エンパス・ドール【後編】


 その日、華やかな場所にも拘らず身の危険を感じるような、そんな淀んだ空気はずっと感じていた。
 何かが起こるような気がして、けれど祝いの席でそんな不吉な話を口にできるはずもなく、ただ静かに壁の花となっていたのだ。


 屋敷に悲鳴が響いたその時、苗字名前はただ恐怖に怯えた。
 ここは米花町に住んでいる有名な小説家──大河内玲子の豪邸で、今日は彼女の最高傑作である作品『エンパス・ドール』の映画化と、彼女の誕生日を祝うパーティーだった。
 名前は今日、訳あってそのパーティーに『特別ゲスト』として呼ばれていたのだ。
 だが、肝心の主役は何者かによって殺害されてしまったらしい。凶器は花瓶。背後から頭を狙われ、一撃でその命を落としたという。
 運悪く現場の近くにいたこともあり、名前もその死体となった彼女を目にすることとなったが、とても悲惨で、名前としては目も当てられない状態だった。
 目を閉じたまま息を引き取った彼女のことを思い出すだけで頭痛が起こり、今でもそこに漂っている『気配』が自分に絡みついてくるのである。
「では、苗字名前さん……犯行時刻、あなたがどこで何をしていたのか、教えて頂けますか?」
 ふくよかな体格をした目暮警部にそう問われた時、名前は世界の終わりを感じた。
 名前はその体質上、人混みを酷く嫌っていた。だから犯行時刻まで何度もトイレへと逃げ込んでいたのだが、どうやら今回はその行動が運悪くも裏目に出てしまったらしい。
 親族とも友人とも呼べない、招待された制作関係者でもない。彼女の存在は明らかにその場に不相応であり、異物でしかなかった。故にこの屋敷の中でもアリバイがない唯一の人物とされてしまっているらしく、曖昧な立場も相俟ってかの有名な探偵の『眠りの毛利小五郎』にさえ容疑者として一度疑われてしまい、事件が解決するまでこの屋敷での滞在を余儀なくされてしまったのである。
 青白い顔を隠すこともできず、玲子の恋人だった男やその家族や知人からも「お前が犯人だろう!」と白い目を向けられたまま、彼女はただ自分につき纏ってくる『感覚』に独り怯えるしかなかった。
「お姉さん」
 突然自分の足元から声が飛んできて、名前は体を震わせた。
 ──まさか、この期に及んで自分に声をかけてくる人がいるだなんて。
 考えないようにしていたが、十分に『彼ら』ならあり得てしまう展開だった。
 おそるおそる彼女が視線を下に向けると、眼鏡をかけた顔立ちの良い少年が心配そうに自分を見上げていた。その顔を見て「やっぱり」と言いかけた言葉は必死に飲み込んで、名前は彼を見つめ返した。
「ねえ、お姉さん大丈夫? パーティーが始まってからもずっと顔色が悪いよね?」
「あ、ああ……うん、大丈夫……いつものことなの、気にしないで……」
「そうは言いますが、今にも倒れてしまいそうですよ?」
 少年に続けて声をかけてきたのは、色黒に金髪のハーフの青年だ。
 名前はその青年を見上げると、ほんの僅かに首を傾げた。彼もまた心配そうな目を名前に向けているが、少年よりも温かみの感じられる眼差しだった。その理由が名前にはよく分からなかったが、自分を捉えるその薄花色の瞳には既視感がある。
 刹那、記憶がフラッシュバックする。
「一度、外の空気を吸った方がいいと思いますよ」
「うん。安室さんの言う通り、外に行こう、お姉さん」
「安室……」
 しかし、記憶がフラッシュバックしても、彼の名前は記憶に残っていなかった。
 不思議そうに首を傾げ、もう一度少年から青年へと目を向ける。
(確かに外に出たい……でも、この子達……)
 二人は玲子と知り合いだという鈴木財閥のご令嬢──鈴木園子の同行者であり、毛利小五郎の関係者だ。そんな彼らに容疑者第一候補である自分が話しかけてくるということは、少なからず監視の役目があるはずだ。
 名前は気分が酷く重くなってしまった。とてもじゃないが、今の名前に彼らの相手は荷が重い。早急に二人から離れたかった。
「すみません……ですが、私は少し探し物をしなければならないので……」
「探し物?」
「彼女のダイイングメッセージがあったでしょう?」
 名前が現場を見たのは一瞬だ。
 だが、その時はっきりと彼女は見つけてしまった。死に際に玲子が床に血で記したであろうローマ字の『D』という文字を。
「お姉さん、あのダイイングメッセージの意味が分かったの?」
「日記よ。ダイアリー。玲子さんはおそらく、日記をつけていたんじゃないかと思って……」
「どうしてそう思ったんです?」
「それは……えっと……」
 純粋な疑問と、僅かな疑惑。その視線を確かに感じ取った名前は、今すぐにでもこの場から逃げ出したいと思った。けれど自分の『本来の役目』のこともあり、玲子の遺言を無視して背を向けることもできない。
 だから、渋々と名前は自身の考えを口に出した。
「……彼女が描くヒロインが……ずっと日記をつけていたから……」
 消え入りそうな声で白状した名前に、彼らはひょいと片方の眉を上げて理解できないという表情を見せた。短絡的で、何の確証もない憶測だと思ったのだろう。事実なので名前はただ彼らの返事を待つしかない。
「……分かった。その日記、僕も一緒に探しても良い? もしかしたら、そこで何か事件に関する証拠が出てくるかもしれないし」
「え? ええ……それは、もちろん」
 どうやら、少年の中で『探し物をしたい』という容疑者を放っておくことはできなかったようだ。警察に何か言われれば「毛利先生の頼みで」ということにして、二人は名前に付き添ってくれることになった。
 案の定、容疑者が屋敷の中をうろつくことに警察官も刑事もあまり良い顔をしなかった。しかし、そこは名のある毛利探偵の名前とその弟子の安室透が役に立った。見張りとして彼らが付き添っていることを条件に、名前は無事に彼女の日記を探すことに専念できたのである。
 そしてその日記探しは、小さな少年のおかげで想像よりも早く片付いた。
「お姉さん、あったよ!」
「本当に? 良かった……」
 少年の言葉に、名前は一先ず自分の予想が当たったことにホッと胸を撫で下ろした。
 本棚の間からそれは見つかったらしく、元の場所の位置を確認してから名前は少年に手を差し出した。
「悪いけど、それを私に見せてくれる?」
「うん。……あっ、僕も一緒に読んでいい?」
 少年の言葉に、名前は少しだけ目を丸くして困惑したように彼の顔を見つめ返す。
 この日記には、きっと玲子の本心が詰まっているだろう。どんな内容が書かれているのかは知らないが、『本性』に気づいているとはいえ、『乙女の秘密』を少年に読ませることに名前は少し抵抗感があった。
 けれど、この少年も真実を探しているのである。遅かれ早かれ、あのダイイングメッセージに気づいてこれを目にしていたことだろう。
 そう考えなおして、名前は小さく頷いた。
「構わないけど……私が先に読んでページを捲ってしまうかもしれないよ?」
「大丈夫。その時は後でもう一度おじさんとじっくり読むから」
 そう言われてはもう仕方ない。分かったと頷いた名前はスカートが汚れることも気にせず、その場に膝をついて日記を広げた。
「あっ! その前に一つだけ……悪いけど、読み終わるまでは私に話しかけないでくれるかな? 集中すると私、周りの声が全然聞こえなくなるの」
「え? う、うん……分かったよ」
「それじゃあ、僕はその間に他の所を確認してきますね。コナン君、あとは任せたよ」
「はぁい」
 コナンと呼ばれた少年が返事をすると、安室はチラリと名前を見てからその場を後にした。
 またその目がどこか自分を気遣っていると感じられて、名前ははて、と一人首を傾げる。そこまで自分は青白い顔をしているのだろうか。探し物をしている間に気が紛れたので、さっきよりも気分は随分と楽になっているのだが。
(気になるけど……それよりもまずは日記よね……)
 コナンの視線が手元に集中しているのを感じながら、名前は日記の中身へと目を通した。


 ──おいおい。
 容疑者の本田名前と被害者の日記に目を通していたコナンは、思わず心の中で呆れた声を零した。その視線は気になっていた日記ではなく、隣にいる彼女に向けられている。
 名前はコナンのことなど眼中にもないようで、黙々とページを捲っていた。それも、淡々とページを捲る作業だけをこなしているかのように早い。まるで人形のように同じ動きを繰り返していて、本当に彼女が日記を読んでいるのか怪しいレベルだった。
 おそらく『それ』は彼女の特技だったのだろう。何の感情も宿していないその瞳はずっと日記だけに向けられていて、文字を追いかけているのであろうずば抜けた集中力は傍にいるだけでコナンにもヒシヒシと感じられた。
 何を考え、何を思い、彼女は真実を探そうとしているのか。きっとその『真実』は自分が求めるモノとは少し違うのだろうが、コナンは少しだけ彼女に興味を抱いた。
「お姉さん」
 試しに声をかけてみるが、彼女は宣告通り何も反応を示さない。
 自分も中身を読みたいので少しペースが落としてくれないかと好奇心でちょんちょんと腕を突いてみるも、彼女はその作業を止めることはしなかった。それどころか、そこに存在していないかのように見向きもしないのである。
 たまに読書に夢中になる子供がこんな状態になっているが、大人の彼女までそんな状態になるなんて、あり得るのだろうか。いや、実際に目の前で起こっているんだけれども。
 コナンがそう思案している間に、彼女はあっという間に最後のページまで辿り着いてしまったようで、最後のページを開いたまま動きを止めてしまった。
(な、なんなんだ、この人……)
 どこを見ているのか分からないまま停止しているというのは、傍から見るととても気味が悪いものだ。
 別に『それ自体』は珍しくもなんともない才能なのだろうが、人を避け、それでも見えない何かに一人で歩み寄ろうとする彼女の独特な雰囲気が、どうもコナンには居心地が悪く感じられた。
 けれど同時に、コナンは見てしまった。
 虚ろな名前の瞳が揺れ動き、大粒の涙がその白い頬を伝って落ちていく。全く感情を見せないと思われていた瞳には優しさと悲哀の色が浮かび上がっており、それはまるで自分のことのように傷ついているようだった。
 彼女が泣いているのは間違いなく日記の中身が原因であると考えられるが、コナンにはどうして彼女がそこまで身内ではない大河内玲子に感情を移入できるのか分からなかった。
 ただ、今の彼女を見て、一つだけコナンは直感した。彼女は『絶対』に犯人ではない。これは決して演技ではなかった。
 ならば、彼女はどうしてこの屋敷に呼ばれ、どうしてパーティーの間はずっとトイレに引き籠っていたのか。
(……なるほど。多分、この人……)
 その時、自分の中で一つの仮説を立てたコナンは彼女が誰かに話しかけるように呟くのを聞いた。
 その言葉は、彼の中の推理を確信に近づけるものだった。
「……そうですか……それは……とても悲しかったですね……」

 ──大丈夫。
 ──あなたの言葉は、私が必ず届けます。


 *** *** ***


 少しの時間をかけて『眠りの毛利小五郎』が真犯人を見つけたらしい。
 屋敷の中にいる大河内玲子の恋人や知人をかき集める中、名前もまた殺人現場となった部屋に足を踏み入れた。
 単刀直入に結論から言うと、真犯人は一人トイレに引き籠っていた名前ではなく、玲子の恋人だった。
 玲子と彼は、誰の目から見ても相思相愛だと呼べるほど仲睦まじいカップルだったそうだ。
 だが、最近の玲子は映画化となった作品やイベントへの出席などの仕事が立て込んでいたらしく、二人が共に過ごす時間はめっきり減っていた。
 小説家とは、そんなにも忙しいものだろうか。家に行っても彼女は今までより素っ気ない反応であったし、原稿を終えて休みが出来るのかとデートに誘えば、彼女は編集者と打ち合わせがあるという。
 次第に、玲子の恋人は彼女がその編集者の男と浮気をしているのではないだろうか、と不安になったらしい。問い詰めても口を濁して誤魔化そうとするので、いよいよ浮気の疑惑が強まった彼は、ある日彼女の後を追いかけたそうだ。
「あの日……俺は見たんだよ……彼女があの編集者の男とウェディングドレスや指輪を眺めたあと、ホテルのレストランで仲良く食事をしてるのを……」
 裏切られたと思った。そう話す恋人は、たくさんの涙を流していた。
 しかし、その彼に毛利小五郎は尋ねた。
「あなたは、玲子さんが日記をつけていたことをご存知でしたか?」
「え? あ、ああ……」
「彼女が残していたダイイングメッセージの『D』……実は、あれはあなたに遺したものだったんですよ。彼女の部屋にある日記には、あなたとの思い出がたくさん詰まっていました。中にはデートすらできない日々が続いていることへの後悔が綴られているものもあった。……コナン! 日記を彼に」
「は〜い!」
 小五郎の陰からひょっこりと現れたコナンに、思わず名前は呆れた笑みを浮かべてしまった。よくできた『一人芝居』である。
「これが玲子さんの日記だよ。でもね、少し変なんだ。日記って、普通は一日の終わりにつけるものでしょう? なのに、玲子さん、同じ日付の日に何度も日記をつけていたり、別の日には一行だけしか書いてなかったりしてるんだ。どうしてかなぁ?」
「ああ、それなら……彼女は普段から日記を持ち歩いていて、デートの合間とか僕が席を外している間によく書き込んでいたみたいだけど……」
「へえ、そうだったんだね! じゃあ、この日記、お兄さんはちゃんと読んであげた方が良いと思うよ」
 言って、コナンは小五郎の傍へと戻って行く。玲子の恋人はコナンから受け取った日記を静かに開き、その文字を目で追った。
 それを横目に見ながら、名前は静かに残念だと目を伏せる。
 やはり、彼にはあの日記の謎が最後まで解けていなかったらしい。
 しかし、それもそうだなのだ。どれだけ有名であっても、コナン達は彼女が書いた話なんて興味も沸かないだろう。きっと、彼女がどんな想いで沢山の本を書いていたのか、知る由もないはずだ。
 そして、日記を読んでいる彼もまた、玲子の『本当の言葉』には気づけないのだろう。
「そんな……彼女は、浮気をしていたんじゃ……」
「いいえ、彼女はそこに記してある通り、あなたのことを想い続けていた。ただ……彼女は心臓を患っていて、余命があと僅かだった。その事実を、どうしても婚約者のあなたには伝えられなかったんです」
「ですが今日……彼女は自分の想いを全てあなたに伝えようとしていた」
 横から入り込んだ声は、名前の隣に立っている安室のものだった。彼は満面の笑みで「ですよね、先生?」と小五郎に目を向けている。
「……そう。彼女は真実を打ち明けようとしていた。今回のパーティーに特別ゲストとして呼ばれた──苗字名前さん。あなたを通じてね」
「え」
 一瞬で注目の的になってしまった名前は体を硬直させる。
 どういうことだ。どうして玲子となんの関係もない彼女が関係しているんだ。
 そんな疑惑が部屋の中を渦巻くのを感じながら、名前は体の中に蓄積していく重たい気分を小さく吐き出した。
「……どうして、それが彼女だと?」
 目暮警部が尋ねると、小五郎は迷いなく答えました。
「それは、彼女が正しく玲子さんが思い描いた『エンパス・ドール』そのものだからですよ」
「っ……」
 まずい、油断していた。
 自分の『役目』に集中していたあまり、彼女は傍らに立っている少年の存在を忘れていたのだ。迂闊で軽率な行動を取ってしまったことに心の中で反省する。
「『エンパス・ドール』……?」
「エンパス……簡潔に説明するなら、共感能力がずば抜けて高い人のことです。今回殺された大河内玲子さんの映画化となった作品でも、この共感能力が飛躍的に高い女性がヒロインとして起用されているそうで……」
 目暮警部が首を傾げる隣で、若い男の刑事が捜査のメモを読み上げる。
 説明に耳を傾けた目暮は不思議そうに名前に目を向けた。
「彼女が、それだと?」
「ええ、コナンから聞きました。苗字さん、あなたは彼女のダイイングメッセージの意図にいち早く気づいたそうですね。それも彼女が書く描写の傾向から答えを導き出したとか……その後、彼女の日記を読んでから涙を流していた。そこで、私はこう考えたんですよ。特別ゲストに呼ばれたのは、あなたが彼女が書いた作品の中にある『真実』に気づいたからなのではないか、とね……あなたは速読能力にも長けているようですから、おそらくパーティーの前に彼女が出版した全ての本に目を通されていたのではないですか?」
「……」
 名前はただ静かに目を伏せた。沈黙には、肯定の意味を込めていた。
「私には、どうしてもあの日記が何かを意図しているようにしか思えなかった。ですが、その謎だけが解けない……だから教えてください、苗字さん。彼女の本当の言葉を」
 あの名探偵でさえ解けない謎だった。そう言われては話す他ないだろう。
 名前は目を閉じたまま一度だけ大きく深呼吸をする。そうして体内に残っている全ての感情を吐き出して心を落ち着かせると、意を決して口を開いた。
「……その日記は、彼女が恋人との思い出だけを残そうとして書いたものです。日付を見れば分かるように、それは毎日綴られたものではありません」
「そ、そう言えば……確かに……全て僕とデートした日ばかりだ……」
 男が再び日記に視線を落とすのを見て、名前は言葉を続けた。
「その中で同じ日付に書かれた日記には、ちゃんと意味があります。それは彼女が発行した本、ページ、行の順番を表しているんです。最初の日付は一月一三日。三回に分けてその日の出来事を綴られていますよね。上から一行、四行、七行に分かれていると思います」
「あ、ああ……」
「それは彼女が書いた一冊目の一四七ページ目に書かれている十三行目のヒロインの台詞を意味しています。一冊目は……『ずっと黙っていたことがあるの』」
 ひゅっ、と男が息を呑み、日記を持つ手が震える。それに気づかない振りをして、名前はただ自分の『役目』を全うするべく言葉を紡いだ。
「……同じように台詞を探すと、全てそれはヒロインの言葉でした。彼女が書いた作品の数は全部で十冊。一文ずつ抜粋していくとこうなります。『ずっと黙っていたことがあるの。私、あなたと恋人になれて幸せだわ。だけど、私はもう長くは生きられない。だから、私のことは忘れて。あなたは他の女性と幸せになるべきよ。大丈夫。あなたは強い人だから、きっと前を向けるわ。だって、私が好きになった人ですもの。私は何度生まれ変わっても、そんなあなたに恋がしたい』」
「う、嘘だ……嘘だ……」
 最後の言葉を聞く前に、男は大粒の涙を零して自分の顔を手で覆ってしまう。
 そんな男を見下ろしながら名前もまた涙を流し、震える声で自分に託された言葉を口にした。

「『ただ一人、あなただけを愛しています』」

 その台詞は、大河内玲子が描いた全てのヒロインが口にする言葉だった。
 それが他でもない彼女が一番伝えたい言葉だったのだ、と名前は犯人にそう告げた。


 *** *** ***


 事件は無事に解決したが、終わりはあまりに切なく、悲しいものだった。
 大河内玲子の家族はすれ違いの末に犯人となってしまった玲子の恋人に何度も謝っていた。
 自分達の口から予め伝えておくべきだった。玲子に任せるべきではなかった、と。そうすれば、あなたが玲子を恨むことも、犯罪者になることもなかっただろう。
 そう言って何度も泣きながら謝る玲子の家族に、男は首を横に振って、無言のまま頭を下げてパトカーへと乗り込んだ。
 それを見届けたコナンは、離れた場所に立っている名前を発見して彼女に近づいた。
 名前もまた、自分に近づいてくるコナンに気づいて目を向けた。
 何の感情も宿っていない真っ直ぐな眼差しが、コナンにはどこか人形のようにも見えた。
「お姉さんはすごい人だったんだね」
「え?」
「だってお姉さん、カメラアイとエンパス能力を持った人なんでしょ? 瞬間記憶能力と、共感能力が人よりずば抜けて高い……違う?」
「……ううん、そうだよ。君が今、純粋に私を褒めていることも分かる」
「やっぱり! 玲子さん、他の人にもすごく嬉しそうに『エンパス・ドール』の話をしていたから、僕も気になっていたんだ」
「そう……でも、『エンパス・ドール』は『嘘つきさん』もすぐに見抜いてしまうんだよ?」
「えっ」
 名前の言葉に、コナンはギクリと体を震わせた。
 名前はそんなコナンの反応にほんのり笑みを浮かべて、静かに告げた。
「私、最初にね……玲子さんの話を断ったのよ。私の口からじゃなく、自分で伝えるのが一番だって……でも、彼女は伝えられないって泣いてたわ。今の彼は玲子さんの浮気を疑っているし、『きっと別れたいからそんな嘘をつくんだろう』って言われてしまうって……でも私、パーティーの間に少し彼のことを観察していたけれど、真実を知った彼ならそんなことは言わないと感じたわ。だから、玲子さんにもう一度話したの。その後、彼女は彼と二人きりになって、話そうとした。でも、彼の勘違いは止められなくて……結局、すれ違ったまま事件になってしまったらしいわ」
「? らしいって……」
「殺人現場には、殺害された人の思念が残りやすいの」
 うげっ、とコナンは顔をしかめた。理論的に証明されない現象を持ち出されるのは、探偵としては納得できないものだ。
 だが、彼女の言うことは正しいと思う。だからこそ、コナンはますます彼女という存在が末恐ろしいと思った。
「君も、一緒にいた毛利さんのお弟子さんも、隠し事はしてるけど悪い人なんかじゃないよ。二人ともすごく正義感が強い人……事件の捜査をしている時の君達は、刑事さん達とほとんど同じ色を持っていたもの」
「それって──」
 突然彼女が口にした『お弟子さん』は安室のことで間違いない。まさか彼のことまで見抜いてしまうとは思いもせず、コナンは彼女がどこまで把握しているのか知りたくなった。
 しかし、コナンが「どういう意味だ」と尋ねる前に名前は自分の唇に人差し指を押し当て、しーっと静かにするよう促してから声を潜めて囁いた。
「気をつけて。エンパスを持った人の中には、心を見抜く人もいるの。だから迂闊に近づいたらいけない。君の敵にも、もしかしたらそんな人がいるかもしれないでしょう。──ね? 高校生探偵さん」
 ──あ、これは、聞いても教えてくれないやつだな。
 高校生探偵と呼びながらも彼女は危険から遠ざかれと忠告する。それは大人が子供を丸め込む時の態度であり、コナンは小さくため息を吐く。
 女は秘密主義だから面倒臭い。けれど、彼女の言葉には裏があると気づいていた。
「お姉さんが悪い人じゃないってことぐらいは、僕にだって分かるよ」
 その言葉に名前は目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。


「そんなことを言われたら、私も君の味方をしたくなっちゃうなぁ」
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