私の推し、すぐ死ぬH−後編


「松田さんって、本当にあの子が好きなんですか?」
 そんな質問を、萩原の女から投げかけられたのはいつだったか。確か、据え膳を食べ損ねたあとの話だ。たまたま昼休憩の時に萩原と会って、久しぶりにいつものメンバーで飲みに行こうという話になった。いつからなのかは分からないが、萩原は自分のためじゃなくて恋人のために飲み会に誘うようになった。その時も多分、恋人のために提案したことだったんだろう。ダチに会わせたい、でも恋人である自分との時間も作って欲しい。そんな、醜い男の独占欲の末に出てくる行動。
 それに目を瞑って応えてやっていたのは、こちらにも少しばかり欲があったからだ。幼馴染みだからこそ気づけた話。持ちつ持たれつなその利害関係を、いつからか言葉なくして共有していた。きっと、人の感情の機微に敏い萩原はずっと前からそれを利用してたに違いない。女のことに関しては本当に抜け目のない男だ。
 その萩原の女がふと思い出したように問いかけてきたのは、二人の婚約が決まってからひと月ほど経った頃だった。その日は運悪く残業になってしまったようで、あいつはまだ姿を見せていなかった。
 親友だからこそ真っ先に彼女から連絡が入ったのだろう。スマホを触っていた女はメッセージを送り返したあと、当人がいないのを良い事にいつもの涼しい顔でこちらを見つめてきた。あいつや萩原の前なら事あるごとに見せる笑顔も、自分に対しては全くない。なんて分かりやすい女だ。改めて馬が合わないと思う。
「……なんで、んなコトお前に話さきゃいけねーんだよ」
「別に。言いたくないなら良いですけど……」
「心配しなくても不義理なことは何もしてねーよ」
「へえ。何かある度に毎回あの子から『松田さんがスケベで困る!』って報告してくるんですけど、それも不義理じゃないんですか?」
「「ブフォッ!」」
 向かい合う萩原と揃って含んだ酒は、同じタイミングで噴き出すことになった。事の発端である萩原の女は咄嗟に身を引いて眉を顰めた。
「ちょっと。汚いじゃない」
「ゲホッ……お前が変なこと言うからだろーが!」
「変も何も、据え膳も食えなかったむっつりスケベさんだったのは事実なんでしょ?」
 オイコラ、なんでそんなことまで知ってんだ。
 チラリと向かい側に座る親友を見れば、こっちも少しばかり驚いた顔をして婚約者を見ていた。いや、オレだってこの女から下世話な話が飛び出してくるとか想像してなかったけど、なんでお前までそんな顔してんだよ。
「あ、あの子のために言っておきますけど、別に松田さんが何した、とかは聞いてないですよ。さっきのは冗談です。ただ、会話の内容から私が察しただけ」
「タチが悪い冗談口にすんなよ」
 イラッとして睨みつけるもどこ吹く風。夫婦は似てくるとか言うけど、そういう所は萩原に似なくて良いんだよ。ますますタチが悪い女だな。
「けど、まあ、なんとなく言いたいことは分かる。あいつキスしようとしただけで人を変態呼ばわりするし」
「あ。本当に変態扱いされてんのね、陣平ちゃん……」
 恋人なのに、なんて呟きが萩原から零れ落ちて、思わず苦虫をみ潰したような顔になる。何も言わずに黙って酒を飲み直すと、そこで初めて萩原の女が愉快そうに口元を緩めた。本当にいけ好かねー女だな。
「恋人(仮)なんですよねー」
 その言葉に、萩原が目ん玉をひん剥いた。
「え、どーゆーこと! 付き合ったんじゃないの!?」
「付き合ってねーよ。どこでそんな情報仕入れてんだよ」
「ええ!? この前の電話は!? 『好きだぜ』とか『今日はオレん家来い』とか言ってたアレは!?」
「萩お前……ほんっと口軽いな! テメェの女は気を遣って何も言ってねえんだから黙ってろよ!」
「だって! あの陣平ちゃんが! 据え膳食えないってだけでもおかしいのに……!」
「っせーな……ほっとけよ。どーせオレは据え膳も食わせてもらえない甲斐性なしの男だよ」
 あの時は「最推しより長生きしろ」と言うのも冗談だと思って笑って済ませた。ところがどっこい、あいつは思った以上に頑固な女だった。一度決めたらマジで曲げない。あれから何度挑んでも躱される始末。今辛うじて許されている軽度のスキンシップも慣れない誘い文句で必死に口説き落とした結果だ。それ以上に事を運ぼうとすれば顔を真っ赤にしながら羞恥心で気絶するので、いつまで経っても据え膳はお預けのまま。仕方なくこちらが折れて今の状況に甘んじてやっているだけだ。
 そう心の中で不貞腐れながら黙々と酒を飲んでいれば、萩原の女は肩を竦めた。
「まあ、松田さんが本気ってことは見ていればわかるし、改めて聞くまでもないんですけど……ただ、あの子があそこまで頑なになる理由を話しておこうかと思って」
「あ? いらねーよ。どうせ好きになった野郎みんな死んじまったから、臆病になってんだろ」
「それも一理ありますけど、違いますよ」
 ぽつりと呟いたその冷たい声音と真剣な目には、明確な負の感情が宿っている。その目を注意深く見つめ返せば、女はおもむろに口を開いて、静かに告げた。
「あの子が松田さんを拒む本当の理由は――」


 ――パチン。
 最後のコードを切って、思考を遮る。赤いランプとタイマーが消えたのを確認して、ふぅ、と息を吐いた。
 それから、鎖で縛られたままの彼女に目を向ける。ずっと不安そうな眼差しで静かにこちらを見守っていた大きな瞳には、あからさまに安堵の色が浮かんでいた。
「……終わりました?」
「ああ。もう大丈夫だ。……よく頑張ったな」
「それは……松田さんが来てくれたからですよ。カッコイイ命の恩人です」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん……じゃあ、帰ったらその恩人にご褒美くれよ。特上のヤツ」
「特上のって……」
「まあ、お前以外に欲しいものなんてないけどな」
 言いながら素早く別の場所で待機している佐藤にメッセージを送り、爆弾を固定しているネジを外してベッドの下から這い出る。さすがに止まっていても爆弾が目の前に近づくと怖いようで、彼女は僅かに後退りした。
「それ、本当にもう爆発しないですか? 遠隔とか……」
「お前、そういう知識だけはあんのな……装置は全部解体してある。ここまですれば大丈夫だ」
「そ、そうですか……良かった」
「今それ外すから、じっとしてろ」
 ぐるぐると頑丈に巻かれている鎖に手を伸ばす。両手に触れると震えが伝わってきた。気丈に振る舞っていただけで、やはりずっと恐怖と戦っていたんだろう。
 ぽんぽんと優しく背中を叩いてから丁寧に鎖を外してやる。解いた場所から赤い線が浮かび上がっているのが見えると、もっと早く助けに来てやれたら良かった、と言い表すことのできない悔しさが込み上げてきた。
「……ここで死んじゃうのかと思いました」
「……悪かったな。ずっと怖かったんだろ」
「私じゃなくて、松田さんの話」
 ぽつりと呟く声が震えて、ポタポタと水が落ちてくる。顔を見れば、白い頬をいくつもの涙が伝っていた。
「死ななくて、良かった」
 最推しのためではなく、オレのために泣いている。それだけで彼女の気持ちは十分なほど伝わってくるのに、どうしてこんな中途半端な関係なのか――その理由を、オレはすでに知っている。
「……オレとお前の姉貴の男を一緒にすんなよ」
「うっ……何故それを……さては葉子ちゃん、喋ったな」
「おー。ご丁寧に教えてくれたよ。お前の初恋の相手は『自分の姉貴の恋人』だったってな」
 いつもの調子で意地悪く揶揄うように言ってやれば、彼女は涙を流しながら力なく口元を緩ませる。
 歪な笑顔だが、手の震えはマシになっていた。
「姉ちゃんのことも聞いた。まだ負い目あんのか?」
「……二人は、私のせいで死んだから」
「お前のせいじゃない、なんてことは言わねえよ。罪を犯すヤツが悪いのは確かだけどな……きっかけになるヤツにも多少の原因はある。……今回のこともそうだぞ」
 立てこもり犯の供述を思い出して、今度はジトリと睨んでみせる。言葉に詰まった様子から本人にもある程度の自覚があったみたいで、ようやく鎖から解放された両手を擦りながらしょんぼりと項垂れていた。
「でも、それはそれ。これはこれだ。お前は間違ったことはしてねえんだから、もっと胸張ってしゃんとしろ」
 パッと顔を上げた彼女の涙は完全に止まっていた。
 それに安心しながら頭を撫でてやれば、ほんのりと頬が赤く色づいていく。ぼんやりとこちらを見上げる瞳を見つめ返していれば、おもむろにネクタイを掴まれた。
 そして次の瞬間、ぐいっと体が引っ張られた。ちう、と短くい時間触れ合った唇の感触にぽかんとしていると、そんなオレに愛おしい彼女は真っ赤な顔で告げた。
「きょ、今日のご褒美は、この続きでいかがですか?」
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