愛が痛いのでラブコメも遠慮します


「好きなんだけど、お前のこと」
 春が過ぎて、梅雨が終わった。史上最速と言われる梅雨明けらしい。湿気の多い蒸し蒸しとした今日みたいな日は気怠さが増してしまう。扇子で自分の顔を扇ぎながら、体が重いなぁ、なんて心の中でぼやきつつ数学の宿題に取り組んでいたら、向かい側から何か聞こえた。
 なんか聞き慣れない単語が思わぬ人物の口から飛び出した気がする。
 空耳か、と思って顔を上げれば、湿気でさらにふにゃふにゃした髪が目に留まった。その触り心地の良さそうな髪の持ち主は、机に肘をついたまま、真っ直ぐにこちらを見つめている。その胸の内に秘めた意思の強さを感じさせる力強い眼差しに気圧されてしまいそうだ。
 そっと視線を窓に向けた。
「綺麗な夏雲だねぇ」
「そーだな。もう夏だからな。……んで? 返事は?」
「昨日話してた夏休みの予定のこと? まだお盆の予定とか分かんないから待ってって言ったじゃん」
 青々とした空に浮かぶ積乱雲を見ながら呟くと、大きな舌打ちが耳に届いた。次いで、不機嫌な声。
「難聴かよ。ちゃんと聞こえなかったなら次は隣のクラスまで聞こえるように大きな声で言ってやろうか?」
「やめろ。晒し者になるわ」
 冗談に聞こえるけど、やる時はやる男だ。どっちか判断ができなくて仕方なく目を戻してやれば、ジトリとした目でこちらを睨みつける可愛い顔があった。
「……ワンモア。プリーズ」
「アイラブユー。ビーマイン」
「ノーセンキュー」
「なんでだよ?」
「いや、普通に意味分かんなくて」
「は? 英語の?」
「なんでやねん。ナチュラルにバカにしてくるのやめてくれない? 松田よりバカだけどそれぐらい分かるから」
 マジ顔で「お前そんなバカなの?」という顔をされてイラッとする。おかげで告白に対するショックが緩和されたけど、つい似非関西弁でツッコミを入れてしまった。
 それだけ動揺していることは見抜かれているようで、松田はしてやったりと言いたげに目を細め、にんまりと口角を上げて笑っていた。幻覚で悪魔の角が見えた。
「じゃあ、オレの言葉はちゃんと伝わってんだな?」
「……ねえ、それ本気で言ってるの? 罰ゲームか何かなら先に言ってよ。話合わせるから」
「んなタチの悪い遊び誰がするかよ」
「それもそうか。松田、そーゆーの嫌いだもんね」
「分かってんじゃん」
「いや、前に王様ゲームでおふざけ半分に『五番の人は好きな人に告白』って言った男子にキレたの誰よ?」
「オレ」
 そうです、君です。ついでにキレ方がガチ過ぎてその場にいたあたし以外の女子も男子も全員震えていたんです。お題出した男子なんて涙目になってたんです。あ、でも松田の親友である萩原だけは何故か腹抱えて大爆笑してたけど。ちなみにその時の五番はあたしだった。
「わりと本気なんだけどな、これでも」
「わりと、ってことは勘違いの可能性があるから良く考えた方が良いんじゃない? まだ分解したこともない電子機器とあたしを比べてみなよ」
「せめて比べる対象は人間にしてくんねえ……?」
「しょうがないな……なら、峰不二子で手を打とう」
「だから比べる次元がちげぇーんだわ」
「ワガママか! じゃあ、ホラ……隣のクラスの井上さんで良いよ。あたし、あの子可愛いと思うんだよね」
 ゆるふわヘアでパッチリ二重の大きな目。活力があるあの眼力が明るさに拍車をかけて良い感じだと思う。あたしも二重だけど死んだ魚みたいに生気がないし、断然比べるならあっちの方がビジュアルが上だと思う。
 松田はしばらく思案した後、大きく頷いた。
「そりゃあ、顔で言ったら断然あっちだな」
「だよね〜。……ちょっと萩原くぅうん!? お宅の陣平ちゃんどーゆー教育してましてぇえ!?」
 やっぱり好きとか嘘だろコイツ。惚れた相手にド直球でこんな失礼なこと言う? 正直に言わないよね? 少なくとも松田の親友の女誑しは言わないはず。
 珍しく他の男子と意気投合して話が盛り上がっている萩原を振り返ると、彼はきょとんと目を瞬かせていた。突然話を振られたせいで状況が良く呑み込めていないようだが、対人スキルの高い彼はとりあえず笑ってやり過ごすことにしたらしい。へら〜っと笑いながらこちらに手を振って男子達との談笑に戻ってしまった。
 いや、そうじゃないんだわ。なんだよアイツちっとも役に立たねえ! またもやイラッとしていたら、松田もまたムスッとした不機嫌な顔で睨みつけてくる。
「なんでお前はそーやってすぐハギを呼ぶんだよ」
「だって暴走した松田のストッパーになれるのはどう考えても萩原しかいないじゃん。たまに失敗してるけど」
「まあ、オレにはアクセルしかついてねえからな」
「あっはっはっ! 自信満々で言うことじゃないな?」
 ブレーキついてないとかもうそれだけで事故案件だと思うんだけど、あたしが笑い飛ばした瞬間に松田も楽しげに口元を緩ませたので良しとする。あわよくばこのままさっきの告白も流れてくれないかなぁ、なんて甘いことを考えたら、まるでこちらの思考を読んだように松田の顔が一瞬で真剣なものに戻った。
「で? さっきの話、オレ別に顔の好みで惚れたとか言ってねーんだけど?」
「でも萩原の姉ちゃんには一目惚れしたんでしょ?」
「なっ……! ……んでそんなコト知ってんだよ……」
「萩原が面白おかしく自分と松田の初恋の人教えてくれた。この前はケータイ分解して殴られたんだって?」
 ぐりん、と松田が萩原の方を振り向いた。
 先に視線に気づいた男子達が肩を震わせ、それを見てこちらに顔を向けた萩原も困惑の表情を浮かべていた。どうして自分が松田に睨まれているか、本人には全く思い当たる節がないらしい。
「……初恋は初恋だろ。オレは今の話してんだけど」
 苦し紛れの言い訳だが、まあ、その通りだ。
 ふむ。なかなかしぶとい。顔の火照りを誤魔化すように扇子で自分の顔を扇いでいたが、そろそろ限界だった。
 手に持っていたそれでそっと口元を覆い隠し、あたしは右へ左へと視線を泳がせて逃げ道を探す。
 昼休みということもあって、あたし達のいる窓際の席周辺には誰もいない。おかげでこの会話を聞いている者はいないが、それでもチラチラと視線は感じる。興味津々の萩原達と、あとは多分、松田のことが好きな女子。
 松田は傍若無人を絵に描いたような男で、粗暴な言動から教師にも目をつけられやすい。その分人目を引いている証拠でもあるけれど、困ったことに当の本人は全くそれを意に介さない。加えて、親友の萩原と揃って顔が良い。――いや、『顔だけは良い』と言い直すべきか。
 改めて松田の整った顔を観察して思う。
 あたしなんかのどこが気に入ったんだろう。
「……わかんないわぁ」
「あ? 何がだよ?」
「なんで松田があたしを好きになったとか、こんな人間のどこがいいのか、とか……とにかく全部? とりあえず今はこの問題が意味不明」
「お前……ほんっとバカだな。これさっきも教えたろ」
「うっさいなぁ。松田の教え方が悪いんでしょ」
「どう考えてもお前の理解力が悪いわ」
「もーやだ! チェンジ! 萩原呼んで!」
「誰がチェンジするかバカ! もっかい説明してやっからちゃんと覚えろ!」
 ああ、うん。こういうところはマジ松田の良いトコ。
 それほど仲良くない相手にはクールで素っ気ないのに、なんだかんだ言いながら身内のことになると最後まで面倒を見る。そういう責任感が強いところはあたしから見ても男らしいし、他の女子の目から見ても頼りになると感じるのかもしれない。
「なんて罪な……」
 無意識に口から零れ落ちた言葉はしっかりと相手に届いたらしい。パコンッと丸めた教科書で頭を殴られた。
「罪なのはお前だバカ。ちゃんと聞けっつの」
「……」
 ねえ、いくらなんでもさっきから人のことバカバカ言い過ぎじゃない? 絶対さっきの告白も嘘でしょ――なんて心の中で悪態吐いたけど、ようやくいつものあたし達の雰囲気になってきたから余計なことは言わない。
 しかし、こうして有耶無耶にやり過ごそうとしたあたしの考えはまたしても読まれていて、松田はさっきより険しい表情と鋭い目でこちらを睨んでいた。
「お前の好きなトコなら帰る時に嫌っつーほど教えてやる。だから今は勉強に集中しろ。帰るまでにそのスッカラカンの頭でしっかりオーケーの返事考えとけよ」
 ずるい。スッカラカンは言い過ぎだが、そんなことを言われたら午後授業は松田の告白のことで頭いっぱいで少しも頭に入らないじゃないか。
 羞恥心から「帰りたい」と泣き言を漏らした私の頭に再び教科書が振り下ろされる。松田の愛は地味に痛いので、やっぱり返事は遠慮しておこうと思った。
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