私の推し、すぐ死ぬD


「まだ怒ってるの?」
 クッションを抱えながらベットの隅に座り込んでゲームをする私に、パチパチとノートパソコンに文章を打ち込んでいた葉子ちゃんが声をかけてくれる。珍しく高く結い上げられた葉子ちゃんの後ろ髪を一瞥して、私はツーンと体ごとそっぽを向いた。
「怒ってない」
「怒ってんじゃん」
 子どもみたいに拗ねる私に返ってきたのは、揶揄するように悪戯っぽく笑う声だった。私はテーブルの上に置いた携帯に向ける。ここ数日、チカチカとメッセージの通知を知らせる緑色のランプがずっと点滅しているけれど、うんともすんとも音は鳴らない。あまりにしつこく鳴り続ける通知にイライラした私がマナーモードにしたからだ。バイブ音すら煩わしくて消してある。
 自分の携帯を睨みつけていると、葉子ちゃんは振り返らずに話を続けた。
「良いの? 松田さんのこと……着拒までしてさ」
「松田さんって誰のこと? 知らない人だなぁ」
 話を切りたくて、また手元のゲーム機に目を戻した。
 視界の端で葉子ちゃんが肩を竦めた気がした。
「あんたの気持ちも分からなくはないけどさ……そろそろ許しても良いんじゃない? あれからずっと連絡がきてるんでしょ? せめて話だけでも聞いてあげなよ」
「………………やだ」
「なんで?」
「なんでって……そもそも連絡とる理由なくない?」
「あんたになくても向こうにはあるんでしょ」
「どーせ私の暴言に腹立って文句言いたいだけだもん」
 自覚はある。あの日、松田さんが爆弾と一緒にあの世までランデブーしようとするから、勢い余ってクソ天パとか屑野郎とか叫んだ。うん、しっかり記憶ある。……で、でもでも! あれは松田さんも悪いもん。「絶対生き残るからオレを推せ」って言ったのに呆気なく死のうとしたんだもん。嘘吐きを責めただけで私悪くないもん。……いや、いい歳して子どもみたいな我儘言ってるよな。やっぱりどう考えても私がおかしい。反省した。
 思い出したら心底情けなくて、堪らずクッションに顔を埋める。そんな私を余所に、葉子ちゃんは手を叩いて大爆笑した。え、何なに? 酒でも飲んだ?
「嘘でしょ! あんたのアレ、暴言のつもりだったの?」
「そこそんな笑うとこ? めっちゃ悪口言ったじゃん。クソ天パとか屑野郎とか……」
 あの日はたまたま私も葉子ちゃんも休みで、私の家で次に参加するイベントのことで話し合っていた。
 身も凍るような報道が流れたのはその時だった。「杯戸ショッピングモールの大型観覧車に爆弾が仕掛けられているとのことで――」と神妙な面持ちで話すキャスターに嫌な予感が体中を這い回り、葉子ちゃんに促されてやっと私は震える手で松田さんに電話したのである。
 あの時のことを思い出して、葉子ちゃんは苦笑した。
「あー……確かに言ってたね。でも、その他の言葉がインパクト大き過ぎてほとんど霞んでるわ」
「そんな大したこと言ってないと思うけど……」
 首を捻る私に、葉子ちゃんは首を横に振った。
「いやいや。あの時のあんたの言葉、パンピ風に言い換えると『あんたみたいな最低な男さっさと切り捨てて他の男と結婚してやる』って言ってるみたいだったから」
「パンピ風に言い換える必要があるオタク語とは」
「あの長い啖呵をぎゅっと凝縮したらこんな感じなの」
「マジか。私は浮気された彼女か? それとも惚れた男に弄ばれたセフレ? 一人で泣き喚いてめっちゃ痛い女じゃん。本命にフラれた負け犬の台詞じゃん……」
「オタクっていう時点でパンピには痛い女扱いされるでしょ。あと、こういう台詞吐いた女はあとで幸せになるってお決まりのパターンあるから」
「マジか! ソースどこ!?」
「私。小説読んでると、一次も二次も問わずにそういう展開多いね。まあ、こんな台詞が許されるのはほとんどが主人公か、脇役で美人なイイ女だけだけど」
「マジか……つまりモブの私はやっぱり負け犬……」
 びゅーんと上がったテンションががくっと右肩下がりに折れた。葉子ちゃん、相変わらず飴と鞭の使い方がお上手……でも今だけは飴を多く与えて欲しかったな。
「まぁ、あんたが松田さんとの縁が切れても構わないなら私も何も言わないけど? ただ、あとで後悔しても知らないからね。素直になるなら今のうちよ」
「うぅ〜……」
 その通りだから仕方ないけど、まるで親が口にするような突き放す言い方は好きじゃない。
 しょんぼりしていると、なんだかゲームもつまらなくなってしまった。電源を落として、ポイッとベッドの上に投げ捨てる。そのままポスッと横たわってしまえば、自分の携帯に目を向けた葉子ちゃんが振り返った。
「寝る? 私、ちょっと飲み物買いに行くけど……」
「ん……最近忙しくて、あんま夜眠れてないし……」
「みたいね。よく見たら隈もひどいし……眠れる時に寝ときな。適当に夕飯も買ってきてあげるから」
 いつになく優しい葉子ちゃんに「ありがと」と手をひらひら振る。そんな私が目を閉じるまで、葉子ちゃんは静かに微笑みながらこちらを見ていた。

 疲れたり、怖い思いをした日には、よく同じ夢を見る。
 あの人が爆発に巻き込まれたあとの光景。
 暗い部屋の中でずっと一人で泣いている姉の夢。
 蹲り、悲しみに暮れる姿はまるで悲劇のヒロインだ。
 そんな姉さんの顔は、いつも赤い涙で血塗れになる。
 そして、恨みの籠った目で私を見上げて言うんだ。
 ――「何もかもあんたのせいよ」って。

 パチッと目が開いた。夢に見た真っ暗な部屋じゃない。陽が傾いてやや薄暗い、オレンジ色に染まる部屋の中。その静かな空間には私一人だけだと思っていたのに、何度か瞬きを繰り返して見慣れた後ろ姿に気づいた。ふわふわの、ちょっと癖の強い髪。ベッドに背を預けながらガチャガチャと何かを手元で触っている男の背中を見つめながら、私は目が点になった。
「ま、まつださん……」
 名前を呼ぶと、くるりと彼はこちらを振り返った。
 視線が交わった途端、鋭い眼差しがやんわりと笑む。
「よお。やっと起きたか、寝坊助」
 いや、なんでここにいるの?
 訳が分からず私は無言で布団の中に潜り込んだ。
「って、オイコラ。また無視するつもりか?」
 今度は布団の中で寝返りを打つ。何も言わずに背中を向けてしまえば、しばらく物言いたげな沈黙が続いた。
 そして、深いため息が吐き出される。
「……悪かったな。約束破ろうとして」
「……別に、最初から何も約束なんてしませんから」
「あ?」
 可愛くない物言いをすれば、松田さんがあからさまに不機嫌な声を漏らした。ちょっぴり怖くて、私はぎゅっと布団を握りしめた。
「警察官は市民のために命を捨てることもある……言われなくても、陣平君もそうだったので分かってます」
 松田さんはまた、めんどくさそうに息を吐いた。
「じゃあ、なんでお前はまだ拗ねてんの?」
「拗ねてません」
「なら着拒解除しろ。いつまでシカト続けるつもりだ」
「……『婚活中』なのでしばらく連絡とりません」
「へえ? そりゃ面白れぇな。目の前にフリーの色男がいるってのに、他の男に目移りするってか?」
「松田さんは推さないって決めたもん」
「はっ。好都合だわ」
 好都合とは? 不思議に思って布団から顔を出せば、松田さんがベッドの上に乗り上げて来た。布団越しに組み敷かれ、熱に浮かされたような鋭い瞳と目が合った私は思わずドキリと心臓が跳ねた。
 本能的に恐怖を感じて身を竦ませれば、松田さんの男らしい長い指が私の唇をするりと撫でる。
 はわわ、なんだこの展開は!? 新手のファンサ!? 
 なんて、脳内で大パニックを起こす私をしたり顔で見下ろしてきた松田さんは、そのまま耳元で囁いた。
「だってお前、推しにはリアコになれねえんだろ?」
「ひゃぁああああ!!」
 突然のお色気攻撃に耐えきれなくなった。全力で掛布団ごと松田さんを押し退けると、ちょっと勢い余って松田さんをベッドから突き落としてしまった。
「いってーな! 何すんだよ!」
「こっちの台詞ですよ! セクハラ! 通報案件!!」
「はあ? お前いっつもこういうゲームしてんじゃん」
「乙ゲーとリアルを一緒にすんな変態天パ! エッチ!」
「お前なあ! マジでかわ――……」
 どうせ可愛くねえ、とか言おうとしたんだろう。こっちを睨みながら何故か赤い顔で言い淀む彼に、私はまたしても子どもみたいにふんっと顔を背ける。そこで、私は床に散らばる部品に気づいてしまった。硬直する私の視線を辿り、松田さんも「あ、やべ」と声を漏らす。
 もちろん、その声を聞いた私の怒りは再び噴火した。
「松田さんのバカ! 今すぐゲーム機を元に戻して!!」
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