バレンタインに親友が告白する話


 それは、学校帰りに幼馴染みの家に遊びに行った時の話だ。
 最近流行りのパーティーゲームに夢中になっていた諸伏の隣で、同じくゲームコントローラーを握りしめていた降谷が「そういえば」と思い出したように口を開いた。「んー?」と諸伏が横目で彼を一瞥すると、彼は画面から顔を逸らすことなく、雑談混じりに爆弾を投下した。
「僕、バレンタインに告白するよ」
「ふーん」
 諸伏はガチャガチャとボタンを激しく押して移動キーを操作しながら相槌を打った。 
 へえ、そうなんだ。ゼロのやつ、やっと告白する気になったのかー。長い片思いだったなあ。
 まるで保護者のような感想が頭を過ったところでで、諸伏は頭の中が空っぽになって動かしていた手を止めた。
「……………………え?」
 画面の向こうで自分が操作していたキャラが悲鳴を上げながらステージの外へと飛んで行く。「おい、勝手に自滅するなよ」と不機嫌な顔でライバルキャラ達を蹴散らしていく降谷だが、今の諸伏の頭の中はそんなことよりも降谷の言葉で頭がいっぱいだった。
 今、この幼馴染みは何と言ったんだっけ。『告白』だ。聞き間違いでなければ、彼ははっきりとそう言った。
「ええぇぇぇぇええええ〜〜〜〜っ!?」
 降谷と二人きりの家に、諸伏の驚きを含んだ声が響き渡る。
 あまりに大きな声だった。耳を塞ぎ忘れた降谷がキーンと耳鳴りのする耳を抑えながら「ヒロ、うるさい」と眉を潜めたのは言うまでもなかった。


 *** *** ***


 諸伏景光は、幼馴染みの降谷零とは兄弟と呼べるぐらい仲の良い親友だ。
 だから、彼がとある女子を意識していることに気づいたのも、比較的早かったと思う。──否。諸伏が彼の恋心に気づけたのは、意外にも降谷の態度が分かりやすかったことも原因の一つだったのかもしれない。
 数人のグループでお喋りしている時に、ふと視線を廊下へと向けていた降谷に気づいた諸伏は彼の視線を辿った。そこには教室の入口付近でお喋りしている二人の女子がいた。
 一人は、自分達のクラスの委員長だった。その委員長に、どうやら他クラスの女子が教科書を借りに来ていたらしい。
 ジーッと穴が開くくらいそちらを見つめている降谷に、諸伏は最初の頃、てっきり彼は委員長を気にかけているのかと思っていた。しかし、時間が経つにつれ、その視線が委員長ではなくもう一人の女子に向けられているのだと気づいた。
 彼女が教科書を忘れて借りに来る時も、昼休憩になると友人とご飯を食べに来る時も、授業の合間にお喋りしに来る時も、決まって彼は廊下側に目を向けている。そして開きっぱなしの扉の向こうで彼女の姿が見えなくなるまで、じっとそちらを見ているのだ。
 ──明らかに、意識している。
 その事実はいつの間にか諸伏だけでなく、降谷と仲良くしている男子達の間に広まった。
「そうか〜……降谷のやつ、遂にやるのかぁ」
「長かったよなぁー」
 うんうん、と頷く彼らは一年の時から降谷と諸伏と仲良くしている男子生徒達で、密かに降谷の恋を見守っていた同士でもある。さり気なく彼らの仲を取り持ちつつ、適度に茶々を入れて降谷の反応を楽しみつつ、そうして一緒に彼の恋を育て上げた功労者達は、近くの席に座って円になり、教室の一角を見た。
 きゃいきゃいと騒ぐ女子に囲まれている降谷が見える。彼らが登校してすぐ目にしたのがこの光景だった。なんだ、この少女漫画みたいな状況は。去年まではここまでじゃなかったじゃないか。降谷の友人だけでなく、教室に入ったクラスメイト全員が思わずそちらを二度見した。
「けど、降谷には悪いが、今日だけはすんげームカつくな!」
「ほんとそれな! 女子からチョコ貰えるだけでも羨ましいのに!」
「いいぞーっ。今日だけはもっとやれーっ」
「おい、お前ら! 本当に協力する気あるのか!?」
 彼らの気持ちも十二分に理解できるが、諸伏は降谷の心境も分かっているので気が気でない。朝からずっと見守っているが、一向に彼は彼女に話しかけるタイミングがないのだ。
 そして、その肝心の彼女もどうしてか降谷には一切声をかけないし、目も向けない。まるで彼を避けているようで、余所余所しいどころの雰囲気ではない気がする。
(どうも変、なんだよなぁ……)
 顎に手を添えながら、廊下に避難した彼女に目を向ける。彼女はチョコを届けにきた友人達とのお喋りに花を咲かせていた。降谷には一切目を向けない。
 傍から見ても普段の彼女はチラチラと降谷に目を向けていたので意識しているように思えたのだが、気のせいだったんだろうか。
 それとも、もしかして降谷はもう既に彼女にチョコを渡したのか。しかし、それなら降谷は他の女子達にはっきりと『恋人以外のチョコは受け取らない』とか言いそうなのだが。
 うんうんと首を傾げる諸伏の耳に、「おい、諸伏」とトイレに行っていた男子が声をかけた。
「なんか知らねーけど、『降谷は好きな子からしかチョコ受け取らない』って噂が流れてるぞ」
「は?」
 諸伏は状況が整理できずに混乱した。ただ一つ理解できたのは、それが本当に女子達を牽制しようとした降谷の言葉だったのだとしたら、結果は朝から期待に胸を膨らませている女子達には逆効果だったということだ。
(お前、一体朝から何やらかしたんだよ、ゼロ〜〜〜〜っ!!)
 明らかに自分の知らない所で何かが拗れている。
 このままで本当に降谷は告白なんてできるだろうか。
 他人事なはずなのに、諸伏は自分のことのように頭を抱えて項垂れた。

 
 女子の突撃作戦は、結局昼前まで続いていた。
「今年も凄いな、ゼロのやつ」
 自分だったら途中で耐えきれなくなっていそうだ。恋に対する女子の執念深さにも感服してしまう。
 委員長も同感らしく、「普通なら受け取って貰えないって諦めるでしょ」と彼女達に呆れた視線を向けていた。降谷が助けを求めるようにこちらを見ているけれど、流石に恋する女子を追い払う勇気は諸伏にもなかった。下手に口を挟むと馬に蹴られるどころの騒ぎではなくなる気がして、心の中で合掌する。
 そんな中、ずっと無言を貫いていた降谷の想い人がチラリと降谷の方を見る。けれど、彼女はすぐに興味も無さそうにプイッと顔を背けた。彼女のその冷たい反応に若干ショックを受けた表情を浮かべる降谷に、諸伏は苦笑した。
「……? どうかしたの?」
 委員長が異変に気づいて声をかけると、彼女は首を横に振って曖昧な笑みで誤魔化した。そして「ハッピーバレンタイン」と言いながら彼女は手に持っていた鞄の中からチョコレートを包んだ袋を取り出し、委員長と諸伏に丁寧にラッピングした袋を差し出した。
「えっ、お、俺にも!?」
 まさか義理でも自分まで貰えると思っていなかった諸伏は思わず喜びで破顔した。だが、お礼を言いながらそれを受け取った瞬間、ブスブスと刺すような視線を感じてギクリと肩を震わせる。
 ──降谷だ。
 女子の間から見える降谷の目が、剣呑さを帯びて諸伏を睨んでいた。
(えええ……これ、どう考えても不可抗力じゃん……断ったらそれはそれで悲しませそうだし……!!)
 嫉妬心を隠す素振りもなく「羨ましい」という言葉が視線と同時に飛んでくるのを受け止めた諸伏は、逃げるようにそっと彼から視線を逸らした。そこで、偶然にも彼女の鞄が開いてることに気づく。そこから見えている物をはっきりと捉えた諸伏は、仕方なく身動きが取れない降谷の代わりに彼女に確認することにした。
「あ、あのさ」
「?」
「その……ゼロの分とか、あったり……する?」
 一瞬頬を引きつらせて固まった彼女に、諸伏は自分から聞いておきながら申し訳なさで泣きたい気分になる。
 おそらく、否、間違いなく彼女は『本命』を用意している。けれど降谷は朝からあの状態だし、少し内気なところがある彼女も降谷に渡すタイミングが掴めない状況なのだろう。
 どうしよう。彼女からの分だけでも、自分が代わりに渡してあげた方が良いだろうか。いや、でもそういうのはやっぱり自分で渡して欲しい。
 そんな葛藤を頭の中で繰り返していると、彼女は再び首を横に振った。
「ううん。適当に作ってきたから、もうないよ。それに降谷君……『好きな子からしか受け取らない』って言ってたし……」
 言外に『受け取って貰えないでしょ』と言いたげな、予想もしていなかった『持ってない』発言と例の噂が彼女の耳にも入っている事実に、諸伏はぎょっとする。
 嘘だろ。ここまできて彼女は諦めてしまうのか。
「えっ、ちょっ、それ多分、何か誤か──!!」
 誤解してる、と最後まで言おうとした言葉はタイミングが悪いのか良いのかチャイムに遮られた。「ほら〜。さっさと席に着け〜」と次の授業を担当している先生の声に反応した彼女は諸伏の言葉を最後まで聞くこともせず、さっさと自分の席に戻ってしまう。
(いやいや、待ってくれ! 流石にこのままはマズイぞ……!? なんで休み時間がもう少し伸びないんだ!!)
 兄弟のように仲の良い幼馴染みからは嫉妬で睨まれるし、その幼馴染みの想い人は鈍感過ぎて誤解をしているし、本当にもう、誰かどうにかしてくれ。あまりに理不尽すぎる。
 するとそこで、一人青褪める諸伏の肩を一人の女子が慰めるように優しく叩いた。
 委員長だ。彼女もまた遠い目をしていた。
「何となく察した」
「察したなら助けてくれ」
 この時、諸伏は心からそう願った。


 *** *** ***


「ゼロ、ごめんって」
「別に? 怒ってないけど」
「いや、今すぐ鏡見てこい。目が完全に据わってっから」
 ストローに口をつけたままこちらを凝視している降谷は「良いなぁー。俺は貰えてないのに、あの子からチョコ貰えて良いなぁー。羨ましいなぁー」と隠すことなく目で訴えていた。授業中も背後からの視線がどれだけ痛かったことか。
 しれっとした様子で「気のせいだろ」と言うが、果たして本人は自覚があるのだろうか。──きっと、あるんだろう。直感だが、諸伏はそう感じた。
「僕、そんなに眼中になかったのかな……」
「んー……いや、そういう訳じゃないと思う」
 キョロキョロと教室の中を見渡し、彼女のいる方を見てからため息と一緒に視線を落とした降谷に、諸伏は今日一日の彼女の様子を思い返しながら否定した。
「さっき、彼女の鞄の中をチラッと見たんだ。一個だけ、まだ渡してないやつがあった」
 それも、他の子に渡している物とは違う箱の包装だったのだ。諸伏は、間違いなくそれが降谷宛てに用意された物だと確信している。
 降谷は自分の気持ちを伝えることばかりでなかなか気づかないが、普段の彼女の様子からも二人が両想いであることは明白だ。彼女は彼女なりに、バレンタインという今日のイベントに乗じて降谷に想いを伝えようとしていたのだと、諸伏は思う。
「それって……」
「そう! 望みは──」
「僕以外に好きな奴がいるってことじゃないか……!?」
 望みはまだある。そう言いたかった諸伏は降谷の導き出した答えにがっくりと頭を垂れた。
(前々から思っていたけど、彼女のことになるとたまにアホだな)
 降谷は洞察力が優れている方だ。諸伏でさえも気づかない視点から物事を見ることができるし、誰もが見落としそうな所によく気がつく。そこから理論立てて推理することも得意なのだ。
 なのに、それだけの洞察力を兼ね備えておきながらどうして、こう、いざという時にその能力を発揮しないのか。少し考えれば彼女と本命に成りうる仲の良い男子は自分しかいないと分かるはずだ。
 何なのだこの二人は。稀に見る少女漫画体質なのか。
 リアル鈍感ラブコメディを繰り広げようとしている彼らに、諸伏は深い溜息を溢すしかなかった。
「とりあえず、俺の話を聞いてくれ」
「あ、ああ」
 勘違いで先走る不安は残っているんだろうが、降谷の心配などただの杞憂だ。諸伏は落ち着いた所で状況整理から始めた。
「まずは、だ。ゼロ、『好きな子からしかチョコは受け取らない』って、誰かに言ったのか?」
「ああ、それなら朝早くに告白された時に言ったな……」
 ──本当に言ったのかよ。
 その言葉を何とか呑み込んで、諸伏は続ける。
「それ、多分……いや、絶対、彼女に聞かれてるぞ」
 それも、おそらく直接彼の言葉を耳にしているだろう。彼女は普段から早い時間に登校しているし、運悪く鉢合わせしている可能性が十分にある。
 当事者である降谷はその可能性を少しも想像していなかったのか、目を丸くして硬直した。そして『義理』ですら貰えない状況を作ったことに気づき、頭を抱えて項垂れる。
「きっと彼女のことだ。お前の言葉を聞いて渡すのを遠慮してるだけだと俺は思うぞ」
「最悪だ……朝の時間に戻れるなら戻りたい……」
 今更後悔したところで時間は戻せないが、まだ挽回の余地は十分にある。
 諸伏は仕方ないな、と苦笑しながら降谷の肩を叩いて励ます。
「まあ、まだチャンスはあるって! 向こうからが駄目でも、こっちから行くのは自由だろ?」
 そもそも彼女からのチョコを貰おうが貰えなかろうが、降谷が今日彼女に告白することに変わりはないのだ。彼女が先に諦めてしまったのなら、チャンスは自分で作るしかない。
「……ああ、そうだな。もともと、最初からそういうつもりだったんだ」
 気を取り直して覚悟を決めたように大きく頷いた降谷に、諸伏はニカッと笑いながら親指を立てる。
「協力するぜ!」
 これ以上また拗れたら面倒だからな。
 そう心の中で諸伏が呟いた言葉は、降谷が知ることは永遠にないのだろう。


 協力すると言っても、諸伏にできることと言えば、彼らが二人きりになれるように取り計らうことぐらいだ。
 しかし、この状況では降谷は放課後も呼び出されることになるかもしれない。
 またもや昼休みに降谷が女子に呼び出されて不在になった時を狙って、諸伏は二人の恋路を見守っていた同士達にこっそりと相談してみた。
「一番手っ取り早いのは、俺達が邪魔が入らないように教室の前で見張ることなんだけど……」
「流石に、告白しようと思ってる女子の邪魔なんてしたら……なあ?」
「ああ、後が怖い」
 うんうん、と腕を組んでメンバー全員が同意した。ヘタレと呼ばれても良い。恋する女の勢いは本当に凄いのだ。
 今朝と同じく円になって座る彼らの後ろで、委員長も頷いた。
「恋する乙女は、嫉妬で鬼にもなるからねぇ」
「でも、ゼロが教室に残り続けたら、それに気づいた女子がまたやって来る可能性がある」
「あら。だったら、降谷を一度教室から連れ出して、さっさと帰ったと思わせたら良いじゃない」
「あ、それ良いじゃん! ……って、委員長! 何さらっと男子の作戦会議に混ざってんの!?」
「馬鹿ね。どう考えてもあの子に怪しまれずここに待機させられるのは私しかいないでしょ?」
 どうやってあの子を教室に残す気だったのかしら。白けた目で委員長は諸伏達をぐるりと見回してそう言った。
「朝からきゃーきゃー煩くてみんなうんざりしてたのよ。このクラスには降谷の恋を応援してる子達ばかりだし、教室の人払いも私から声をかけてなんとかするわ」
「委員長、神かよ……!!」
「よっ! 頼りになる委員長!」
「ところで優しい委員長は俺達に渡すチョコがあったりしませんか?」
「あんた達ね……人を煽てて自分から強請るなんて魂胆見え見えで恥ずかしいと思わないの?」
 はぁ、とため息を吐きつつ、委員長は一つの袋を差し出した。どうやら余っていた物のようで、全員で分けて食べろ、と言いたいらしい。
 だが、例え余り物であっても朝から降谷を羨んでいた男子にとっては嬉しい褒美である。「あざーっす!」と声を揃えて感謝の言葉もそこそこにそれを受け取り、彼らは早速中身の争奪戦へと繰り出していた。
 ただでさえガヤガヤとしている教室が一際騒がしくなり、諸伏と委員長は呆れるしかない。
「どんだけだよ、お前ら……」
「ほんと、単純馬鹿よねぇ……ところで諸伏君。放課後のことなんだけど」
 がやがやワイワイと人の話し声が飛び交う教室の中、諸伏は若干声を潜めた彼女に耳を傾けた。
 その後、彼女から耳打ちされた内容に目を丸くした諸伏がいたのは、チョコ争奪戦を繰り広げていた男子達が気づくことはなかった。


 *** *** ***


「おい、降谷ぁ。女子がお呼びだぞ〜」
 キーンコーンという大きなチャイムと同時に廊下側に座っていたクラスメイトの言葉に、降谷は疲れを隠す素振りもなくげんなりとした。それからチラリと隣の席に目を向けるが、彼女は降谷に見向きもせずにさっさと帰り支度を済ませ、委員長が座っている席へと向かってしまう。
 その様子に頭を悩ませる降谷に、諸伏はこっそりと耳打ちした。
「とりあえず、ついて行って」
「は?」
「行けば分かる」
 良いから、と強引に荷物を持たせて背中を押して廊下に追いやると、降谷は怪訝な顔をしながら言われた通り足を動かした。
 そして廊下に出た降谷は、男子生徒が指差す方へと顔を向けた。そこには確かに女子がいたが、とても見覚えのある顔だった。いつも彼女と親しくしている女子生徒だ。
 え、何この状況。そう混乱した降谷は振り返って諸伏と委員長に目を向ける。
 しかし、二人は「心配するな」と言わんばかりに彼女にバレないようヒラヒラと手を振るだけだった。彼らに便乗するようにぽんっと優しく肩を叩いてきたクラスメイトを一瞥して、降谷は不安げな面持ちで女子生徒について行く。
 そんな彼を見送ったクラスメイトは、その姿が見えなくなると振り返って諸伏に親指を立てた。それを確認した諸伏は、大きく頷き返し、お礼を言ってから教室を飛び出した。


 階段を下りて、渡り廊下を通り、職員室の前を通って階段を上り、図書室の前を通り過ぎて別棟へと続く渡り廊下を通り抜ける。それからまた階段を下りて中庭を通り、体育館の裏側をぐるりと回って人気のないゴミ捨て場へと辿りつく。
「なあ、一体どこまで行くんだ?」
「どこにも行かないよ。ただ連れ回してるだけ。でも、それもここまでだけどね」
 さっさと用件を済ませたい。その一心で痺れを切らした降谷の質問に、さらりと女子が答えた。
 思わず、降谷はしかめっ面になる。こっちは一刻も早く彼女の所へ行きたいのに、何故。これに一体どういう意図があるのか。
「これだけ時間が経てば、大体の生徒は部活に行ってしまうし、クラスメイトも帰ってると思うよ。後は、まあ……他の人がなんとかするでしょ」
 言いながら、女子生徒は近くにあった校舎の窓をこんこん、と軽く叩いた。
 そこからひょっこりと顔を出した諸伏に、降谷はきょとんとする。
「ヒロ? お前ここで何してるんだ?」
「お前の為にあちこち駆けずり回って待ってたんだよ」
 窓を開けてほら、と黒髪のウィッグと眼鏡を手渡した諸伏に、「これは?」と降谷は首を傾げる。
「ウイッグと眼鏡は演劇部の衣装道具だよ。まだ女子が残ってるかもしれないから、念のために変装でもしてみたらどうだ、って委員長からの提案。これで簡単に変装して、急いで俺達の教室に戻れ。委員長が上手く理由つけて人払いして、彼女をそこで待たせてるんだ。ほら、早く早く」
 急かすように降谷に手を伸ばし、彼を窓から校舎の中へと招き入れた諸伏は彼の頭にウィッグを乗せる。ようやく状況が飲み込めてきた降谷は促されるままウィッグを着けて眼鏡をかけ、少し長い前髪で目を覆い隠した。
 髪色一つで雰囲気が随分と様変わりした幼馴染みを見て、諸伏は満足気に頷いて笑う。
「うん。これで大丈夫だろ」
「本当か……? この程度だと、簡単にバレそうな気がするんだけど……」
「まあ、そりゃあよく見ればすぐにバレるけどな……髪色だけでも隠してしまえば遠くからゼロだって気づかれないだろ? とにかく、ここからは走り抜けろ。階段の踊り場で委員長が待機してるから、そこでウィッグと眼鏡は彼女に渡せばいいから」
「わ、分かった……あの、ありがとう、二人とも」
「お礼は、彼女と付き合ってからにしてくれ。……頑張れよ、ゼロ」
「……ああ。行ってくる」
 拳同士を突き合わせ、降谷は諸伏に背を向けて校舎の中を走って行く。
 その背中を見送り、諸伏は窓の向こうにいる女子生徒に目を向けた。
「本当、こんな事に付き合ってくれて、ありがとな」
「いーえ。あの子のためなら別に構わないよ。ただ、泣かせたらぶん殴りに行くって言っといて」
「あ、あはは……ああ、うん。分かったよ」
 悪戯っぽくにんまりと笑っているが、彼女の目は本気だ。委員長といい、この女子といい、どうも降谷の想い人の友人は一癖も二癖もある気がして、諸伏はなんとなく腰が引けてしまう。苦笑しながら頷いた彼に、女子は少しだけ呆れた目を向けた。
「……まっ、冗談はそれぐらいにしといて、私達も行こっか」
「え、行くって、どこに?」
「どこって、決まってるじゃん。野次馬だよ、や・じ・う・ま♪」
 楽しそうに三年の教室へと向かって行く女子に、諸伏は「まじかよ」と呟いた。
 流石にマズイだろ、と考える。けれど、諸伏にもずっと見守ってきた幼馴染みの恋がどういう形で成就するのか、知りたい気持ちは確かにある。
 ──バレたら怒られる覚悟でいよう。
 好奇心に負けた諸伏は心の中で「ごめん」と相手に届かない謝罪をしながら、女子の後を追いかけて教室に向かった。


 諸伏が自分のクラスの前に辿り着くと、そこには既にクラスの半数の人数が集まっていた。彼女の友人達もそこに混ざり、興奮した様子で顔を赤くしながら扉の隙間から中を覗き込んでいる。
 諸伏も彼らに倣ってこそっと中を盗み見る。
「好きです。僕の、恋人になってくれませんか?」
 ずっと大事に隠し持っていたプレゼントを差し出しながら想いを告げる降谷の声が、廊下で待機している生徒達の耳にも届く。
 次いで、委員長の近くにいた誰かが「頑張れ」と何度も小さく囁く声がした。おそらく、彼女の友人なのだろう。それが全員の気持ちを代弁していると思ったのは、決して自分だけではないと諸伏は感じた。
 固唾を呑んで見守る諸伏達の気持ちに後押しされるように、降谷の向かいにいる彼女は彼のプレゼントを受け取り、そして自分の鞄の中から丁寧に包装された一つの箱を取り出す。
「私も……好きです」
 よろしくお願いします、と消え入りそうな声が教室の中で溶けて消えた。
 口を抑え、感極まった様子で互いの顔を見合わせる女子と、音を立てず小さくハイタッチをする男子。
 今日まで二人を見守っていた同士達が自分のことのように喜ぶ姿を見て、諸伏は息を吐いて天を仰いだ。
 長かった。本当に長い一日だった。
 こんなにも関係のない自分にまで達成感を感じるのだから、きっと赤い顔で彼女と笑い合っている降谷は自分以上に満ち足りた気分でいるだろう。
 幸せいっぱいの雰囲気に包まれる親友とその恋人を見つめて、諸伏は静かに口元を緩ませた。

 平成最後のバレンタインという短くも長いイベントは、彼らの中でようやく最高のエンディングで終わりを迎えた。
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