とある本丸の山姥切国広の物語 拾


「……?」
 眩い光の向こうから、起きなさい、という声が聞こえた気がした。
 なんだろうと思って目を開ければ、涙を浮かべながら自分を見下ろす仲間や愛しい女の姿があった。
「起きた……! やっと起きた……!」
「お前って奴ァ、とんだ無茶しやがって……!」
「傷はどう? 痛む?」
 自分を見下ろしながら口々と喜びの声を漏らす彼らに、何が起こっているのかと心の中で首を捻る。
「……ぼく、は……」
「お前が作り置きしていた薬のおかげで医者がなんとか命を繋いでくれたんだ。ここはお前の隠れ家だよ」
 そう言ったのは親友だ。
 化膿した傷口から熱を出していたようで、額に置かれていた布を取り、水に浸して絞った後にもう一度同じ場所に置いた彼は呆れたように笑った。
「よく頑張ったな。もう大丈夫だ。お前も……お雪もな」
 ──大丈夫。
 何が起こっているのか分からないが、その言葉を聞いた途端にひどく安心した。
 悪夢のようだった。否、悪夢だった。
 あれが夢であったか、現実であったか。それすら朧げになっているが、これだけは理解できる。
 自分は、助かったのだと。
「……ありがとう」
 命を繋いでくれた神に、自分を心配してくれていた彼女と仲間達に、透は静かに口元に笑みを浮かべた。

 ちりん、と鈴が一つ、鳴った。

 隠れ家から少し離れた林の奥に、人影が一つ。
 白銀の髪の涼しげな顔をした男は、自分の元へと帰ってきた一匹の白い狐に手を差し伸べ、肩の上へと誘った。
「……任務、完了。本部へ帰還します」
 後は、歴史通り。
 そう呟いて、その男は光りに包まれて消えた。


 *** *** ***


 パソコンの画面を凝視しながらパチパチとキーボードを叩く審神者を見るのは随分と久しぶりのような気がする。
 そう感じてしまうぐらい、ここ数日は慌ただしい日々だった。
 敵に本丸の位置を知られてしまったことにより東雲本丸は二度目の引っ越しを余儀なくされ、その後は本丸の整備に追われ、援軍に駆けつけてくれた審神者や刀剣男士達にお礼を伝えに回ることになったのである。
 その間、『放棄された世界』から戻ったあとの山姥切の霊力が向上していることが判明し、それについても調べることになった。当然、山姥切の所有者である審神者はそれに付き添う必要があり、検査のために本部と本丸を行き来する毎日だった。
 だから、山姥切がこうして近侍らしく執務に追われる審神者の姿を見るのも随分と久しいのだ。
「主、そろそろ休憩にした方がいい」
「ううん。もう少しで仕上がるから、あと少しだけ」
 その言葉に、山姥切はやれやれと息を吐いた。
 この慌ただしい中でも、審神者は夜遅くまで報告書を書いていた。その中にはおそらく山姥切の検査内容について、それから今後の本丸の方針について等も纏められているのだろう。提出期限までまだまだ余裕があるうちから、東雲本丸の担当者である若竹と何度も連絡を取り合って報告の内容について話し合っていることは山姥切も知っている。
「じゃあ、それが終わったら今日はもう仕事は終わりだな」
「うん。明日までお休みかな」
「三日ぐらい休んでもいいんだぞ」
「そんなに休んだら、みんな出陣できなくて待ちくたびれちゃうでしょう?」
 言って、しばらく入力に集中した東雲はマウスを動かし、カチカチと数回押してから大きく伸びをした。
「終わったぁ〜!」
「なら、茶の用意をしてくる。燭台切が良い茶葉が手に入ったと言っていた。それと、今日のおやつは団子らしい」
「ありがとう。楽しみにしてるね」
「言っておくが、来るのが遅ければ秋田を寄越すからな」
「ちゃんと行くよ。仕事しないから大丈夫」
 本当だろうか、と山姥切は少しばかり胡散臭そうなものを見る目で東雲を見つめた。
 普段から真面目な彼女の言う「仕事しない」という言葉は信用できないのである。
 しかし、そんな仕事人間の東雲でも短刀の頼みはどうも断れないようで、特に初鍛刀で呼び起こした秋田には甘いところがある。
 それを理解している刀剣男士達は皆、ここぞとばかりに東雲を動かすのに秋田を使うのである。
 暢気にもヒラヒラと手を振る東雲に「絶対だぞ」と視線で訴え、山姥切は審神者の執務室を出た。
「おっ、山姥切。主は仕事を終わったのかい?」
 渡り廊下を歩いていると、ちょうど畑仕事を終えたらしい鶴丸が声をかけてきた。
 山姥切は泥まみれの彼の服に目を向けて呆れた目を向けた。
「鶴丸……また土で遊んでいたのか?」
「おい、またってなんだ。またって。ちゃんと仕事はしたぞ」
 心外だ、と言わんばかりの不満げな声音で反論した鶴丸に山姥切は腰に手を当てて薄く笑う。
「今度は何をしてそんなに泥まみれになったんだ?」
「そうだ聞いてくれ! この本丸の畑はどうやら植物の発育が良いみたいでな! ほら、さっき掘り返した人参だ! 足がある! 驚きだろう!?」
「ああ、驚いた。すごいな」
「おいおい……何もそんな子どもを相手にするような目で見なくてもいいだろ」
「確かにヘンテコな形をしているが、稀にあるぞ。あんたが知らなかっただけだ」
「何だって……!? なんでこんな面白い発見を誰も教えてくれなかったんだ!?」
「自分で発見するのが面白いからだろう。そんなの、自分が誰よりも理解しているんじゃないのか」
「確かに! そりゃそうだ!」
 はっはっはっ、と声を高らかに上げて笑う鶴丸。
 いつもこんな調子で周りを和ませてはいるが、有事の際には三日月と共に頼りになる頼もしい存在である。
 山姥切はその細い腕に装着されている腕輪を視界に入れ、目を細めた。
 あれは霊力の制御装置だ。一度目に襲撃を受けた本丸で政府に保護された三日月と鶴丸は、どうやら秘密裏に政府が開発していたものを与えられ、ずっとその正体をずっと隠していたらしい。そうして『政府から支給された』という体で東雲のもとに戻ったのだとか。
 道理で呼び起こしてからあれこれと飲み込みが早かったわけだ、と山姥切は納得した。同時に何故秘密にする必要があったのか、と疑問に思うが、人よりも神に近い考え方を持つ二振りのことだ。人の子の成長を見守りたい想いがあったのかもしれない。
「今から主の茶の用意をする。あんた達もひと段落がついたなら主と一緒に休憩するといい」
「おお! ちょうど今腹が減っていたところだ。主が来るなら急いで着替えてくるとしよう」
 言って、鶴丸は言葉通り急いで走り去って行く。
 その後ろ姿を見送って軽く息を吐いた山姥切は、自分も急いで準備をしなくては、と早足で厨房の方へと足を進めた。


 客人がやって来たのは、その数時間後のことだった。
 厨房にやって来た山姥切が燭台切と共におやつの準備をしていた時、慌ただしく駆けて来る足音に気づいた二振は手を止めて振り返った。
「山姥切さん! 山姥切さん大変です!」
「どうした秋田。走ると危ないぞ」
「きゃ、客人が来ていて……それが、あの……!」
「落ち着いて、秋田君。客人とは誰なんだい?」
「や……」
「や?」
 燭台切の問いかけに、言葉に詰まった様子で秋田はもごもごと言い淀む。燭台切を見つめていた視線がチラチラと山姥切を見ていることから、どうやら山姥切には言いづらいのだろうと察したが、その山姥切を呼んでいたのは彼だ。
 二振は静かに秋田の言葉を待った。
「……山姥切……長義さんと……」
「ああ。本歌が来たのか」
「彼にもお礼しないと、って主が言ってたから、ちょうど良かったんじゃないかい?」
 燭台切の言葉に山姥切は頷いた。
 だが、秋田はぶんぶんと首を横に振って「違うんです」と続ける。
「山姥切長義さんが、あの……主君を狙ったあの男に似た人が……! それで皆が警戒していて……!」
「……なるほど。理解した」
 どうやら長義が降谷を連れてきたらしい。一度会ったことがある秋田は慣れたようだが、あの時時間遡行軍の討伐に当たっていた刀剣男士達はほとんど降谷の顔を見ていない。
 透が降谷の前世であるというのは山姥切と長義だけが知っている話なので、縁が見えない刀達は特に混乱しているのだろう。
「燭台切、すまないが客人の分も団子を用意しておいてくれるか。俺が案内をしてくる」
「オーケー。あとで主の部屋に持って行くね」
 快く引き受けてくれた燭台切に「助かる」と告げて、山姥切は秋田に東雲への伝言を託し、早足で玄関に向かった。
 そこではすでに多くの刀達が集まっており、ざわざわと戸惑う空気が流れていた。
 そんな中から聞こえて来たのは加州清光の声だった。
「事情はなんとなく分かったけどさ、いきなり来る? 普通、事前に連絡とかするよね? 例え見合い相手だろうが幼馴染だろうが、その人と同じ顔をした男に襲われてんだよ、俺ら。特に主は命狙われてたわけだし……」
「それは申し訳ないと思っている。……が……これは取り急ぎ東雲の審神者の意向を汲んだ政府の配慮でもあるんだよ」
「はあ? 主の意向?」
 怪訝な顔をする加州の声を聞きながら、山姥切はやれやれと息を吐きながらその輪に近づく。気配に気づいた刀達が次々と道を開いていくと、腰に手を当てながらぷりぷりと怒っている加州の背中が見えた。
 山姥切の登場に気づいた長義と降谷が視線を動かした。
 つられて加州が振り返る。
「ねえ山姥切、主にお客さんが来てるんだけど」
「見れば分かる」
「大丈夫なの? この人、この前襲撃してきたあの男と同一人物でしょ?」
「加州清光。あんたが主のことを想っているのは知っているが、こいつは主にとって大切な人だ。それ以上意地の悪いことを言ってやるな」
 呆れるわけでもなく、かと言って叱るわけでもない。ただ宥めるようにそう告げれば、加州はまだ納得していない様子で不満げな表情を浮かべた。
「清光、もういいだろ」
「……分かったよ。俺、まだやることあるから部屋に戻る」
 不貞腐れたように頬を膨らませた加州はそう言って背を向けて去って行く。
 そのあとを追いかけるのは大和守安定や、新選組に関わる刀達だ。
 入れ違いで現れた三日月は、山姥切や長義、そして降谷の顔を見て静かに笑んだ。
「なんだ。騒々しいと思えば、客人か。こんな所で話し込んでいては、主が待ちくたびれてしまうのではないか?」
「今から案内するところだ」
「うむ。見合い相手殿がここにいるということは、それが主の答えなのだろう。混乱している者もいるだろうが……皆、今は主からの言葉を待つのだ。彼女なら、ちゃんと俺達にも説明してくれるだろう」
 悠然とした態度でありながらもしっかりと諭した三日月に、集まっていた刀達は仕方なしと肩を竦め、それでもやっぱり不安げに長義と共にいる降谷を振り返りながら散り散りになっていく。
 ようやく多くの視線から解放された降谷がひっそりと息を吐いて肩の力を抜くのを見て、山姥切は表情を変えず告げた。
「すまない。あれからまだ数日しか立っていないんだ。皆、まだ主に近づく者を警戒している。気を悪くしないでくれ」
「ああ、いや……仕事柄こういうのは慣れているから、気にしないでください」
「おやおや。婿殿は難儀な立場なのだな」
「三日月。ゼロはまだ婿じゃないぞ」
「なに、いずれ主の婿になるのだ。遅かれ早かれ同じだろう。……では、俺は皆を落ち着かせてくるとしよう」
 そう言うと、三日月は長義と降谷に軽く頭を下げてからゆっくりとした足取りで廊下の奥へと消えた。
 それを見送った山姥切はため息を吐いてから、ようやく自分の務めに戻るのだった。


「この本丸の刀は優秀だが、頭が堅いね」
 審神者譲りなのかな、と開口一番に嫌味を放った長義に東雲は苦笑を浮かべた。
 その隣に座っていた山姥切は落ち着いた口調で長義を咎めた。
「本歌。主が困ってる」
「ああ、これは失敬。あれも主を守ろうとしているからこそだったんだと理解しているよ。気を悪くしたのならすまないね」
「いえ……山姥切長義には私も国広も大変お世話になりましたから。むしろ、うちの刀達がすみません」
 東雲は静かに答えて微笑んだ。
 言葉通り自分に非があるのだと思っているのだろう。まるで菩薩のような対応に、山姥切はややしかめっ面になった。
「それで、あんた達は何の用があって来たんだ?」
「先日、東雲の審神者から受け取った『提案』について政府からの回答を持ってきたんだ」
「『提案』?」
「僕らが婚姻を結んだあとのことですよ」
 山姥切が首を傾げると、降谷が口を開いた。
「婚姻……? 主、俺は何も聞いていないぞ。見合いは中止になったんじゃないのか?」
「うん、ごめん。見合いも何もお互い知ってる人だったから、堅苦しいのは省くことにしたの」
 平然と東雲は頷いた。
「それに、政府にはこの条件がのめないなら審神者辞めるって言ったから、流石に国広には怒られると思って」
「え」
 これには山姥切もぎょっとした顔になる。
 この真面目な審神者から『引退』という言葉が出てきたことがどうにも信じ難い。だが、それ以上にその言葉が本気であると知って焦りを感じた。
「彼との見合いね……『時の政府』としては現世の警察に『コネ』を作るチャンスだと思っていたみたいなの」
「コネ」
「まあ、つまる話……政府は現世でも秘密裏に活動したいってこと。その協力者に現世の警察組織を選んだってことよ。私達は、その協力関係の証──まあ、早い話が形式的に政略結婚になるの」
「そして、結婚しても僕は現世で仕事を続けなければならないし、彼女はここで審神者として働きたいという意向を持っている。双方の意見から、必然的に僕がこの本丸を出入りする形になるんですが……それだと『護衛』がどうしても必要になると」
「そこで、この俺が彼の護衛の刀として選ばれたというわけだ」
 堂々たる態度でそう告げた長義に、山姥切はようやく彼らが一緒にいる理由を理解した。
「前世の僕が彼女を狙っていた……ということから『監視』の役割もあるのでしょうが、同時に僕と彼が現世で歴史修正主義者を見つけ出すことも可能だという話になりまして」
「確かに、政府で働いていた本歌なら現世にも多少は馴染みが早いか」
「そういうことだね。つまり、俺達が一緒にいることが政府の答えというわけだ。そして二人が婚姻後、俺は婿殿の唯一の刀としてこの本丸に所属することになる。よろしく頼むよ、偽物君」
 相変わらずの呼び方だったが、山姥切は平然とした顔で受け流し、少し考えてから首を傾げた。
「……待て。それだと部隊編成はどうするんだ? 長義を入れて出陣するのか?」
「必要であれば、山姥切長義を隊長に私の刀を現世に派遣することになるの。もちろん、出陣したい時は私の部隊に組み込む。練度のこともあるし」
「畑仕事は正直苦手だが……まあ、この本丸の指針には従う。安心してくれ」
 そこで、東雲は降谷に目を向けた。
「……ゼロは、それで納得したの?」
「ああ。特に異論はないよ。君と一緒にいられるなら、どこでも。不利益なことは何一つないから、心配しないで」
「そう」
 東雲は安心したように微笑み、そんな彼女を見た降谷も穏やかな眼差しで見つめる。
 そんな甘ったるい空気を感じ取り、山姥切は思い立ったように腰を上げた。
「それなら本歌、早速本丸の中を見ていくといい」
「は? なんだいきなり……俺は団子を食べているんだが?」
「ついでに部屋を決めよう。どこがいい? 流石に主の部屋の近くは無理だが……そうだな、長船派のところがいいか。ああ、そうだ。燭台切達に聞いてみよう」
「おい、話を聞け……おい! 引っ張るな! くそっ……なんなんだ写しのくせに!」
「そうだ、俺は本歌の写しだ」
「本当になんなんだ!?」
 突然のように部屋を出て行こうとする山姥切。
 そんな山姥切に訳がわからないまま引っ張られる長義。
 慌ただしく部屋を出て行くお互いの初期刀達に、主達はぽかんとした。
 しかし、そんな二人も再び顔を見合わせると、おかしそうに笑う。

 くすくすと笑い合う姿を背中越しに見て、本歌の小言を聞きながら山姥切はやれやれと視線を空に向けた。

 どうやら、まだまだ慌ただしい日々は続きそうだ。
 けれど審神者が、主が笑っていられるのであれば、その慌ただしさにも付き合ってやりたいと思う。


 ──左様であるならば、彼の話は、これにて。


【終】
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