、少し妬けるな」
「え? ……おぅわっ」
 妬ける、と言われた理由が分からず聞き返そうとしたら、いきなり降谷さんが私の手を取り、自分の方へと引き寄せた。思わず色気のない声が出たのは無視だ。
「ワルツはステップがたくさんある。どうせ付け焼き刃なのはすぐ見抜かれるし、基本的な動きだけ知っておけば充分だ。僕が動くから体で覚えろ」
「え……え? うわっ」
 突然のダンス指導が始まって驚いている間に、降谷さんが足を踏み出す。「いち、に、さん」と呟く声に合わせてテンポ良くお互いの靴が床を蹴り、静かな休憩スペースにカツンカツンと鳴り響く音を聞きながら、私は「どうしてこんなことに……?」と一人混乱した。
 耳元で囁く声。普段では絶対にあり得ない距離。腰や握られた手から伝わる相手の熱。
 腰を掴まれているおかげで自然と相手の動きに合わせて足が動いてくれたけれど、頭は別のことに気を取られて少しも集中できそうにない。
「全然なってない。それと、パートナーの目を見ろ」
「む、む、無理です……! 近いっ!」
 顔から火が出る勢いで熱が集まるのを感じながらぶんぶんと首を横に振る私を見下ろし、「君な……」と呟いた降谷さんは片手で顔を押さえて溜め息を吐いた。
「……もういい。その任務、風見に代わって僕が出る。君は大人しく僕にエスコートされていろ」
 ──それ、どんな拷問ですか? 公開処刑ですか?
 殺意に満ちた目の女達を想像し、私は頭を抱えた。

恋の円舞曲が鳴り響く朝




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