誰も知らない推しがすぐ死ぬあの子の昔の話


 中学生になる前まで、大嫌いな女がいた。
 成績は上の下。運動は中の上。顔は中くらい。そんな、良いとも普通とも言えないような中途半端な子。それでも与えられた課題はオールマイティーになんでもこなしていたし、分け隔てなく誰にでも公平に接する態度は常に人の輪を作っていた。それはもう、できないことなんてないんじゃないかと思えるぐらい完璧な『優等生』。
 その女は、私の幼馴染みだった。
 父親は子どもの時間を管理するみたいに厳しい人で、母親は家庭の体裁を守るためにそんな父親の言いなりになっている少し気弱な人。二人とも、少しでも間違ったことをすれば手を上げるような過激な人だった。
 そんな家庭で育った彼女と仲良くなったきっかけは、小学生の頃。私が彼女の秘密を知ってからだった。
 ダンスレッスンの帰り道、たまたま電車が遅れていていつもより帰りが遅くなってしまって、私は急いで夜道を自転車で街路を駆け抜けていた。
 良い子なら外を出歩かない時間。でも、子どもがそんな時間に出歩けるチャンスなんて滅多になくて、ちょっと遠回りしようかな、なんて思った。
 その時に、私達は遭遇してしまったんだ。
「あれ。葉子ちゃんじゃん。何してるの?」
 誰もいない夜道。車すら通らない静かな場所。そんな道に、彼女はままポツンと一人佇んでいた。
 何してるの、はこっちの台詞だった。こんな時間に小学生が出歩いている。大問題だ。荷物はないけれど、警察に見つかったら間違いなく家出と勘違いされて補導される。そんなの、『劣等生』の私でも分かるのに。
 なのに、幼馴染みの彼女はいつもの完璧な笑顔を浮かべてそこに立っている。そこから少しも表情を変えないなんて、まるでおばあちゃん家に飾られている気味の悪い日本人形みたいだ。肩の辺りで切り揃えられた黒髪がさらにその印象を強く与える。
「……あんた、何してんの?」
「ん? ん〜……」
 質問を質問で返せば、彼女は少し考えた。本当になんて答えるか悩んでいるようで、私は『優等生』のくせに何をそんなに考える必要があるのかと怪訝に思った。
 そして、彼女はいつもの人好きする笑顔で言った。
「好きな人に会いに行くの」
「……は?」
「だから、好きな人に会いに行くの。毎週、この時間になると交番にいるんだぁ。あ、葉子ちゃんも一緒に行く? ダンスレッスンの帰りなら、今日は多めに見てくれるかも。この時間にいるってことは、電車が遅れたりしたんでしょ?」
 無駄に高い分析力と推理力を見せつけて、彼女はそう言って私の腕を引いた。
「ついでに二人乗りしよー」
「ふざけないで。私帰るから」
 なんでそんなバカみたいなことに付き合わなければならないの。素っ気なく腕を振り払えば、一瞬だけ彼女の表情が抜け落ちた気がした。その目がゾッとするぐらい暗くて冷たくて、でも私は何も気づかないフリをして顔を背ける。
「……それもそっか。おじさんとおばさん心配するもんね。気をつけて帰ってね」
「何言ってんの? あんたも帰りなさいよ」
「えー……やっ! 私、じん君に会いに行くの」
 じん君って。何言っちゃってんの、こいつ。本気?
 もうすぐ中学生になるのに、駄々こねて子どもみたい。
「あんた……バッカじゃないの? 勝手にすれば」
「うん。勝手にする」
「……じゃあね」
 ひらひらと手を振って梃子でもその場から動かぬ姿勢の幼馴染み。それを無視して、私は自転車のペダルに足をかける。そのまま家を目指して走り出すも、少しだけ後ろ髪を引かれる思いでチラリと振り返る。
 ――彼女はまだ、私を見送っていた。
 嫌になるくらい見てきた、あの笑顔で。

 家に帰って思ったのは、あの人形みたいな女にも『恋』という感情があるってことだ。私も人並みに好きな人ができたことはあるけど、あの能面みたいに貼り付けた笑顔の下で彼女が自分と同じように心惹かれる異性を目で追いかけているなんて想像できなかった。
 だから、ちょっとした興味本位だった。
 ダンスレッスンの帰り道。わざと遅い時間に彼女が目指していた近所の交番の前を通る。すると、予想通りお巡りさんと話す彼女の姿が見えた。
「帰れっていつも言ってるだろ」
「えー。帰りたくないもん」
 子どもみたいに駄々をこねる彼女の顔は、学校で見かける完璧な笑顔じゃない。本当の、心底から楽しそうな笑顔だった。それが彼女の恋する相手に見せるものだと知って、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになる。
 けど、そんな彼女の表情は次のお巡りさんの言葉に固まってしまった。
「また――を困らせたいのか」
 ひくり、と幼馴染みの口元が引きつる。
 その名前は私も知ってる。あの子の姉のことだ。八歳年上の、幼馴染みよりも美人で、頭も出来の良い、完璧な女性。私も何度か会ったことがある。あのお巡りさんの口振りも、彼女を知っているみたいだった。
「例え妹でも、オレの女を困らせる人は嫌いだぞ」
 その瞬間、私はうわ、と表情を歪ませた。思わぬところで泥沼関係を見てしまった。知りたくなかった。
 それにしてもえげつない一言だ。恋する乙女になんて容赦のない――そう思って幼馴染みに目を向ける。
「……はぁい。わかったよ、義兄さん」
 彼女は、笑っていた。いつもと変わらない、あの貼りつけたような笑顔で、完璧に。
 ――狂っている。
 吐き気がするほどのおぞましい光景。見ていられなくて、私は自転車を押して幼馴染みに近づいた。
「あんた、またこんな所にいるの?」
 くるりと幼馴染みが振り返る。まさか私がいるだなんて思わなかったんだろう。少し驚いた顔をして、けれど次の瞬間、ちょっと嬉しそうに笑ってた。
「お帰り、葉子ちゃん」
「バカ。何がお帰りだよ。あんたも帰るよ」
「はいは〜い。じゃあ義兄さん、またね」
「今度は昼間に来い。それなら相手してやるから」
 手を上げて見送られる。私は何も言わなかった。優しそうな顔はしてるけど、乙女心も分からないような男に愛想よくするつもりはなかったから。
 交番が見えなくなったところで、私は自転車に跨って幼馴染みを振り返った。
「……乗って」
「え」
「家、すぐそこだからバレないでしょ。送るから」
 素っ気なく伝えると、きょとんとしていた幼馴染みが静かに口角を上げる。いつもと違う、どこか安心したような笑い方。
 大人しく彼女が自転車の荷台部分に跨ったのを確認して、私は再び自転車を走らせた。
「あんたさ、ちょっと男見る目なさすぎ。何昼ドラみたいな関係になってんの?」
「や〜。まさかお姉ちゃんの恋人とは思わなくてさぁ」
「は? 知らなかったの? バカじゃん。大バカ」
「だよねー。ほんと私バカだー。……でもさ」
 それでもやめられないんだから、恋って不思議だよね。
 あくまで明るい口調。でも声はどこか震えていて、泣くのを堪えているみたいだった。
 ――そんなに辛いなら、さっさと諦めたら良いのに。
 そう言いたいけど、口にするほど簡単なことでもないのは私だって分かってる。恋は、しようと思ってできるものじゃないし、捨てようと思って捨てられるものじゃない。初恋を経験すれば、誰でも理解できることだ。
 ただ、子どもでも一つだけ、言えることがある。
「……あんたさ、次誰かを好きになる時はちゃん泣いたり笑ったり素直になれる人にしなよ」
「え……」
「親の前でも好きな人の前でも自分偽って生きてたらしんどいでしょーが。次は何も考えてない単純バカな男にしなさいよ。そうね……ほら、去年同じクラスの『なりやん』みたいなヤツとか!」
「ぶっ。それ、『なりやん』君に超失礼」
「笑ってる時点であんたも同罪だっつの」
 チラリと背後を確認する。吹き出した勢いが止まらないのか、幼馴染みの口元がニマニマと緩んでいた。
 ――なんだ。ちゃんと笑えるんじゃない。
「ちょうどいいや。私あんたに言っておきたいことあったんだよね。私、あんたのこと大嫌いなの」
「がーん! いきなり何!?」
「あんたにはこれぐらいの方が良いでしょ。……でもさ」
 恋してる時のあんたは嫌いじゃないよ。私と同じ普通の女の子って感じがする。そう言えば幼馴染みは目を丸くして、それからまた、はにかむように笑ってた。
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