カフェ&ベーカリー『檸檬』には、イケメンの常連客がいるC


 あれから毎日ではないが、例の手紙が自宅のポストに入れられるようになった。
 その間に気づいたことと言えば、その手紙が入ってくるのは決まって私が安室さんを接客した時だけのようだった。
 試しに祖母や母に彼の対応をお願いしたら、その日も次の日も何もなかったので、おそらくこの手紙の送り主はいつも私が安室さんを接客しているところを見ているのだろう。
 幸いにも脅迫紛いの手紙以外は何もないので、とりあえず今のところは家の人にはバレていない。でも、いつ誰にこんな物を送られていると知られるか分からない。
 家族に心配をかけたくない一心で隠しているが、いくら勘違いがあるとはいえ、安室さんと接触する度に「近づくな」「お前には相応しくない」「さっさと離れろ」と言われ続けると、こちらも精神的に苦痛を感じる。
 ──どうしよう。警察に相談しようにも、警察は実害や証拠がなければ動いてくれないらしい。
 なら、探偵に頼もうか。有り難いことに、この米花町には名探偵と呼ばれる『眠りの毛利小五郎』がいる。彼に依頼するのも良いかもしれない。
 けど、もしそれで家族にバレたら──事が収まるまでは店には出させてもらえないだろうな。当然、安室さんにも関わらないように釘をさされるかもしれない。
 それは、それだけは、なんだか嫌だった。
「──さん……」
 そこで嫌だと思った自分に「ん?」と首を傾げる。
 安室さんと私は恋人でもなんでもない。ましてや、私は彼を異性として好いているわけでもない──と、思う。
「──さん? あの〜……」
 そりゃあ、私だってあんな格好いい彼氏が欲しい。年頃の女だし、優しくて格好いい人と付き合う夢だって、少なからず持っている。
 しかし、相手はお客様だ。それ以上でも、それ以下でもない。そして相手から見た私も、しがないパン屋の店員でしかないだろう。
(まさか、私が彼を──)
「名前っ!!」
「は、はぃいっ!! ……あ」
 祖父の一喝に意識が浮上した。
 幼い頃からの経験で反射的に体が飛び上がった私はそこで我に返り、目の前で心配そうな表情をしている安室さんに気づいた。
 しまった。考え事に耽っていて仕事中なのを忘れていた。
 そろりと肩越しに背後を見ると、ガラス越しに普段より数倍眉間に皺を作った祖父が作業の手を止めてこちらを睨んでいた。
 慌てて前へ向き直り、私は仕事に専念する。
「すすすすすみません、安室さん! おっ、お持ち帰りですかっ、それともこちらでお召し上がりでしょうか!?」
 ひぃぃ、あとで絶対怒られる!
 心の中で悲鳴を上げ、焦りでパニックになりながらトレーを受け取って尋ねると、垂れがちの青い目をぱちくりさせた安室さんは「た、食べていきます」と、一人で慌てふためく私に若干引き気味になりながら答えてくれた。
 申し訳ない、と心の中で謝りながらドリンクの注文を受け、レジを打ち、会計を済ませる。
 注文を聞いて彼のコーヒーを用意してくれた母は苦笑していた。
「あの、気のせいだったらいいんですが……少し、顔色が悪くないですか?」
 私の様子が変だと思ったのだろう。おつりを受け取った安室さんは私の顔を見つめたまま眉を寄せた。
 この人は本当に他人をよく見ている。
 つい図星を指されてドキリとしてしまった。
「え、そうですか? んー……昨日寝不足だったせいかもしれないですね」
 白を切ってとぼけてみたけれど、安室さんは全然納得がいかないようで眉を顰めたままだった。
「何か悩み事でも?」
 聞かれて、私は今度こそ困った。
 ええ、あなたに好意を寄せている女性のことで、ちょっと──なんて言えるわけもなく(そもそも確証もない)、ただただ愛想笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。
「本当に、なんでもないですから」
 そう言って母が入れたコーヒーをトレーにのせ、彼に手渡す。
 まだ何か言い足りないのかこちらを振り返る安室さんだったけれど、私が次のお客様に目を向けると諦めてカフェスペースへと足を動かした。
 その日、カフェで過ごす間ずっと安室さんに見られていたことも、仕事が終わってから祖父にお説教されたことも、言わずもがなである。


「はぁ……」
 次の休日の朝、家のポストを確認した私は再び入っている白い封筒を見て深い溜め息を吐き出した。
 最後に安室さんと話した日から、手紙が毎日入るようになった。
 部屋に戻って中身を確認すると、いつものように印刷された文字が並んでいる。
『お前みたいなブスは相手にされない』
『客に色目を使うな』
『さっさと消えろ』
 いつもと変わらないその内容に辟易する。
 一貫して安室さんに近づいてほしくないという旨が書かれているようだが、一つこの送り主に物申したい。私はただ仕事で接客をしているだけだ。これだけは声を大にして言い返してやりたい。
(色目なんて使ってるつもりないんだけど……)
 もしかして、安室さんに対する私の接客態度が悪いのだろうか。
 そう考えて何度も思い返してみるが、他のお客さんと変わりはないと思う。まあ、多少はフランクに喋り過ぎているような気がするけど、問題はないだろう。
(でも、「お前みたいなブスは相手にされない」って言うのは、ちょっと……)
 この手紙の送り主の容姿は知らないが、自分でもそこまで良い容姿ではないと思っている。だが、決して悪いとも思わない。安室さんと並んだら見劣りするのは間違いないけれど、それでも他人にそこまれ言われる筋合いはない。
(大丈夫、大丈夫。こんなのただのやっかみ。全然、平気だよ)
 そう言い聞かせてみるも、思いの外に『ブス』という言葉は堪える。一度落ちこんでしまった気分はなかなか浮上してこない。
(いつまでも凹んでちゃダメだ)
 パシパシと頬を叩いて、大きく伸びをして、立ち上がる。
「よし、出かけよ!」
 こんな日は、気晴らしをするに限る。お昼はどこかで美味しいご飯を食べよう。そして食事が終わったら、図書館に行って新しいパンの資料を探してみよう。
 うんうん、と一人頷き、私は憂鬱な気分を抑えて家を出た。


 食事の美味しいお店と言えば、近頃よく耳にする『喫茶ポアロ』という店がある。
 たまに店に来る常連客や、久しぶりに飲み会で集まった友人達が「すっごく美味しいサンドイッチを作る格好いいハーフのウェイターがいるらしいよ!」と話していたのを思い出して、私は喫茶ポアロのある毛利探偵事務所の方へと向かって歩いていた。
(美味しいサンドイッチ、ね)
 サンドイッチはこれまで何種類も食べたことがあるが、身内の贔屓目なしで言っても祖父が作った物が一番美味しかった。薄く切られたきゅうりとトマト、そこにチーズの入った定番のサンドイッチだが、文句なしに美味しい。
 ふわふわに巻かれた甘いタマゴサンドや、祖母特製のカツサンドもなかなかのものである。
 カフェも営んでいるパン屋の従業員としては、喫茶店という部分にもちょっとしたライバル意識も感じるところである。もちろん、私が勝手にそう感じているだけだが。
「そう言えば……安室さんもハーフだよね……」
 あまり人を比べるのは良くないが、最近お目にかかるイケメンのレベルが遥かに高いので、みんなの言うポアロのウェイターさんがどこまで格好良く見えるのかも気になるところだった。
(ちょっぴり楽しみかも)
 しかしその時、うきうきと浮上しかけた気分は前方から見覚えのある人物が歩いてきたことにより急降下し、私は無意識に足を止めた。
(……うそ)
 私の視線の先にいるのは安室さんで、彼はいつも見るスーツ姿ではなくラフな私服を着て、明るい綺麗な女の人と歩いていた。
 どうやら買い物の帰り道らしい。お互いの手に持った買い物袋を見て、同じ店にお出かけしていたんだなあ、と一目で分かった。
 隣の彼女と目を合わせながら喋っている安室さんの横顔はとても楽しそうで、どこかいつもより優しげな表情に見えた。
(彼女さん、なのかな……)
 たぶん、そうなんだろうな。あれだけ素敵な安室さんのことだし、彼女の一人や二人──いや、二人以上いたら流石にマズイか。とにかく、恋人がいてもおかしくないだろう。
 仲睦まじく親しげに話しながら歩く二人の姿は、まるで絵や写真に残しておきたいと思ってしまうほど、とてもお似合いに見えた。
 そんな彼らが──安室さんと仲良く歩く彼女のことが、少しだけ「羨ましい」と思った。
 いいな、羨ましい。素敵なカップルで、幸せそうで、仲も良さそうで。
「……あ、れ」
 そこまで考えて、私は視線を落として胸を押さえる。
 全然、少しじゃない。さっき見た手紙と同じくらい、すごく嫌な気分になってる。
(これじゃまるで、あの女の人に嫉妬してるみたい……)
 何を考えているの、私。相手はお客さんなのよ。嫉妬なんてしてどうするの。
 安室さんのことは好きだけど、別に、恋とかそういうのじゃない。
 彼はちょっと思わせぶりなところもあるけれど、ただのしがないパン屋の娘でしかない私と仲良くお話ししてくれる、優しい人だ。その優しさは、誰にでも向けられている。
(正直に言って格好いいし、優しいし、あんな人が彼氏だったら良いな、とは思うけど……)
 でもそれは、おそらくただの『憧れ』だ。そう思うのなら──なら、このモヤモヤとした気持ちは、一体なんなのだろう。どう説明すれば良いんだろう。
 顔を上げると、彼女から何かのチケットを受け取って嬉しそうに笑っている彼を見て、またチクリと胸が痛んだ。
(私は……私が……)
 ──例えば。
 例えば、あそこにいるのが私だったなら、彼はあんな風に自分と接してくれるのだろうか。
 そんな考えが浮かんで、慌てて私はぶんぶんと首を振った。
 彼は私と親しくしてくれるけど、それはきっと、最初の出会いがきっかけのはずだ。私が彼を優しいお客さんだと思うように、彼もまた、私のことを親切な店員だと思ってくれているに違いない。
 だから、今までの安室さんが私に向ける態度に、深い意味なんて存在しない。彼に恋人がいることも、私には何も関係なんてないし、どうでも良いことなのだ。
「関係、ないはずなのに……」
 どうして、こんなにも胸が苦しくなるんだろう。
 ──その答えは、簡単だ。
(……駄目。やめよう)
 忘れよう。この想いは知らないフリをしたほうが良い。そうじゃないと、きっと私は傷つくことになる。
 二人から目を逸らし、踵を返す。
 さっき通ったばかりの道を小走りで駆け抜けて、私は当初に予定していたポアロとは全く正反対の方向に向かった。
 噂のポアロに行く予定なんて、すっかり頭から抜け落ちていた。
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