One sceneShort story made with Word Palette

 ──審神者がいない。それは小夜左文字のいる本丸では決して珍しいことではなく、むしろ当たり前とも呼べる状態だった。
 小夜の主は現世の仕事と審神者業を掛け持ちしている働き者の女性だ。元々は現世で立派にそのお勤めに従事していたのだが、収入の問題と時の政府のやや強引な勧誘により、仕方なく審神者の仕事も兼任することに決めたのだという。
 週の五日間は現世に、残りの二日は本丸に。それが小夜の主の働き方だった。
 足音を小さくしながら本丸の中を歩き回っていた小夜は審神者の執務室の前に辿り着くと、こっそりとその襖を開いて中を覗き込んだ。
 窓から入り込む光で明るくなった室内には、人の姿どころか気配もない。部屋にぽつんと置かれている文机が物寂しく感じられて、小夜はひっそりと肩を落とした。
 本丸にいる時の審神者は、いつもその文机に向かって筆を片手にうんうんと唸っている。そんな彼女の筆休めに飲み物やお菓子を届けることが小夜の役目であり、たった週に二日間だけしかない密かな楽しみだった。
「お小夜、そんな所で何をしているのですか?」
「兄さま……」
 声をかけられて小夜が振り返ると、己の兄弟刀である宗三左文字がそこに立っていた。
 彼は不思議そうに口ごもる小夜を見つめていたが、そこが審神者の執務室の前であると気づくと静かに微笑んだ。それはまるで「仕方なのない子だ」と言いたげで、小夜は気恥ずかしくなって俯いてしまう。
「勝手に部屋に入っても、彼女は怒ったりしませんよ」
「でも……ここにあの人はいないから……」
 だから入っても無駄だ、と小夜は言いたかった。
 しかし、宗三はそんな小夜に肩を竦めて首を横に振ってみせると、人差し指を執務室の中へと向けた。
「お小夜、あそこをよく見てみなさい」
 小夜がその指先を辿ると、宗三が指し示したのは文机だった。言われた通り目を凝らしてみると、そこに一枚の紙と飴の入った瓶が置かれていることに気づいた。
「彼女からあなたへの置き土産ですよ」
 宗三の言葉に、小夜はその目を大きく見開いてから小走りで文机に近づいた。
『お小夜へ』
 最初から自分がこの部屋にやって来ることを想定していたかのように、それは自分に宛てられた言葉から始まっていた。決して長い文章ではなく簡潔に用件だけを綴った文章だったが、不器用な審神者なりに丁寧な字で書き記されていることが小夜にはしっかりと伝わった。
『いつも美味しいお茶とお菓子をありがとう。お礼に現世で買った飴を置いていきます。良かったら食べてね』
 審神者の字を目で追いかけ、小夜は書き置きと一緒に置かれていた瓶に視線を落とす。
 縁をリボンで結び、コルクで蓋をした大きな瓶だ。その中に赤、青、桃、黄、緑と様々な色の飴玉が入っている。
「……」
 言葉もなく、小夜はただ静かにその目を輝かせてその飴の入った瓶を見つめていた。
 あまり表情の変化が見られない小夜だが、彼の兄である宗三は僅かなその感情の機微を感じ取ることができたらしい。
 優しく微笑みながら「良かったですね」と声をかける宗三に、小夜は大きく頷いた。
「お礼……何をすれば……」
「お礼にお礼をする必要はないでしょう」
「でも、お茶やお菓子を運ぶのは、僕が好きでやっていたことだから……」
「お小夜は優しいですね……なら、今から一緒に万屋に行きますか? ちょうど買い物に行こうとしていたので」
「! ……うん」
 宗三の提案にもう一度大きく頷いて、小夜は審神者の手紙と贈り物を懐にしまい込んだ。
 ──審神者からの贈り物が、手紙が、ここにある。
 それはついさっきまでこの空間に審神者がいたのだと錯覚させるようで、小夜は襖を閉める前に執務室の中を振り返る。
 当然だが、ここには誰もいない。けれど、最初にこの部屋に訪れた時に感じた物寂しさは少しも感じられなかった。
 むしろ審神者の気配の名残を感じることができて、小夜は小さく口元に笑みを浮かべたのだった。

午後三時、君待つ記憶




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