私の推し、すぐ死ぬH−前編


 人生、山があれば谷もある。二十数年も生きていればそんなことは嫌でも理解できるもので、それを楽しむもつらいと嘆くも人それぞれだと思う。そういう意味では、私も今日までずっと右肩上がりの山を登り続けていたのかもしれない。さすがに最推しの陣平君が死んでしまった時は人生のどん底に突き落とされた気分だったけれど、松田さんと出会ってからは『推しの死』というものを経験しなくなったので比較的心穏やかなオタクライフを過ごせている。夫を亡くした妻の人生ってこんな感じなのかな、なんてちょっぴり考えてしまった。口にしたら松田さんが怖い顔するので絶対に言えないけど。
 それに、オタクライフをライトに楽しめるようになったのは松田さんが陣平君似だったことも大きいかもしれない。髪も癖毛だし、ガラは悪いし、名前も字が全く同じ……いや、ホント。そんな偶然あるか? いつから私は実写化された世界線で生きていた? なんて頓珍漢な発想に至るほど似ていた。むしろ陣平君は松田さんをモデルに描かれていたのではないだろうか。これは『作者が松田さんの知り合い説』を推しても許されるレベル。もし作者がメディアに現れたら松田さんに見せてみよ。
 ――まあ、ここから生きて帰れたらの話しだけど。
 一人だけポツンと残された最上階の角部屋の病室。そのベッドの柵に私の両手は背中に回されたまま鎖で頑丈に括りつけられている。いくら引っ張っても手が痛くなるだけで一向に緩む気配がない。さらに猿ぐつわされた口では満足に声も上げられない状態だ。おうコラ。たかがパンピがどこでこんな頑丈な縛り方覚えるんだよ。ネットか? 動画でも見て覚えてんのか? 文明の利器、ほんと頭のいかれたパンピに碌な事教えねえな! 脳内で松田さんと陣平君が舌打ちしてるぞ――なんてことを言ってる場合でもないんだけどなッ!
 脳内でノリツッコミをしながら頭を下げる。
 私の左手の薬指にはめられたリング状の装置。そこから両手を縛る鎖に絡ませるように伸びたコードが、ベッドの足元に固定されている四角い箱のような物体に繋がっている。チカチカと不気味に赤く点滅する光と一秒ずつ変わっていく数字を見る度に、バクバクと高鳴るこの心臓の音が人生の終わりを告げるカウントダウンみたいに聞こえた。ベッドの下を覗き込んでいた私はゆっくりと姿勢を戻してふかふかの布団に頭を預ける。
 まさか、またこんな物と一緒になるとは。もう薄れていた過去の記憶が蘇る。小学生の頃、学校の帰り道で誘拐されたことがあった。確か、あの時もこんな風に体を縛られて捨て置かれていた。たまたま犯行を目撃していた人がすぐに警察に通報してくれたおかげで無事に救出されたけど、あの事件では私と引き替えに初恋の人が死んでしまったのだ。完全にトラウマの出来事である。
 それでも、まだこうして正気を保っていられるのはパトカーのサイレンとこの凶器を置き去りにした犯人をなだめる警察官の声が外から聞こえたからだ。都心部はビルばっかだから響くのかな……拡声器って意外と煩いんだね。でもそのおかげでちょっと冷静になれた。
 ……ただ、一言言って良いだろうか。今外にいるお巡りさん、よくテレビでみるような「大人しく投降しなさい」って言葉を犯人に向かって言ってるんだけど、それで犯人がお縄につくなら最初から立て籠りするような犯罪は起きないし、東都の人間はもっと心穏やかに過ごしてると思うの。犯罪率の低い住みやすい町作りは善良な人の心から始まるんだよ。アーユーオーケー? つまりそこにいる犯人に何を言っても無駄だ。手遅れである。
 というか、なんで私がこんな目に……いや、身に覚えはある。めちゃめちゃある。でも言い訳していい? 私は仕事してただけで絶対悪くない。だってこの犯罪グループのリーダー、入院費を踏み倒そうとしたんだよ? こっちは入院前にちゃんと高額になるから国の保険制度を使えって助言したのに無保険のままだった。だから「そっちがその気ならしょうがないな」って全額自費請求しただけなのに、あいつチンプンカンプンな言い分で窓口で騒ぎ続けたんだよ。バンバン机叩いて暴言吐いて脅してくるし、挙句「人でなし」呼ばわりなんてされたらさすがの私もキレるよね。人の話を聞かずに好き勝手言いたい放題するとか何様だ。たまたま妊婦の奥さんと一緒に外来に来ていた刑事さんが間に入ってくれなかったら、クビ覚悟で営業スマイル消して顔面に請求書を叩きつけてた。……ああ〜っ!! 今思い出してもあのクソ野郎ほんとムカつく! ボッコボコに殴りたい!
 なんて犯人に対して怒りと殺意を抱いて不自由な両手を動かしてガタガタと騒いでいたら、声が聞こえた。
「そこに誰かいるの?」
 女性の声だ。私は驚いてピタリと動きを止めた。
 今、犯人達のせいで病院内で動ける患者とスタッフは全員別室に移動されている。付き添いが必要な患者には看護師が傍についているはずだけど、複数人の犯人の目をい潜って自由に動けるはずがない。ここに爆弾があることも周知されているはずだから、迂闊に近づいて来るとも考えにくい。私を吹っ飛ばす気満々なのか、犯人達ですら見張りに立っていない状況だ。
 私は声がした方に目を向けた。
 そして、その人物と目が合ってぱちくりと瞬きする。何やら既視感のある女性だ。どこで見たっけ。
「あなた……! 人質が見つかったわ、松田君!」
 美人なショートカットのお姉さんが馴染みのある名前を口にする。その声にもう一人分の足音が近づいて、私は視界に入ってきた人物を捉えて泣きたくなった。
「良かった……! 無事だったか!」
「んん〜っ! んんっ!」
 全然無事じゃない。私は全力で首を横に振って頭を下げてベッドの下を覗き込む。松田さんと美人なお姉さんもその意図を察して同じ場所を覗き込んでくれた。
 そして、お姉さんが真っ先に驚きの声を上げる。
「あれは……爆弾!? ……あ!? ちょっと松田君!」
 箱を目にした松田さんがすかさず小型のペンライトを取り出してベッドの下に潜り込んだ。口より先に体が動くタイプなのは知っていたけど、いつ爆発するかも分からない物に無防備な状態で近づくとは……私はヒヤヒヤとしながら松田さんを見守る。場違いにも真剣な顔をして爆発物を観察する横顔にキュンとしたのは内緒だ。
「くそっ……このコード、多分先に切ったら吹っ飛ぶ仕組みだな。時間も、もう三十分もねえ……」
「そんな……どうにかして、この人を避難できない?」
「中を開けてみねーとどうしようもねえ」
 元爆発物処理班だった松田さんがそう言うなら間違いない。美人なお姉さんが私の猿ぐつわを外してくれたけど、声が出なかった。まだ安心できない緊張と恐怖で硬直する私に気づいて、松田さんがフッと柔らかく笑う。
「そんな心配そうな顔すんな。オレを信じろ」
 松田さんの実力は良く知らないけど、機械オタクって言えるほど機械いじり得意だってことは知ってる。爆発物処理班にいた頃も萩原さんとダブルエースって呼ばれるほどだったらしいし、信頼はしている。
「……ん。信じてます」
 短い言葉でこくこくと頷けば、おもむろに松田さんの手が伸びてくる。ぐしゃっと無造作に頭を一撫でされ、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「佐藤。お前は予定通り、オレが連絡したら下で待つ班長達に合図を出してくれ」
「……分かったわ、ここはあなたに任せる。……安心してくださいね。必ず私達が助けますから」
 美人なお姉さんも大きく頷いて、私の肩に手を置きながらそう励ましてくれた。
 なるほどこの美女は佐藤さんと言うのか……ん? 佐藤さん? いや待って。それって確か松田さんと良い雰囲気だって言われてた教育係のマドンナと同じ名前じゃない? 嘘でしょ……松田さん、こんな美人で気立ての良さそうな女の人が近くにいるのに私みたいなオタク喪女を口説いてたの? 恐れ多いにもほどがあるんですけど……それにこの佐藤さん、なんか見覚えあるなって思ったら最推しとフラグが立ってたあの同僚の女性に似てる。見た感じ松田さんとも良いコンビって感じだし、相性も良さそう。並んで立つと絶対に絵になるじゃん。
「……ん? 何か……?」
「あ、いえ、あの……ちょっと地雷のカップリングを思い出してしまって……」
「はい? 地雷……?」
 佐藤さんがきょとんと目を丸くする。不思議そうに首を傾げるその顔も素敵で、私は情けなくなった。
 おかしいな。最推しの時は公式からカップリングを示唆されても地雷にはならなかったのに、なんかこの二人の組み合わせはやだ。もちろん単とかコンビでは推せる。絶対推せる自信ある。最推しの時もお相手は推してた。
 なんて、助けに来てくれた相手に失礼なことを考えていると、ふとベッドの下でカチャカチャと音を立てている松田さんが口を挟んできた。
「おい、そこのオタク女。今この状況で余計なこと言ったらオレと心中すると思えよ」
「ひゃい! ごめんなさい!」
 さすがと言うべきか、それなりに付き合いの長い松田さんは私の言動から思考回路を察知したらしい。
 不機嫌な声で脅されて姿勢を正す私に、佐藤さんは最後まで不思議そうに首を傾げてた。
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