私の推し、すぐ死ぬG


 一に最推し、二に推し。三、四はアニメ漫画やゲームで五にまた最推し。そうやって馬鹿正直に好きなモノを語る彼女の口からは、親しみの籠った声で口癖のように『陣平君』という名前が紡がれる。それがほんの少しだけ、最初の頃は羨ましいと思ったりもした。そう思ってしまった時点で、多分、もう底に落ちていたのだ。
 今さらその事に気づいて必死に伸ばされる手に、彼女は戸惑っていた。迷い、悩み、それでも歩み寄って来るのだから馬鹿としか言えない。『食材を使いきれない』なんて適当な理由をつけた下心ありまくりの男の家にノコノコとやって来て、思わせぶりな反応を見せて、挙句「好き」だなんて宣う。それも、仮にもイケメンと称されるこの顔を差し置いて選んだのが天パだと。ぶれない最推しへの愛かもしれないが、こっそり感じていたコンプレックスが一瞬でチャームポイントに早変わりした。
 そんな彼女の態度から、おそらく気づいているんだろうと思った。こちらの気持ちを分かっていて、でもどうすることもできなくて、見ないフリをする。そうして彼女が頑なに他者の愛を拒む理由を、自分はまだ何も知らない。知らないからこそ、何もかも暴きたいと思った。
 つまりはまあ、据え膳食わぬは男の恥ってことだ。
「なあ。明日は休みだよな?」
 それぞれ好きな酒の缶を開け、ソファーに並んで座る。
 異性と距離を置くどころか平気で隣に腰かけた女は、たまたま放送されていた恋愛映画に夢中になっていた。
 CMの合間に意を決して口を開いてみると、きょとんとした目が不思議そうにこちらを見上げた。どうしてそんなことを訊かれたのか分かっていないようだ。
「はい。今週はお休みですよ」
「予定はあんの?」
「ないですね……葉子ちゃんの結婚を機に今までやってた活動は引退するので、休みの日に収録とか練習であちこち飛び回ることもないと思います」
「なんだ。コスプレして踊るのはやめるのか」
「はい。ここだけの話でぶっちゃけますけど……社会人になってからはついてくのがやっとだったので……」
「あんなキレッキレのダンス披露しといてよく言うぜ」
「だってだって! あれかなり練習キツイんですよ! 柔軟も欠かせないし、葉子ちゃんは練習になると容赦ないし……そもそも私、他の人と違って素人なんですよ?」
「は? あの動きで? 嘘だろ」
 目を瞬かせると、アルコールを含んで僅かに赤らんだ顔が、愛らしさを滲ませて照れ臭そうに笑う。
「あれ、言ってませんでしたっけ? 私のダンスの先生、葉子ちゃんなんです。子どもの頃からちゃんとした先生に教わってプロ目指してる人に比べたら、高校からデビューした私なんてまだ素人に毛が生えた程度で……それでもまあ、葉子ちゃんやその知り合いの人の協力もあって、見せられる程度には上達したんですけど」
「へえ……ダンスの優劣は全然分かんねえけど、てっきりお前も一緒に子どもの頃からやってたのかと思ったわ」
「そういう道もあれば良かったですねぇ……」
 そう言った横顔が、笑っているのにほんの少しだけ寂しそうに見えた。しかし、そのしんみりした空気も彼女が話題を元に戻したことですぐに消えてしまう。
「で、どうして急に予定なんて聞いたんですか?」
「え、そこ聞く?」
「え、聞いちゃ駄目なんですか? ……あ、もしかして特に意味のない質問でした? すみません」
 いや、むしろ意味ありまくりなんですけど。
 咄嗟に口を衝いて出そうになった言葉をぐっと堪えて、言葉を探す。この純粋な眼差しに下心を見破られるのはなんだか居心地が悪く、自然と目を逸らしてしまう。
 良いのか? 今ここで本能のままに誘ってしまって良いのか? このオタク女、この期に及んで全くその気がない感じなんだけど。全然空気を読んでないし、むしろそういう空気になることも想定していない感じなんだけど。これだけ露骨なアプローチしてくる男の家にいるんだぞ? しかも二人きりだぞ? 普通は『そういう』展開になるって考えないか? わざと無視してんのか? ……いや、多分無意識だな。さすがに落ち込む。
 なんてウダウダと考えている間に、また彼女の視線はテレビに戻ってしまう。出鼻を挫かれた気分だ。こうなると、特に興味もない恋愛映画に望みを託したくなる。
 ありきたりでつまらないストーリーだが、せめて彼女が今の状況について深く考えるきっかけになってくれ、と背凭れに深く体を預けながら切実な思いで眺めた。
 情けない男の願いが天に届いたのかは知らないが、三十分もしないうちにストーリーが進展し、ヒロインが幼馴染みにキスを迫られるシーンになった。
「オレだって男なんだよ。好きな女の子と二人きりになれて、我慢なんてできない」
 ――名前覚えてねえけど、良く言った幼馴染みの男!
 奇しくも願った通りの展開となり、思わずスタンディングオベーションするところだった。恋愛映画も馬鹿にできないな、と感心したところで隣の彼女に目を向ける。
 この状況だ。さすがにこんな台詞を聞けば彼女だって多少の意識はしている――はずだった。
「……すぅ」
「って、寝てんのかよ!」
 かくんっと揺れる頭。さっきまでしっかり起きていたはずなのに、少し目を離した隙に眠っているなど誰が想像できただろうか。期待に膨らんでいた欲望が弾け、肩を落としながらガシガシと乱暴に髪を掻き乱す。
 ――このオタク女、マジでどうしてくれようか。
 このまま自分のベッドまで運んでしまおうか、なんて邪な考えが浮かんだ。それをしたところで自分が生殺しになるだけだが、それでも意趣返しにはなるだろう。
 どこまでも思い通りにいかない女に脱力感が襲う。
 やりきれず、深いため息が口から零れた。
 その時、彼女の体がふらりとこちらに傾いた。そのまま無防備にも自分の肩に凭れかかって眠り続ける女に、また言い表すことのできない悔しさが腹の中で渦巻く。
 言いたいことは山ほどあるのに、こうも穏やかな寝顔を見せられては下手に起こすこともできない。
 そこで、ふわりと良い匂いがした。仕事の疲れも相俟って、彼女の甘い香りが自分の中にある理性と欲望の天秤が少しずつ反対に傾けていった。
「んふふ……陣平くぅん……」
「……勘弁してくれ……」
 もう一度深いため息を吐き出して、天を仰ぐ。
 夢の中でも呼ばれる名前。それが自分のことではないとしても、やっぱり反応せざるを得ない。損な恋心だ。
 こうなればもう、どうにでもなれ。テレビを消し、凭れかかる女を抱き上げて寝室に向かう。悪意はない。多少の下心はあるが、何もかも面倒になったのである。
 深い眠りについた彼女をベッドに横たわらせて、自分もその隣に潜り込む。抱き枕のように柔らかい体を腕の中に閉じ込めると、少し身動ぎしたあとに穏やかな寝顔が自分の胸元へとすり寄ってきた。
 ――ああ、可愛い。キスしたい。
 普段は何かある度につい『クソ』だの『オタク女』だのと悪態を吐いてしまうが、それでも込み上げる衝動に惚れた相手なのだと認識させられた。
 近づいた唇を優しく撫でて、この柔らかな感触を堪能できる時を想像する。いつか同じ名前の男に向ける以上の愛が自分に与えられることを願って、名残惜しくても今は静かに目を閉じることにした。


 どうやら欲を発散できなくとも、自分は愛おしい女の体温を感じられるだけで満足できるらしい。連日の仕事の疲れなど少しも感じられないほど清々しい目覚めだった。陽が昇り、カーテンの隙間から差し込む光が自分の腕の中にいる女の顔を鮮明に照らしていた。
 彼女はしっかり目覚めていた。いつから起きていたかは知らないが、ぱっちりと驚きに開かれた目はこちらを凝視していて、その肌は耳まで真っ赤に染まっている。
 抱きしめた腕からじわじわと伝わってくる体温が、彼女の羞恥心をありありと伝えていた。
 じわりと目に涙を溜め、彼女は顔を両手で覆った。
「……もうお嫁に行けない……」
「起きて早々に言う台詞がそれかよ。のこのこ男の部屋に上がってる時点で今さらだろーが」
 最早失笑するレベルの言葉に、つい腹の内に留めていた言葉が飛び出した。普段から包み隠すような物言いはしないが、腹癒せの如く直球になってしまう。
 女は真っ赤な顔のままこちらを睨んだ。その物言いたげな目に、ふふんと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「松田さんってほんとエッチ! セクハラ天パ!」
「おう。お望みなら今からしてやろうか? もともとそのつもりだったし、惚れた女が相手ならオレも本望だ」
 包み隠さず言えば、可愛い顔が驚いたようにギョッと目を剥いて布団の中に潜ってしまう。前にも見た光景だ。
 ――きっと、踏み込むなら今。
「今なら『陣平君』が彼氏になれるけど、どうする?」
 布団越しに意地悪い言葉を囁く。すると、潤んだ瞳がちらりとこちらを見上げて、ぽつりと呟いた。
「……『陣平君』より長生きしてくれなきゃヤダ」
 そうくるか。彼女らしい返事に、思わず笑った。
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