カフェ&ベーカリー『檸檬』には、イケメンの常連客がいるB


 例の常連客の男性は、レモンパンを大量に購入していくだけで特別問題になるようなことはしない。時々「彼氏はいるの?」「誕生日いつ?」とアプローチのように話しかけられることはあるが、特に私が知られて困るような質問はしてこないし、無駄に長話をするわけでもないので、彼についてはしばらく様子を見ようという形で落ち着いた。
 その男性は、今日もトレーを片手にレモンパンの前を陣取っている。そんなに気に入ってもらえたのかな、とちょっぴり嬉しさを感じる反面、やはり同じ物を買いたくてチラチラと目を向けているお客さんを見て不安になった。
 段々と彼を見て怪訝な顔をしていくお爺さんにいつ怒り出すかと内心ヒヤヒヤしていると、カランコロンと音を立ててまた一人お客さんが入ってくる。
 目を向ければ、入り口に立っていたのは安室さんだった。先日話した通り、いつもより早い時間に来店してくれたらしい。
(でも、パンはもう……)
 棚に残っているパンは残二つだけになっている。このままだと全部あの男性が取ってしまいそうだ。
 残念だけど、今日も安室さんはあのパンを買えないだろう。
 そう思ってひっそり肩を落とした時だった。
 店の中をぐるりと見回しながら、安室さんはトレーを片手に持って大柄の男性にスタスタと歩み寄り──。
「失礼。僕もいただいてもいいですか?」
(い、いっちゃったー!?)
 彼は平然と声をかけた。そして、大胆にも横から普通に割って入り、普通にレモンパンにトングを伸ばしていた。
 驚いたのは私だけではなく、あの男性も同じだったようだ。突然現れた見知らぬ男性に動きを止めていた。
 その一瞬の隙を狙い、安室さんはひょいひょいと棚に残っていた二つのレモンパンをトレーにのせ、くるりと踵を返すと呆然としていたお爺さんに近づいた。
「すみません。間違いでなければ、これが欲しかったんですよね?」
 これまた唐突だった。知らない男性に話しかけられたお爺さんが戸惑いを見せる。
「あ、ああ、そうだが……」
 安室さんはそんなお爺さんのトレーにレモンパンを一つ置き、「良ければ、お一つどうぞ」と優しく微笑んだ。
 相手に遠慮を許さない見事な流れだ。
「お、おお……これは親切に、どうもありがとう。孫がこのパンを気に入ってねぇ……また食べたいと言っていたから、どうしても買って帰ってあげたかったんだよ」
 お目当ての物が買えてようやく表情を緩ませたお爺さんに、「きっと喜んでもらえますよ」と言って安室さんもニッコリと笑った。
(あ、安室さん……!! いい人すぎる……!!)
 前から薄々と感じてはいたが、ここまでとは。彼の優しさと親切心はすでにカンストしているのではないだろうか。
 女性だけでなく、人間という生き物全てを虜にしてしまいそうなそのスマートぶりに、私は一人心の中で大喝采の拍手をしながら感涙しそうになった目を押さえて俯いた。
 店に入ってすぐに状況を把握できたのもすごいけれど、あの強面の男性に対して平気で近づいていくその度胸もすごい。何より、見知らぬ他人への優しい神対応に尊敬の文字しか浮かばなかった。
「お嬢さん、お会計をお願いできるかい?」
「はい」
 満足げな顔でお会計へと歩いてきたお爺さんに、私もまた満面の笑顔を浮かべた。安室さんの機転のおかげで諍いが起こらずに済んで本当に良かった。
 会計を済ませて私と安室さんに頭を下げて店を出ていくお爺さんを見送ると、次に会計にやって来たのはレモンパンの山を作ったあの男性だった。いつものように手早くパンを袋に詰めながら会計を済ませ、袋を差し出す。
 じっとこちらを見つめる彼の目は相変わらず三白眼で怖い。本人にそのつもりはないのかもしれないけれど、睨まれているように感じるのだ。そこに加えてニタリと笑ったりするのだから、恐怖はさらに倍増する。
 だが、今日の彼は無表情だった。何を考えていたのか、私を見て数秒ほど固まっていたようにも見える。
「……?」
 どうしたんだろう。早く受け取ってもらえないと、後ろで順番を待っている安室さんのお会計ができないのだけれど。
 困惑しながら「ありがとうございました」ともう一度袋を差し出せば、目の前でぴくりとも動かなかった彼はようやく袋に手を伸ばした。
「君も──」
「え……?」
 ボソリと呟かれた声がよく聞き取れなかった。
 戸惑いながらも少し顔を近づけて聞き返した私に彼は口を閉ざし、袋を受け取っていつもより遅い歩みでのしのしと床を踏みながら店を出て行く。
「……あの男性が、この前お話しされていた人ですか?」
「え、ええ……そうなんです」
 けれど、なんだかいつもと様子が違う気がした。どこか哀愁を漂わせている彼の背中を見つめたまま、私はこくりと頷く。
 相変わらず声をかけづらい雰囲気ではあったが、今日の彼は何やら思いつめているようにも感じられた。
「……何か、気になることでも?」
「え? いやいやっ、そういうわけじゃ……あ、すみません、お会計しますね」
 聞き取れなかった彼の言葉が気になって少しぼーっとし過ぎたようだ。安室さんに探るような眼差しを向けられて、私はぶんぶんと首を横に振った。
 その返答に彼はどこか不服そうだったけれど、特にそれ以上の追及はしてこなかった。
「……あれ? 安室さん、いつもより多いですけど……全部お持ち帰りで良かったですか?」
 レモンパンの他にデニッシュパンやクロワッサン、食パンとバターロール、レーズンパンにカレーパン、そしてサンドイッチ。かなりの数だが、明らかに一人で食べる量ではない気がする。
「ええ。今日は友人と会う約束をしているので、お土産にここのパンを持っていこうかと」
「わ、ホントですか!? ありがとうございます。祖父と祖母が喜びます」
「あれ。名前さんは喜んでくれないんですか?」
「もちろん、私も嬉しいです! いつもありがとうございます、安室さん」
 パンを袋に詰めてニコリと笑顔で差し出すと、安室さんも柔和な笑みを浮かべて受け取ってくれた。
「レモンパンだけは、僕が美味しくいただきますけどね」
「ふふ。安室さん、本当にそのパンお好きなんですね」
「ははは。まあ、それだけが理由じゃないんですが……」
 え、他にどんな理由があるの。不思議に思って首を傾げると、安室さんも私と同じ方向に首を傾げながらニコニコと楽しそうに微笑む。それに思わず胸がキュンとした。
 すごい。安室さんの周りにキラキラしたエフェクトが見える。顔の良い男が首を傾けて微笑むだけでこんなにも視界が眩しく感じるものなのだろうか。
「安室さん、今日も眩しいですね」
「天気予報だと、今日は昨日に続いて快晴らしいですよ」
 違う。天気じゃなくてあなたのことです。
 咄嗟に飛び出そうになったその言葉をなんとか飲みこんで、私は脱力感に襲われながら「そうみたいですね」と雑な相槌を打った。
 そんな私を見た安室さんは、クスクスとおかしそうに笑っていた。


 その日は、久し振りの休日だった。
 体に染み付いた癖で朝早くに目を覚ましてしまった私は、眠たい目を擦ってベッドから下りた。
 大きな欠伸をしながら居間に向かうと、そこにはもう誰もいない。すでにみんな店の方へ行ってしまったらしく、テーブルの上には朝ご飯と「食べたあとは洗っておいてね」とハートマーク入りの母の置き手紙があった。
 寝ぼけ眼でそれを読んで、トボトボと玄関を出てポストに向かう。
「……?」
 ポストの蓋を開けた私は、新聞紙や広告のチラシの他に便箋が入っていることに気づいて首を捻る。
「手紙?」
 今時こんな物をうちに届ける人なんていただろうか。いるとすれば祖父母の知り合いか。
 そう思ったけれど、裏返して確認した宛先の名前は私になっている。送り主の住所もない真っ白な封筒に、私はますます困惑した。
 居間に新聞紙を置いて、一先ず着替えるために部屋に戻る。そして手早く身支度を簡単に済ませたあと、私は手紙を開封して中身を確認した。
「……何、これ」
 出てきたのは『安室透に近づくな』という一枚の紙。それも、脅迫文のようにプリンターで印刷されている。
 安室透とは、あの常連客の安室さんのことだろうか。安室、という名前で思い当たる知人が一人しかいないので、おそらく彼のことで合っているのだろう。
(でも、なんで安室さん? もしかして、自分が知らなかっただけで、密かに安室さんの追っかけがいるとか……?)
 ──ありえなくはない、かも。
 あの容姿で気さくだし、優しい。うん、あの安室さんなら確かにどこにいても人気者になる。知らない人にも親切だし、この町で知らない人はいないんじゃないか、ってぐらい有名人になっていそう。
 だとしたら、これは彼のことが好きな女性の仕業かもしれない。偶然店で彼と話している私を見て、何か勘違いされたのかも。
 それなら、きっと大丈夫。私と安室さんの間には何もない。ただの店員と常連さんという繋がりだけだ。
「だから問題ない……よね……?」
 ポツリとそう呟いた私の声は、自分でも分かるほど不安そうで、自分で言った「問題ない」という言葉に、ほんの少しだけ胸が痛かった。
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