僕らの恋はここから始まる


「陣平ちゃんってさ、姉ちゃんが好きなの?」
 昼休みに二人で喋っていた時、ふと思い出したように萩原が訊いた。唐突な質問だった。いきなりなんだ、と顔を上げれば、どこか真剣な顔をしている萩原がいた。
 その目が自分の胸の内を見透かしているのだと知り、松田はガリガリと後頭部を掻いて視線を泳がせる。
「……だったら、なんだよ」
 お世辞にも女らしいとは言えない口調だが、美人で、気立ても良い。強気で曲がったことが嫌いな、芯を持った女――それが萩原の姉の千速だった。
 二つ年上である彼女は、時々萩原と遊んでいるとその輪に入って来る。たまに喧嘩はしても仲の良い姉弟なので、ずっと一緒にいれば遅かれ早かれ、姉弟のどちらかには気づかれるだろうと思っていた。
 でも、覚悟はしていても、まさかこんな早く気づかれるとは思っていなかった。それも、先に気づいたのは弟の方だ。恥ずかしいような照れくさいような、なんとも言えない複雑な気持ちで顔を背ければ、ふぅん、と興味もなさそうな相槌が聞こえる。
 ――そっちから聞いてきたくせに。
 ギロリと睨みつけると、萩原はそっと視線を動かした。
「オレはね、あの子が好き」
 静かに告げた声は、内緒話をするみたいに小さかった。
 視線の先を追いかけると、そこにはクラスの中でも一番の悪ガキ扱いされている長谷川と話す女子がいた。彼女は不良も落ちこぼれも関係なく分け隔てなく接するサッパリとした性格で、そのクールで男勝りな一面から同級生からは男女共に信頼の意味も込めて『ボス』と呼ばれている。同級生の中でも随分と大人びた子である。
 萩原と仲が良く、その伝手で松田もそれなりに仲良くしているクラスメイトだった。
「……母親同士が仲良いもんな、あいつとお前んとこ」
「まあね。『恋か?』って言われるとちょっとわかんねーけど……一緒にいて気ぃ遣う必要がないから楽」
「へえ……」
「オレ、陣平ちゃんもあの子が好きなんだと思ってた」
 は、と松田は目を点にした。
「なんでオレが、あんなゴリラ女を?」
「こら。ゴリラとか言っちゃ駄目だろー? 確かにちょっと馬鹿力で手が早いけど、良い子じゃん」
 松田は再び彼女に目を向ける。何を言ったのか、ちょうど長谷川が彼女から鉄拳制裁を受けた瞬間だった。
 松田は首を横に振った。
「ないわ。あいつだけは絶対、ない」
「まあ、なんでもいいけど。オレはライバル減るし」
「ライバルとかいんのかよ」
「いるよ? 田中とか」
 その『とか』に他に誰が含まれているのか気になるが、松田はあえて何も聞かなかった。ただ、名前が挙がった田中はちょっと意外で、今度はそちらに目を向ける。田中はクラスでも大人しい男子だ。どちらかと言えばすぐ揶揄いの対象にされる『いじられ体質』の男子で、長谷川のような男子にもよく絡まれている。
 ――ああ、なるほど。だからか。
 長谷川が誰かに絡む時、彼女は必ずその相手を観察している。少しでも相手が嫌がっていると気づけば仲裁に入るのもいつものことだ。田中も萩原も、彼女のそういうところに惹かれているのかもしれない。その証拠に、田中の視線は長谷川と話す彼女に向けられていた。
「……趣味ワリィ」
 ポツリと呟いたその言葉は誰にも届かなかったが、何故か自分の耳に大きく響いていた。

 誰が好きになるか、と思っていた。
 見た目も千速と全然違う、可愛げもない女なんて。

「あ」
 田中と、彼女が、キスした。思わず声が漏れた。
 事故だった。たまたまお互いが余所見をしていて、目の前に人がいると気づかずにぶつかった。ただ、それだけのこと。偶然の、奇跡のようなハプニング。
 ――なのに。
 いつもの澄まし顔が、見たこともないぐらい真っ赤に染まっている。冷静に言葉を紡ぐ口は手で覆い隠して、無言のまま田中と見つめ合っている。
 まるで恋に落ちた二人を見ているようで、ひどく気持ち悪かった。どうしてそんな気分になるのか分からなくて、腹の中でぐるぐると渦巻く感情を持て余しながら松田はぼんやりと教室から響く阿鼻叫喚の声を聞いた。
 彼女が我に返ったのはすぐだった。
 今回はどちらも悪くないし、どちらにも非がある行動だった。それなのに彼女は今にも泣き出しそうな田中に「気にするな」と声をかけ、ひたすら謝っていた。それから萩原に田中へのフォローを託して、面白おかしく囃し立てる長谷川の頭に拳を振り下ろす。
 いつも見ている光景だ。でも、何故か今日は彼女のその姿が千速に重なって、松田の心が震えた。
「? ……松田、どうかした?」
 不思議そうに首を傾げる彼女に、松田はハッとする。
 慌てて目を逸らしながら「別に」と素っ気なく答えると、「そっか」と特に感情の宿らない声が耳に届いた。
 どうでも良さそうなその反応が胸に突き刺さる。そんんな些細なことで傷つく自分に、また衝撃を受けた。
 ――嘘だろ。まさか、そんな。
「あの……さっきの、もしかして初めてだった? もしそうなら、初めてが僕でごめんね」
 萩原と一緒に戻って来た田中の声に、松田は顔を上げる。そうだ、多分、初めてだ。彼女は大人びてはいても、萩原と違ってそういう色恋の話題には無縁だった。誰かに好かれているとも考えない子どもだった。
 事実、彼女はさっきも顔を赤くしていた。
 けれど、田中の言葉に目を丸くしていた彼女は「気にしなくていいのに」と歯を見せて笑った。
「ありがと。田中君、将来きっとイイ男になるよ」
 その瞬間、がつんと何かが松田の頭を殴った。
 クールで男勝りだが、面倒見が良くて優しい。それが周りの彼女に対する評価だ。そんな姉御肌の彼女が笑うと、周りも自然とつられて笑う。花が咲いたというより太陽に照らされたような、そんな眩しい顔で。
 ――そう。松田も、そうだった。
 萩原の言う通りだった。知らないうちに自分も惹かれていた。荒々しい言動の目立つ自分に臆することなく接してくる、あの性格が好ましいと感じていた。
 だから松田は、自分以外の男と仲良くする彼女に嫉妬していた。そんな自分に気づいて、戸惑い、受け入れられなくなって無意識に避けていた。それはまだ恋ではない、友情の延長線上にある気持ちで終わったはずだった。
 そんな時、千速に恋をした。見た目は全然違うのに、どこか彼女に似ている年上の女の子。凛々しさと美しさを併せ持つ彼女を、気がつけば追いかけていた。
 千速のことを好きだったのは本当だ。
 でも、それはあくまで憧れに近い感情だった。
 ――趣味が悪いのはお互い様だったな。
 彼女を怒らせて焦る萩原を見つめながら、松田はひっそりと、そう心の中で呟いた。

 *** *** ***

 湿気を含んでくるんと跳ねている毛先を見て、その長い黒髪に指を絡ませる。そのままクルクルと弄んでするりと引き抜けば、さらに毛先が丸まった。
 どこまで癖がつくのか気になってもう一度指に絡ませたら、目の前にあった頭がぐりんと振り返った。不満げな二重の瞳がベッドに寝転がる松田を睨みつける。
「……何? 集中できないんだけど?」
「触りたくなっただけ。気にすんな」
 そう言えば、再び彼女の視線が手元の少年漫画に目が向けられる。どうやら自分好みのストーリーだったらしい。異性の部屋で二人きりだというのに平然と漫画に夢中になるあたり、彼女の鈍感さが伺えた。
 ――ま、しゃーねーか。
 そもそもの始まりが友達関係だった。そこから急に恋人同士のコミュニケーションをとれるはずもない。何より、この関係も松田が強引に口説き落とした結果である。
 友人の時と同じ、穏やかな時間を共有する。それが今の彼女にできる精一杯のコミュニケーションなのだ。
 その時間の中で垣間見える本音を探して楽しんでいるのだから、これも惚れた方が負けである。
 でも、少し物足りない。そう考えた瞬間、無意識に松田は彼女の耳に唇を寄せていた。チュッと音を鳴らせば、耳を押さえながら彼女は林檎のように赤い顔で振り返った。それだけで片想いだった心が救われる。悔しそうに睨む彼女に、松田はふふんと勝ち誇った気分で笑った。
 すると次の瞬間、ムッと唇を尖らせた彼女の顔が急接近した。ふにっと唇に触れた柔らかな感触に、思わず松田の心臓が跳ね上がる。ぶわりと込み上げる顔の熱に戸惑っていると、彼女は気恥ずかしそうに目を逸らした。
「じ、自分ばっかりだと思わないでよね……」
「……上等」
 ようやく手に入った。そう心の中でほくそ笑んだ松田は、今度こそ遠慮なく彼女の唇に食らいつくのだった。
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