バレンタインに隣の席の彼女/彼に告白する話


 ちゅんちゅんと窓の外から雀の鳴き声がした。
 ──朝だ。学校に行かなくちゃ。
 少し睡眠が足りなかったのか気怠さの残る体をノロノロと起こし、壁にかけたカレンダーに目を向ける。今日の日付の所には数日前に遊びに来た幼馴染みが「忘れるなよ!」と言って目立つように書いた大きな丸印がある。
 ──いよいよ、だ。
 バクバクと激しく動き出した心臓の鼓動を感じながら必死に味の感じられない朝食を済ませ、震える手で身支度を済ませて三年間身につけていた制服の袖に腕を通す。次いで寝癖がないかチェックするために覗き込んだ鏡の中には、緊張した面持ちの自分の姿が映っていた。
 そんな情けない自分に喝を入れるように、ぱんっと両頬を手で挟むようにして叩いた。
「……よし」
 小さく呟いた後、机の上に置いていた可愛らしくラッピングした小箱を手に取る。
 それを大事に鞄の中へと仕舞い込んで、急ぎ足で玄関へと向かって家の扉を開けた。


 バレンタインデー当日の朝の話だ。
 いつもの習慣で早い時間に登校していた私は、友人達に用意していたチョコレートをこっそり机の中に忍ばせておこうと考えながら学校の門を通り抜けた。 
 運動場や廊下にチラホラと見えるのは、朝練の部活動に励む下級生達だ。彼らの準備運動のかけ声や、屋上付近から聞こえてくる管楽器のチューニングの音に耳を澄まして、私は校舎の玄関に設置されていた下駄箱へと足を踏み入れる。
 そこで私は、自分の靴箱付近に見慣れた人物の後ろ姿を見つけた。明るい金色の髪に袖から見える濃い肌色の手と、他の男子生徒に比べて少し高めの身長。
 降谷君だ。こんな朝早くに学校に来ているだなんて珍しい。いつもの彼ならば、幼馴染の諸伏君と一緒に登校してくるはずなのに。
 そう思いながら彼に声をかけようとした私だけれど、ここで私は彼が誰かと向かい合っていることに気づいた。
「気持ちは嬉しいけど、悪い。今年は誰からもそれを受け取るつもりはないんだ」
 その言葉に、私は慌てて下駄箱の陰に隠れた。
 なんてこった。どうやら彼は朝から女子生徒にチョコレートを手渡されていたらしい。それも相手の贈り物を断っている場面に出会してしまうだなんて。
「ど、どうしても……?」
「ごめん。好きな子からじゃないと、貰っても意味ないんだ。彼女から以外は受け取りたくない」
 まさか受け取って貰えないとは想像もしていなかったのか、狼狽える女子に降谷君はハッキリとそう告げた。
 見知らぬ女子生徒だけでなく、私の体にも電流に似た衝撃が走る。
(嘘……タイミングが悪すぎるでしょ……)
 自分の鞄の紐をぎゅっと握って俯く。純粋に、ショックを受けた。
 単純だと笑ってくれて構わない。半年前の夏祭りの日に『未来の旦那さん』と名乗る彼と出会った不思議な出来事から、私は密かにずっと降谷君を意識していた。だって、誰だって『未来では夫婦になりました』なんて言われたら、嫌でもその人のことを気にしてしまうと思う。
 それに、彼の思わせぶりな言動にも原因があるのだ。私達の関係はただの友達のはずなのに、この前も一緒に遊びに行ったら「せっかくのデートだから」と言って手を繋いでくるし、ちょっとお洒落をしてみたくて普段の髪型とアクセサリーを変えたら真っ先に気づいて「それ、可愛いね」と言って褒めてくる。連絡先を交換してからは暇になるとメールしてくるし、「声が聞きたかったから」とか言いながら電話もかけてきた。格好いい男の子にここまでされて、意識しない女の子なんているだろうか。
 そうだ。彼にも十分問題があるのだ。本人にその気がなかったとしても、「もしかして」と考えてしまうような思わせぶりな言動で近づいて来られたら誰だって勘違いしてしまう。
 ──こっちは、気づかれないように必死に隠していたのに。
 それなのに、まさかその彼に好きな女の子がいただなんて。全く、これっぽっちも想像もしていなかった。そもそも、少しも気づけやしなかった。
 今日用意していたプレゼントの中には、彼に渡す分もあったのにな、なんて思いながら力無く項垂れる。私は自分のつま先をじっと見つめたまま、頭の中で何度もあの夏祭りの出来事を思い出した。
(……やっぱり、あれは夢だったんだ)
 きっと、自分に都合の良い幻覚でも見ていたのだ。恥ずかしいな。妄想にとり憑かれていることにも気づかず、私は半年という短いようで長い時間をかけてこの恋心を育ててしまったらしい。
 パタパタと女子生徒が走り去る足音を聞きながら、私は唇を噛み締めた。
 どうやらこの恋は、今日のうちに溶けて消えてしまう運命のようだ。


 その日の降谷君の周りは、やはり言うまでもなく騒がしかった。
 頑なに「受け取らない」と言い張っているにも構わず、次から次へとチョコレートを持ってくる女の子達に降谷君は少し疲れている様子だった。しかし残念ながら、そんな彼を助けることは誰にもできない。
「ひゃー……今年も凄いな、ゼロのやつ」
「あんだけ拒否ってるんだから、普通なら受け取って貰えないって諦めるでしょうに……」
 呆れた様子でその姿を見守る諸伏君と親友の言葉に、私は何も答えず無言でそちらを一瞥する。偶然だが、降谷君も同じタイミングでこちらを見ていた。どこか「助けてくれ」とでも言いたげな縋るような眼差しを向けられていたが、朝のことを思い出した私はきまり悪くなってふいっと顔を背ける。
 そもそも、彼が「好きな子からのチョコしか受け取らない」なんて言うからそんなことになっているのだと思う。どこからどう見ても、同級生の女子達はもしかして、と僅かな期待を抱いて彼に突撃している。
「……? どうかしたの?」
 会話に参加しなかったことが気になったのか、私の顔を見た親友が不思議そうに首を傾げた。
 そんな彼女に慌てて「なんでもない」と答えた私は曖昧に笑いながら、手に持っていた鞄の中からラッピングした二つの袋を取り出した。
「はい、これ。二人とも、ハッピーバレンタイン」
「わぁい、ありがとーっ! 私はこれね!!」
「えっ、お、俺にもっ!?」
 嬉しそうに私の贈り物を手に取った親友はお返しの友チョコを鞄から取り出し、その隣では目を丸くして驚く諸伏君も照れ臭そうに頬を赤くしながらお礼を言ってくれた。けれど、彼の視線はちらちらと降谷君の方を気にしているようだった。
「あ、あのさ」
「?」
「その……ゼロの分とか、あったり……する?」
 あるにはあるが、朝の降谷君の言葉を思い出すと迷惑なのかもしれないと考えてしまい、どう答えたら良いのか分からず言葉に詰まる。
(もしかして、諸伏君が代わりに渡してくれようとしてる、とか……?)
 ふとそんな考えが過ったが、彼に限ってそれはあり得ないな、とすぐに考え直した。以前に降谷君宛てのラブレターを代わりに渡して欲しいと頼まれた彼が「それぐらい自分で渡せ」と不機嫌を顕にしていたのは今でも覚えている。あの時の彼は偶然居合わせた私が萎縮してしまうぐらいには怖い雰囲気があった。
 ──どうしよう。
 あまり悩むと察しの良い諸伏君に気づかれてしまう。チラッと鞄に目を向けて、私は首を横に振った。
「ううん。適当に作ってきたから、もうないよ。それに降谷君……『好きな子からしか受け取らない』って言ってたし……」
 どうせ渡しても受け取って貰えないなら、それはないのと同じだ。
 そう思って、私は嘘を吐いた。
「えっ、ちょっ、それ多分、何か誤か──!!」
 ぎょっとして何やら慌てた様子だった諸伏君だったけれど、そこでタイミング良く始業のチャイムが鳴り、教室に次の授業の先生が入ってきたので私は彼らから離れた。
 だからこの時の私は、チョコを片手にこれでもかというぐらい青褪めている諸伏君にも、何かを察したように諸伏君の肩を優しく叩く親友にも気づかなかった。


 *** *** ***


 ちゅー、と紙パックのお茶を飲みながら目の前で申し訳無さそうな表情を浮かべているヒロを見つめる。決してヒロが悪いわけじゃないし、今の自分がどんな目を向けているのか理解しているが、どうしても納得ができなかった。
「ゼロ、ごめんって」
「別に? 怒ってないけど」
「いや、今すぐ鏡見てこい。目が完全に据わってっから」
「気のせいだろ」
 そう言いながら目を逸らしてキョロキョロと視線を動かす。廊下の向こうから何度か女子が教室の中を覗いているのが見えて、辟易した。
 今日は朝からとんだ災難だ。早めに行けば彼女と二人きりになれると思って、いつもより比較的早い時間に登校した僕は、下駄箱で早速名前も知らない下級生に呼び止められた。
 正直、勘弁してくれの一言しかなかった。もちろん好意を伝えられて嬉しくないわけではないけれど、僕が本当に欲しいのは隣の席の彼女からの言葉だけなのだ。
 それなのに、僕の仄かな期待は無惨にも砕け散った。教室に入れば待ち構えていたかのように女子がやって来てチョコを置いていこうとするし、休み時間になったらすぐ誰かが呼び出しの声をかけてくる。おかげで彼女に話しかけられるどころか、こちらから声をかけることすらできない状況だった。
 廊下から教室の一角に目を向ける。友達同士で交換したチョコレートを食べる彼女の姿が見えた。
 さっきは目が合っても素っ気なく背けられてしまったが、今度は目が合うこともない。それがなんだか彼女と僕の心の距離を表しているようにも感じられて、彼女の周りにいる女子達が持っている袋を見て深いため息が溢れる。
 ──僕だけ、貰えない。
 これまで彼女とかなり親密な関係を築いていただけに、その事実がどうしても重くのしかかった。
「僕、そんなに眼中になかったのかな……」
「んー……いや、そういう訳じゃないと思う」
 何を察したのかは知らないが、頬を掻きながらヒロはフォローするようにそう言った。
「さっき、彼女の鞄の中をチラッと見たんだ。一個だけ、まだ渡してないやつがあった」
「それって……」
 ドクリど心臓が大きく跳ねて、僕の背中に冷や汗が伝う。
「そう! 望みは──」
「僕以外に好きな奴がいるってことじゃないか……!?」
「……なあ、お前らホントに何なの? 鈍感ラブコメディでもしたいのか?」
 とりあえず俺の話を聞いてくれ、と言いながら心底呆れたと言わんばかりの目をしたヒロに、僕は不安を抱きながらも一先ず落ち着きを取り戻す。ちょっとヒロから苛立つ気配を感じたのは気のせいだと信じておく。
「まずは、だ。ゼロ、『好きな子からしかチョコは受け取らない』って、誰かに言ったのか?」
「ああ、それなら朝早くに告白された時に言ったな……」
「それ、多分……いや、絶対、彼女に聞かれてるぞ」
「え゛」
 まさかの事実に言葉を失った。
 なんで今日に限ってそんなタイミングの悪い状況を目撃されたんだ。今日の僕の運勢、もしかしなくても最悪なんじゃないだろうか。
「きっと彼女のことだ。お前の言葉を聞いて渡すのを遠慮してるだけだと俺は思うぞ」
「最悪だ……朝の時間に戻れるなら戻りたい……」
 それが事実なら、僕は『義理』ですら貰えない状況を自分で作ってしまったことになる。頭を抱えて項垂れてしまった僕に、ヒロは励ますように肩を叩いた。
「まあ、まだチャンスはあるって! 向こうからが駄目でも、こっちから行くのは自由だろ?」
 笑顔でそういったヒロに、僕はちらりと自分の鞄に目を向ける。
 そうだ。色々と予定が狂ってしまったけれど、今日は僕にも最大のミッションが残っているんだ。
「……ああ、そうだな。もともと、最初からそういうつもりだったんだ」
 覚悟は、もう出来ている。うじうじするのは、もう終わりにしよう。
 そう意気込んで大きく頷いた僕に、ヒロは「協力するぜ」と言ってニカッと親指を立てながら笑った。


 *** *** ***


「はぁ……」
 職員室に用事があるからここで待ってて、と親友に言われて数十分。
 誰もいない教室でぽつんと自分の席に座り、私は机の上に置いた自分の鞄を睨みつけていた。チャックの開いたそこをそっと開くと、丁寧にラッピングした箱が見える。
(結局、最後まで渡す勇気は出なかったなぁ……)
 渡そうと思っていた降谷君は、放課後にまで女子生徒に呼び出されていた。あれだけ「要らない」と突っ撥ねていても、呼び出しにはきちんと応じるのだから彼は本当に律儀な人だと思う。そして、そんな彼に勇気を出して告白する女子達は凄い。
(それなのに私ときたら……ここまで準備をしておきながら、なんて情けない)
 自分でもそう思うが、それでも私はどうしても他の女子のように玉砕覚悟で彼に突撃することができなかった。
 今になってハッキリと理解できる。彼からの拒絶に怖気づいてしまうぐらいには、本気だったのだ。臆病なりにも、本気で私は降谷君に恋をしていたのだ。
 だけど、そのほんの少しの勇気も持てない人間の恋は、どうやら成就してくれないらしい。そりゃあそうだ。言葉にしなくては、相手に伝わるわけもない。
 せめて、『義理』という形でも良いから渡せたら良かった。それなら、少しはこの後悔も和らいだのかもしれないのに。
 そう考えて、また深い溜め息が溢れた。
 やめだやめだ。最初から人見知りな私に恋愛なんて向いていなかったのだ。少しの間でも不相応な片思いを楽しめたなら、それで良いじゃないか。
 そう気を取り直して時計を見る。友人が職員室に行ってしまってから三十分が過ぎていた。
 それにしても遅いな。何かあったのかな。そう思いながらも大人しく待ち続けていると、ダダダッと廊下を駆け抜ける足音が響く。
 続けてガラッと扉が開いた音を聞いて、ようやく待ち続けた人物が帰ってきたのだと私は振り返った。
 しかし、そこに居たのは親友ではなく、息を切らしてこちらを見る降谷君だった。
「良かった……! まだ帰ってなかった……!」
「ふ、降谷君……!?」
 どうしてここに、という言葉は跳ね上がった心臓のせいで飲み込んでしまった。
「えっと、忘れ物でもした、の……?」
「あ、うん……そんな感じ、かな」
 そんな感じって、どんな感じなんだろう。苦笑しながら答えた降谷君にわけが分からず首を傾げたが、そんなことよりも私は「これは最後のチャンスなのでは」と視線を鞄に落とした。『義理』であれば、もしかしたら仲の良いクラスメイトのよしみで受け取ってもらえるかもしれない。そんな打算的な考えが浮かんで、そしてすぐにそんな都合良くいくわけないな、と打ち消す。
「あのさ」
 私の傍まで歩み寄ってきた降谷君が、徐に口を開く。同時に視界に入ってきた可愛いラッピングの小箱に、私は「ん?」と目を丸くした。
 あれ? なんだこれ。箱だ。いや、箱なのは見れば分かる。問題は中身だ。
 混乱しながら差し出されたそれから視線を上げ、降谷君の顔を見る。
 真っ直ぐに自分を見下ろす綺麗な青い目と視線が交わって、またドクリと心臓が大きく高鳴った。
「今日、ずっと君に渡したいって思ってたんだ。その……タイミングが悪くて、こうして遅くなっちゃったけど」
 いつもよりどこか弱々しくて静かな声音だが、その熱い眼差しだけはすごく真剣で、捕らわれたように彼から目を逸らすことができない。
 これは、この雰囲気はもしかして、もしかすると、そうなんじゃないだろうか。いやいや。そんな、まさか。少女漫画じゃあるまいし。私はまた、夢を見ているんだ。きっとそうに違いない。
 ぐるぐると纏まらない思考の中で何度も自惚れてはいけないと自分に言い聞かせているのに、期待と緊張で脈拍は段々と早くなっていく。
 そして、彼はいつも見せてくれる優しい表情で、私の望む言葉を紡いでくれた。

「……好きです。僕の、恋人になってくれませんか?」

 ああ、神様。彼の朝の言葉は、勘違いでなければ私のことだったんですか。これまでの彼の言動も、そういう事だったんですか。
 まさか彼から貰えるなんて思いもよらず、手の中に収まったそれが夢のようで、嬉しさと気恥ずかしさで涙が滲んだ私は思わず俯いた。
 降谷君は、本当にすごい人だ。勉強もできて、スポーツも得意で、みんなの人気者で、こうして自分の想いを打ち明けることができて。
 そんな彼から向けられていた気持ちにも気づかないまま、私は勝手に叶わない恋だと決めつけて、諦めて逃げようとしていたのだ。
 ──あと少し。ほんの少しの、気持ちを伝える勇気があれば良い。きっかけは彼が作ってくれたのだから、あとは私が応えるだけだ。
 震える手で、私は自分の鞄の中からずっと隠し持っていた箱を取り出す。
「私も……好きです」
 よろしくお願いします、と消え入りそうな声で手渡したそれが、他の子達に渡した物とは違うことに彼が気づいてくれているのかは分からない。
 それでも彼は、私が渡した物を見つめたまま「僕じゃない誰かがこれを受け取らなくて良かった」と言って、嬉しそうにはにかんだ真っ赤な笑顔で私のチョコレートを受け取ってくれた。
 今はもう、それだけで十分だった。
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