One sceneShort story made with Word Palette

 チリンチリンと音がして、ふと顔を上げた。真っ青な空と、白い雲。そして、ガラス細工の風鈴がある。
 ああ、もう夏が来た。最近暑くなってきたな、とは思っていたけれど。そう言えば、ファミリーレストランの前を通りかかった時に向日葵とかき氷が目立つのぼりがあった気がする。デザートメニューに氷菓が追加されるようになれば、それはもう夏が始まった証拠だ。
 日傘を片手に、空を見上げたままふぅ、と息を吐く。
 バーボンとは、あれから連絡を取っていない。連絡先を消した訳ではないけれど、一方的にけじめをつけておきながらいつまでも女々しく彼を追いかけるのは、女としての小さなプライドがどうしても許さなかった。
 けじめと言えば、以前勤めていた会社もようやく辞めることができた。バーボンに渡した物が上手く使われたのか、それとも別の経路でバレてしまったのかは知らないが、なかなかブラックな内容が世間に露呈したのだ。警察沙汰にまで発展しており、これ幸いに、と何人もの社員が辞表を出して姿を消した。私もその内の一人だ。
 ホテルから姿を消した翌日も、それから何日かあともバーボンから連絡があったけれど、私は一切その連絡に応じていない。会社を辞めてからも一度だけ「会えないか」という誘いがあったが、既読だけしてスルーだ。これまでの事を振り返ってみると、相当ひどい女である。
 そしてつい今し方、またメッセージが届いた。「君と直接会って話がしたい」というが、彼は今、どういう気持ちでこれを送っているんだろうか。
 考え直してみても、彼との関係は決して誠実なものではなかった。むしろ出会いから間違っていたのかもしれないと思っているし、会話の節々から彼の目的が一重に『私』ではなかったと理解しているつもりだ。
 そんな彼が今も必死に私との繋がりを求めているということは、何か裏があるようにしか思えない。ただ単に、『そういう相手』を欲しているんだろうか。いつものように食えない顔で、女を誑し込む妖艶な笑みで、私がその手に落ちてくるのを待っているんだろうか。
 メッセージを読んで、返事をするかどうか迷う。それから導き出した答えは、一つだった。

 ――これで、本当に最後にしよう。

 陽が傾いて涼しくなった頃、橋の欄干に凭れかかっていた私はもう何度目かも分からない言葉を自分に言い聞かせた。そうしないと、彼と向き合った時にうっかり流されてしまいそうだった。彼はとても口が上手いから、巧みな話術でいつも自分のペースへと引き込んでしまう。
 ――もちろん、わかっていながらそれに付き合っていた私も悪いのだけれど。
 その時、かつんと革靴の底が地面を叩く音がした。同時に視界の端で人の影が揺れ動き、誰かが自分に近づいたのだと気づく。
 顔を上げて見れば、やはり――バーボンがいた。
「良かった。来てくれて」
 そう言って微笑む彼の顔を見て、私は言葉を失った。
 私は以前、彼のことを『紫陽花のようだ』と言った。それは褒め言葉ではなく、色の移り変わりに例えて数多の名前を使いこなす彼の本性を誂えた言葉だった。そういう人ほど、その花言葉も相応しいと思っていた。
 だけど、目の前の彼は違う。その姿はまるで別人だ。
 見慣れない灰色のスーツ。異国の血が混じった美しい顔には、人を陥れる気配を感じられない屈託のない微笑を浮かべ、その真っ直ぐな瞳に慈愛の色を滲ませる。
 愛おしい者を見るような、そんな目だ。
「会いたかったんだ。ずっと」
「……私は、もう会いたくなかった。あなたの目的は、最初から私ではなかったから」
 はっきりと告げれば、綺麗な青の瞳が陰に覆われる。
「……ごめん」
「……私達が会うのも、これきりにしましょうよ」
「それはできない」
 どうして、と私は眉を顰める。そんな私を、彼はこれまでにない真剣な表情で、熱の籠った瞳で見つめていた。
「僕は……もう一度、君と最初からやり直したい」
 その言葉の意味を理解出来ないほど、私も初心ではない。その言葉の真偽が分からないほど、鈍感でもない。
 これで最後だと思っていた。でも、それは私の思い違いだったみたいだ。情けない声が、私の唇から漏れた。
「……私……あなたに恋してもいいの……?」
 見開かれた青の瞳が、優しく微笑んで頷く。
 チリン、とどこからともなく風鈴の音が響いた。
 それはきっと、私が二度目の恋に落ちる音だった。

四葩のつぼみが開くとき




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