とある本丸の山姥切国広の物語 陸


「聞きたいことがある」
 夜の帳が下りた江戸の町は薄暗い。喧騒に包まれながらも華やかな彩りを魅せるのは花街のあるの通りだけで、市中はしんと静まり返っていた。
 人目に触れない時間は、『人ならざるモノ』にとって好機である。
 屋根の上から花街の方角を見つめていた山姥切は、隣に立つ本歌に声をかけた。
 同じ方向を向いたまま静かに立っていた彼は、視線を動かすことなく「何かな」と応えた。
「あんたは、この世界の正史を知っているのか?」
「おかしなことを言う。正史とは、誰もが共通して認識している『現世に記録された歴史』だ。この世界に限らず、『全ての世界』において共通する」
「?」
「例えば……そうだな。織田信長は本能寺の変で死んだ。それが現世の人間が共通して学ぶ『事実』であり、国が後世に伝えるべきとした『正しい歴史』だ。その『事実』を変えようとしているのが歴史修正主義者達であり、奴らの狙いを阻止するのが俺達の役目。だが、ここは何度も改変を重ね、歪み、正史から外れた世界となった。……さて、ここで問題だ、偽物君。この世界で歴史改変を重ねたのは誰かな?」
「……歴史修正主義者と、俺達か」
「そう。政府は時を遡り、審神者に改変されたという事実を告げないままこの世界に潜む時間遡行軍を退けるよう指示を出した。そんなことを繰り返した結果、ある歪みが生じたんだ」
「歪み?」
「改変を繰り返した人間の記憶に、経験しないはずの出来事が残るようになったんだよ」
 それは平行した時間軸に生きる自分の記憶だ。改変を繰り返すことで、どういう訳か彼らは別世界の時間軸と共鳴し、記憶障害を起こすようになった。政府がその事実に気づいたのは、刀剣男士の姿を覚えている人間がいると報告を受けた時だった。
 長義の説明に、山姥切は言葉を失くして口を閉ざす。
「刀剣男士の姿を覚えているだけならまだいい。だが、将来いつ自分が死ぬかを知って呑気に生きていけるほど、人間は強く在れないだろう? そういった人間は意志も強くなり、自らの手で運命を変えてしまうんだ。だから、政府は正史からこの世界の時間軸を切り離し、永遠に交わらないよう閉ざした」
「……つまり『放棄された世界』とは、政府にとって負け戦となった戦場ってわけか」
「政府はそれを認めないけれどね。特別だ。理解の早さに免じて今の発言は聞き流すとしよう」
 今の発言は政府の上層部に知られたら只事では済まないだろう。暗にそう告げた長義に、山姥切は興味も失せたように白々しく言葉を続けた。
「それで切り離したはずの『現実』からわざわざ敵に侵攻されたとあっては、誰も黙っていないだろう。特に上位にいる審神者は切れ者ばかりだ。異変にはすぐ気づく」
「……写しのくせに生意気なことを言う……が、それには俺も同意だ。東雲の審神者も然り、政府が『優秀』と呼んだ審神者達であれば、いずれ真実に辿り着くだろう」
 山姥切の発言に諫めるような眼差しを向けていた長義だが、彼はそこで視線を逸らした。
「君が何を考えているのか知らないが、俺達の敵は待ってくれないぞ。東雲の下に帰りたいのであれば、俺の指示通りに動くことだ」
 山姥切は視線を上げた。
 長義は冷たい眼差しを暗い空に向けていた。
 いつの間にか、江戸を覆い隠す夜空には怪しげな穴が開いている。そこから現世と違って街灯のない江戸の町に幾つもの雷が落ち、その光に紛れて不穏な気配が市街地へと降り立った。
 暗がりの中、闇に溶け込んだ『人ならざるモノ』の気配はそのまま市中を駆け抜けて行く。
 奴らが動く気配を瞬時に察知して、山姥切と長義は声を掛け合うことなく同時に走り出した。
 先手を打つように頭上から斬りかかり、一瞬で敵を切り伏せていく。その間にも次から次へと雷に紛れて時間遡行軍は召喚され、どこかを目指して駆けて行く。
「奴ら、花街の方へ向かってるぞ!」
 長義の言う通り、奴らが向かっている先は間違いなく花街だった。
 まさか、と嫌な予感が背中を這い上がる。
 思い返せば不自然なぐらいに繋がることはたくさんある。『異国の青年』、『隠密廻り』、『辻斬り』──そして、『坂本龍馬』。
(敵の狙いは主か……それとも……)
「国広!」
 山姥切と長義はそちらに目を向ける。
 自分達の方へ駆け寄って来るのは透だ。仲間を引き連れた彼は時間遡行軍を見るや刀を抜刀し、勇ましくも斬りかかった。それは見事な腕前で、応戦する隙も与えず彼は打刀を手にした『人ならざるモノ』の腕を切り落とした。彼の仲間も同じく、勇敢にもそれらに立ち向かっていく。
「透……あんた、どうしてここに……」
「仕事仲間から連絡を受けて、今から花街に向かうところだったんです。そこで丁度あなたが交戦しているところを見つけたものですから……傷はもう大丈夫なんですか? 近頃この辺りでは辻斬りが相次いでいると聞いていましたが、まさか本当にこんな……」
「これが辻斬りだって? 馬鹿を言うなよ、透ちゃん」
「どっからどう見ても怪物だろ、こんなん。一体どうなってんだ、江戸はよォ……」
「先日は見世から逃げ出した遊女が花街で襲われたらしいが、他にも何人か市中で襲われていると報告はあった。おそらく、犯人はお前が言っていた通りこいつらだろう」
 透の言葉に反応したのは彼の仲間の方だった。実力も申し分ないであろう三人は、それぞれ対峙している時間遡行軍を切り伏せて背中合わせのまま言葉を交わす。
「厄介だぜ……さっき、すでに花街の方に走っていく奴がいた。こんな奴らヒロだけじゃどうにもできねぇだろ」
「透、先に行け! ここは俺達がなんとかする!」
「だが……!」
「時間がない……偽物君はその男を連れて花街の方に向かえ。人間だけで時間遡行軍は相手にできないだろう。ただし、俺達のやることを一つだけだ。下手に介入はするなよ」
「……わかっている」
 山姥切は大きく頷くと、狼狽えている透に目を向けた。
「行くぞ、透。ここは同心の仲間を信じろ」
 目を見開き、一度口を噤んだ透は真剣な眼差しを山姥切に向けた。
「……一体、いつから?」
「悪いが、今はあんたに説明している時間が惜しい。刀を握れるなら、惚れた女は自分で守れ」
「! ……まさか、彼女がこいつらに狙われているんですか!?」
「ああ、その可能性が高い。だから、お前は後悔しなように動け。敵は──必ず、俺が斬る」
 山姥切はそう言って、鞘に納めた己の刀を強く掴んだ。


 *** *** ***


 それは一瞬の出来事だった。
 爆音と共に一瞬で見世が燃え上がった。客も遊女も何事かと気が動転し、悲鳴を上げて見世を飛び出して行く。
 そんな中、お雪はただ一人、炎の中に佇む人物に気づいて足が竦むのを感じた。
「……と……おる……?」
 お雪の口から零れ落ちた名を拾ったのは、間違いなくその人物だ。
 一文字に引き結ばれた薄い唇がにやりと不気味に笑みを浮かべるのを見て、彼女はただただ恐怖で体を震わせた。真っ直ぐに自分を見つめていたはずの瞳は赤く染まり、美しい金の髪は血で塗れて本来の色すらわからなくなっている。唯一変わらないのはその顔と肌の色ぐらいだろう。
「おゆき」
 男の声に、お雪はびくりと肩を震わせた。
「何故怯える……? 僕はただ、お前を救いに来ただけだ」
「私を……救いに……? 透、あなた一体どうしたというの……?」
 お雪の知る透はそんなことを口にしない。何故なら、透は自分の置かれている立場を誰よりも理解しているからだ。
 昔から人に疎まれてきた彼は、それでも日ノ本という国のためにと身を粉にして働き続けている。それが例え人から恨まれるような仕事であっても、だ。だから一人のために無謀なことはしないし、お雪もそんな彼だからこそ命を賭して愛し、協力してきた。
(あの返り血は……新しいものだわ……)
 すでに乾いて黒ずんだものもあるが、鮮明な色がここ数時間で彼の行った罪を裏付けている。
 彼は、人を殺した。それはおそらく、大義のためではない。私利私欲のためにその手に握った刀を振りかざしたのだ。きっと炎の奥で聞いた悲鳴は、彼のせいだろう。
「答えて、透。どうしてこんな……うっ、ゲホゲホッ」
「どうして? お前が救われるならこんな見世、どうなろうと知ったことか。僕は君さえ生きていればそれでいい。……それで、良かったんだ」
「けほっ……何を……言っているの? 私は生きているわ。これからもあなたと一緒に……」
「違う。君は死ぬ。いつだってそうだ。君は僕を置いていく」
 お雪は困惑した。
 ぼそぼそと答える彼との会話は、噛み合っているようでそうではなかった。今も彼は自分ではない誰かを見ているような、そんな虚ろな眼差しなのだ。
「最初は見世の客だった。君を想い、狂ってしまった。僕は君を守るために奴を始末した。それで君がこれからも生きていけるなら、僕だけが業を背負う覚悟だったんだ。なのに……二度目の君は下賤な身請け人に無下に扱われ、あらぬ疑いをかけられたまま殺された」
「殺されたって……透、本当にどうしたの……? 私は生きてるわ。ここにいるのがわからないの!?」
「生きている……? ああ、そうさ。君は生きている。まだ生きている。そして、これからも僕と一緒に生きるんだ。あれから何十回、何百回と君を失った僕は……僕の悲願は、今こそ成就させなければ……」
 ──違う。これは自分の知る透ではない。
 お雪は身の凍るような思いで彼を見つめた。
 最早、この男は『人ならざるモノ』だ。だって、そうでなければ彼の後ろに佇んでいるあの異形のモノはどう説明できるのだろう。みるみるうちに歪な太さに変わった腕は、背中から見えた尻尾のような骨は、額から伸びた角は。
「サア……おユキ……」
 こちらへ、と手が差し伸べられる。
 まるで出口のない暗闇に誘われているようだった。
 お雪は涙を流しながら首を横に振った。
「嫌よ……嫌……」
 彼女の拒絶に、異形のモノは動きを止める。
「……イヤ……?」
「嫌よ! 行かない! あなたは透じゃない! 私の知ってる透じゃないわ!!」
 その時だった。
 窓の向こうから白い布の塊が炎で包まれた座敷に飛び込み、お雪とそれの間に割って入った。
 それは昼間に見た美しい侍と同じものだ。目深に被った襤褸布の中で見えた金色の髪に、澄んだ青の瞳の男。彼は座敷に飛び込んですぐに懐に忍ばせていた小刀を異形のモノ達に投げつけた。
 難なく防がれることは想定済みなのだろう。すぐに次の攻撃に出るべく、彼は腰に携えた鞘から刀を抜いた。
 その刃が自分と同じ姿の異形を庇って受け止められた瞬間、彼は叫んだ。
「今だ国広!!」
 刹那、また一つの影が廊下から駆けつけ、鋭い一閃が二度、三度と異形を襲う。
「行け、透!!」
 お雪は目を見開いた。
 国広と呼ばれたその人物は、たった数刻前にお守りを縫い直してあげた侍のことだった。
 そして、その侍の口から自分の想い人の名前が聞こえた途端、彼女は真っ直ぐに自分の方へと駆けた彼に抱き上げられた。
「もう大丈夫だよ。君は、目を閉じてるといい」
 優しい声音に、お雪は涙ぐんだ。
 そうだ。この人はやっぱり、こういう人だ。
 あんな怖い顔をした、怖い目をした異形とは違う。
「ええ。信じているわ」
 そう言って彼の首に腕を回した時、二人の体は座敷の窓から外の世界へと飛び立った。
 姿が見えなくなった二人に、異形の姿の透が顔を歪ませる。
 恨みの籠った赤い瞳は、真っ直ぐに山姥切へと向けられた。
「マタ……邪魔ヲスルノカ……」
「何度でもしてやるさ。お前には、数年前の借りを返してやらないといけないんでな」
 山姥切もまた、涼やかな美しい顔は無感情のまま胸の内で燃え上がる怒りを瞳に映した。

「東雲本丸が一の刀、山姥切国広……──参る!」


 *** *** ***


「これで全部かな」
 ドサリと目の前で崩れ落ちた巨体が、煤のように黒ずんだ靄となって消えていく。その様は燃えて朽ち果てた刀を表すようで、あまり見ていて気分の良いものではない。
 長義は刃を振るい、静かにその刀身を鞘に納めた。
「いやあ、あんた強ぇーな!」
「正直、俺達だけであんなのに勝てたかどうか……」
「助かったよ。さんきゅ。……あ、今の南蛮語で『ありがとう』って意味だってよ。透が教えてくれたんだ」
「……君達は『いつも』仲が良くて羨ましい限りだね」
 長義はそう言って薄ら笑いを浮かべる。
 意味深な言葉と笑顔ではあったが、彼らはそれに気づいていながらも「応」と屈託なく笑って答えた。
「俺ら仲間想いだしね」
「今回は滅多に人を頼らねえ透からの頼みだったからな。俺らで力になれるんなら、一肌脱いでやらねえと」
「彼が君達を?」
 怪訝な表情を浮かべ、長義は疑問を口にした。
「ああ。なんでも最近、好いた女が辻斬りに殺される夢を何度も見るんだと。それがあまりに現実的なもんで、毎日足繁く顔を見に行っていたみてぇだ」
「へえ……正夢というやつかな?」
「いや、あれはただ単に心配し過ぎなんだろ。流行り病に罹ったらしいからな、その女」
「おい、陣平……」
「遅かれ早かれ死ぬんだ。それが分かって、ようやくあいつも向き合うつもりになったんだろ。こんなことなら最初から隠密の仕事なんざ辞めて、女攫って逃げ出せば良かったんだよ」
 陣平と呼ばれた男は「けっ」と悪態をつくが、その顔に浮かんでいるのは苛立ちというより呆れの方が勝っていた。その言葉には決して悪意があるわけではないのだと、比較的人の感情の機微に聡い長義は察することができた。
「身請けもとうの昔にできたはずなんだ。でもお上に逆らえねえからって、同心の仕事を理由に自分以外の客を取らせないようにしておきながら女のために薬師の勉強までしてよォ……健気というか、なんというか」
「とか言いながら、一番最初に手伝ってやるって言ったのお前だけどな」
「っるせ!」
「……美しい友情で何より。……それはさておき、俺は花街に向かった彼らを迎えに行かなくてはならないんだが、君達はどうする?」
「もちろん行くぜ! 情けない話、あの化け物はあんたにしか斬れないようだからな」
「化け物を切る話なんて過去にもいくつかあったが……これまた面白い逸話ができそうだ。なんて刀だったか……山姥を切った刀やら、鬼を切った刀やら……今夜の話を知り合いに聞かせたら、後世にはあんたの刀にも異名がついて回りそうだ」
「それは光栄だ。是非とも切れ味の良い刀だったと触れ回ってくれ」
 言いながら、長義は興味もなさそうに背を向けた。
 その山姥を切った刀の話が本歌である自分か、それとも写しのことを指しているのか気になるところではあるが、不必要な会話は避けるために口を閉ざした。
 そもそも、知らなくても別に問題ない。
 今はただ、政府からの任務を全うするだけだ。
 花街の一角で燃え上がる炎と黒煙を見つめ、カンカンと鳴り響く警鐘を聞きながら、長義は彼らと共に走り出した。


 *** *** ***


「うっ……ゲホゲホッ……」
 激しく咳き込んだ声を聞き、透とその友人は足を止めた。
 振り返ると、透が手を引いていたお雪の顔色が随分と悪くなっている。辛そうにぜえ、はあと荒い呼吸を繰り返す彼女に、透は胸元から綺麗に折り畳んだ懐紙を取り出すと腰に下げていた水筒と一緒に手渡した。
「お雪、これを飲むんだ」
「ゴホッ……うん……」
「ごめんな、お雪。もうちょっとの辛抱だから……」
「ううん……ヒロ君のせいじゃないよ」
 透から受け取ったそれを口に含み、水で喉の奥へと流し込んだお雪は首を横に振って自分達の幼馴染である景光にやんわりと笑んだ。
 そんな二人のやり取りを横目に、キョロキョロと辺りを見渡した透は真剣な顔で片膝を着くと、お雪に言い聞かせた。
「いいかお雪。この市中の通りの先に僕達の仲間がいる。そこまで行ったらお雪、お前は彼らの手を借りてヒロと一緒に江戸を出ろ」
「え……」
「ここ最近、江戸には物騒な気配がずっと漂っている。それはいつか、お前の命を奪うかもしれない。ここよりもずっと静かな場所で療養するのが一番だ」
「で、でも……それじゃ透は……?」
「僕は……一緒には行けない。君が一番、それを良く理解しているだろう?」
「い、嫌……ヒロも一緒に行くなら、透も一緒に行けばいいじゃない! どうして……」
「……ごめん。約束を守れない僕をどうか許して欲しい」
 言葉少なに謝罪を口にする透に、お雪は目に涙を浮かべながたじっと見つめた。
 けれど、苦しげな表情で俯いている彼の心はもう固く決心しているようだ。頑なにお雪の顔を見ようとしない。
 そんな透の様子から、お雪ももう駄目なのだと悟った。
「本当に……行って、しまうの……」
「……」
「理由も、教えてくれないの……?」
「……ごめん」
 再び紡がれた短い謝罪に、お雪はとうとう涙を流す。
 しかし、その眼差しは悲哀に染まりながらも、彼を想う気持ちで溢れていた。
「……それなら……これを……」
 震える声で言った彼女は、自分の懐から細長い赤橙色の鉢巻を取り出した。
「これは……?」
「私が縫い付けたの。あなたは良く、布を頭に巻いて武士の真似事をしていたから」
 それは幼い頃の記憶だ。まだこんな未来も想像できなかった。無邪気にも夢を語っていた小さな子どもの頃の、三人の思い出。
 それをゆっくりとした手つきで透の額に巻きつけ、お雪は寂しげに笑う。
「……また会いましょう、透」
「……ああ」
 短い相槌は、震えていた。
 黙って二人のやり取りを見守っていた景光は、透に代わってお雪の手を握りしめた。
「頼んだ、ヒロ」
「任せろ」
 力強く頷き合う。今度は自分に代わって親友に手を引かれる想い人を、透は最後まで見届けるべく見つめていた。
 後ろ髪を引かれる思いで振り返っているんだろう。お雪はずっとこちらを見つめていたが、景光に急かされると意を決したように前を向く。
 遠くなる二人の背中を見つめて、透は小さく息を吐いた。
「……僕よりも長く生きて」

 それだけを願って生きてきた。
 この記憶が間違いなく己の罪の記憶であるならば。
 何十、何百と重ねた罪の中で、一度も選ばなかった選択肢を選ぶ他ないと思った。

 背後から忍び寄る影がある。
 赤く光る眼光に滲む殺気を背中で感じ取り、腰に携えた刀を引き抜いた。

「僕は、侍にはなれない」

 それでも愛する人を守る。
 自分はそのために、修羅の道を選んだのだ。


 *** *** ***


 ──守らねば、ならなかった。
 ──敵は、自分が斬ると誓った。

「その結果が……これか」

 あと一歩のところで時空の向こうへと逃がした敵を追いかけるのを諦め、先に逃がした透を追いかけた。
 そこで地面に伏した一人の男を見つけた山姥切は、真っ赤な血溜まりの中に沈む彼に歩み寄り、そっとその体を起こす。
 酷い切り傷だった。急所を外しているが、何度斬りつけられても立ち上がり続けたのだろう。炎から身を守れれば、と思って手渡した布も、今は赤く染まっていた。
「人の身で奴らを倒したか……流石、主が見初めた男だ」
 そこら中に散らばるいくつも折れた刀の残骸。
 それこそが彼の奮闘の証であり、生き抜いた証明だった。
「……──ょ……ゅ──……」
「……すまない。助けてもらった恩を返せなかったな」
 微かに聞こえる音を拾い上げるのも不可能だった。
 だから、せめてもの償いの意味を込めて、山姥切は謝罪を口にした。
 しかし、透の表情は責めるばかりか、穏やかなものだった。
 力なく垂れていた腕を動かし、握りしめていた血塗れの鉢巻を国広に見せる。
 受け取れ、という意味のようだった。
 おそるおそる山姥切がそれを受け取ると、透は満足げに口元に笑みを浮かべる。

「……さょ……なら……」

 ぽとり。
 命の落ちる、音がした。

 光を失った瞳を閉ざし、冷たくなったその体を地面に横たえて、山姥切はそっと立ち上がる。
「透!!」
 悲痛に染まる彼の仲間の声が、足音が、すれ違って行く。
「……最初から、彼はこのつもりだったみたいだね」
 どうやら駆けつける前にまだ敵と交戦していたらしい。後を追いかけて来た長義の体もボロボロだった。
 山姥切は何も答えなかった。──否、答えられなかった。
 だが、彼は無言の山姥切を全く気にしていない様子で通信機へと言葉を紡ぐ。

「こちら、山姥切長義。一八六四の江戸にて『放棄された世界』の歪みを発見。東雲本丸初期刀山姥切国広の奮闘により、正しい時間に戻ったことを確認した。尚、未来軸において東雲本丸が襲撃されている可能性あり。敵本陣が別経路で逃走したため、これより一度本部に帰還し、各本丸の援護及び本件の時間遡行軍の討伐における作戦会議を行う。各隊員、帰還せよ」
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