One sceneShort story made with Word Palette

「バーボンさんは、紫陽花みたいですね」
 なんの脈絡もない唐突な言葉に、私の首筋に唇を這わせていた彼が顔を上げてきょとんとした。その表情はいつもみたいに大人の色気を感じさせない、少年のようなあどけないものだった。
 自分を見上げる青い瞳を見つめ返し、「やっぱり」と心の中で呟きながら私の肌を擽っていた金糸にそっと手を伸ばす。さらさらと触り心地の良い感触を楽しみながら子供をあやすような手つきで頭を撫でてみると、彼は少しだけ気持ち良さそうに目を細めていた。
「瞳の色も、そっくり」
 初めて出会った時から綺麗な目だと思っていた。
 ひんやりと冷たい眼差しなのに、どこかほんのり温かく、力強い。そんな輝きを放つ瞳に見つめられた時、どうしても目を離せなくなる自分がいた。
 私が彼の瞳に囚われていると自覚できたのは、偶然見つけた紫陽花のおかげだ。その花を視界に入れた時、漠然と彼の姿が浮かんだのである。
「最初は宝石みたいだと思ったんですけど……うん。紫陽花がぴったりです」
「どうしたんですか? 君がそんな口説き文句を口にするなんて……」
「ふふっ」
 ──口説き文句、ね。
 確かに今までの私からは全く想像できないし、とてもじゃないけど似合わない言葉だった。
 思わず堪えきれずに笑ってしまうと、バーボンさんの表情が僅かに歪む。
 揶揄っているつもりはないけれど、少し機嫌を損ねてしまったみたいだ。宥めるように少し汗が滲む額に口づけてみれば、仕返しと言わんばかりに彼は私の唇に噛みついてきた。
「なんだか……今日はいつもと違いますね。君に愛されていると分かって、とても心地が良い」
 いつも素っ気ないのに、と言いながら私の胸に手を這わせる彼はとても楽しそうだ。
 ──言われてみれば、そうだったかもしれない。バーボンさんとは会う度にこうして触れ合っているけれど、私の方から彼に触れ、キスをしたのは今日が初めてだ。
 だけど、それは彼にも原因がある。
 行きつけのバーで一人寂しくお酒を飲んでいた私に、「お一人ですか?」とナンパよろしく声をかけてきたのはバーボンさんだ。そんな出会いでは、最初から『そういう相手』を探していた人だと思われても仕方がない。
 でも、一番悪いのはそういう人だと分かっていながら彼の誘いに乗った私だ。最後に傷つくのは自分だと分かっていても、何度「今夜で最後だ」と言い聞かせても、結局こうして彼のペースに流されている。
 ──だから、せめて心だけは奪われないよう、つれない態度でいたのにな。
 そんなことを考えていると、バーボンさんが再び私の唇に食らいついた。貪るような荒々しい勢いで、けれど口内へ侵入しようとする舌はとても優しく、行為の続きを催促しているようだった。大人しく促されるがまま口を開くと、彼は嬉しそうに瞳を細めていた。
「君も存外、紫陽花のような人ですよ」
 たっぷりと熱い口づけを堪能した後、彼はそう言って優しく微笑みながら私の服の中へと手を差し込んだ。


 ベッドの中で囁かれる甘い言葉なんて、嘘ばかりだ。
 最初から彼は私を愛してなんていなかった。
 穏やかな顔で眠る彼の顔をぼんやりと眺めた後、私はそっとベッドから抜け出し、衣服を身に纏った。
 夜が、もうすぐ明ける。夢を見る時間はもう終わりだ。
 彼の名刺を手に取り、私は小さく溜め息を吐いた。
 ──『安室透』。それが彼の名前らしい。
 だけど、私は彼の連れと同じく『バーボン』と呼んでいる。最初から割り切った関係なら、呼び名なんてあだ名さえあれば十分だった。
「一度だけでも……恋愛をしてみたかったんだけどなぁ」
 彼ほど博識な人なら、どうして自分が紫陽花に例えられたのか、いつか気づく時がくるだろう。そしてその花言葉にも。
 私は連絡先の書かれた彼の名刺ともう一つ、鞄に忍ばせていた『彼の欲しがっている物』をサイドテーブルに置いた。
「……さよなら」
 本当に、これでもう終わりだ。
 これから私が歩く道に、きっとその花は咲いてない。

冷たい四葩にさようなら




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