とある本丸の山姥切国広の物語 壱


 ――細くて、赤い、糸がある。
 山姥切国広がそれに気づいたのは、何年も前に顕現されてすぐの頃だ。
 自分の主である審神者の体から伸びたそれは、今にも千切れそうなほど霞んでいながらもどこか遠くへと長く繋がっていた。
 顕現されたばかりの山姥切が赤い糸を指差して「それは何だ?」と告げたら、彼女はひどく驚いた表情を浮かべて首を傾げていた。審神者はその糸に気づいていなかった。見ることすらできなかったのだ。
 後で審神者のサポート役であるこんのすけに確認したところ、御神刀や希少とされる刀を除いた他の刀剣達にも見えないらしい。見える刀もいるので山姥切だけがおかしいという訳ではないようだが、彼らは彼女の体から伸びているその糸に少なからず不安感を抱いていた。

 あれは、おそらく縁だ。
 審神者と誰かを繋ぐ糸。
 この本丸から、主を奪いかねない絆の証。
 誰もがその縁の先にいる人物を危惧していた。

「切るか?」

 ある日、湯飲みを手にしながら縁側に腰かけていた三日月宗近が、山姥切に目を向けないまま笑みを携えて尋ねた。
 何を、とは聞くまでもない。
 三日月は山姥切と同じ時期に顕現された刀剣の一人だ。
 そして、彼もまた縁が見える刀の一振りだった。
「……いや」
 暫し悩んだ素振りを見せながら、山姥切は緩やかに首を横に振る。
 山姥切は初期刀として審神者の傍で長い年月を過ごした。
 だが、ここに就任して数年経った今でも彼女の糸に変化は見られなかった。
 それはつまり、この異空間に閉じ込められているからではないのか。山姥切はいつしかそう考えるようになった。
 審神者は自分の結婚に関しては何も気にしていないと言っていた。『ご縁があれば』ぐらいの考えしかない、と。
 けれど、その本心は誰にもわからない。口にしないだけで、彼女にも人並みに誰かを愛し、添い遂げたいという思いがあるかもしれない。
「あれはきっと、主と現世を繋ぐ最後の希望だ」
 だから、これ以上彼女の退路を塞ぎたくはない。
 ぽつりと呟いた山姥切の言葉に、返事はなかった。
 妙な沈黙に不安になった山姥切は、そっと被った襤褸布の隙間から三日月の横顔を盗み見る。
 三日月は目の前に広がる美しい庭園を眺めながら、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。山姥切の方を見ようとはしない。
 そんな彼は、数秒の間を置いてふっ、と口角を上げて笑い声を漏らした。
「お、おい……俺は何か変なことを言ったか?」
「いやいや」
 くすくすと肩を揺らしながら、三日月は嬉しそうな表情を浮かべた。

「今はみな、お主と同じ意見だ」

 ――山姥切も、成長していたのだな。
 そう言った三日月の言葉が、何故かひどく耳に残っていた。


「――ぃ。――い。ねえ、兄弟! 起きてってば!」
 ばさり、と布団が剥ぎ取られた。深い眠りから意識が浮上した山姥切は目を見開いて飛び起きる。
 きょろきょろと視線を動かせば、自分の傍で腰に手を当てながら頬を膨らませている同じ刀派の堀川国広が立っていた。
「おはよう、兄弟。今日は僕と馬当番だよ。忘れたの?」
「あ、ああ……いや、あの、すまない」
 適当な言い訳も思いつかず、素直に謝る。すると堀川もそこまで怒っていなかったのか、すぐに笑顔を浮かべて頷くと手に持っていた山姥切の襤褸布を差し出した。
 それを受け取り、山姥切は素早く身支度を済ませる。布団を畳んで押入れに片付けると、部屋を出て廊下を渡り、馬小屋へと向かって歩き出した。
「あ、山姥切さぁん! おはようございます!」
 外へ出た山姥切に大きな声で声をかけたのは、この本丸の初鍛刀である秋田藤四郎だ。彼は審神者の部屋へと繋がる渡り廊下からこちらに向かって大きく手を振っていた。
 足を止めた山姥切は振り向き、表情一つ変えずに手を上げて応える。
 秋田は廊下を小走りで渡って来ると、近くの縁側に置いてあった草履を履いて山姥切と堀川の近くまでやって来た。
「すぐに見つかって良かったです! 先程、主君が山姥切さんを呼んでいました。当番が終わってからで構わないそうです」
「そうか。分かった」
 短く山姥切が答えると、堀川は眉尻を下げて首を傾げた。
「主さん、何かあったのかな……?」
「どうせ、また政府から厄介事でも頼まれたんだろう」
 やれやれ、と面倒臭そうに吐き捨てた山姥切は、肩を竦めて馬小屋へと足を向ける。
 そんな素っ気ない態度を見せながら、有事の際には真っ先に審神者に呼ばれる事が嬉しいのだろう。
 彼の周りをひらひらと待っている桜の花びらを見て、堀川と秋田は互いの顔を見合わせる。
 それから二人は山姥切に知られないよう、声を潜めて笑い合った。


 馬小屋の当番を終えて、山姥切は審神者のいる部屋へと向かった。この本丸の奥まった場所にある審神者の執務室は、敷地内でも庭が一番綺麗に見える位置に置かれている。
 審神者は、よくその部屋の窓からその庭を眺めていた。昔から景観を眺めるのが趣味らしく、カレンダー通りに季節を変えては外の景色をいつも楽しそうに見ていた。
「入るぞ」
 審神者の自室とこの部屋だけは、審神者に馴染み深い現世と同じ建物の造りにされている。彼女に教えられた通りノックをしてから一言声をかけて、山姥切は手慣れた手つきで執務室のドアノブに手をかけた。
 中に入ると山姥切の想像通り、審神者は窓から外を眺めていた。
「主」
 山姥切が声をかければ、審神者は振り向いた。昨日は眠れていないのか目の下には隈が出来ていて、朝から少し疲れているように見えた。
「ああ……ごめんね、ご飯前に」
「いや、それは別に構わないが…………?」
 審神者の様子を注意深く観察しながら彼女の作業机に近づいて、山姥切は目を見開いた。

 ――糸が、太く、鮮明に見える。

 思わず凝視してしまったそれに気づいたのか、審神者が苦笑を浮かべながら口を開いた。
「さっき、遊びに来た鶴丸も同じ反応をしたよ」
 それはただの遊びではなく、“悪戯”という名の遊びだろう。他本丸でも『びっくり爺』と名高い人を驚かせる事が大好きな鶴丸国永は、例に漏れずこの本丸でも暇を見つけては審神者や他の刀達を驚かせていた。そんな彼は以前にも審神者を驚かせた事があるのでへし切長谷部と共に山姥切が注意したのだが、その効果は全くないようだ。
 しかし、今の山姥切はそんな事はどうでも良かった。それよりも彼は審神者の赤い糸が色濃くなっている事の方が衝撃だったのだ。
「……政府に、何か言われたのか?」
「国広、私ね……お見合いをすることになったの」
 なるべく平静を装い質問すれば、間髪入れずに審神者は答えた。
 なるほど。山姥切は納得したように頷く。
 つまり、その糸の先にいる人物が見合い相手なのだろう。混乱はまだ解けないが、それだけははっきりと理解した。
「何故、よりによってあんたが?」
 審神者とは、歴史の改変を目論む『歴史修正主義者』と呼ばれる時間犯罪者と戦う者だ。異空間にある本丸で刀剣男子と呼ばれる刀の付喪神を纏め、それらを管理し、時代を越えて彼らを戦場に送り出す役目を持っている。時には審神者自ら戦場に出ることもある。国からすれば、テロ組織と戦う謂わば兵士のような存在だろう。
 そんな戦場のど真ん中にいるような人間に、何故見合い話など。
 山姥切は激しく困惑していた。
「分からない。先方から持ちかけられた話らしいから」
 審神者は首を横に振って、俯いた。
 彼女にとっても急な話だったらしい。どこからどう見ても戸惑っている様子だった。
 そんな彼女を見て、山姥切は何とか落ち着きを取り戻す。
「……断ることは、出来ないのか」
 絞り出すように出たその言葉に、審神者はもう一度ゆるゆると首を横に振った。引き出しを開けて、辞令と書かれた一枚の書類を机の上に置く。
「相手は現世の警察組織のキャリア……ええと、そこそこに偉い人みたいなの。だから断るにしても、当人達で話し合いをするしかないみたい。見合いにはとにかく出席するように言われたわ」
「……分かった。なら、その見合いには俺以外の奴に同席を頼んだ方が良いだろう。食事前に全員に報告をしておく。それと、見合い当日の当番はこっちで決めても構わないか?」
 通達の紙を手に取って文章に目を通した山姥切が審神者にそう確認を取れば、審神者はきょとんとした。そしてゆっくりと口を手で覆い隠し、ふふふと笑った。
 こちらは真面目に対応しているのに、いきなり何だ。山姥切はじとりと審神者を睨みつけた。
「ごめんごめん。怒らないで」
 謝罪していながらも口元が緩んだまま。
 自分の将来を左右する事態なのに、何とお気楽なことか。「そこが彼女の良いところじゃないか」と歌仙兼定は褒めていたが、こちらとしては時々心配になる。
 山姥切は深くため息を吐き出した。
「ほんと、うちの山姥切国広は頼りになる初期刀だな、って思っただけだよ。顕現した当初は、いっつも『俺なんかより三日月に頼め』って言ってたのに」
「それを無視して俺ばかりに面倒事を押しつけたのはあんただろ」
「ごめんって」
 ふん、と鼻を鳴らした山姥切に対して、彼女は悪びれる様子もない。けらけらと笑い声を上げていた審神者は、ふと優しい表情で山姥切を見つめた。
「ありがとう、国広。あなたを選んで良かった」
「……そんな事言って、後で後悔しても知らないからな」
 書類を机の上に投げ、ふいっと顔を背けた山姥切の顔は頭まですっぽりと被ったフードで見えない。けれど、それが彼なりの照れ隠しだということは、審神者も長年の付き合いで知っている。
 その周りで桜がはらりと舞うのを見つめながら、彼女は静かに辞令の紙に視線を落とした。
 机の上に無造作に置かれた書類に、一枚の桃色の花弁が落ちて、溶けた。
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