とある日の山姥切長義と審神者の話


「君はよくあんな男と付き合ってられるな」
 感心したような声が聞こえて、東雲の審神者は書類整理をしていた手を止めて顔を上げた。
 山姥切長義は真面目で勤勉な性格をした刀だ。写しの山姥切国広の本歌であるという自負から自信満々な言動も度々見受けられるが、彼はその威勢に見合うだけの器量を持ち合わせている。当然のことながら、そんな彼は主の降谷零やその婚約者である東雲の審神者に対して従順で、不平不満を口にすることもなければ礼の欠けた態度をとることもなかった。
 しかし、今。長義の口からは降谷に対する呼び方に敬意がなかった。
 主である自分の婚約者を『あんな男』呼ばわりされたことに目を丸くする審神者に対し、声を発した長義は何食わぬ顔で彼女が夜な夜な丁寧に仕上げた政府に提出するための書類を確認している。その表情は真顔のまま、特に感情を面に表していない。
 ただの雑談のつもりなのかもしれない。審神者は視線を手元に戻しながらやや笑い混じりに問い返した。
「なぁに? もしかして、現世で無茶振りでもされた?」
「無茶振り? あれはそんな可愛いものじゃないな」
 そこで、長義は書類から顔を上げて審神者をギロリと睨みつけた。どうやら本題はここからだったようだ。
 審神者も流石に手を止めて長義の話に耳を傾けることにした。今まで大人しかっただけに、きちんと向き合ってやらねばならない気がしたからだ。
「俺も主殿の職業は理解しているつもりだ。審神者に仕えるのとはまた少し違うことも実感している。だが、事件が起これば率先して単身で現場に飛び込み、犯人を見つければ常人では越えられないはずの距離であってもあの手この手でビルからビルへ飛び移って追いかけるというのはどうなんだ。彼の部下の人間から聞いた話では、車で空を飛んだり屋上から生身のまま飛び降りて機体に飛びつき、そのまま地面に落ちて大怪我を負ったこともあったらしい」
「嘘でしょ、そんなことしてるの……!?」
「それだけじゃない」
 ふんっと鼻息を荒くして、長義は腕を組んで話を続けた。
「先日、とある事件の犯人を追跡中に戦闘になったんだが、あろうことか相手は法を無視して銃を所持していた。なのに主殿はこの俺を何だと思っているのか奴に対して抜刀を許さず、『危険だからさがれ』と自ら拳で突っ込んでいったんだ。怪我一つ負わなかったから良かったものの、あれではどちらが護衛の立場か分からない事態だ」
 やれやれと額に手を当てながら愚痴を零す長義は余程の鬱憤が溜まっているのだろう。苛立ちを隠せずため息を吐き出す始末だ。
「それは……何と言うか……」
 審神者は自分の初期刀である山姥切と長義の立場を比較し、そして主である自分と降谷の立場を考え直し、これはなかなか難しい問題だと返す言葉を思案した。
 話を聞く限り、長義が不満に思うのも仕方ないことだ。本来、刀剣男士は時間遡行軍と戦うために審神者が呼び起こした存在。戦うために存在していると言っても過言ではない。その彼に抜刀を許さず、剰え「さがっていろ」と指示してしまったのは降谷の悪手だった。
「君からも注意してくれないか。主殿はまだ自分の立場を理解できていないように思える」
「それはないと思うけど……」
 降谷は情報収集に余念がない。先日も後学のために、と審神者と共に情報交換のために交流会に参加したばかりだ。事前に自分の婚約者であると事情を先方に伝えていたため、相手方も熱心に質問してくる降谷に快く答えてくれていたと思う。だから、降谷が『審神者』や『刀剣男士』という存在、その在り方にある程度の理解は持っているはずなのだ。
 審神者はなんとか降谷をフォローしなければ、と言葉を探した。
「ほら、現世には銃刀法があるから」
「法や規則に縛られない敵に対し、こちらが遵守しろと?」
「うん。警察も犯人を捕まえるまでにルールがあるから……審神者と違って世間の目もあるでしょ? だから、ある程度は長義も耐えて欲しいと私も思う」
 いよいよ、長義は不満げに目を細めた。そうして、むっつりと黙り込んで書類に視線を落としてしまった彼に、審神者は苦笑する。
「でもね、長義の言うことも間違ってないと思うよ。いつどこで歴史修正主義者が襲ってくるかも分からないのに、ずっと長義が戦えない状況になるのはマズいよね」
「全く、その通り」
「話を聞く限りすごく無茶してるみたいだし、それに関しては私も物申したいところではある。だから、今回は私からも注意するよ。それと、時の政府を通して現世での刀剣男士の抜刀許可について進言してみる」
「ああ、それは有難い。君ほどの実力者が進言してくれれば、ある程度上も考慮してくれるだろう」
 ようやく長義の納得できる答えに辿り着けたらしい。
 薄い唇が満足げに弧を描くのを見て、審神者はホッと胸を撫で下ろした。
 執務室の扉が開いたのは、その時だった。
「本歌。あまり主を困らせないでくれ」
 こんもりと小皿にクッキーを盛り、紅茶を持って姿を現したのは山姥切だった。
 長義はあからさまにムッと不機嫌を露わにした。
「俺が我儘を言っていると言いたいのかな? ただ苦言を申しただけだよ」
「だから、そういうことはまず自分の主に直接言えと言っている」
 それは怒りたいわけでも、叱っているつもりもないのだろう。ただ淡々と、山姥切はアドバイスしていた。
 方や苛立ち、方や冷静な態度の二人。本歌と写しというだけで関係もあまり良くない二人がこうして顔を突き合わせる度に細やかな口論が生まれるのはすでに審神者も承知の上だ。
 同じ近侍としての立場から口を挟んだ山姥切に対し、審神者は固唾を呑んで長義の出方を伺う。
 長義はギロリと山姥切の後ろに目を向け、押し殺した声で告げた。
「言って、どうにもならなかったからこうして君の主を頼ることになったんだが?」
「なるほど。……だ、そうだが? 何か申し開きはあるか?」
 山姥切は自分の後ろを振り返った。
 審神者もそちらに目を向ける。
 声をかけられた本人は、申し訳なさそうに眉尻を下げながら襖の隙間から顔を出した。
「……返す言葉が見つからないな」
「無茶なことをして怪我をしているというのは?」
「それは任務だから仕方なくて……」
「怪我は、してるのね?」
 審神者が問い詰めると、自分に分が悪いと判断した降谷はひょいと肩を竦めた。
「それが僕の仕事なんだよ。君も分かっているだろう?」
「ええ、分かってるわ。でも極力、負傷するような事態は避けて。少なくとも刀剣男士の身体能力なら銃弾を弾くくらいのことはできるの。長義がちゃんとあなたを守れるように、少しは行動に自由を与えるべきだよ」
「いくら刀の付喪神でも、往来で振り回すことは許されない。加えて彼が警察関係者だと知られたら面倒事になる」
「それについては私からも進言すると今話をしていたのよ。だから、もし上から許可が降りたら、その時は二人できちんと話し合ってくれる? 彼は近侍として、主の心配をしているんだから」
 降谷はぐっと押し黙った。
 審神者として、刀剣男士との付き合い方は審神者の方が上なのだ。その上、彼女は実力が伴うために上にも口利きができる。
 この場は、完全に降谷ではなく審神者に軍配が上がった。
「……分かった。その時は、こちらでも策を講じておく。僕としても、優秀な護衛の力は借りたいところだったからね」
 観念した様子の降谷の言葉に、審神者は長義に目を移した。
「長義、それでいい?」
 長義はきょとんとしていた。降谷の口から『優秀な』と自分を称賛する言葉が飛び出したことに驚いたようだった。
 そして、彼は何食わぬ顔で「当然だ」と答え、書類に視線に落とした。
 突如、長義の周りをひらひらと桜の花弁が舞う。
 それを見て審神者はクスクスと声を押し殺して笑い、山姥切はやれやれと息を吐いた。
 そんな三人を見ながら、降谷はただ一人、初めて見る現象に興味深そうに首を捻った。


「……持てるものこそ、与えなくては」
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