私の推し、すぐ死ぬC


 してやられたな、と笑いが零れる。
 四年前、萩原がとある爆弾事件で怪我を負った。その敵討ちではないが、捜査一課が犯人を取り逃がしたこともあり、自分の手で捕まえてやりたいと思っていた。
 その一心で四年間ずっと特殊犯係への転属を希望していたのだが、どういう上からの意図なのか強行犯係へと回されてしまった。それなりに冷静であったはずだが、頭に血が昇ってるとでも思われたのかもしれない。
 それでも自分から捜査に足を運べるというのは便利な立ち位置だ。だから甘んじてその環境を受け入れ、三年前からFAXが送られてくるこの日を待っていた。
 せっかく手に入れた四年前の犯人の手掛かりだ。今回の事件を解決すれば、きっと犯人に辿り着く。そう思っていたのに。
『もう一つのもっと大きな花火の在処のヒントを表示するのは爆発三秒前』
 そう表示されたパネルは、すでに三分を切っている。ある程度の解体は済ませてしまっているが、二つ目の爆弾の明確な手掛かりがない以上、はっきり言ってヒントを見なければこちらが詰んでしまう。
 パネルに表示されたメッセージは自分の教育係となった佐藤に送る予定だ。彼女とは良い関係だった。初恋の人に似ていて、美人で、気立ても良い。こんなところで死んでしまうのも惜しいと思えるぐらいの、正に自分好みの女だった。きっとここで死ねば、彼女は泣いてしまうに違いない。彼女はそういう女だ。
 ――泣くといえば、もう一人いたな。
 自分と同じ名前の漫画のキャラを愛して止まない変わった女。所謂、一般的に『オタク』と呼ばれるような松田とは縁のないタイプ。一緒にいて楽しいと思えるぐらいには仲が良くなった、ただの異性の友達。
 今にして思えば出会いも居酒屋というおかしなものだが、彼女のそれはただ一人を愛する一途な女でしかなかった。オタク的なその趣向は全く自分には理解できなかったが、『陣平君』と何度も好きな男の名前を紡ぐ時のあの幸せそうな顔を見るのは好きだった。自分ではない『陣平』の話だが、彼女が彼の好きなところを語る時は、まるで自分が褒められているような気分にもなる。『推しの幸せが一番』と言い切るだけあって、彼女が己の大切なモノに向ける愛情は真綿のように優しかった。
 ――そう言えば、『陣平君』も観覧車で吹っ飛んだんだっけか。
 全く似通った状況に陥ってしまった。これでは、四年前に萩原に言った「女泣かせ」の言葉がそのまま自分に返ってきてしまう。もちろん、死んでしまったら聞こえることもないだろうが。
 そう思ったら、何故か無性に声が聞きたくなった。
 あれから四年。大学生だった彼女も社会人となり、立派に医療従事者として働いている。ただの事務員らしいが、この時期になると感冒症状の患者が増えて繁忙期と呼ばれる状態になるらしく、「推しに貢ぐために稼ぐ」と健気なのか頭がおかしいのか良く分からない理論でブラックのような残業時間もこなしているらしい。
 この時間なら、ちょうど昼休みだろうか。それとも運良く休みか。そう思いながら、連絡先から彼女の電話番号を探し出して通話ボタンを押そうとした。
 その瞬間、画面に着信の文字が表示され、ドキリと心臓が跳ねる。まさかこのタイミングで電話がかかってくるとは思わなかった。彼女からの着信は初めてのことで、動揺のあまり通話ボタンを押してしまう。
「お疲れ様です」
 落ち着いたような、少し焦りの滲んだような、そんな聞き慣れた声が耳に届いた。第一声が労いの言葉であるのは出会った頃から変わらない。それがまた妙におかしくて、無意識に頬が緩み、口角が上がった。
「よォ。どうした?」
「ちょうどニュース見て絶句してるところです。松田さん、今どこですか? 部署変わったって聞きましたけど」
「観覧車で一服してる」
「……はい?」
「悪いな。もうニュースになってんのか。それ、オレ」
「冗談やめてくださいよ。なんで捜査一課が爆弾処理にあたるんですか」
 笑い飛ばそうとしたらしい。でも明るく聞こえた彼女の声は震えていた。電話越しでも分かる。彼女は今にも泣きそうな雰囲気だ。
 やっぱりそうなるよな、と苦笑が浮かぶ。どうしてここで誤魔化してやれなかったのか。どうしても嘘を吐きたくないと馬鹿正直に話して、彼女の気持ちを少しも配慮してやれない自分に後悔した。
「松田さん、言ったじゃないですか。絶対死なないって」
「おう、そうだな」
「嘘だったんですか、あれ」
「悪い」
 悪い、という一言で、うっと嗚咽が聞こえた。ぐすっと鼻を啜る音を聞いて、こりゃもう駄目だな、とため息を吐く。
「泣くなよ。別にオレは推しでもなんでもないんだろ?」
「だ、だって……推したら、し、死ぬから……」
「推さなくても死ぬヤツは死ぬんだよ。特に、オレ達みたいな立場のヤツはな」
 そう言えば、しばらくの沈黙が続いた。
 チラリとパネルに表示された時間を確認する。そろそろ残り時間がない。彼女との会話もここまでだろう。
 別れの言葉を告げようと口を開いたその時、彼女が叫ぶように言った。
「『婚活』してやりますから!!」
「は?」
 唐突な『婚活』宣言に目が点になる。いきなりのことで何を言われたのか理解できず、思考も停止した。
「もう『陣平君』も松田さんも懲り懲りです! 私、新しい推し見つけて今度こそ幸せいっぱいハッピーオタクライフを謳歌しますから! ええ、本当に! 言動はぶっきらぼうなのに分解魔とか言われちゃうくらい手先器用な機械オタクだとか、サングラスかけて煙草咥えたら完全見た目ヤクザのくせに素顔は笑うと可愛いとか、クールなイケメン気取ってギャップ萌え要素いっぱい詰め込んだ硬派な色男でも女泣かせて約束も守れないようなクソ天パ野郎なんてもうたくさん!! 二度とごめんです!! そんな屑野郎なんて微塵も思い出せないぐらいイイ男探して一生笑って暮らしてやりますから!! なんならリアル婚活して旦那を推しにしてやりますよ! ええ、ええ!! 好いた男のためなら同担拒否でもリアコでもなんでもなってやりますとも!! 一生か! け! て!!」
「は、はあ……!?」
「あんたはそこで未練がましく惚れた女に告白もできない後悔でも抱えてな! 最後の情けで今だけ私の推しにしてやんよ! ハイ、サヨウナラ!!」
 オイコラ。「推しにしてやる」とか「ハイ、サヨウナラ」って、それつまり死ねってことか。
 そう言い返したくても、耳元で聞こえるのはツーツーという通話が切れた音だけ。待て待て……言いたいことだけ言って切るとかマジで良い度胸してんな、コイツ。婚活? 新しい推しを探す的なあの謎理論の? 死んだあともずっと『陣平君』連呼するオタクには無理だろ絶対。そもそも『リアル婚活』ってなんだよ。婚活は最初から一つの意味しか存在してねえから。つか、推しには『同担拒否』も『リアコ』もしないんじゃなかったのかよ。別に期待なんかしてねえけどオレのことはハナから推す気もなかったくせに他の男にはガチ勢になるとか、んだよそれ腹立つぅ〜っ! あの幸せそうな顔で他の男に笑いかけてるとか考えるともっと腹立つぅ〜っ!
 思わず手に力が入り、ミシリと携帯電話が音を立てた。
「はは……上等だわ。マジで調子に乗んなよ、あのクソオタク女……ぜってーぎゃふんと言わせてやる」
 その後、パネルに表示されたヒントを確認して爆弾は無事に解体された。二つ目の爆弾もすぐに連絡を受けた爆発物処理班の萩原隊員が解体にあたったという。


 その数時間後。またしても今回の爆弾事件の犯人を取り逃がしてしまったが、そんなことよりも別件で怒り心頭の松田が捜査一課で目撃された。あの良い雰囲気だと噂されていた佐藤ですら眼中にない様子だった。
 僅かな時間で携帯を開いてはメッセージを送り、また時間を置いては通話ボタンを押して耳に当てる。一時間の間に何度も見た光景だ。そして何回かそれを繰り返したあと、松田の口から盛大な舌打ちが響いた。
「あのクッソオタク女ァ……!! この期に及んで着拒するとかマジあり得ねえ……!!」
 唸るような怒りの声を聞いた萩原は苦笑しながら自分の恋人に『ヘルプ』のメッセージを送る。無情にも返ってきたのは『自業自得』の文字だったが、今回ばかりは松田に情状酌量の余地がない。続けて送られてきた『反省しろ』という言葉に、萩原はため息を吐いた。
「だから早いうちに素直になれって言っただろ」
 好みとか関係なく最初から惚れてたくせに。
 咎めるような自分の言葉に「うっ」と言葉に詰まった親友がプイッと顔を背ける。真っ赤に染まった彼の耳を見て、萩原はやれやれと首を振るしかなかった。
Storyへ


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -